『湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)』は、本当に終わってしまった。
ずいぶん長い間、この戯曲に取り組んでいた。
自作ではなく、二十年前に読んだ『湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)』を初めて上演したわけだから、ここまでに二十年かかった、という気さえするのだ。
出演した若い俳優たちの半分以上はオーディション・ワークショップによる参加で、劇団員ではないから、彼らとも当分会えないのだと思うと、さみしいものである。
写真は、左より、東谷英人、橘麦。そして、金魚たち。撮影・姫田蘭。
金魚たちは、なんとも涼しげだ。深津篤史は、本当に魚が好きだったのだ。
この金魚たちは「和金」で、生命力が強い。劇場ではまったく死ぬこともなかった。
私自身は一度も口にしたことはないが、この劇の、横長で高さが一メートル五〇センチしかないセットは、この四角い水槽と擬されていることは、いうまでもない。この劇の世界は、金魚たちの見た夢なのかもしれないのだ。
私にも、この戯曲と同じように阪神淡路大震災直後の1995年に「現代能楽集」シリーズの一本として書いた『金魚の夢』という作品がある。『湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)』よりも先である。
短編で、震災後の瓦礫の山の中をさまよう猪熊恒和演ずる男が、過去から甦った母親なのか愛人なのかわからない中山マリ演ずる女の幻影と繰り広げるドラマである。瓦礫の中から、聞こえるはずのない電話が鳴り続ける。そして男は最後に、濡れそぼった電話機と、そこからこぼれ落ちる一匹の金魚を発見する。
いま、東日本大震災にまつわる仕事を振り返る作業をしていて、思いは複雑だ。二つの震災との距離感の中に、私たちの時代を、思う。
http://rinkogun.com/wangansen.html
ずいぶん長い間、この戯曲に取り組んでいた。
自作ではなく、二十年前に読んだ『湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)』を初めて上演したわけだから、ここまでに二十年かかった、という気さえするのだ。
出演した若い俳優たちの半分以上はオーディション・ワークショップによる参加で、劇団員ではないから、彼らとも当分会えないのだと思うと、さみしいものである。
写真は、左より、東谷英人、橘麦。そして、金魚たち。撮影・姫田蘭。
金魚たちは、なんとも涼しげだ。深津篤史は、本当に魚が好きだったのだ。
この金魚たちは「和金」で、生命力が強い。劇場ではまったく死ぬこともなかった。
私自身は一度も口にしたことはないが、この劇の、横長で高さが一メートル五〇センチしかないセットは、この四角い水槽と擬されていることは、いうまでもない。この劇の世界は、金魚たちの見た夢なのかもしれないのだ。
私にも、この戯曲と同じように阪神淡路大震災直後の1995年に「現代能楽集」シリーズの一本として書いた『金魚の夢』という作品がある。『湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)』よりも先である。
短編で、震災後の瓦礫の山の中をさまよう猪熊恒和演ずる男が、過去から甦った母親なのか愛人なのかわからない中山マリ演ずる女の幻影と繰り広げるドラマである。瓦礫の中から、聞こえるはずのない電話が鳴り続ける。そして男は最後に、濡れそぼった電話機と、そこからこぼれ落ちる一匹の金魚を発見する。
いま、東日本大震災にまつわる仕事を振り返る作業をしていて、思いは複雑だ。二つの震災との距離感の中に、私たちの時代を、思う。
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