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宗教

2023年10月16日 | 経営以外の話
統一教会に解散命令が出るようだが、我々が思う解散とは程遠い内容だとご存じだろうか?
オウムもそうだが、解散命令=活動禁止では無い。
宗教法人として認められない、税優遇が無くなるなど、確かに活動を難しくする要因にはなるが、これがかえって「結束を強める」可能性があるから厄介である。
結束が信心を深めるだけなら良いのだが、いわゆる「逆ギレ」となって一般庶民に跳ね返ってこない事を願う。

ある宗教は、この世の苦行は「神が与えた試練」という教えであり、苦しければ苦しいほど、あの世の暮らしが良くなると信じている。
仮に解散命令が出たら、喜んで受け入れるかもしれない。
これほど宗教というのは興味が無い人にとっては理解しにくいのだ。

私のような歴史好き(詳しくないが)にすると、日本の歴史は仏教と神道が密接に関わっていると感じる。
特に仏教。時の政権が大きな寺院、仏像を建立し、世の平和を願った事はご存じだと思う。
これは僅か1000年ほど前の話。この考えが続いていても驚くほどではない。

私は宗教を否定も肯定もしない。
いわば趣味のようなものだと割り切っている。
が、これは「誰にも迷惑を掛けない」という前提である。
趣味がBBQでも、住宅密集地で夜中までやったら、ただの迷惑行為だ。

宗教も、教えを広めるのは構わない。
が、休日にインターホンを押してまで広めるのは迷惑行為だ。
相手を思いやる心が無いもの、それを推し進める事に矛盾を感じないのか?

あくまで私見だが、宗教にすがる人は、自身を持っていない人が多いように感じる。
上(神様? 教祖?)の教えに従う事が正しいと思い込む事で、自身の足りなさを棚上げしているのではないか?
だから、同じような格好をして、同じような勧誘方法をしている(ノルマがあるのかもしれない)
自己啓発セミナーから戻った経営者が、全く同じ行動を取るのに似ている。
突然便器を素手で洗い出したら、それこそセミナー(教祖)に従う事で自身の足りなさを棚上げしているのだ。
努力の方向、方法を誤っている。

昨日、勧誘に勤しむご婦人が交通事故にあったそうだ。
ここで考えは2つ。
神からの試練なのか、神ですら事故を防げなかったのか?
前者なら喜んで受け入れ、治療は受けないだろう。
後者なら、信じている神の無力さに気づいたか?

救急車で運ばれたところを見ると、後者だと思う。
が「神様のお陰で命が助かった」と、都合の良い解釈をするのだろうな。
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