「どうも」と入ってきたSS氏は、店先に立って「このワンカップ、いくらです?」といいながら、当方の都合を尋ねている。
これまでと違う新しい写真の束を持っていた。
初めのころ、怪人か、と思ったSS氏も、百枚ほどの作品を拝見するうちに、揺るぎない流儀の統一されてあきらかになると、風雪を越えて森羅万象を追い求めている時の旅人かもしれない。
さっそく見せていただいたなかに、とうとう『毛越寺庭園』が現れて、内心でヤッタ!と思ったのは、SS氏の対峙した毛越寺庭園をいつか見る日が来ると、期待していたからである。
バッハの無伴奏チェロ組曲のように、最高の技倆と機材と天候が要求されている難解な対象であることは、撮影してみるとわかる。
これまで多くの芸術家が挑戦しているが、浄土庭園という極楽のような見た目のイメージが定着し、あくまで穏やかな風景も、もう一方の激動の歴史が背後にある。
芭蕉はこのことを、『夏草や つわものどもが ゆめのあと』 と言葉で撮影してみせたが、吾妻鏡によれば、この池の対岸に荘厳な寺院建築が林立していて、藤原氏は、内陣に安置する仏像のために満を持して大金を延々牛馬の背に積んで、みやこの運慶集団にノミを持たせることに成功したのである。
ところが、完成間近にうわさをききつけてチラリと仏像を覗きに、わざわざ駈けつけた都の権力者達は、見て驚いた。
このような絶品を、奥の細道の先に渡すなど、とんでもないことです。
さっそく洛中より持ちだし禁止のみことのりを発したので、藤原氏はやむなく「見た目に多少、中の上でもやむをえず、よろしく」と踏みとどまりながら、こんどは時の大納言にも、砂金を積んだ牛馬の列を向けて「大門の扁額に雄渾な一筆をお願いします」と、『吾妻鏡』は二枚腰である。
いま毛越寺庭園は、一瞬にして消失した歴史のことなど何事も無かったように、若いカップルの華やいだ会話や外国語の声が聞こえているようだ。