(聖書箇所:マタイ25:1-13)
[ そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。](1-4節)
このたとえは、終末に備える聖徒の姿勢を教えるたとえです。
花婿は再臨する「イエス・キリスト」、そして十人の娘は「聖徒」を指しています。“ともしび”は聖徒たちの 信仰の姿、“油”はその信仰を維持させていく 聖霊 を象徴します。
愚かな5人は信仰の形はありましたが、聖霊の働きのない信仰生活をしていました。賢い5人の娘は、主の再臨の時は知らないですが いつも目をさまして主の再臨を待ちながら迎える準備をしっかりとしていました。
この姿こそが主のみこころに適う姿であり、主が喜ぶ信仰の姿勢です。
(第1テサロニケ5:6 -- ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。)
----- 関連ブログ -----