飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

徒然草の教え

2007年12月29日 16時25分37秒 | 教師論
平成19年も残すところあと二日となった。
本当に月日の過ぎるのは早い。
1年があっという間に過ぎていく。

日々の出来事の中で本来の目的を見失いがちになる。
人はよく口にする。
「毎日が忙しく過ぎていく。」
教師の仕事もそうだ。
その日の仕事に集中して取り組めばそれなりの充実感はある。
しかし、本当にそれで自分自身の成長につながっているのだろうか。

徒然草の作者である吉田兼好は言っている。
「大きな目標をたてても『まだまだ生きていられる』とのんびり構え、目の前のことに心を奪われている者ばかり。
 これでは、何一つ成し遂げられない。
 どんなに悔やんでも、過ぎ去った歳月は返ってこないのだ。
 しかも肉体は、勢いよく坂を下る車輪のように、急速に衰えていく」
厳しい言葉ではある真実である。

それではどんな心がけが必要か。
次のように続く。
「まず、生涯に果たすべきことの中で、一番大切なものは何か、よく考え、はっきりさせることだ。
 それ以外のことは思い切って断念し、最優先すべき目的に向かって努力すべきである」
「それは一日、一時に縮めても同じである。
 やるべき事が山ほどある中で、何が一番重要かを的確に判断しなければならない。
 それ以外は投げ捨てて、少しでも価値の高いものから順に取り組むべきだ。
 どちらも捨てられないと執着していては、一つも成就しないであろう」
今から700年前の教訓である。

自分はどういう仕事をしたいのか。
目的を明確にもつべきだ。
そして、学ぶと決めたら努力の方向性を間違えないこと。
熱心さは物事の基本ではあるが、すべて成長につながるわけではない。
上達論に普遍的な原理がある。
その原理を誤らないことも重要である。

自分にとって大切なものを大事にしていきたい。

saitani

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