7月14日はパリ祭。
「きょうはパリ祭だ」と、何年もまえに田舎の破れ部屋で言った男がいる。
当時の巴里は、はるかに遠い國だったが、その部屋は特別な空気が立ちこめていた。
子供の時、その話をきいていた当方、いよいよ、パリの空の下、セーヌが流れる景色を眺めに海を渡ったが、おのぼりさんとしては、路上のスタンドに立ち寄って記念になりそうな新聞を物色していると、店員が「タダで読マナイデ」と言った。フランス語、読めない当方にむかって、それはかいかぶり。
『ムーラン・ルージュ』に行きたかったが、満席で、『リド』にまわった。
一番よい席は、舞台のそばの食事付テーブルらしいが、ワイン1本だけの外野スタンドに節約した。
日本の伝統芸では、歌舞伎座のようなものだろうか、ストロボライトに踊り子がストップ・モーションする意外なショーだった。
パリ祭なら、遠くで思うものでよいかと、タンノイでイブ・モンタンを聴く。
☆そのむかし『ウィンドウズ3.1』と格闘していたある深夜に突然電話が鳴り、訝って受話器をとると「きょうはパリ祭だ」の御仁からの「30年ぶり」の電話であった。
或る人物の消息を知りたいと言っているが、中学のころ一度見て以来の伝説の人間が電話の向こうにいた。
その1メートル90はあろうかという巨人が、ジャンパーの肩を少しすぼめて歩いているところを思い出すと、ついでにモーツァルト40番が聴こえる。
この巨人の部屋の蓄音機で聴かされた人がハミングしていた40番。
「きょうはパリ祭だ」と、何年もまえに田舎の破れ部屋で言った男がいる。
当時の巴里は、はるかに遠い國だったが、その部屋は特別な空気が立ちこめていた。
子供の時、その話をきいていた当方、いよいよ、パリの空の下、セーヌが流れる景色を眺めに海を渡ったが、おのぼりさんとしては、路上のスタンドに立ち寄って記念になりそうな新聞を物色していると、店員が「タダで読マナイデ」と言った。フランス語、読めない当方にむかって、それはかいかぶり。
『ムーラン・ルージュ』に行きたかったが、満席で、『リド』にまわった。
一番よい席は、舞台のそばの食事付テーブルらしいが、ワイン1本だけの外野スタンドに節約した。
日本の伝統芸では、歌舞伎座のようなものだろうか、ストロボライトに踊り子がストップ・モーションする意外なショーだった。
パリ祭なら、遠くで思うものでよいかと、タンノイでイブ・モンタンを聴く。
☆そのむかし『ウィンドウズ3.1』と格闘していたある深夜に突然電話が鳴り、訝って受話器をとると「きょうはパリ祭だ」の御仁からの「30年ぶり」の電話であった。
或る人物の消息を知りたいと言っているが、中学のころ一度見て以来の伝説の人間が電話の向こうにいた。
その1メートル90はあろうかという巨人が、ジャンパーの肩を少しすぼめて歩いているところを思い出すと、ついでにモーツァルト40番が聴こえる。
この巨人の部屋の蓄音機で聴かされた人がハミングしていた40番。