第2サムエル記1:11-12
『すると、ダビデは自分の衣をつかんで裂いた。そこにいた家来たちもみな、そのようにした。
彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また、主の民のため、イスラエルの家のためにいたみ悲しんで泣き、夕方まで断食した。彼らが剣に倒れたからである。』
ダビデが愛した友・ヨナタンの死に対して、嘆き悲しむことは理解出来ますが、自分のいのちを長い間狙っていたサウル王の死に対して嘆き悲しむことは普通の人にはなかなか理解出来ないことです。
むしろ敵の死を喜ぶはずなのに、ダビデはサウル王の死を悲しみました。
なぜ喜ばすに悲しんだでしょうか?
彼が愛の人、赦しの人、神の人だったからです。
愛は人を選ばないです。
敵であっても愛の人は愛します。
敵に対しても赦し、あわれみの心を持ちます。
ダビデがそのような人であったから、神は彼を主の心に適う者だと言われました。
敵であった私たちを愛し、赦したのが神様でした。
ですから神と同じ心を私たちが持つ時に、主は喜びます。
【関連聖句】
第1ペテロ4:8
『何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。』
《 3分バイブルボイス 》
【キリスト】イエス様の最後の土曜日:マタイの福音書27章