そう、精神の自由とは、何よりもまず「怖れがない」ということだ。怖れがあるところに自由はない。わかるね。「したいけれどもできない」と言う時、したいことをできなくしているのは、その人の怖れ以外の何ものでもない。言いたいことを言えないのは、他人にどう思われるかということへの恐れだし、イヤな仕事を辞めたいのだけれど辞められないのは、生活できなくなること、つまり死ぬことへの怖れだ。
死への怖れが、人間の中では一番大きな怖れだ。これが人生を最も不自由にしているものだ。死ぬことを怖れて、人がどれだけ人生を不自由にしているかを想像してごらん。生き「なければならない」、食べ「なければならない」、みんなと合わせ「なければならない」、あらゆることがこの怖れから出てきているとわかるだろう。でも、死は怖れるべきものではなかったのだったね。考えれば、人は必ずそのことに気がつく。そのために精神というものがあるんだ。精神は、考えて、自由になるためにこそ存在しているんだ。
池田晶子『14歳からの哲学 考えるための教科書』トランスビュー、2003年、169-170頁。
毎度これまで私は死を恐れてどれだけ不自由な人生を生きてきたのだろうか。死は怖れるものではない。
死への怖れが、人間の中では一番大きな怖れだ。これが人生を最も不自由にしているものだ。死ぬことを怖れて、人がどれだけ人生を不自由にしているかを想像してごらん。生き「なければならない」、食べ「なければならない」、みんなと合わせ「なければならない」、あらゆることがこの怖れから出てきているとわかるだろう。でも、死は怖れるべきものではなかったのだったね。考えれば、人は必ずそのことに気がつく。そのために精神というものがあるんだ。精神は、考えて、自由になるためにこそ存在しているんだ。
池田晶子『14歳からの哲学 考えるための教科書』トランスビュー、2003年、169-170頁。
毎度これまで私は死を恐れてどれだけ不自由な人生を生きてきたのだろうか。死は怖れるものではない。