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ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

春分

2011年03月20日 | 巡礼者の記帳
春分の日、池大雅は画帳を小脇に旅に出た。
麗らうらと日射しを浴び大坂に向かった小半時、妻女は文机の路銀の忘れ物に気がついて後を追った。
やっと峠の茶店で写生に没頭している大雅に追いついて差し出すと
「や、これはどこのご婦人か存ぜぬが...」
と大雅は礼を言った。
妻女も黙ってそのまま知らぬ顔で家に戻った。
大雅の『十便図』を見ると、なんとなく杉浦茂の漫画が似ている。
そのような小さな発見に戸惑って珈琲を喫していると、杉並のS先生から震災の様子を問う電話をいただいて、いたみ入った。
当方も遠慮しつつ問うと、無事に回復された視力は、なんと1.0と。
おそらく復調のランニングテストは、アルファロメオにピシリ!鞭を入れて首都高速を滑走し、大和インター付近まで遠駆けしたであろうご様子が浮かぶようである。
――あの大型の『ウエストレイク』は、大丈夫でしたか?
当方のタンノイは震災で隊列を乱し、いささか乱調のありさまであるが、杉並区も非常に揺れたのであろうか、地下のオーディオルームの豪華な装置の無事を尋ねた。
「なに、あの形状は重心が安定しているので、問題ありません」
ご先祖が伊達藩というS先生は、かりに壊れてしまっても新しくひとつ多めに買いそろえるような気がする。
電気も水道も回復し、ぼちぼち店内の片付けをすすめていると、高田市が郷里と申される客人が現れて、この御仁はいつも早足で夕刻ROYCEの前を通る謹厳なスーツ姿を覚えているが、今見るご様子はアポロキャップにカジュアルな変身が意外に似合っているではないか。
「きょうはエバンスではなくコルトレーンを聴きたい気分です」
まだ大きな余震を警戒して、四散した本の片付けも途中の当方は、音を出す気分ではないので、しばらくお話を伺った。
聞くと、これまで高校の国語の先生をされていて、このたび定年退職を迎えたところの予期せぬ震災であったらしい。あろうことか郷里を襲ったアンビリバボーなご近況について整然とこれからの考えをのべられるのを聞いた。
これまでのご職業とこれからはチャンネルを変えても、テレビ画面でもすぐ活躍できそうな闊達なご様子が印象的な御仁であったが、このような人をいまあの町は必要としているのではないか。
まだ余震の最中ではあるが、海に向かって、頑丈な家並みが再び整然と立ち並ぶさまを、当方はぜひ見たいものである。
トーレンスのターンテーブルの脇に落ちて地震を再生し、500回以上バウンドした『SPU』の針先が、はたしてどうなっているのかおそろし。






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弥生の空

2011年03月06日 | 巡礼者の記帳
空が 屋根の向こうに あるごとく
一本の木が 広げた手のひらを屋根の向こうに翳して
3月は 静かな青さで たたずんでいる。

P・ヴェルレーヌ氏の言葉を借りて、Royceのそとの風景を見たとき、
エンジンの音がして登場されたのは、『フラゴン』氏であった。
「フラゴンは、コーンの振動が大きいとき、異音がするようになりました、調整が必要です」
個人情報を、事もなげに述べられると、Someday Sweetheartを聴きながらアルテック銀箱の写真をご婦人とながめておられる。
いつも慎重な言葉を選んで概観を述べる御仁につき、最小のキータッチでジャズを語るあの有名な団長よりもさらに少ない言葉の、先にあることを当方はしばらく考えた。
一方、出張から戻られた客人が隣の席にいて、麻布の三つ星の洋館の地下で見たワインセラーのことを子細に話してくださったが、ここのテーブルの前にワインをサービスしなさい、と遠回しに言っておられるのだろうか。
いわゆる、ジョーク。
この時間に摂する、時期外れのBEAUJOLAIS Nouveauが、良い味がしているのがおかしい。









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黒部峡谷の滝

2011年02月20日 | 巡礼者の記帳
母屋の、いつもの決まった席で、いつもの夕食用の箸を構えて食事を摂っている。
「おいしいね」
と思わずのべたひとくちが、納豆であったりすると、席はシーンとなる。
おっと、しまった。
そのとき、電話が鳴った。
「大阪からですが」
と、電話の向こうで貫禄のある御仁が話している。
「昨年も計画しましたが、川の向こうが急にクローズとのことで、航空券をキャンセルしました」
客人は、こちらにも足を伸ばすと申されて、連休も開けているかとおたずねである。
そのとき、誰にか向かって「おつかれさま」と、優しく返事をした様子が受話器の向こうにあった。
――あのゥ、2ヶ月先でも喫茶を開けましょう。
「ほほう、連休でも大丈夫ですか?」
終始一貫、楽しそうな御仁に、会ってみたいと当方は思ったので請合ったが、黒部峡谷の奥にも、誰も見たことの無い滝がある。
先日も、群雄割拠の著名な『タンノイ』のブログ、の客人が遠路お見えになって、終始楽しそうであった。
その御仁をテレビの画面で探すなら、レストランのメニューを三人が実食して採点する、中央の男性に雰囲気が似ている好人物である。
昔、川向こうにかよってJBLを研鑽したことなどおくびにも見せず、バイオリンが気に入っていると言い、あろうことかジャズのライブの機会も持たれるそうで、たいていのことを卒業し、いまこうしてRoyceにわざわざ足をのばしている。
こちらのかかえている時代がかったレコード再生に理解を示し、初めて聞く話のように終始楽しんで、チップまで置いて、言った。
「いま、車に九十一歳になる父を休ませているので、これで失礼します」
当方は、親孝行な人に弱く、御仁の日常と音楽生活を、あらゆる想像力を働かせてイメージした。
たまには、トニイ・ベネットやフランキー・レインもタンノイで聴こうと盤を取り出すと、SP盤のように硬くて厚い板が、当時のレコードであった。









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銀の匙

2011年02月19日 | 巡礼者の記帳
小庭の日なたに積んでいた大雪が、或る日とうとう勢いよく溶け出して、なつかしい地形が露出した。
雪の下からけろりとした姿を見せた植物に驚いた。
57年。西海岸に遠征したマイルス・リズムセクションの、A・ペッパーとロスの仕事に、皆感心したが、
だが、コンテンポラリのケーニッヒにこのテープを聴かされたマイルスは、
「おれがそこにいたら、ちょっと違ったな」
と言うわけの、その違いをタンノイで考える。
スタジオなのにライブのような熱気で、一気呵成にロスの坂道を駆け下りるセッションであるが、初対面の緊迫とサービスの洪水に、スタジオの影でマイルスは聴いていて、音符をもうちょっと寄せたり離したら、やっぱり俺の仕事になってしまうのか。
ジャケットを眺めて、かってな想像をしていたそのとき、どこからともなく現れた御仁は、ヤマハの1000Mをトライオードで鳴らしていると申された。
ベリリウム振動板のそれまで聴いたことも無い繊細な高域の登場が、今も同じように鳴っているのであろうか。
「といってもいま、蔵の二階の一部のスペースですが」
オーディオの世界では『銀の匙』といわれる、生まれた家の庭に蔵を持つ人であった。








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如月の古川の客

2011年02月11日 | 巡礼者の記帳
宮城県の古川市は、一関から国道4号線を50キロ南にあって、先日1市6町の合併が合意されると、一瞬にして翌朝人口15万の大藩大崎市に変身していた。
そのゆえにかの有名な『小牛田まんじゅう』も、いまは美里町である。
一関、川崎の柵の『金時まんじゅう』や、秋保温泉のおはぎのように、名物は周囲が少々変わろうとも伝統を堅持した。
2月の冷気をものともせず登場した黒ずくめの男女は、ご自宅でタンノイを鳴らしジャズを聴くと申されたが、ボリュームを抑えましょうと気を働かせると、いまの大音量でよいそうである。
ホワイトハウスに招かれた『カザルス』がプレジデントをまえにバッハを演奏したときのこと、ニュース映像は『鳥の歌』が国歌を超えて演奏されている最中、パブロのまえで貴婦人の足を組む姿を見て西洋人は驚いた。
しかし、ジャズを鳴らすタンノイに、斜に構えて聴くのが当方は好みである。
タンノイを造ったイギリス人も、ジャズは正座して聴かないほうが楽しいと思っているのではないか。
すると、そのことを小耳にした男性の傍らの佳人が、タイミングよくサッと斜めに姿勢を変えるのを見たが、もしや専業は社長秘書なのであろうか?流石である。
もしやのついでに古川といえば、あのN氏と同じ音響研究集団ではないか当意即妙が、女性9人と現れたポーカーフェイスMEGUのマスターの遊び心を思い出した。
古川N氏をよく存じ上げない当方ではあるが、あるとき音響概論研究レポートを拝見し、しばらく絶句し驚いた。
それを読んで、タンノイでジャズを聴きながら、いざというとき頼るのは、どうやら迫SA氏と古川N氏か、と漠然と当方は思ったものである。
どんな道場でも、奥の座敷に腕の立つものが控えているのが大映映画だが、師範代が外出しているとき現れた道場破りに「先生、お願いします」と奥の座敷で茶を飲んでいた古川N氏に門弟が声をかけると、無口でのっそり立ち上がり、無言のまま道場に姿をみせるとバッサリ切り捨てる、それが古川N氏である。はっは、よい映像はたのしい。
以前にも、お見えになった客に、N氏の装置の凄さをたずねたところ「それが、まだ声がかからず」聴かせてもらっていませんとのことで、もしかすると当方、いかにも心安く聴かせていただいたが、あれは戒厳防備の装置ともしらずに貴重な体験であったのかもしれない。
黒ずくめのお二人は、家に令嬢が居られるそうで、誕生年のワインを棚から抜くと「とりあえずこれを」と申されたのであった。








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『実朝』

2011年01月27日 | 巡礼者の記帳
日本の船で働く外国人船員は12万人である。
漁をしたり航海している日本船の面積を、自国の領土と考えると、飛び地のような我国は意外に広い。
鎌倉時代に、頼朝の後継実朝は、ぜひ宋の國を見たいと、渡来人エンジニア陳和卿と相談し、鎌倉材木座海岸に巨大な帆船を建造しつつあった。
『春立たば 若菜摘まむと しめおきし 野辺とも見えず 雪の降れれば』
実朝は出来栄えをたびたび見に行って楽しんだが、船はいたずらに大きすぎたのか、とうとう浜辺からびくとも動かなかった。
当方が、最初に鎌倉に行った目的の一つは、その船の破片でもあればという海の情景の期待と、鎌倉八幡宮から材木座海岸に一直線に伸びている参道が、そのまま造船所の床のように太平洋の海中にズブズブと入っている設計なのか、地図ではそのように見えたのだが。
ある時、江ノ電に乗って見に行った。
なるほどね、そうなっていたのか。
この鎌倉には、文人墨客も住んでいると、タンノイを聞きながら、お客は申されている。
「大学刊行誌の会費の集金をたのまれて、川端邸に訪問したのですが、驚きましたね。2時間のあいだむこうが話したのは、たったの二言でした。わたしは一方的に話し、むこうは、ふんふんと聞いているわけです」
その種の本をちょっと開いてみると、出版社に採用された新人女性が挨拶に行ったときのことを、かの康成先生は最後まで一言も口を開かず、帰りの江ノ電で女子社員は涙が出たと回想がある。
Royceもタンノイを鳴らさないまま、お客に催促されることもあるので、気をつけねば。はっは。
ところで、Royceのある『十二神』区から隣に『末広町』があって次が『才天』で『幸町』と繋がっている。
その幸町から、一分の隙もない客がしぶいランドクルーザーに乗って登場した。
ジャズを楽しみながら、申されている。
「そういえば自宅で『パラゴン』が鳴っています」
すばらしい。
マークレビンソンで駆動し、ついこの間まで鳴っていたのはマッキントッシュによるアルテックA-7であるという。
表情一つ変えないその客に、当方は気になって尋ねた。
――そのA―7とやらは、いまどうなっているのでしょう?
「部屋の片面に置いて有ります」







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シャコンヌ

2011年01月01日 | 巡礼者の記帳
年の始め。
2007年の地球上のすべての年金プールは1900兆円であった。
サバンナの上空を、ジェット気流のように還流する人類の蓄えを眺めていると、ついにこのごろ当方の上にも、野辺の朝の露のようにわずかにであるが、降ってきた。
モダン・ジャズに、それをどうこういう短調はない。
バッハの『シャコンヌ』を、かりにジャズで聴いてみたいと、シャワーを浴びる一時、考える。
バイオリンの原曲のソロそのままに、トリオがまるで一個のように渾然一体、ダイヤモンドフォーメーションを組んで一糸乱れず、低音部はどこまでも深くベースとドラムスが掘り下げて、ミリオンセラーの演奏を渋く、しかし明るく演奏するところを聴きたい。
そうなるとサクスはコルトレーンで、ドラムスは変拍子も得意の繊細なシェリーマン。ベースはフォービートの権威チェインバースがあたれば、いっけんスタイルの分離した面々が、ジャズによって多角的にバッハを解くのか。
16分のストーリーを、3分ずつソロで各自が解釈をみせ、途中の要所と後半は圧倒的荘厳に、なおかつひとつの連結した楽器のように、バッハの真髄にせまる。
ギュンター・ノリスの質素なサウンドとは反対の骨太に、ベイシー楽団のパーツと遜色なくお願いします。
最初の詠嘆の開始が決定的に重要で、短調を長調のようにブワッとかなりの抑揚と演繹をみせながら、時には借りてきたネコのように意表を突いてそろりといきましょう。
その数日あと、
「これはシャコンヌですね」
タンノイを聴いていた客が言った。
ふと、ジャケットをみるとそこに『グリュミオー』が、名器を駆使してバッハを解いている。
やはり、ジャズ演奏でこのフレージングは困難かな。
堂々たる深々としたビオラのような低音弦と、間欠泉から吹き上がる勢いで高音弦が同時に五線譜を走っているところを聴くと、この演奏を超えるのは容易ではない。
お客は、最近、タンノイをご自宅に設えたのである。
同伴の女性は、ほのかにバラ色の香りをさせ当方のテーブルの向かいの席にいて、「コルトレーン」って人の名前でしたの?」と瞳を輝かせて言っている。
それが読売ランドの観覧車に乗ったときの風景と、なるほど、はっは。やや似ていることに気がついた。
隣のテーブルの客が「嫁さん」と言ったので、どうやらご夫婦である。
離れた席のもう一人の男性はテレビドラマの訪問者のようなかまえでありながら、
「父が使っている装置はヴァング・アンド・オルフセンである」
と、申されたので、三軒茶屋のKT氏の宅で聴かせてもらったモンクの音を思い出した。






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臥龍館のあるじ

2010年12月11日 | 巡礼者の記帳
「こんにちは、ちょっとの時間、聴かせてください」
入ってきた客に、すこし見覚えがあった。
10年ほどまえになるが、当方のジャズ喫茶計画を知ると『石井建築理論』の資料を送ってくださった、葛飾の御仁と生き写しではないか。
理想のタンノイの音をもとめて、日本列島を北海道から沖縄まで20か所以上も行脚し鳴っているタンノイを聴取した、人品の印象は柔らかくとも信念ただならぬ人である。
知らぬふりでよい喫茶店ではあるが、お尋ねしたいことがあった。
――おかわりありませんでしたか?
「わかられてしまいましたね」と言って、当方のタンノイをしばらく聴かれると、「恐れ入りますがアンプを見せてください」とのことである。
長い間、タンノイでクラシックとジャズを楽しまれていたこの御仁は、或る日、そっくりイタリアのシステムに入れ替えてしまったことをきいて驚いたが、それまでこだわったタンノイを超える装置とは。
好日、関東に遠征したおりにお訪ねすることができ、完璧に調整された申し分のない音を醸している装置は、新世界の香りを放っていた。
それはもはや、なまじの感想ではこちらの言いがかりのようなものである。
口にチャックをして、そうそうに帰ってきた。
しかしながら、そのいいがかりをおそれずに言えば『タンノイの似合う人物』というものがあるとすれば、それが彼の人である。
あれから十年を経て、当方はタンノイの音色にいよいよ魅入られて、あと残るは、昔設計されて工場に残っているという幻の巨大エンクロージャーによる15インチモニターゴールドの復元といったことを夢に見る現在でいる。
音信不通となっていたこの人に、いちばん、気になっていたことをお尋ねした。
いまご自宅の、スピーカーは?
「工場で最後に造られた型番のオート・グラフです」
――えっ!オート...。それをアンプはお持ちのムンドで?
「いいえ、管球のクォードです」
絶句する当方をしりめに、royceのタンノイを三曲聴くと御仁は、音のみなもとをたしかめて去って行った。
土産にくださった『花園たまうさぎ』の包を母屋でながめながら、五味康祐氏が絶世の貴婦人と賞賛した『タンノイ・オートグラフ』の豊穣のサウンドが、クォードで鳴る様子を思い浮かべて飽きなかったが。
このようにあっさり一関に立ち寄られて、オート・グラフのことをふたことにして去った御仁のオーディオ・ルームは、記憶によれば、地下に半歩さがったあらゆる音楽にふさわしい構造で、床に這う太いコードは龍の尾にみえる臥龍のやかたのようなところである。
あるいは、その当時から要所をさらって目的に向かう遠大な計画ではなかったのか、ふたたび当方の前方に、タンノイは姿をサッと現してよぎった。




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横手市の客

2010年11月20日 | 巡礼者の記帳
中世の秀衛街道は、現代の342街道としばらくわだちを並べ、一路須川渓谷を越え、金売吉次の隠し金山や河川を眺めて、やがて秋田第二の十万堅都横手市に入る。
この横手市には、石坂洋次郎が青春の教鞭をとって『陽の当たる坂道』や『青い山脈』を著した記念館がある。
彼の伝記によれば、出版社に送った原稿が採用され、いよいよ印刷となったそのとき、叙情が時代の空気から浮いていると躊躇ったご本人、夜行列車に飛び乗って帝都の出版社を訪ね、辞退を申し入れた様子が記録にあっておもしろい。
もちろん、賢い出版社は「これは、よく書けています。どんどん書いてください」とはげまして取り合わなかったが、青い山脈とは、端のほうに須川岳も入っているのだろうか。
いつか横手という街の気分を、坂道でも探しながら、笊蕎麦と一緒に味わってみたい。
横手市から昼過ぎに現れてタンノイのジャズを聴いておられる客は、石坂洋次郎にどこか似た面持ちの誠実な雰囲気を醸していた。
「はじめてタンノイのジャズを聴きましたが、想像とはまったく違っていました」
珈琲をもう一杯お願いしますと言いつつ、メモを取り出してなにやら記録しているご様子である。
ルーブル美術館のプロムナードを行くと、大画のまえで画家が模写の筆を走らせて楽しそうな姿を見るが、このお客はタンノイから聴こえる初めての曲名を記録して、ジャズ世界の間口をご自宅の装置で広げるのかもしれない。
夜の八時過ぎに母屋の電話が鳴った。
「あの曲の入っているCDを見つけましたが、二枚組で、曲数も多いようです」
Royceで聴いた演奏とはたして同じバージョンであるのか、マニアの要諦を確認されていた。
ヨーロッパ・ツアーのベルリン・ライブとあれば、CDでも大丈夫ではないのかなあ、と思ったが。





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イヤフォン

2010年11月12日 | 巡礼者の記帳
黄昏時のしじまをついてジープが滑り込んで来た。
「珈琲をいただきながら、聞いてもらいたいことが有るのです」
市村羽左ヱ門に似ている御仁は、イスに中腰に座ってタンノイを眺めていたが、このような本格的な装置は、まだ聴いたことがないと言っている。
名刺に市の郊外でプラスチック成型加工の工場を営んでいるとあり、カタログを広げておいて、ビニール袋のイヤホンを取り出した。
「このイヤホンが届いたのですが、これまでのものと違いが、本当にきこえるのでしょうか」
当方は、イヤホンを使わない。
ともかくそれで、AIWAの『STRASSER』DATカセットを探しだして、これまでのイヤホンとその鳴り物入りのイヤホンをきき比べてみたのであるが、ソースも出力もこちら持ちというところが今ふうなのである。
そこで聴こえてきた音楽は、圧倒的臨場感がすばらしい。
当方はかねてより、平泉の旅籠に持ち込む小型のタンノイを自分で造ってみたいと考えていたが、その計画はこのイヤホンによって無期延期になるのかな。
ちょっとスタックスのコンデンサーヘッドホンに似た音のライブ録音が、AIWAの黒い弁当缶から細い紐を伝わって耳から空間に拡がった。
「これを企画した会社の首脳から先ほど送られて来たものですが、居合わせた○○氏がroyceに持っていきなさいと言いまして。わたしの工場でプラスチック整形の部分を、次に担ってもらっても良い、と先方は申してくださっているのです」
―――これはいくらで売り出されるのですか?
「1万5千と聞いています」
おー、たいした企画である。ヘッドホンでも高級品の価格帯ではないか。
しかしソニーというところは、むかしカラヤンがウオークマンを愛用したようにして、燎原の炎のように10万個くらいはあっというまに売られるのかもしれない。
アッピア街道沿いの古色蒼然としたマンションのベランダから、噴水を見下ろしているソフィアローレンの耳に、アクセサリのようなイヤホンが付いていて、聴いているのはローマ歌劇団かそれとも、ビル・エヴァンスか。
―――あのね、こんなところに居る場合ではありません。川向こうにいいところがありますから、工場で一番気立ての良い子を探して、このイヤホンと一緒に珈琲を喫しに行ってご覧なさい。
「それは、大変よいことをききました」
社長は当方のジャズ的演繹を知ってかしらずか非常にまじめな人のようである。
カタログにある井深氏という名前をきいて、むかしお世話になった会社の指示で、井深大氏の講演を聞いたときのことを思い出した。
規格協会のある建物はGHQに接収されたような姿をまだ残していたが、登壇した井深氏は、コップの水を呑むと、こんなことを言った。
「朝食の時、息子が、代々木の並木道を車で通った昨日、老人が道に倒れていたのを見たけど、お父さんも気をつけて。というので、おまえそれでどうしたとききましたら、出社に遅れるので、ほかに人もいたようだし一目散だよ。息子は、おやじが倒れていても、人任せで見ぬふりをして会社に急ぐのでしょう」
そのような枕詞から、時代の高齢者の有用について、話は進められていった。
その話に出たご子息の会社がリリースしたイヤホンなのか、とても良いデザインである。
このイヤホンの音は、タンノイ・ロイヤルにも似ているのは良いが、さすがの1万5千両であった。
「このように音楽を聴きながらでは、話もはずむものですね」
イヤホンの御仁は、いつも四角い事務所で真剣に経営しているような、面白い感想を申されて、帰っていった。





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アート・ティタム

2010年11月07日 | 巡礼者の記帳
ジャズの森を分け入ってしばらく行くと、クラブ古今和歌集というネオンの灯る建物がある。
「たのもう!」と声をかけると、現れるのが『アート・ティタム』である。
ラグタイムのリズムでピアノソロを延々と弾いているというレコードを、中古で購入し、いよいよトーレンスに乗せようとすると、中央の穴が小さくて、スピンドルが通らない。中古であるが新品である。
ティタムのピアノをクラシックで言うなら、ルービンシュタインではなくケンプのような気がしているが、そのままいまも新品で、あれからまだ針を乗せていない。
かわりに聴いているパブロのLPはやはりモノラルであるが、55年9月のLAで録音された五重奏団は、全員練達のジャムセッション、テイタムも埋没するのかと思うほど、面々はスイングしている。
L・ハンプトンのヴァイヴは、甘い音で走り、ハリーのトランペットに、バーニー・ケッセルのギターが響くと、珈琲のかおりまで特別に感じるタンノイである。
「パブロは音が悪いと言われているけど、そんなことはなかったね」
千葉の大先生はおそらく言うであろうゼリフが浮かんで、思わず笑みのこぼれるパブロ盤に、晩秋の時が流れていった。
母屋で昼食の時、二口ほど箸をはこんだところで客の登場があった。
――もしもしお客さん、いま食事中なので、ちょっと間があります。
「盛岡から、高専の異分野交流に来たのですが、そのまえにちょっと寄らせてもらいました」
頭のてっぺんから、足の先まで学問という風格の御仁が、ジャズを聴く。
「川向こうにも、まえにおじゃましていますが、わたしにはこのタンノイ、中央の小型でも十分の音に聴こえます」
お言葉にいたみいる午後であった。




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アパートの鍵?

2010年11月01日 | 巡礼者の記帳
ほうのきの葉も色づいた朝、ズバババ...というヘリコプターの音で眼が覚めた。
365度の天空を2本の空路が走って、高空を旅客機が音もなく浮かんでいるのを見かけるが、あの飛行機に乗って、ニューヨークの林立する摩天楼をながめてみたい。
タンノイから流れるモダン・ジャズ・カルテットの透明な旋律が一瞬ベースだけになって、ゆっくりと五番街を散策して行く。
そのビルの窓の一つ一つに仕事に忙しい男女がいて、アパートの鍵貸しますと言ったり、ショーウインドウを眺めながらブレックファーストしているイメージが昔はあったが、いまも、正午になると皆一斉に昼御飯を食べる光景を想像するのは面白い。
あるとき五反田から大沢商会に向かった。
ちょうど昼御飯時であったが、機械のことで緊急の打ち合わせに会議室に案内されたのである。
急いでいる課長がドアをバッ!と開くと、そこに三人のオフィス・レディが昼食していたが「キャッ」と言って、お弁当をかかえどこかに飛んでいった。
食べてもらっていても、いっこうにかまわなかったのに。
あとで地下食堂でご馳走になったこの会社の味と食材はすばらしかった。
そのころお世話になっていた当方の会社の食堂は四階にあり、眺めがよく、社長も社員と同じテーブルにつくことがあった。
「会社の固定資産のうち、ベランダの植木だけは年々成長して価値が上がっていくらしい」と、もれうけたまわったのを記憶している。
そうこうしている夕刻、ROYCEの前にタクシーから降りた恰幅のよい御仁が、「今夜の宿にしたホテルの名を忘れて、かたはしから緊急電話を、駅でやりました」と福島弁をまじえて笑っている。
盛岡で会議の帰りと申されて、ジャズとオーディオがことのほかお好きとのことである。
この威厳があってしかも気さくな人物の職業とは何か?どうも見当がつかない。
翌日その御仁が、「メガネを...」と立ち寄られたとき、名刺に『消防指令長』とあった。
菅野氏が、パイプを忘れた話も、たのしい。





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『零戦』

2010年09月26日 | 巡礼者の記帳
再び、銀色の豪勢な車体が店の前に滑り込んで、ボデイの先端に三菱の巨大なエンブレムが燦然と輝いていた。
すると太平洋戦争のとき、赤城の艦上に並んでいた『ゼロ戦』を作っていたところは、いまこのような乗用車を造っているのか。
むかし横浜の高島屋に冷蔵庫を探しに行ったところ、性能が四ッ星冷却という薄壁の白モノを勧められた。
ドアの内側にユンカース事業部と書かれたステッカーをみて、三国同盟の急降下爆撃機を造っていた会社とわかり使うことにした。
しばらく、爆撃機にビールを冷やさせて暮らした気分が、平和な産業に姿を変えて兵士が戦っているところを舌の先に感じたのであるが。
さてその車から現れたお客は、ジャズピアノの魔術師、山下洋輔氏に似た御仁で、どこかいっそう上品であり、戦時中はラジオの製作に凝り、同伴のご子息とひねもす管球アンプの競作が40台になるという。
安房の佐久間氏の元を訪ねてアンプ談義をされたこともある、このような柔らかく、しかし抜く手も見せない達人紳士の製作になるアンプが、いったいどのような音を響かせるのか、誰でも興味をおぼえることであろうが、仙台にお住まいとのことである。
ジャズ・ピアニスト下洋輔氏について逸話のあることを承知しているが、氏の弾いた『エリーゼのために』という名曲が、うっとりと始まる前半、ポリーニのようにまったく順調に進んで、これはなんだと思ったころ、突然すさまじいダイナミックレンジの4ビートの快奏になっていった。
エリーゼ嬢も感涙にむせぶひまのあるだろうか、稲妻のような演奏がみごとである。



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ヤツデの花と

2010年08月29日 | 巡礼者の記帳
母屋の食卓で、奇妙な天気予報がテレビで流れているのを聞いた。
「おだやかな日差しにヤツデの小さな白い花が咲いています。お天気です」
みると、まじめな中年の男性アナウンサーが、毎回たくみに地上のさまざまな風景の変容を、三十六歌仙が詠む散文のように天候を織り込んで、時に、あぶなくこちらは、味噌汁をよそうお椀を落としそうになったりしたが、毎回聞いているうちに、城達也のジェットストリームを思い出した。
アナウンサーも永く勉めていると、確たる世界を持つ。この放送は岩手限定のようである。
この日めずらしく、温泉道楽の御仁が立ち寄ってくださった。
「昨夜はホテルで、エバンスの三枚組CDを聴いていました」
いったいどのようなけっこうな生活をされているのか謎であるが、タンノイでベニー・グリーンなどを聴きながらお話に耳をかたむける。
「菊地成孔氏が上梓された本について、寺島氏の推薦書評が、どうも本文を読まずに書かれている....」といったジャズ的話題が、レコードの合間に煙のようにただよって時は過ぎていった。




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ハッセルブラッド

2010年08月22日 | 巡礼者の記帳
むかしお世話になったところに、いろいろな出来事があった。
「もめてます」と営業が持ってきた写真が、手ごわい客が四の五の言っているからなんとかしてと、あまり金額的に重要でないものは、回されてくる。
その写真を見た席を並べる隣が言う。
「このフイルムを見ると、ハッセルで撮ったもので、うまくはありませんがマニアですね」とフレームの刻みを指して教えてくれた。
高校の同じクラスの子が泉ピ○子ちゃんだったと言って忘年会を沸かせたりする、まじめで楽しいこの人物に、いつも助けられていたが、手のあいた時間に出発した。
恰幅の良い営業員が、申しわけなさそうにハンドルを握って言っている。
「この程度のことは、我々でも説明がつくのですが、おまえに何がわかる!と、店主がご立腹で、ひとつよろしく」
車は品川の駅前に停まった。
見ると、ワンボックス写真店で、店は別にも持っているけれど、この駅前の立地がすばらしく良いらしく、売り上げ高く鼻息が荒いそうである。
営業員は着くとすぐ当方を紹介しておいて、ちょっとこれ借ります社長、などと店の前を箒と塵取りでゴミ拾いをはじめるそつのなさである。
「まて、やめろ。綺麗にして儲けていると思われたら、お上がうるさい」
その主人はポケットに手を突っ込むと、分厚い札束から一枚営業に渡して、缶コーヒーを買いにやった。
それから当方に、おもしろいことを言い出した。
「その客には、まいっているんだ。できれば、うちに二度と来ないように、ほかの店を紹介してもらいたい」と、半分冗談のように言い、謝ってこなくても良いから、まかせる、となんとも割り切ったもの言いだ。
その足で、近所の客の住所に出向いたわけである。
事務所のような部屋に通されたが、長年の写真が趣味と、仕上がりの不満をしばらく聞いた。
――あの写真は、ハッセルブラッドで撮られていますが、なにぶん光量が不足しているので、少々高くなりますが大切なシーンは手焼き部門で完璧な調整をさせてもらうとありがたいです。写真店さんにも、そのようにご説明しましたが、ハッセルと聞いて、驚かれていました。
すると相手は、何に感激したのかわからないが、少し態度をあらためて嬉しそうに、やっぱりその方が良いかね、と言ってくださったのでたすかった。
1959年の『ランデイ・ウェストン』は、ファイブ・スポットでドーハムやホーキンス、ヘインズ、Wリトルと堂々と「スポット・ファイブ・ブルース」などをリーダーアルバムに残したが、短期間、レストランを経営していたことがある。
先日、ハッピィな四人の家族が仙台から立ち寄られたが、あまりパチパチ写真を撮るので、たまには自分でも撮ってみた。
そのジャズに詳しい御仁は、自分のオーディオ装置はいま蔵にしまってあると申されて、以前秋田にニューヨークから遠征してきたB・エヴァンスを、奥方とライブで聴いた思い出を話している。







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