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ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

東大寺

2006年11月30日 | 旅の話

正倉院の香木『蘭奢待』に「東大寺」の文字が隠れている。初めてその建造物をまのあたりにして大きさにびっくりした。
フェノロサは薬師寺東塔水煙の造形美を「凍れる音楽」と讃えたので、それを鳴らすのはさしずめ「タンノイ東大寺ロイヤル」ということになるのか。当方のタンノイはウエスト・チャーチであるが。
先日、宮城のオーディオ開発者から「そういえばコーラルの1メートルウーハー製品化を勧めたのは、わたしです。ふっふ」と電話があって、さまざまの先端技術の現況を教えていただいた。
宮城は賢人哲人がひしめいて凄い。あのころコーラルという会社のステレオセットは秋葉原でも、とても良い音で、欲しかったが手が出なかった。
コーラルの1メートル・ウーハーをぜひタンノイに組み込んで、伽藍の中でバッハなどを聴いてみたい、と開発者に当方はあぶなくせがんだ。
ところで遣隋使SA氏は、再び中国に渡っておられる。

☆平泉に『二階大堂』という鎌倉期の建造物があったが、模型で見ても東大寺を模倣したのかと思える威容で、義経をこの地に追討した源頼朝も、気に入って鎌倉に同じ堂を造ったと言い伝わる。それで鎌倉に行ってみたら、二階堂の地名だけが残っていた。

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英国

2006年11月28日 | 旅の話
フレデリック・フォーサイスは、ヒースロー空港の何十キロか先に屋敷を構え農業をしているらしい。
『ジャッカルの日』のような逸品は、まだ書けないだろうか。
ロンドンに着いて、格式のあるレストランに入ったのはよいが、通されたテーブルは半地下の煤けた予備室のようなところで、引率した商社員G氏はいささか面目を失った。
そのうえ折角の赤ワインが(良い味だと思ったが)グラスの底に澱が沈殿して、あからさまに眉を顰めたG氏はウエイターに「支配人を呼んでくれ」と申し渡したので、緊張した。
G氏は流暢に厳粛にしばらく抗議して、支配人を困らせている。
それをみて我々一同は、ちょんまげを撫でる気分で、もうそのへんで、と思った。G氏は勅使供応役のように、我々に気を使っていた。
メトロポールホテルに宿をとった我々は、2階で急停止したエレベーターに立ち眩んで、胃袋のワインが一回転した。
ロンドンは、夜9時を過ぎても外は明るかった。
夜更けの人の少ない街路の一角に、スロットルマシンが並んでいて、老夫婦がゆっくり遊んでいる。一つはなれたところに座ってまねをしてみると、なかなかコインは出なかった。チャップリンのような老人が寄ってきて、こうするんだよというようにレバーを引くと、なるほどチャラチャラン!と受け皿に何個か落ちてきた。
夕食後、大急ぎでやっと見つけた小さなオーディオ店で聴いた、240ボルト電源のイギリスのタンノイの音を、そこでまた思い返した。

※Zeiss1.4/85




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ヴェニス

2006年11月14日 | 旅の話
アッピア街道を北上して、モンテ・カッシーノ僧院やひまわり畑を車窓にながめながらヴェニスに着いたとき、陽は傾いていた。
ヴェニスはアントニオ・ヴィヴァルディの暮らした都で、協奏曲「四季」は『冬』の透明な大気を張りつめるタンノイならではの描写に魅かれる。アーヨの盤は低音がたっぷりサービスされて、いったい何丁のコントラバスかと思うほど豪華だ。オーディオの最後に立ちはだかっているのは低音である。
朝、ホテルのロビーにゆくと、集まった皆が口々に文句を言っている。昨晩、一斉に使用したので三階から上はシャワーのお湯が途中で枯れてしまったが、それがヴェニスだった。
フランソワーズ・アルヌールの『大運河』、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』、ともかく見どころ考えどころがおそるべき量で煮詰まって忙しいけれど、モダン・ジャズ・カルテットの『たそがれのヴェニス』は、旅の気ぜわしさをなだめるように、ゆったり演奏される。

☆ヴェネチアンガラス工房に立ち寄ると、支配人は言う「赤い色は金を溶かして発色させたのです」2階のゲストルームに招き入れられた我々は、ヴェニスの商人に入り口と出口のドアを閉められて袋のねずみになってしまった。ガイドブックに、ヴェニスほど治安のよいところは世界に無いとあるが...。異民族、丁々発止。

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霜後の滝へ

2006年06月02日 | 旅の話

「霜後の滝を見に行きませんか」U氏にさそわれて、いかにもふさわしい奇岩美景を想像していた。ところが、ROYCEから車で南に25分、萩の荘に着いてみると目の前にひろがるなんのへんてつもない野原と林で、どこに滝が?と眼が泳いだ。上流の「厳美渓」と比べるべくも無い。
立札の蘊蓄が良い。いにしえの昔、平泉の基衡や伊達藩侯がここまで遠征陣立てし、天幕をめぐらしてしばし宴に興じたと書かれてある。首をひねりつつ紫花の群生した道沿いに歩むと、小さな川の先がにわかに裂け窪んで、たしかに規模は小さいが瀑布といえなくもない。滝壺まで降りてみるとはじめてその岩壁のそそり立ったスケールが実感できた。水量の増す大雨の後を想像しながら水神の祠に手を合わせて一句詠む。

霧立ちぬ 霜後の磐を 虹の川
野守りは見ずや 君が袖振る 

そう、いつもの無理やり本歌取り、当方の知らない風水地形の秘密や深い謂れがあるのかもしれない。和風アバンチュールには目立ちすぎるが、風雪を経たそうとうな歌枕である。ラジカセでジャズは似合わず、ロリンズが滝壺でサクスを練習しました、といういわれがあれば。

☆「霧立ちぬ」は「さ霧立つ」が万葉調で勢いがよいけれど、ただそれだけである。
☆安全ベルトの未装着でアウトになったことを、ミルキーの社長がいまだに申されているのはお気の毒だ。当方も、深夜3時に目覚ましをかけて流星雨を見に行って献金してしまった。
☆流れ星が見えている間に三度唱えると願いがかなうらしい。しし座流星雨のときには「一億、一億」と物干し台で五回も唱えるほど火柱が走ったので驚いた。
☆眼のふちの痣を当方は見逃さなかった。「ハイ、荷物を持ったまま、トラックの荷台から真っ逆さま」彼はうっかり踏み外したが客の荷物を手放せなかった。顔から落ちで大事なメガネは飛んだが、荷物は異常なしとのこと。
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シャンゼリゼ

2006年05月09日 | 旅の話
シャンゼリゼ通りに、観光客のために公衆トイレがあったので入ってみると、近所のおばあちゃんが編み物をしながらお掃除とチップを乗せる皿の管理をしていたが、いまでもそうしているのだろうか。
チップの皿に色々な国のコインが乗っていたところが観光都市だが、今はみなユーロになったのかもしれない。
シャンゼリゼとはシャンプス・エーリッセオンというラテン語で、日本でいうところの高天原、神々の集まる場所であると教わった。
昨日寄ったお店のご主人に呼び止められて後を付いて行くと、そこにあったのは完成したばかりの、まだ誰も使用していない花の生けられた御トイレで、和装の迎賓館にあるような備えつけの什器や出来栄えがよかった。
これまでの印象の一番はシャンゼリゼのものだが、新品のこれにはかなわない、神々の賢所である。
午後になってお伺いしたさる先生のお屋敷で、百年以上前の貫禄のある執筆デスクに「座ってみなさい」と申されてその気になったのは、いぜん「あなたの文は、キーボートをポチポチされた様子が見てとれますから、やはり文章は、万年筆が宜しいでしょう」と、もったいないお言葉をいただいていたので、気分だけでも勉強になればと深く思ったのである。
広い卓上に、太いモンブランの万年筆とインク壺があった。
キャップのてっぺんに金平糖を上から見たような白いマークが付いて、いうまでもなくモンブラン山の頂上を空から見下ろした冠雪の模様であることを、映画で「ボガード」は傍の女に説明していると、グッとのぞきこまれてその後ありがちなシーンになったことを思い出したのは、当方のいたらないところだ。




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ローマの休日

2006年04月06日 | 旅の話
ローマは一日にして成らず。
セルバンテスの書いた小説「ドン・キホーテ」に登場する言葉である。
すべての道はローマに通ず。ローマに行って白い線を越えたらそこはバチカンだった。人口792人のバチカンはこのローマの中にある。公用語はラテン語。1615年に隣りの宮城県の『支倉常長』がここにやってきて法王に会った。青葉城も立派だが、常長はバチカン城を見て驚いたであろう。タンノイが好きというだけでは、法王は会わず。タンノイは一日にして成らず

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ピサからミラノへ

2006年04月05日 | 旅の話
レオナルド・ダ・ビンチは、ピタゴラスにあこがれていたと伝記にあるが、ミラノのシステーナ礼拝堂に絵を書いたのが残っているというので見に行ったことがある。その絵は『最後の晩餐』といって僧院の食堂の壁に直接描かれた大きなものである。
我々旅行団が到着したとき大学教授といわれる痩身のメガネをかけた女性によって絵は修復の真っ最中で、ぼろぼろに剥落退色した壁画は痛々しかった。
レオナルドが、ちょっと手を加えては櫓を降りて他の現場に立ち去ったと伝記にかかれていたその絵は、キリストの頭部が最後まで未完成のままだが、多才でやりかけの懸案をいくつも抱え、同時進行したダビンチに未完成はめずらしくない。関係者はやきもきした。するどく問い詰められたダビンチは「いま『ユダ』のモデルの顔が見つからなくて困っているが...」といって相手の顔をしみじみのぞきこんだ。
突然ぴかっとカメラのストロボが光って、やぐらの上で特殊なゴーグルをはめて絵筆を振るっていた女教授は「やめなさい!」と叫んだ。まぶしくて手元がくるうのだが、誰かがまたストロボを焚く。教授は振り向いて「やめろと言ったのに!」と叫んでいるのは、そうとう頭に来ているのだと東洋人のわたしはおののいた。カメラは室内が暗いと勝手に発光するので、メカに弱い日本人にとってはどうすることも出来ないから、皆あわてて呆然としている。ところが後から入ってきた日本人がまたシヤッターを切ったとたん容赦無くぴかっと光ったので、さすがに当方が「やめろ!」と、教授に向かって日本語でさけんであげた。いまでも不思議なのは、叫んでいるのは教授だけで、係りのイタリア人多数はみな平然としてだれも静止しないし嫌な顔一つしないのが、どうもかおかしい。イタリアはドイツと違って、万事鷹揚で、だいいち、国宝を修繕中に観光客を入れてオカネを稼いでいるのがナゾだが、教授も「やめろ」と叫んでいながら、本当は退屈な修繕に調子をつけているのかなと、イタリアであるだけに思う。ひとり倉庫のような部屋でこつこつやるより、観客の居るライブセッションのほうが張り合いがあるし写真にも写ってちょっと有名になるのだ。さすがに、ジャズは鳴っていなかった。

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栗駒の湯【1】

2006年03月06日 | 旅の話
「天然イワナの釣り堀のそばにおいしい食堂がありまして、N先生の画廊で絵画の鑑賞も出来ます」或る日Royceに登場した謎の人物YO氏は誘ってくださった。
火曜の朝にお迎えの車のドアが開くと、ブッパッ!とカーステレオから御機嫌なジャズがこぼれた。秘書を伴って片雲の風に誘われて訪ねた栗駒高原は、一関から西に30キロほど登った宮城県の国定公園の中にある。
沖縄のヨットハーバーから栗駒に赴任したYO氏は、合掌造りにJBLパラゴンを据えてジャズを鳴らすという雄大な計画を持っている。
「どこかに古い民家があれば手を入れて住みたいものです」道は次第に標高を上げて景色は変わっていくが、YO氏のお話も耳が放せない。藁葺きの民家の、障子を開け放した二間続きの畳の上で風に流れるC・ブラウンのユーアーノットザカインドを想像した。お話を伺っているうち元町や三渓園の話題から、横須賀の生まれであると意外な展開をした。ヨットを操って航海士の免許を持つYO氏のように、帆に風を受けて人生の船旅、どこに錨を下ろすのか自由な人も居る。
「この谷地は必見です」
栗駒の湿原に白く伸びる丸太道の上を先にたってスタスタと進んで行く半ズボンにデッキシューズ姿の身のこなしは、今もヨットの甲板を歩いているようだ。
リンドウの小さな群落に見とれていたら、何処からやってきたのか、現れては消える旅人の行列と秋の高原をすれ違った。湿原の散策を満喫して車に戻った一行は、またしばらく山道を行くと、小さな林と丘を越えた木立の中に画家N先生の山荘はあった。
「ここが森のギャラリーです」
(続く)
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栗駒の湯【2】

2006年03月06日 | 旅の話

YO氏が、アトリエのテラスの下から来訪を告げてしばらくすると、大きなガラスの戸が開いて和装の上品な女性が笑顔をみせた。
招かれたアトリエの天井の高い空間の壁に、森の風景と幻想が美しく調和した濃密な絵画が何枚も展示されてあった。何処か遠くからビバルディが聞えている。
コーヒーを淹れてくださった麗人とYO氏の会話を聞いていると、時も居場所もふと忘れてしまいそうである。
一時を過ごしたころ、新たに二人組の女性観光客の訪れがあって、我々はそこで腰を上げた。
車は再び森の木立の道を縫って、高原の中腹にある緩い坂道の十字路を曲がる。次に向かったところは、Royceにて旧知のAK氏のお屋敷であった。
(続く)
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栗駒の湯【3】

2006年03月06日 | 旅の話
釣堀の広場には、好天に誘われて大勢の観光客が集まっている。
食堂前に並んだ七輪からイワナを焼く芳香が売店のほうまで漂って空腹を抱えた人間は見えない網にからめ取られた。そこに恰幅のよい男性がいて、トレードマークのバンダナを締め、いま採れたばかりの一抱えもある『舞たけ』を押さえて従業員にあれこれ指図をしている人がAK氏であった。カリスマ店主を中心に、その周囲は踊りを舞っているようだ。直径50センチの大舞茸が売店に陳列されたとき、三万九千円の値札を見た観光客から賞賛のため息がもれた。
「これを買ったら、当分おかずは舞茸だけだな」どこかのオヤジさんが家族につぶやいたのが聞えた。採れたての瑞々しい色つやに寄って匂いを吸うと、天然ものは隣に並んだ人工栽培のカゴのものと違って芳香が深く、リンゴの匂いや、コケや枯葉の香りがする。バンゲルダー刻印のブルーノートであった。AK氏は忙しい店の落ち着くのを見計らって、駐車場を挟んだ上の屋敷に我々を案内してくださった。
陽射しの明るい空き地の鶏小屋に、志津川のSS氏のところで拝見したことのある鳥骨鶏(うこっけい)が五羽、おっとりと休んでいた。番犬のポチは、横になったまま尻尾を一回振っただけでつれない。巨大な大黒柱のある玄関を右手に過ぎて、人の立ち入らない一角に本格的な養魚池が何面も連なっていた。大量のイワナや鱒が水面を飛び跳ねて勢いよく回遊しているが、これは永年の研究をかさねた企業秘密、薬品を使用しない天然の湧水による養魚池というものであるそうな。敷地の奥に登ると、木立に隠れた茂みの先をAK氏はどうぞと指し示した。秘書と入れ替わって覗いたそこに、大名屋敷の庭園の借景で見るような、奥まった谷と一筋の小川がひっそりと陽に輝いていた。釣り堀や売店の喧噪もここまで届いてはこない。そのとき上空に大きな影が走って、何事かと天を仰ぐと、鼠色の大サギが音もなく木立の上を滑空して、池の天然魚を好むのはどうやら人間だけではないようだ。食堂に戻って、その天然魚とキノコの天ぷらが五品もあしらわれた料理で秋の味覚を楽しんだ。
(続く)


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栗駒の湯【4】

2006年03月06日 | 旅の話

充分にエネルギーを蓄えた我々は、AK氏の案内で栗駒山頂近くにある町営のリゾートホテルに向かった。カーラジオから流れるボビィ・ティモンズのピアノに乗って、YO氏の軽妙なハンドルさばきで車は飛ぶように走る。
「いのちを大事にね!」カーブで車が傾いたとき、つり革をしっかり掴んで警告の声を上げたAK氏だが、ところがハンドルを握ればこの人がもっと速いと聞いて、人はわからない。
「アトリエの奥さんはポルシェを飛ばして栗駒の駅まで○○分で行ったらしいです・・・」
小耳に挟んだ所要時間に、思わず途中の交番を指折り数えてババリア・アウトバーンをスカーフのちぎれそうに疾走したリーフェンシュタールをちょっと思い浮かべる。
吊り橋を通過したとき、谷底をのぞいている一組のカップルに目をとめたAK氏が、わざわざ二人の所まで車を戻して大きな声をかけた。
「こんにちは!飛び降りないでね・・・」
エッ!と耳を疑ったこちらよりさきに、カップルは肯いて笑っている。冗談が通じたようだ。
この栗駒道は岩手側のように雪の積もる季節に閉ざされるのではなく、世話役のAK氏もブルドーザー除雪に一役かって通年走れるように整備されているそうだ。
やがて山道は栗駒山の穏やかな斜面に開けた岩場にさしかかると、そこは駐車場と休憩所の備わった展望台である。須川岳と別称される岩手県側の九十九折りの断崖とは、まったく様相を変えて、なだらかな山腹が裾野を広げ、水沢市からはるかに仙台市までぐるりと一帯の地形を眺望させている。
晴れ渡ってどこまでも見通せる景色を、大勢の観光客が指さして歓声をあげているが、天界から見た一関市街とおぼしきところは驚きを通り越して気の毒なほど小さく大地の割れ目にこびりついて、眼を疑った。だがAK氏によれば「夜景の一関は宝石のように輝いています」とのことで少し安堵した。キャノンボールクインテットのSTARS FELL ON ALABAMAをタンノイでボリュームいっぱいあげて聴く気分がする。宇宙に打ち上げられたNASAの飛行士も、母なる地球から脱皮したゆえの感慨をもらしている。
この栗駒山の西の秋田県側に廻れば、鳥海山を望む場所がある。一関在住の写真家KS氏の名作「鳥海赤富士」を思い出した。展望台から1キロほど登ったところにリゾート施設『I』はあった。
(続く)
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栗駒の湯【5】

2006年03月06日 | 旅の話

中に入ると、控えめな外観と異なって、映画に登場する北欧のホテルを思わせる地形を利用した清潔な内装で気持ちが良い。AK氏は我々を引き連れて、象牙の塔の教授の回診のように各所で働いている従業員に気軽に声をかけながら、奥へ奥へと進んでゲームルーム、バー、会議室など豊富な設備を案内してくださった。『I』にある大浴場は、標高を勘案すると高層ビルの展望台よりはるかに高く、湯船に浸かって大きな一枚ガラスの向こうに下界を眺望する贅沢な大理石風呂であった。ここで一時を、芭蕉の旅を偲びながら湯に浸る。
目に青葉 山ほととぎす 初鰹
この句を矢立ての書き始めに江戸深川の庵を出立した芭蕉は、五月の雨に紙子を濡らしながらついに奥州平泉に着いた。念願を成就して一関に戻り、いま自分の居る栗駒の湯をわずかに南に十五キロほど離れた尿前(しとまえ)の関所から出羽の國に抜けて「奥の細道」を旅して行った。
時代は遷って、二間続きの華麗な個室が並ぶ都会的な旅籠が高山に一年中満々と温泉の湯を湛えていたが、旅の情趣は芭蕉の時と今もそう変わるものではない。夏の或る晩のこと、寝苦しさにふと外に出たYO氏が月の明かりに見たものは、栗駒の山腹に架かる不思議な夜の虹である。翌日、AK氏に質すと「永く住んでいるがそんなものは見たことがない」と。
栗駒の湯に浸かって、とりとめのない会話に夢中でいたら、次第に湯は熱く感じられて湯あたりするおそれがある。タオルを湯船に入れないで―と書かれた壁の注意書きが眼に入って、あわてて頭に乗せたが「貸し切りのきょうは大丈夫です」と、YO氏は万事遺漏なき姿勢を崩さなかった。
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伊豆沼の旅【1】

2006年03月03日 | 旅の話
SA氏のお住まいのすぐ近くに、渡り鳥の飛来地で有名な伊豆沼がある。大きな湖で野鳥の観察に趣味人が押し寄せ引きも切らない。そこには野鳥に魅入られてシャッターチャンスに半生をかけてこられた写真家がいた。SA氏のオーディオルームにてご一緒したFU氏がその人である。
FU氏はアルテックスピーカーでジャズを楽しんでおられるそうであるが、もちろんSA氏のアンプの熱烈なフアンである。
あるときRoyceにみえたFU氏から、ご自宅の装置の写真を見せていただいた。マグニフィセントともう一組、ウーハーが片チャンネルに2ユニット収まったスピーカーが写っていた。ダブルウーハーのいかにも堂々たる迫力で、これは『歌枕』だなと思った。ぜひ聴かせていただきたいものだ。
FU氏の属する写団の写真展が近く伊豆沼の博物館でおこなわれると案内があって、ある休日、秘書を伴って晩秋の伊豆沼を初めて眺めに行った。
行けども行けども湖は見えなかった。「まっすぐ行ってY字路を左に行きなさい」と道路工事をしている人達は教えてくれたが、さて大きな湖なのにどこまで行ってもそれらしいものはない。一面田んぼの広がる道をさらに飛ばして行くと、行き止まりの様な坂道があった。坂道を登り上がると突然そこに視界がひらけて広大な伊豆沼が広がっていた。
(続く)
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伊豆沼の旅【2】

2006年03月03日 | 旅の話
【承前】
博物館の写真展はとても充実したものだった。楽しんで帰宅したその夕刻に、電話が鳴った。
「めずらしい客人をこれからROYCEに同伴します」
FU氏が電話の向こうで申されて、まもなく到着された人は、いま作品を拝見したばかりの宮城の写真家YS氏のことであった。このYS氏のオーディオ装置にはJBL蜂ノ巣ホーンが組み込まれているそうで、レコードは二千枚もコレクションされているとききギョッとする。
つい数時間まえに鑑賞したYS氏の大きなパネルは、広大な闇緑の森を背景に一面鹿の子模様に雪が白い点となって空中に静止している。
その中央のたくましい木の枝に留って居る大鷲は起立してどこか無限の遠くを見ていた。
その写真の森の背後から「アトキンスン」のベースが鳴っているように聴こえてきたのは気のせいか。
お会いしたYS氏は静かな人であるが、ジャズの刀の鍔鳴りが聞こえる。いつか伺ってその音をたしかめたいものと、また「千社札」がはらりと浮かんだ。
一日、両写真家のパネルの並んだ回廊をゆっくり歩んだ豪華な時間をしばらく思い返した。




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