飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

理想の本棚1

2024年01月03日 05時02分49秒 | 仕事術
美術家 横尾忠則氏

「置く場所がないからおいているだけでね、読むためにおいているわけじゃないんです」

「料金をはらって所有することっでその本のイメージを買ったのです。
 買うという行為を通さなければ、読書の入り口に到達したことにはならないのです。
 本を手にとって装幀を眺めたり、カバーを取り外したり、時には匂いを嗅いだり、重量を感じたり、目次とあとがきと巻末の広告くらいは読みます。
 そして本棚に立て、他の本との関係性を楽しんだり、その位置を変えてみたりしながらその本を肉体化することで本に愛情を傾けています」
             「言葉を忘れるより」

graf代表 服部滋樹氏

「本って2種類ありますよね。
 いざなわれる本と蓄える本。
 例えば小説は、文章から色や形、空間や人柄を想像する。
 そのことでイマジネーションが刺激され、頭の中からもっと広い外の成果へといざなわれていくもの。
 専門書であっても、その分野の魅力に触れたり、興味や関心、理解の入り口になったりする本は、いざわれる本と言えるんじゃないかな。
 一方で、写真集や作品集、その存在を自分の一部として持っていたいと思う本が、蓄える本。
 線引は個人的な感覚でしかないし、どちらも大事だけど、やっぱり蓄える本選ぶときのほうが、時間をかけて吟味しているかもしれません」

「基本的に、並びは出会った順です。
 本ってセンディピィティ的な、思いもよらない偶然で出会ったりするじゃないですか。
 その時の自分の現在地というか、心の状態や思考が重なって引き寄せている。
 そうやって出会った本を持ち帰ってすぐに、著者名や内容で整理するというのは、ちょっと違うと思うんですよね」


「本棚は、1人の人間の人格が、並んでいる本とともに、生きてきた時間とともに形成されたきた証しでもある。
 そうであるがゆえに、出会った順、思考を巡らせた順、という個人史としての時系列が軸になる。
 なぜこの本? と思うような瞬発的にほしかった本でも、その時代、その瞬間の僕を表しているから、簡単には除けない。」


「そもそも、僕が本を好きになったのは、祖父母や母の本棚を見て育ったからなんですよね。
 母の本棚に花森安吾の本が並んでいたから、暮らしやデザインへの眼差しに関心をもったんだと思うし、母の本棚から、母の思想を引き受けた感じがある。
 その全体感は、言葉以上、思い出以上に、自分の中に残っている気がします。」


「僕が今思っているのは、知識と知性の間にあるのは、体験なんじゃないか、と。
 体験が、デコボコの知識をシームレスにつなぎ、知性を形作る。
 ある本にかかれていたことを、身をもって体験した時に、関連性がないように思えていたもう一冊の本とつながり、より深くわかる。
 つまり本は、知性の拠り所となる”体験を促す装置”でもある。
 だから、デコボコでもいいから、どんどん本と出会うべきだし、隣り合わうデコボコの距離が一見、遠く感じるくらいの本同士のほうが、つながり甲斐があって面白い。
 そのつながりや広がりが、つまり人生のおもしろさなんじゃないかと思っているくらいです。」


  saitani

この記事についてブログを書く
« 変化し続ける | トップ | 本棚がアイディアを導く »

仕事術」カテゴリの最新記事