(聖書箇所:マタイ21:28-32)
[ というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を信じなかったのです。](32節)
聖徒たちは口先だけで “主よ、主よ。”と言う者であってはいけません。自分の人生の中で、神のみこころを実践する人にならなければなりません。
ふたりの息子のたとえで、兄は父の命令に従うと言っておきながら実行をしませんでしたが、弟は「行きたくありません」と言いましたが 後から悪かったと思って ぶどう園に出かけて行って働きました。
今日も自分は神によく従順すると言っておきながら 実際は何もしない者たちがいます。
(ルカの福音書3:8 -- それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。)
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