
篠田正浩監督の訃報。
松竹ヌーベルバーグと聞いても、私の世代でもちんぷんかんぷんだったが、とにかくアングラ・演劇が大好きな監督だった。寺山修司さんにシナリオを書かせ、唐十郎さんたちも出演していた。
映画を通してものを考える、商業映画から独立プロに来る、そうした動きの先駆者であった。
『写楽』で大道芸の演出をさせてもらった。
時代に即した部分は尾上菊紫郎さん、私はその時代にやっていないはずの部分、という分担だった。大雑把に言えば。
監督が『神々の国の首都』初演を観て、おそらく日本的なものとアングラの混在を見て、抜擢してくれたのである。
真田広之さん、フランキー堺さん、岩下志麻さん、貴重な出会いばかりだった。
真田さん演ずる写楽が旅役者だったという設定。
小劇場の俳優も大挙出演した。
蔦谷重三郎の店を襲撃する場面に何日も掛けた。鈴木達夫カメラマンや衣裳の朝倉摂さんとさまざまに工夫した。高津装飾に特注して毬も作った。
撮影前の稽古期間も長かった。
『神々の国の首都』初の海外公演と撮影の半分がダブり、現場に完全にべったり着くことができなくなったのが残念だった。
現場の思い出は尽きない。いろいろありすぎて書けない。
篠田さんはその後も芝居を観てくださることがあった。最後は座高円寺だった。
『瀬戸内少年野球団』に復員兵のエキストラで出たのが最初の現場。40年前になるのか。
私は行っていないけど、『悪霊島』も瀬戸内海だった。清水邦夫さんがシナリオ。横溝正史の金田一耕助映画で「Let It Be」「Get Back」ビートルズが流れていたはずだ。こんな発想は篠田さんしかないはずだ。
御冥福をお祈りする。
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