マタイの福音書26:39
『それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」』
十字架を前にしたイエス様の心にも恐れがあったと思います。
なぜなら人間が考案した処刑方法で一番苦しくて悲惨な十字架刑を目の前にしたからです。
主の弟子ペテロは「イエスの仲間」と人から言われた時に、心に恐怖が生まれて3度も知らないと言いました。
それだけで十字架にかかることはないのに、恐怖心で仲間ではないと否定しました。
イエス様は自分が必ず十字架にかかることを知っていたので、切に3度も神の前に祈りました。
十字架から逃げるためではなく、十字架を負うための力を求めて祈ったと思われます。
神のみこころを行うことも、神の助けによって出来ることであり自分の力で出来ることではないです。
私たちも苦しみがある時、また神のみこころを行う時には、自分の力に頼らず、祈りによって神に頼ることです。
【祈り】
主よ。この祈りには心が打たれます。私もこの祈りをいつもしたいです。
【聖句をノ-トに書きましょう】
-祈り-
- マルコの福音書11:24
- マタイの福音書26:41
- エレミヤ書33:2-3
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