警察関係者によると、容疑者は「アラーは偉大なり」と叫びながら刃物で教師の首を複数回刺したという。フランスの放送局BFMTVは、容疑者はモスクワ出身の18歳と報じた。
とのことです。
BBCニュース 2020年10月17日掲載によると、「現地紙ル・モンドによると、被害者は歴史と地理の教師で、「シャルリ・エブド」襲撃事件の裁判について話をした際に、ムハンマドの風刺画を生徒に見せており、10月初めにムスリムの親が学校に抗議を申し入れていた。」
とのことです。
またまたイスラム教徒の犯行でしょう。ムハンマドを侮辱したから殺した、ということです。なぜ侮辱するからといって殺すのか。批判を許さない、独善的なイスラム教の本質が現れた事件です。たんに一人の狂信者が犯した犯行ではない。イスラム世界の多くの人が、この犯行を内心で支持するでしょう。このような犯行を敢然と批判する人は、悲しいことにイスラムではごく少数の異端児にすぎません。
イスラムは邪教、カルトです。20億人もが入信しているのだからカルトではない、という素朴な意見がありますが、まったく間違っている。一度入ったら抜けることができないのです。棄教は死罪、棄教勧誘も死罪です。ムスリムに生まれたら否応なくムスリムとされ、死ぬまで抜け出ることはできせん。
なんらか良さげな教義を語っていますが、人間は全知全能のアラーの奴隷であり、問答無用です。救いはただアラーだけの権限で、アラーの気まぐれでどうにでもなるのです。そもそもアラーは人間を救済しようなどと思っていないので、救われるための論理も方法もまったく説いていません。これはまさかと思いますが、本当のことです。イスラムについての本をいくら読んでも、アラーが人間を救済したいと願っている、などとは誰もどこにも書いていません。
世界はアラーの意のままに、随時瞬時に更新されるので、世の中の法則や約束事もすべてアラーがそのつど良いように計らうのです。自然の法則もアラーの意のままであり、アラーは自己矛盾することも平気です。イスラムは一神教の純粋な完成形、などという人がいますが、神の全能性を理屈で突き詰めた結果、まったく現実と遊離してしまった空理空論にすぎません。これを完成形などとは噴飯もので、日本語では駄法螺と呼ぶのです。
あらら!! インシャラー、神の思し召しのまま、とは、人間は本来的に法則や約束をつくったり守ったりすることができない、ということです。こんなバカげた宗教はダメです。これはカルトそのものです。一人ひとりがどんなによさそうに見えても、精神がダメでは仕方がありません。