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A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

memorandum 558 「無償の読者」

2017-09-15 23:55:33 | ことば
 僕たちは全員が、例外なしに、「無償の読者」としてその読書歴を開始します。生まれてはじめて読んだ本が「自分でお金を出して買った本」という人は存在しません。僕たちは全員が、まず家の書棚にある本、図書館にある本、友だちに借りた本、歯医者の待合室にある本などをぱらぱらめくるところから自分の読書遍歴を開始します。そして長い「無償の読書経験」の果てに、ついに自分のお金を出して本を買うという心ときめく瞬間に出会います。

内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、149頁。

美術作品もいつか本みたいになるとすばらしい。なかなか無償、無料でも鑑賞者が生まれないところが難点ではあるが。

memorandum 557 「贈り物」

2017-09-14 23:49:32 | ことば
 著作物は書き手から読み手への「贈り物」です。だから、贈り物を受け取った側は、それがもたらした恩恵に対して敬意と感謝を示す。それが現代の出版ビジネスモデルでは「印税」というかたちで表現される。けれども、それはオリジネイターに対する敬意がたまたま貨幣のかたちを借りて示されたものだと僕は考えたい。すばらしい作品を創り上げて、読者に快楽をもたらした功績に対しては、読者は「ありがとう」と言いたい気持ちになる。

内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、147頁。

これは、著作物に限らないだろう。すばらしい美術作品を受け取った鑑賞者もまた、「ありがとう」と言いたい気持ちになる。

memorandum 556 「本を読む人」

2017-09-13 23:54:32 | ことば
「本を買う人」のためではなく、「本を読む人」のために私は本を書いていると即座に断言できなければなりません。この申し出を前に、一瞬でも逡巡するような人間には物を書く資格はないと僕は思います。少なくとも僕は、その問いを前にして、一瞬でも判断に迷うような人間を「物書き」とは認めません。というのは、本を書くというのは本質的には「贈与」だと僕が思っているからです。読者に対する贈り物である、と。
内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、145頁。

今、多くの「物づくり」の人は「買う人」のために作ったり、書いたりしてないだろうか。
私は、「本を読む人」のために書いている。


memorandum 555 書くことの目的

2017-09-11 23:28:01 | ことば
 ご存知でしょうけれど、僕はネット上で公開した自分のテクストについては「著作権放棄」を宣言しています。(中略)
 それは僕にとって、書くことの目的が「生計を立てること」ではなく、「ひとりでも多くの人に自分の考えや感じ方を共有してもらうこと」だからです。もし僕の書いていることの中にわずかなりとも世界の成り立ちや人間のあり方についての掬すべき知見が含まれているなら、それをできるだけ多くの人に共有してもらいたい。僕としては、僕と意見を同じくする人の数が多ければ多いほどありがたい。それについて僕が「これは私の専有物だから勝手に使うな」というのではことの筋目が通らないでしょう。

内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、135頁。

共感した。私も「生計を立てる」ために書いていない。事実、美術批評では生計を立てようがない。現代美術では、ほとんどの美術館やギャラリー、アーティストは参考文献を記載しないし、会場で無料の配布物として配られて、読まれずに終わる。あえてテキストを流通、共有させないようにしているのかとさえ思う。ある作家には批評なんて誰も読まないと言われたこともある。それでも、私は「自分の考えや感じ方」を共有したいと考え、書き続けている。最近は、会うことのないだろう未来の読者に期待している。

memorandum 554 売れない

2017-09-08 23:25:22 | ことば
「いい小説が売れない、それは読者の質が落ちたからだっていうけれど、人間の知性の質っていうのはそんな簡単に落ちないですよ。ただ時代時代によって方向が分散するだけなんです。この時代の人はみんなばかだったけど、この時代の人はみんな賢かったとか、そんなことはあるわけがないんだもん。知性の質の総量っていうのは同じなんですよ。それがいろんなところに振り分けられるんだけど、今は小説のほうにたまたま来ないというだけの話で、じゃあ水路を造って、来させればいいんだよね。」
柴田元幸編訳『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』アルク、2004年、274-5頁。
内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、126-127頁。


孫引きで恐縮だが、傾聴に値する発言である。内田はこう書く「「読者は消費者である。それゆえ、できるだけ安く、できるだけ口当たりが良く、できるだけ知的負荷が少なく、刺激の多い娯楽を求めている」という読者を見下した設定そのものが今日の出版危機の本質的な原因ではないかと僕は思っています。」
これは美術界でも同様だろう。
たしかに、大衆的なものに耳目が集まるのは現実である。だが、それでも作品や展示の質の成否を読者や鑑賞者に転嫁してはならないと思う。読者や鑑賞者を信頼すること。これは大衆を生んだ近代以降、もっとも難しいことかもしれない。

memorandum 553 誰も言わないこと

2017-09-07 23:22:28 | ことば
どうせ口を開く以上は、自分が言いたいことのうちの「自分が言わなくても誰かが代わりに言いそうなこと」よりは「自分がここで言わないと、たぶん誰も言わないこと」を選んで語るほうがいい。それは個人の場合も、メディアの場合も変わらないのではないかと僕は思います。

内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、103頁。

メディアなどの受け売りではなく、自分の異見を語るよう心がけたい。

memorandum 552 開花

2017-09-06 23:24:30 | ことば
人間がその才能を爆発的に開花させるのは、「他人のため」に働くときだからです。人の役に立ちたいと願うときにこそ、人間の能力は伸びる。それが「自分のしたいこと」であるかどうか、自分の「適性」に合うことかどうか、そんなことはどうだっていいんです。とにかく「これ、やってください」と懇願されて、他にやってくれそうな人がいないという状況で、「しかたないなあ、私がやるしかないのか」という立場に立ち至ったときに、人間の能力は向上する。ピンポイントで、他ならぬ私が、余人を以ては代え難いものとして、召喚されたという事実が人間を覚醒に導くのです。

内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、30頁。

他人のため、日々考え、書いている。

memorandum 551 「これ、やって」

2017-08-29 23:56:54 | ことば
われわれ凡人が「ほんとうにしたいこと」や「自分の天職」で勘違いすることはまず不可避である、と。そう申し上げてよろしいかと思います。そんな「内面の声」に耳を傾ける暇があったら、まわりの人からの「これ、やって」というリクエストににこやかに応じたほうがいい。たいていの場合、自分の能力適正についての自己評価よりは、まわりの人の外部評価のほうが正確なんです。「これ、やって」というのは「あなたの例外的な潜在能力はこの分野で発揮される」という先行判断を含意しています。そういう言葉には素直に従ったほうがいい。

内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、27頁。

まわりの人からの「これ、やって」にしたがって生きて今に至る。
自分の才能は、自分ではなく他人が決めることだと思っている。逆に言えば、人が私に「これ、やって」と言わなくなった日、私の才能は終わったということかもしれない。それはそれで来る日に新たな能力が育っているのかもしれない。


memorandum 550 道を切り開いたらなあかんですね。

2017-08-28 23:20:55 | ことば
 ヒップホップはこうやとかああやとか、おっさんも、俺らぐらいの年のやつも、みんなヒップホップ・ラブが強すぎてそう言っちゃうけど、ハタチの子にヒップホップなんか、わかるわけないじゃないですか。その見方がおかしいんですよね。そういう子らを育てたらな俺はあかんと思うし、道を切り開いたらなあかんですね。俺らがバカっと道を開けて、そこにどんどん行け行けつって入らせたるぐらいの穴を作ったる気のあるラッパーが、いま日本にいないと思うんです。そんな若い子があったら引き上げるから、俺すぐ。俺んち住めって。俺の街に住んだらいいって。メシも食えるから大丈夫やって。

ANARCHY、都築響一『ヒップホップの詩人たち』新潮社、2013年、473頁。

ヒップホップ界同様に、美術界も後進を育て、道をつくる「気のある」アーティストや美術関係者は日本にはいない。そもそもアートを志向する「若い子」がいるかどうか。妬みや嫉みばかりでは、いよいよ終りである。

memorandum 549 ぜんぜん恥じることない

2017-08-27 06:36:54 | ことば
当時からいっしょにやってて、いまでも食えないやつ、いっぱいいます。でも、それもヒップホップやと俺思うんですよね。売れてるやつだけがヒップホップじゃなくて、別に土方やってラップやってるやつでも、カッコええやつなんかなんぼでもいるし、それを俺は恥じたらあかんと思てるんです。その、いまの現状を。俺、若いやつとかにもみんな言うけど……ラップで売れることは夢じゃないですか。それに向かってることがヒップホップやから、土方やってようがぜんぜん恥じることないって。それがいつか土方やめれるときが来るって信じてやるのが俺はヒップホップやと思うんですよね。

ANARCHY、都築響一『ヒップホップの詩人たち』新潮社、2013年、472頁。

「ヒップホップ」を他の言葉に置き換えても同じだろう。
売れることは実は重要ではなく、現状や自分を信じること、恥じないことの方が重要である。