飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

使命

2021年11月09日 15時35分26秒 | 教育論
道徳の授業をしていると感じることがある。
それは題材の多くが目標レベルにとどまっており、その先にある目的にまで思考が届いていないことが多い。
学年による発達段階もあるので、ステップを踏んで指導していくことも考えられるが、教師の授業構想や教材研究の段階では、目標と目的の違いやなんのために仕事をするのか等は常に意識して授業をする必要がある。

マズローの欲求5段階を知らない教師はいないだろう。
しかし、この五段階は欠乏欲求に属する物で、その先にある成長欲求の前段階にあたる。
生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求。
その上には、さらに自己超越欲求というものが存在する。
言い換えるとこれは、社会や他者への純粋な貢献欲求である。
この段階になると人は無限のやる気を手にするようになる。
人は多くの場合、生きるための経済的な理由で職業を選び働く。
しかし、こんな研究結果もある。
「お金が幸福度を高めるのはある一定までで、それ以上は強いモチベーションにならない」
経済的に満たされても、それは一時的なもので、そのさきのモチベーションを高める要因は自己超越欲求となる。

簡単に言えば、世のため人のために考えるられるようになり、自分の使命感がそこにあると感じるとき、人は志を得るようになる。

saitani
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