「カメラの焦点を合わせる前に手を合わせましょう」 「九月、東京の路上で」の風景
加藤直樹著「九月、東京の路上で」をガイドブックに、関東大震災時に多くの人が虐殺された現場を訪ねて歩くツアーで行った、某所。同著から幾つかの情報をピックアップしてみる。
この町では移送されてきた朝鮮人を数千人とも思われる人たちが待ち構えていた。「一軒に一人、自警団に参加せよ」という呼びかけは、不必要な数の人々を街頭に集めてしまっていたのだ。彼らは東京の仇を打とうと殺気立った烏合の衆と化し、手柄で褒美勲章をもらえるという誤解も生じた。
「家の叔母さんだ、兄貴だ、いとこだのをこの朝鮮人が殺っちゃったんだから、家を焼いちゃったんだから、このやつらは敵だ」
「一番先の一撃は俺だ」
群衆は引き継ぎポイントに現れた朝鮮人の群れに殺到。
まず二十人以上が殺害された現場は、現在、大型ショッピングモール裏手の、地域鉄道踏切あたり。
私が訪れたのは日暮れ直前だったけど、暗く人気のない駅はずれの一角だった。
中心部入口における殺戮に加わった民衆はその昂奮をそのまま市街地へ持ち込んだ。
彼らは血がついた刀・竹槍・棍棒を持って逃げた朝鮮人を探し、見つけ出しては殺した。
そこに「自警」のかけらは少しもない。逃げずに縄で縛られ、おとなしく連行されていく者も容赦なく暴行を受けた。
日本刀を持って来た人が、「よせ、よせ」というのをふりきって、日本刀で斬ったという。「こんな時に斬ってみなければ切れ味がわからない」ということだったらしい。
竹やりを背中に何本も刺された被害者もいた。
彼らが最終的にたどり着いたのが深夜の某寺境内。
寺の庭では一人の朝鮮人をぐるっと取りまいたグループが、幾つかでき、一人殺すたびに、万才、万才、と喚声があがったという。
殺害された総数は明確ではない。
四十から百人とされる。人数すらはっきりとわからないくらいだから、被害者の情報は何も残されていない。
息を呑むほかない惨劇。被災地から遠く離れた人々がなぜ、ここまで残酷になれたのだろうか。
その寺の正面には、「カメラの焦点を合わせる前に手を合わせましょう」という看板が出ている。
そして右隣の看板によれば、「参拝・観光客一切不可」だそうだ。
この町は現在、夏場に日本一気温が高くなると言われている。
そしてこの町は、終戦の日未明、第二次世界大戦最後の空襲に遭う。
軍事工場としての飛行機の工場があったにしても、皮肉なことである。
この劇は、現代劇である。あくまでも今現在の我々の体験としての、舞台表現である。
「九月、東京の路上で」に記されているそのままに、この一冊の本を私たちが共有することで、事実から、風景から、「感じる」ことが、主眼である。
「九月、東京の路上で」上演情報については、以下を御覧ください。
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「九月、東京の路上で」
7月21日(土)~ 8月5日(日) 下北沢ザ・スズナリ
原作◯加藤直樹
作・演出○坂手洋二
詳しい情報は以下を御覧ください
↓
http://rinkogun.com/Kugatsu_Tokyo.html
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