第1テサロニケ2:19-20
『私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。
あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。』
自分という存在が誰かの喜びであり、誇りであるならば、それはどんなに嬉しいことでしょうか。
パウロはいのちを懸けて労苦しながら福音を伝えた伝道者でした。
たくさんの人たちに会い、そして多くの人々を神に導きました。
しかし、しばらく時間が経ってみると、救われた人たちの姿も様々でした。
すでに神から離れた人もいれば、成長が止まった人もいるし、惑わされた人もいれば、成長してパウロの役に立つ人もいました。
教えられた通りに行い、成長した信徒を見るほど嬉しいことはありません。
いのちを懸けて福音を伝えて良かったと思う瞬間ですね。
しかしある人たちは反対に悩みの種になる人もいます。
もうすぐ主の再臨があります。
その時に主から誇りと喜びと言われる人は主の花嫁にふさわしい人です。
【祈り】
主よ。まだまだそのように言われる自信はありません。もっと変わります。
【聖句をノートに書きましょう】
-主が喜ぶ者-
- マタイの福音書13:23
- 使徒の働き10:2
- ピリピ2:30
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