(聖書箇所:マタイ20:29-34)
[ すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。](30節)
目が見えないことは大変辛いことです。暗闇と絶望があります。自分たちに良いことが起こるという希望もなかなか持てません。しかし、聞こえてきた噂で 病人を多く癒したイエスという方が近くにいることを知りました。
2人にとっては2度とないチャンスでした。そのチャンスを必死につかもうとしました。大声で叫び出しました。彼らの声がうるさいので群衆は彼らを黙らせようとしましたが、彼らはますます大声で叫びました。
奇蹟のうわさを聞いても 「どうせ私なんか無理でしょう。」、「これも運命だから。」、「そんな嘘を誰が信じるのか」と非難、疑い、そして拒絶の反応を見せながら何もせずにいませんか?
2人の目が見えない人はチャンスを無駄にすることなく、自分のものにしました。自分たちの願いである 「目が見える」ことを具体的に求めて、イエス様によって癒されました。私が求めないと、私に来る恵みはありません。
(マタイの福音書7:7 -- 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。)
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