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ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

SS氏の厳美溪

2009年11月15日 | 歴史の革袋
SS氏は、あるとき磐井川の上流の名所、厳美溪にいた。
厳美溪も暦を巡れば、増水期と渇水期がある。
磐を抉る激しい奔流が、いっとき静まって、隠れている風景が現れる。
いつもなら立ち入りできない岩棚の低いところまで下りたSS氏は、逆の方向からレンズを向けると、空中のあるものの登場を待つ人々をめぐる光景を撮った。
さらに上流の、荘園遺跡も見てみたいものである。






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SS氏の毛越寺庭園

2009年11月15日 | 歴史の革袋
「どうも」と入ってきたSS氏は、店先に立って「このワンカップ、いくらです?」といいながら、当方の都合を尋ねている。
これまでと違う新しい写真の束を持っていた。
初めのころ、怪人か、と思ったSS氏も、百枚ほどの作品を拝見するうちに、揺るぎない流儀の統一されてあきらかになると、風雪を越えて森羅万象を追い求めている時の旅人かもしれない。
さっそく見せていただいたなかに、とうとう『毛越寺庭園』が現れて、内心でヤッタ!と思ったのは、SS氏の対峙した毛越寺庭園をいつか見る日が来ると、期待していたからである。
バッハの無伴奏チェロ組曲のように、最高の技倆と機材と天候が要求されている難解な対象であることは、撮影してみるとわかる。
これまで多くの芸術家が挑戦しているが、浄土庭園という極楽のような見た目のイメージが定着し、あくまで穏やかな風景も、もう一方の激動の歴史が背後にある。
芭蕉はこのことを、『夏草や つわものどもが ゆめのあと』 と言葉で撮影してみせたが、吾妻鏡によれば、この池の対岸に荘厳な寺院建築が林立していて、藤原氏は、内陣に安置する仏像のために満を持して大金を延々牛馬の背に積んで、みやこの運慶集団にノミを持たせることに成功したのである。
ところが、完成間近にうわさをききつけてチラリと仏像を覗きに、わざわざ駈けつけた都の権力者達は、見て驚いた。
このような絶品を、奥の細道の先に渡すなど、とんでもないことです。
さっそく洛中より持ちだし禁止のみことのりを発したので、藤原氏はやむなく「見た目に多少、中の上でもやむをえず、よろしく」と踏みとどまりながら、こんどは時の大納言にも、砂金を積んだ牛馬の列を向けて「大門の扁額に雄渾な一筆をお願いします」と、『吾妻鏡』は二枚腰である。
いま毛越寺庭園は、一瞬にして消失した歴史のことなど何事も無かったように、若いカップルの華やいだ会話や外国語の声が聞こえているようだ。






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白石市の客

2009年11月08日 | 歴史の革袋
蔵王山の麓に位置して栄える白石市は、鎌倉時代からこの周囲を治めていた豪族の名を残して、城郭公園に往時のよすがを偲ぶ、静かな街である。
「わたしは、くつろぐ旅に集団の行動は苦手で、妻さえも家に残してきました」と言って、或る意味もっともなのかジャズ的セリフをのべたその客は、筆より重い物を持たない雰囲気の剣の使い手であるが、ご自宅にそなえるJBLによってピアノ・トリオを楽しまれたり、先週、山形のジャズ・ライブを楽しみましたと日常の種々を開陳されると、「おいしい珈琲です」と耳よりも先に舌の感想をのべた。
仙台の『定禅寺ジャズ・フェス』が始まる時になると、パイプイスを持って駈けつけ腰を据えジャズを楽しむ一方で、土日の休みには推理小説を枕の傍にして過ごしているそうである。
そういえば、この定禅寺ジャズ・フェスの会場について、先週通りかかった作並街道の脇道からながめた秋も盛りのケヤキ並木の光景を、当方はふと思い出したが、仙台城の鬼門にあたる方位を封じている定禅寺の参道が、いまこのように市民の憩いをまかなうスペースとなって、鬼もたたらを踏みつつジャズを聴くのか。
いぜん駅前の『T』のマスターのお話しによれば、「さすがにペッパーを凌ぐ腕前の人がやっているとは言い難いですが、楽しさに惹かれて二日も通った」と、折り紙のついた祭りである。
マル・ウォルドロンのno more tearsなど、良いですね、と申されると「これから食事のあとは川向うに寄ってみます」と、ハイブリットで34キロ走るという名車に乗って秋の路を去っていった。







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炭焼藤太の伝説

2009年10月11日 | 歴史の革袋
洛中、洛外に居宅をかまえていた『長者』の昔話は、これまで多くの人々に楽しまれてきた。
当方が県境の自動車教習所にはじめてかよったのは、自分で車を運転するためであったが、彼の地の生活にまったく車を必要としなかった当方に、教官たちは、疑問符をつけてめずらしく思ったうえ、一緒に車に乗ってそのあやしいハンドル捌きをたしかめると、「やっぱり、初めてですねェ」と失礼な一言をもらしたが、おそらく彼等には、申し合わせや覚悟がいったのかもしれない。
車の運転は、義務であればうっとうしいが、坂道発進やペーパーテストを通過して、いよいよ免許証が発行されたとき、ちょっと天気のよい休日に自分で気に入った車が届いてエンジンを空ぶかしするのは、タンノイの調子をみるように楽しい。
他人様に乗せてもらうのと違い、フロントガラスに広がっているのは趣味の世界である。
そして、それまで気になっていた地理上のポイントに、国道四号線の教習コースでみかけた『炭焼藤太』という金の長者の遺跡標識があった。
炭焼藤太のことは、平安時代にこの地が京の都から見ていささか秘境であったころ、木を切り出して炭焼きを生業としていた伝説の人物であるが、沢のあちこちにごろごろ光っている金塊の値打ちを、京からやってきた娘にはじめて教わって、採掘と販路を確立し大金持ちになった長者の昔話である。
それからこの地には、『金成』というそのものずばりの地名が残って、炭焼藤太や金売り吉次の採掘プロジェクトは平泉藤原三代の強力な資金源となり、聖武天皇の御代に、奈良の大仏に鍍金する原資をはるばる馬をつらねて贈った史実があるといわれている。
最近の産出はまったくのように途絶えているが、いまも沢に入ると数時間でわずかな砂金を採ることができるため趣味の採掘マニアが出没するので、いずれ観光コースに組み込まれることになるのであろうか。
タンノイはいま、FRANK WESSの『OPUS DE BLUES』が鳴っている。
そういえばサイドでピアノを弾いているハンク・ジョーンズ氏は、さきごろ川向うでライブを敢行し健在振りを見せつけていたが、数日前のテレビコマーシャルでは、そのときの記念CDが五万両で黄金に鍍金され限定頒布されるとアナウンスされて、俄に炭焼藤太の錬金伝説が現代に連想された。
アルテックA-7でオーディオを楽しむ松島T氏がROYCEに現れて、ライブの行われたあのとき、車で駈けつけ聴いたジャズ・ライブの感興を、「満員のジャズ・トリオのライブを眼の前に体感して、あのように素晴らしいものであったのかとわたしは初めて知りました」と、黄金のホーンのついたタンノイをうっとりながめて申されたが、当方は、右から左にそれを受け流した。
みちのくのジャズ世界に、車も黄金もさまざまの物語を彩って続いていくようだ。






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『鳥舞』

2009年10月02日 | 歴史の革袋
長髪の怪人SS氏が再び登場したのは秋の初めの頃、
「一関駅前でみかけた男の、ジーンズと帽子の姿に触発され真似てみたが....しかし、あいつは格好良かったな」
と、自分のファッションにアドリブコメントをつけておいて、1曲お願いします、と言った。
むかし、ボンド映画で流行したあのアタッシュケースを開き、取り出したのは数十枚の大判写真の束である。
それが、これまでSS氏のまえに立ち現れたさまざまの情景がすかさず激写されている、無音の憧憬がいっとき静止した問題作の連続であった。
「置いていきますから、ゆっくり見て」といいながら、ロックアイスと水がほしいというので、わたすと、バッグから奇妙な入れ物を取り出してトクトクッと垂らしていたのは、なんじゃらほい。
どれも、眼前に広がるありのままを広角でガバッと気持ちよく撮る上質な桂品に眼を奪われたが、
その一枚に、『鳥舞』の風景があった。
鳥舞と同種の踊りは、アンデス地方など世界中に残っているが、東北に太古から伝承する民話の世界がこのたびユネスコの世界遺産にえらばれてみると、あらためて素朴な円舞の祈りに心をうたれる。
SS氏は、何十年も前に、平泉の束稲山頂でおこなわれた学童の鳥舞をカメラにおさめていた。
この山頂から見下ろしためずらしいアングルのかなたに、平泉を流れる北上川と、高館や柳の御所が写っている。
勧進帳で有名な義経一行の、終焉の地でもある。
こちらが、かってに写真をトリミングしても良いかたずねると、「どーぞ、ご自由に」と言いながら、タンノイから流れるピッツバーグ・ジャズ・フェステバルをバックに、スイスの腕時計を彼は絹のハンカチでいま磨いている。







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まぼろしの舞草刀

2009年09月27日 | 歴史の革袋
先日のこと、一関の市街地から北上川にかかる橋をわたると、美しい円錐形に裾野を伸ばす観音山がどんどん迫ってきたが、その山懐には、日本刀愛好者なら誰でも知っている『まぼろしの舞草刀』の発祥地がある、といわれているのを思い出した。
それまで伝統的に定規のように真っすぐだった刀身が、どうやらこの舞草刀から弓形に反りを見せて、平安後期の動乱に攻撃的破壊力をもつ新兵器として、設備を整えた鍛冶工房から量産されていくのであるが、周囲の地形には、鉱山や砂鉄の川が分布している。
この舞草刀の実物は、だれが持っているのだろう。
実用の刀と、観賞工芸用の美品があるのか、舞草刀として確認されたものは非常に少なく、しかしながら、眼力のあるひとが見ると、それとわかる特徴がある。
いまだにそれは、旧家の蔵の中に人知れず眠っているのかもしれない。
里見八犬伝の刀は、鞘を払うとサッと刀身に霜が浮かんで、先端から雫の玉がこぼれ落ちる、玉散る氷の刃だというので、そこであるとき上野の博物館に、正宗の名刀というものを見に行った。
正宗は、白さやから抜かれて薄明かりに銀色に輝いていたが、もしこれに、霜がかかって雫が落ちることがあれば、見ものだ。
タンノイの音も、ふっと霜がかかったように鳴るときがあってちょっと良いが、ナポリで生まれたアルド・チッコリーニの、昔コンクールで一位を取ったコンチェルト1番を、たまには聴く。






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JBLランサー101の客

2009年08月10日 | 歴史の革袋
そういえば、インター通りの右手に昔有ったレストランは、ステーキ・ソースの隠し味が『山椒』であった。
この山椒の木は、庭の窓辺に繁ってあったが、白い粉が付いて葉も繁らずトゲがあぶないと掘り起こしたら、根が、ずるずる三メートルも土中から出現し驚いた。
子供の時、この山椒を使って魚捕りする話を、メガネの男が真剣に話しているのを憶えている。
二人の顔を下から見上げていると、相手はそれを真に受けないので、やってみるということになった。
石垣から敷地にせりだしている大きな山椒の枝を折って、トゲのある皮をナイフで剥ぎ取って、葉と一緒に微塵に石で叩いて擦ったものを泥ダンゴに含ませ塊に何個か作り、それを持っていよいよ溜め池にドボン、ドボンと投げ込んだのを見た。
水紋がひろがって、やがてそれがどうなったのか?

眼の前の小さな庭にもいつのまにか、鳥が運んだか山椒が次第にある程度の大きさになったが、たまにあの水紋と根の長さを思い出す。
一年ブランクのあった今年の打上げ花火の日、夏の一瞬の豪華な黒アゲハ蝶がまたヒラヒラと庭に舞い踊るのを見て、毎年忘れずどこから来るのか不思議に思っていたが、この山椒の葉が丸ボウズになるほど食べ尽くす緑の幼虫が、蝶の正体であった。

蝶の飛ぶばかり野中の日影哉

黒揚羽は、食通なのか。
めずらしく、秋田の二万枚長者殿が登場し、連れの客人は『JBLランサー101』をご自宅に備えて聴いているそうである。
往年のジャズを聴き尽くされたかのような人々に、ロイヤルの『SKIPPIN’』を鳴らしてみた。
マルもクラークも、パリで71年に、終わりのない旅をしているのかといえば、5人は面白いようにハッとするサウンドを創ってみせる。






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風鈴

2009年07月24日 | 歴史の革袋
廊下の風鈴が揺れて夏が来る。
そういえば、当方も「ぼっちゃん☆」と呼ばれたときのあった昔の夏祭り。
テキヤのオアニイさん連がメインストリートの所場割りも済み、家の前に金魚すくいの枠が組まれると、挨拶に来て電気のコードを引いていく。
「ぼっちゃん。ちょっと用事をしてくるから、店番しながら遊んでいて」数百匹の金魚をおしげもなく中学生の当方に預けると、ぷいと男は姿を消したのである。
よろしい。無口な当方は、祭りのゆかた姿の賑わう真昼の大町通りの片側で、見よう見まねのモナカの皮に金串を刺すと、金魚すくいというものを心行くまで追求した。
どんどんおかねを受け取って、とれない子にも金魚を渡して、ふと向かいの映画館の新しい看板を見上げると、裕次郎がマフラーをなびかせてこちらを見下ろして笑っていた夏祭り。

福島から花巻に帰る客人が立ち寄って、いまの建築が完工すれば、こんどは花のお江戸に行くかもしれないと。
アルテックのフルレンジを、吟味したコンパクトな球アンプで鳴らすモノラルの音が、旅先の酒の友にぴったりと申される。
芭蕉が、江戸深川の芭蕉庵で鳴らすタンノイを、それからしばらく考えている。
本居宣長はJBLかもしれないが、芭蕉はやはりタンノイではないのか。行李の中に仕舞えるタンノイ・コアキシャルを、弁当缶のようなシングルアンプで鳴らす、旅籠の夕涼み。
宮城の角田市に『エヴァンス』という喫茶店があって、良い音で鳴っているそうである。
そこで聴くソニー・クラークとチェインバースとJジョーンズ、トリオのI DIDONT KNOW WHAT TIME IT WASを涼しく想像してみた。







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しない沼の秘密

2009年07月20日 | 歴史の革袋
中学の時、モノグラムのプラモデルB-17を買うために同級生と二人、東北本線にのんびりゆられ仙台の藤崎デパートに向かった。そこに行けば、なんでもあると噂に聞こえたメッカである。
途中で『しない沼』という駅名を聞いて、それから何年も、そこに大きな沼があるのだろうとこれまで思っていたのだが。
アルテックでジャズを聴く松島町の客人の家は、このしない沼の近くにある旧家で、大変気さくな元遠洋航路の船員さんで、いま『バーニー・ケッセル』を聴いていると、なんとなくのんびりした探検心が湧いてくるのが不思議だ。
――あの、おたくのところにある『しない沼』ですが、今度見てみたいものです。それはどんな沼ですか?
ああ、その沼は干拓されて水田に変わり、いまはありません。昔から、この巨大な沼は洪水で溢れ難儀したために、元禄時代には、溢れる水の排水洞窟を掘る人夫達が動員されて、松島湾まで何キロか地下道が造られ、いまでもその元禄潜穴に降りる縦穴が残って、子供の時には、遊び場になっていました。
このトンネルを掘ったときの逸話で、完成を祝う現場で、評判の踊り子をかこんで酒盛りの最中、鉄砲水で下に居た人はみんな流されてしまったという話は、ほんとうでしょうか。
その後、この沼は篤志の人によって水田干拓がおこなわれ、いま記念館があります。ただですね、付近の人は、このような建物の顕彰を、あの老人は喜ぶはずがない、と話していますけれど。
――ではその水田と縦穴を、いつか見に。
バーニー・ケッセルの演奏が「いそしぎ」に変わって、昔のしない沼に、水鳥の飛ぶありさまが、タンノイのかなたに浮かんだような気がした。





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MONK'S MUSIC

2009年05月29日 | 歴史の革袋
練馬区についての続きの話。
そのころの或る日、工場にやってきた新宿営業所のN氏からフイルムとプリントを渡されて、
「自家現像をしている店主が、このシミのような斑が写真に現れる理由を教えてほしいと言っていますから、よろしく」
カラー写真の隆盛期を迎えた大阪万博のあとも、モノクロの延長で薬品キットを使い自家現像にチャレンジするマニアックな写真店があった。
現像部門で相談し、必要なデビロップメントのレクチャーを受け、昼食の空き時間にその練馬の写真店に電話を入れてみた。
ハイ、とオヤジさんの声がしたので、自己紹介のあと言った。これは現像タンクの攪拌不足に生じるムラのようですが、装置はどのような状況でしょうか?
「それじゃオレのやりかたがわるい、と言っているのか」電話の向こうは、そうとう気の短いオヤジさんが、カチンときたのである。
一瞬、言葉に困ったが、そのとき電話の遠くで「おとうさんが、説明を頼んだのでしょ!」と娘さんと思われる必死にたしなめる若い声が聞こえた。
おそらくこの娘さんは、いつも父親の仕事を見ていて、その声は一部始終を知っている。店主は急に態度を改めて、「やっぱり自家処理は無理なのかね」と言った。
ジャズ的葛藤の場面が、一瞬の舞台転換で、秩序と矜持と礼儀で構成されたミレーの絵画に変わっていたが、良いアイデアがほしい。
「そんなことは無いと思いますが、こちらでは乳剤の表面に薬液を充分触れるように、窒素の気泡で攪拌しています。いつでも機材の動いている様子を工場で案内できますから、」と教わったとうり言ったが、オヤジさんに、あまり変わられても娘さんとしてはどうなのか。
しばらくあと、巡回のついでに営業の車は思い出したようにその店の前を通ってくれた。

S・モンクはマイルスの要求にカチンときて、それなら、オレにどうしろと、とばかり曲が進んでもピアノを弾こうとしなかった、あのクリスマス・セッションは、やっぱりおもしろい。
ソロ演奏のモンクのLPを聴くと、いらない音符を削り取った絶対音符の人と言われるイメージどうりにタンノイから聴こえる。彼の作曲になる『ROUND ABOUT MIDNIGHT』はしかし、ソロより大勢でやった演奏のほうが、ファンクのフィーリングも饒舌でありながら深みを感じる。
マイルスは、ソロとトリオとセクステットを一曲の間に交互にして、おそらく完璧な陰影の画面を創りたかったようだが、モンクのリーダー・アルバムの例では、ホーキンスもコルトレーンもブレイキーも好き勝手にやってモンクのイメージとは正反対だ。
この1957年の『モンクス・ミュージック』は“希に見るセッション”と賞賛されるのももっともだが、あとで一人になってレコードを聴いたモンクの言い分はどうなのか。







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WE-16Aホーンの風聞

2009年05月22日 | 歴史の革袋
当方が県境にある金成の運転教習スクールを選んだのは、たまたま家の前に募集の車が停まったからであるが、好人物であった証に、実技試験のやり直しでカチンときたとき、ヘッヘッとやってきては無料券をくれた。どこで見ているのか。
「これまで本当に?車免許を持たなかったのですか」と彼は訝しげに当方を見たが、全員が車の所有を目指したら江戸の町は手狭でまずい。そのために交通機関は発達し、車は乗せてもらうものになっている。
金成の路上教習は、森の新緑のつらなる田舎道がババリア街道のように風光明媚で、フィトンチットの満ちた練習指定コースをしばらく堪能した。
ブレーキをかけるときクラッチも一緒に踏む当方に、隣りに居て注視しているタダ券の教官は気が付いて「あれェ?ハハーン....」というと公道から農道に車を入れ一直線に伸びる無人の道で彼は言った。
「さあ、アクセルを踏んでスピードを上げてみてください」
ビューンと車は飛んで行く。
「クラッチを踏んで!」
車は、一瞬ふわっとスピードがあがった。
「ほーら、どうです。クラッチを切るとかえってスピードがでるんですよ」
それは、動力理論的に納得がいかなかったが、事実だからしかたがない。
午後になって家に戻るとマンガの轟先生そっくりの人を訪ね、車の教習に宮城に行ったことを話した。
轟先生は、うどんをどんぶりからちゅるっと1本吸いこむと、鼻の上までそれは跳ね上がったのを見た。子供の時、高熱を出すとオートバイで往診に来て注射をうってくださった恐怖の人であるが、こちらの話しにふんふんと笑っている。
金成というからには、むかし金が採掘されてその名が残ったのでしょうか?と問うと、轟先生は言った。
「金なら磐井川でも採れて、磐井橋の下の高校のあるカーブのところにも砂金は溜まっているから、昔は、採る人がいたね」
そういえば磐井川に沿って、金ばかりではなくさまざまのオーディオ装置がうなりを上げているが、先日登場したお客が、おもしろいことを言った。
「れいの雑誌で、ウエスターンの16Aホーンがこのあいだ売りに出ましたが、70万とあるので、誰かと見ると、厳美のあの御仁です」
磐井川上流に鎮座している怪鳥のようなWE-16Aホーンは、つとに高名でいるが、思えばみょうに安い値段で、壊れてしまったのかと心配した。
「そうでしょう。花泉のK氏に電話を入れ確かめると、700万の誤植と聞きました、とのことでした」
それには一瞬、タンノイのサウンドも変調したように轟いたが、どうやら売りに出すというよりは、存在を誇示したのか、と感想は一致したのである。







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ロケット

2009年05月10日 | 歴史の革袋
そういえば昔、当方は、ロケットらしきものを飛ばしたことがある。
それは小学校のとき、裏庭の物置に、代用ガラスに販売したというセルロイドの板が縄でくくられて棄ててあった。
だれに教わったかナイフで削って、鉛筆のアルミキャップに入れ、端を石で潰す。
一説によれば、ジャンボジェツトは18万リットルのガソリンを積載し離陸するといい、サターン・ロケットにおよんではあのタンクが、ほとんど自重のために消費される大掛かりなのに、こちらは素朴に積んだセルロイドキャップを二個の石コロの間に渡し、下のロウソクに点火、物陰に走って退避する。
NASAの偵察衛星が、正午の上空を横切るはずもない光景の、ただならぬ胴震いを見せるキャップロケットの様子を窺っていると、突然、膨張したニトロガスがぷしゅ!という音を残し、目にも留まらぬ速さでどこかに飛んで行く。
これでは、楽しいよりオソロし。
記録映画のペーネミュンデ実験場のブラウンも、同じように緊張している映像を見たが。

そのころ、ゴム動力の模型飛行機を飛ばす達人の噂が子供の間に流れ、あるときついに遊園地の広場で、飛翔の瞬間に立ち会うことができた。
県大会で、滞空時間が二位だったという長身の人物は、賞状と商品が保証している偉人である。
長い動力ゴムが、クルクルと充分に巻かれ、白い紙の貼られた竹籖の翼を垂直に向けたロケットのような姿勢で、難なく手から離れて昇っていった機体は、適当なところでパタと姿勢を変え水平飛行に移った。
風の停まった天空をゆっくり円を描いて、澄んだ秋空に飛んでいるのを見た。
それから半世紀もたつあるとき、たまたま出会った遊園地の近所という人に、当時小学生のまぶたに焼きついた飛行機のことを話すと、その人物はニッコリして言った。
「それは、私です」

☆続きの話
或る日、我々餓鬼ンチョがいつもたむろして遊んでいる小川の傍の門柱から、着流しにメガネの男が出てきて、小学生の当方に言った。
「飛行機を作って上げようか」
どうやらペーネミュンデ遊園地の飛行機の会話が聞こえていたのかもしれない。
話したこともない人であったが、いまテレビ画面で探せばコラムニストの神足裕司に似ていたような気がする。
数日して、その人物が帰宅している約束の夕刻に行ってみると、竹ひごや薄紙や図面や接着剤の入った袋を開けてみせてくれて、おばあちゃんが、炉にギンナンを焼いて皿に並べてくれた。
「あしたから作ろう」と言われた翌日は日曜であった。
縁側で部品を広げ、竹ヒゴをロウソクであぶってつばさの形に曲げていくのを見たが、図面にいちいち重ねて、正確に整形する作業は精密だった。
そこに来客があって、縁側に回ってきた人と、やあ!と気心の通じた間柄の笑顔を見せた。
「なに?それ」
「作ってあげる約束でね」
訪ねてきた男性も、一緒になって組み始めると、メガネの神足氏は笑って言っている。
「先生が二人で作るのだから、相当なものが出来るのかね」
濡らした手拭いに、翼になる紙を挟んで湿らせると竹ひごに被せ、少しの余りもなく正確に切り取られていくのを見た。
数日して機体は完成し、あの県大会の偉人がパフォーマンス飛行したと同じ、ペーネミュンデ遊園地に、それは持ち込まれた。
その神足先生は、いつも言葉少なに含蓄の片言で済ませる人で、メガネの奥の眼も柔和に、傍にいると緊張と安心が同居するというのか、当方はおおむね神妙にしていた気がする。
機体はゴムを巻かれると、静かに手から離れ、ふわりと滑空した。
神足先生は、うん、いいねと笑うと、小学生の当方を残してあっさりと帰っていった。

☆北上川に架橋工事の川崎宿









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桜山

2009年04月27日 | 歴史の革袋
桜山に、小学生の時遠足で登ったが、平安朝の当時、北上川の対岸の柳の御所から桜で埋まった山容を眺めた西行の視界を、いま見ることはできない。
西行はその桜山を見る前に、旅の途中鎌倉に立ち寄って頼朝と対面していると歴史書にある。それが本当なら互いに深い意図を隠して、相手の持つオーディオ装置の鳴りをたしかめたと思われる。
やがて遠路平泉の柳の御所に入った西行は、あるじ秀衡に、頼朝の音響装置の鳴り具合を話題にして、かわらけで東北の酒をくみかわしたのか。
柳の御所から見た当時の桜山は、満開に咲き誇って、有名な歌を西行に詠まれている。
百人一首の西行をみると、なかなか闊達な日常をうかがわせるが、数百年の後、芭蕉は、西行の道をたどってこの地に立ち、頼朝の攻略ですでに滅んだ平泉都を見た。
これから5月の連休に、西行と芭蕉の歌枕に立って、のんびりと北上川に映る桜山を観光するのはすばらしい。
秀衡も、西行も、芭蕉も、メメントモリの象徴のような桜を、現代の人とは違った感性で眺めていた。

ジェツト機の翼に点滅するランプは...
で知られる名調子の、深夜ラジオのナレーターがふたたび代わったことに気が付いた。
その気だての良さそうな声は、一点の非もないどころか、逸材であろうけれど。
だが、タンノイはタンノイであって。ⅢLZで聴いて以来の番組が、ある日突然のナレーションの変貌に、これはスピーカーのエッジが壊れたかと、驚いた。
希望の発露を述べて許されるなら、あの007ショーンコネリーの吹替え若山弦蔵と天下を二分した『城達也』を、本人が無理でも、さりげなくそっくりの声の主を探し出して「ジェツト機の翼に点滅するランプは...」と、語らせてもらえたら、そのプロデューサーはエライと思う。

ズート・シムスとアル・コーンはYOU’D BE SO NICE TO COME HOME TOをソロで交代するが、意外や両者の技倆を憶え違えていたと、気が付いた。
ユードビソゥ...はヘレンメリルの唄が女性の心をあらわしているように定着したが、本来は男性の言いまわしとの説もあって、いったい誰の演奏が真に迫っているか、コルトレーンなどを聴いてみたい。







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春暁

2009年03月23日 | 歴史の革袋
ジャズ的に聴く『唐詩選』は、唐代の蒐集された名曲465選の、タンノイで鳴らすブルー・ノートのようなものであるが、春に歌を詠む世の習いにかんがみ、孟浩然の五言絶句『春暁』をながめてみる。

春眠 暁を覚えず 処処 啼鳥を聞く
夜来 風雨の声 花落つることを知らずいくばくぞ

孟浩然がアート・ペッパー的に春暁を鳴らすなら、それはユービィソー・ナイス・トゥ・カムホーム・トゥの韻律かもしれない。
そういえば、おなじ春を歌った杜甫の『春望』という五言律詩はどうか。

国破れて山河在り、城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を潅ぎ、別れを恨んで鳥にも心を驚かす
烽火 三月に連なり、家書 万金に抵る
白頭掻けば更に短く、渾て簪に勝えざらんと欲す

春望にはコルトレーンの鳴らすディア・ロードが似合っているようだ。
そこに、フェァレデイZを駆って登場したのは、奥州市の御仁である。
なんでも水沢区に『レイ・ブラウン』というジャズ喫茶がある、と探訪の様子を聞かせてくださった。
先日一緒にソファに並んだ人のその後の様子や、16畳の自室に新しくアルテックを導入されて、アンプは『メロデイ300B』であると意気軒高に、音響世界の拡大路線をひた走っているご様子であるが、宮城の迫区のジャズ喫茶をめざして、春の道を4号線に消えていった。
持参の1枚のレコードを、どれどれと聴いてみたが、この『テイナ・ルイス』はまぼろしのLPといわれ一時は5桁の値をよんだ貴重なものらしい。
唐詩選も、いっきに春めいた。




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オラクル

2009年03月10日 | 歴史の革袋
「ハーツフィールドの存在を知ったころ、わたしはJBLの本格的なマルチ・チャンネルを組みたいと思ったのですが、高根の花の輸入品に手が届かず、秋葉原にあった『YL音響』のショ―ルムを覗いて、国産でいこうと決心したのです」
そのお客は、持参の写真をめくり、静かにこれまでを物語っていく。
アキバの電気街がオーディオ一色に溢れていたあのころを知る世代は、オーディオ・ショーに発表される国内外の新製品の渦に翻弄されて、ボーナスを手に迷路のようなアキバの商店街を昇ったり降りたり引き返したり、楽しくさまよう群衆の中にいた。
山手線や京浜東北線で押し寄せる客を迎える側の、軒を並べるオーディオ店も腕っぷし良く、オルトフォンRS-212のS字アームを探していた当方に、「お客さん、いま在庫がないから、目黒なら今日中に届けるので勘定だけ済ませてください」と小さな店の店主に言われ、夜になって、若い店員が本当に持ってきた。
「すぐに聴きたいでしょ」とか言って、アンプのちょうど収まる布ショルダーを渡され、持ち帰ることもできたアキバ電気街であるが、しかし、店員は言った。
「先日、製品持ち帰りは満員の乗客の迷惑になるからって、突然、改札で全面ストップされたんで、俺たちは大勢で駅長室に押しかけ、撤回させたんです」
不敵な顔で、となりのお相撲さんのような体格の店員と笑っている。皆、駅に行け!と結束したライバルが軒並み動員され、みるみる参集したセールストーク活舌群の集中攻撃にたまらず、アキバ駅の落城も早かったようだ。駅の側も、皆オーディオが好きであったし。
一枚の美しいプレーヤーに眼が止まる。
分解するとナスカの地上絵のような奇妙なシャーシであるが、これで音が良ければナスカは永遠に自分のものになるのか。
「この値段は張りましたが造りが良く、プレーヤーは土台の振動の遮断に、子供の浮き輪など手を尽くして研究しました」
このいかにも反応の良さそうなアームの造形も、毎日触るところで体感的に楽しめそうである。
次に、もう一台のカメラを渡されて、覗くとオーディオ・ルームに4台並んだスピーカーが、スライドフイルムを見るように映った。そこにご自宅の装置があったが、音は見るものであることが、わかる。これが自分の装置の音ですよと、カセット・レコーダーを聴かせる人はいない。
菅野名人や、喜多男師、佐久間師、五味タンノイなど、一巻のテープやレコードで聴けたら楽しかろうが、バンゲルダー・スタジオの精巧なライブでさえもブルー・ノートで鳴った音はこちらの装置のサイズであった。
さて、それをよく見て気が付いたが、ライティングされたステージに堂々と並んだJBLのマルチ装置と、一方はアルテックのユニットによるアセンブリと申されて、YL音響の役目は、なかばで終えたように見て取れたが、あすの自分の装置がどこに向かっているか、行く川の流れは絶えずして、道具と目標は微妙に違っているのだろうか。
いわゆる道を究める剣豪も、二刀流が船の櫂になったり豹変をしている。
九州のあるホーム・ページを拝見していたら、壁のタンノイが突然JBLに変わっていて、ウッと驚いたばかりだが、さぞかしその音は未知のJBLの音に仕上がったのかと期待が湧く。
ひとつの装置を通してきたオーディオ・マニアも、音楽を聴くのに充分剣豪であろうけれど、あすのことはわからないのがよい。
『ゆうべに道を聴けども、明日のことは不可なり』
欲深いかもしれないが、古人の言葉をかみしめて、タンノイを聴く。




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