飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

教師の創造性

2021年11月17日 10時11分16秒 | 授業論
教師の創造性とはなんだろう。
最近は個性的な教師が少なくなった。
一人の教師が自分の得意な教科をもち、その道においてはプロと言われるような個性をもった教師が。
少し前なら国語ならこの先生、社会科ならこの先生という名人級の方がどの学校にも一人はいたものだ。
しかし、今はほとんど見られない。
教師が本を読まなくなったと言われて久しい。
自分の見てきた現場でも、本屋が頻繁に出入りして、そのあとにはどの先生の机の上にも多くの書籍がのっていた。
若い頃は、そんな机の上の本をみて、こっそり同じ本を読んだり、時には先輩教師にどんな本を読めばいいのかを聞いたりもした。
そんな個々の先生方のブックレビューの話をする光景も職員室ではあまりみられなくなった。

なぜ、個々の教師が個性を発揮して専門性を伸ばすようなことが少なくなったのか。
それは、足並みをそろえるという考えのもと、誰かが突出したり、個性的な授業をすることをよしとしないことにある。
教科の進度はもちろんだが、内容や展開にいたるまで同じにしていかないとクレームがあったりする。
学級が不安定になるとよけいそういったことに焦点がいき、意見がくる。
批判されないために、同じにする。
同じにしていれば批判されない。
そういう風潮が教師の創造性を阻害し、個性を奪っていく。

現状はそうであっても先生方には、個性を発揮して子どもたちの向上的変容をもたらす授業を行ってほしい。
創造性を発揮して、新しい授業方法を開発していってほしいと願う。

saitani
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