(聖書箇所:マタイ21:18-22)
[ 道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。](19節)
葉のほかは何もない いちじくの木のように イスラエルの宗教儀式は盛んに行われていましたが、まことの信仰の実はありませんでした。
聖徒たちは敬虔な姿だけでなく、敬虔の実を結ぶ人でなければなりません。いくら敬虔であるかのように見せても神様が喜ぶ信仰の実を結ばないならば、神様の前から追い出されます。
(第2テモテ3:5 -- 見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。)
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