三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

自分が出演したテレビ動画を観る

2013年02月18日 05時31分32秒 | Weblog


いやはや、こんなに面倒だとは思いも寄りませんでした。
先日、1月末に秋田でテレビ番組に出演しておりましたが、
その模様が2月9日にはオンエアされました。
ところが、わたしは当日は仙台で講演をしておりまして秋田には当然不在。
そのうち動画が送られてくるものと思っておりました。
で、その動画、ようやく先週金曜日15日に札幌に到着。
さっそくパソコン、Macで視聴しようとしたのですが観られない。
どうも動画の形式が違うようで、
パソコンのDVD視聴ソフトでは観られないことを初めて知った。
へえ~~~、であります。
地デジに変わって、テレビの録画というのは自分ではまったく扱ったことがなかったので、
そういう知識一切がまったく自分にはないのです。
そういうのはすべて息子の範疇で、
かれは、テレビに内蔵されたHDに,主にAKB48の出演動画を録画している。
たまに、というか,一度だけわたしの録画して欲しい番組を頼んだことがあるくらい。
そんなことなので、テレビの動画とDVDの動画にデータ形式の違いがあろうとは
まったく夢にも考えたことがなかった。
ただ、なんとなく、パソコンと地デジは親和性が高まったのではないかと
勝手に推測していただけだったのです。
テレビを観るというのは、朝の時間帯の「ながら視聴」での家族といっしょの
フジテレビ系列の朝の情報番組くらい。
あとはJCOMで放送されている海外ドラマを、これ大好きのカミさんに付き合って
半分上の空でながら視聴する程度だったのですね。
ということなので、テレビへのスキルはほとんどなかった。
DVDを再生することも出来ない環境になっておりました。
その必要があるときには、息子のゲーム機を接続させて観ていた。

さて、ということで、
ヨドバシカメラに行って、まずはDVDを見ることのできる接続器を購入。
3色のコードを繋げればいい、ということで繋ぐだけは繋いだ。
でも疲れていたので、そのまま観ずに寝てしまって、
ようやく雪かき後に坊主に頼んで観ようと思った。
しかし、どうにもこうにも映らない。
すったもんだの挙げ句に、わたしの3色コード接続に不具合を発見。
少し暗くて、黄色と白を間違えていた(笑)。
で、繋ぎ直してようやく番組を家族で視聴できました。やれやれ。
まぁ、なかなか頑張っていると坊主とカミさんからは褒められまして、よかった。

さてそこから今度は、
この動画データを娘になど、各所に配る必要があるのですが、
すっかりパソコン世界に嵌まっている人間からすると
この辺でふたたびバリアに遭遇することになります。
動画を他の形式に変換できるのか、パソコンで視聴可能にするには
一体どうすればいいのか、
本日以降、こうした作業が宿題になって参りました。
さてさて、どうすればいいのやら・・・。

<写真は地デジ用のテレビ電波発信の東京スカイツリー展望ラウンジ>

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大雪襲来

2013年02月17日 09時27分31秒 | Weblog


増え続けています、札幌の「積雪深」。
これは「降雪量」とは違って、見た目の雪の量を量る指標。
ことしはずっと多雪の状況が続いていましたが、
今週土日の降り方で、決定的になった感じがいたします。
きのう土曜日も2回は雪かきしたのですが、
本日朝起きたら、ふたたびすごい積雪になっています。10cm以上かなぁ。
夜中の間、降り続いていて、降り止まないとなにもしたくない様子。
なにごとも終わりが読めなければ、着手はしたくなくなる。
そういう感じに似ております。

・・・、ということで、
たっぷりと約2時間半、自宅と事務所、延べ70坪ほどを除雪いたしました。
まずはわたしが始めて、
カミさんが加わってくれて、
その様子を見て、高2の坊主も加勢してくれまして、
合計3人での楽しい一家総出の雪かきであります。
途中、圧雪させた駐車場縁辺で社用車のフィットが雪の中に嵌まったりしましたが、
やはり冬の北海道には力強い4WDが1台は必要。
日産エクストレイルで引っ張り出して救出。
降雪もようやく治まって、いま9:00には青空も覗き始めました。
やれやれ一段落であります。
しかし、札幌市西区のわが家周辺、
ことしは生活道路すべてが、通常の半分の幅になっています。
そろそろ排雪もしてほしいところですが、
たぶん、ことしの除雪予算はそろそろ底をついてくるように思います。
春になったら消えてなくなるもののためにお金を消費するのは
なんともやるせなさが募るのですが、
そもそも、「普通」ということにもお金がかかるのだという
これが北海道・寒冷地の現実ですね。
わたしの居室は1階で道路に面して窓があるのですが、
その窓から見える、行き交う自動車の高さが大きく違います。
圧雪状況の道路面も高さがだいぶ盛り上がっているのでしょう。
節分もだいぶ過ぎていますが、まだまだ春には遠い札幌のいまであります。
とはいいながら、
窓の外は「光の春」でして、白い雪にも反射して明るさだけはすごい。
さて、これから筋肉痛の様子を怖がりながら(笑)、
雪かきの疲れを癒したいと思います。
ふ~~~~やれやれ。
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朝日新聞全国版1ページ広告出稿

2013年02月16日 06時26分52秒 | Weblog



本日の朝日新聞全国版朝刊(東京本社版・北海道版・大阪本社版)で、
当社発行の「新住協の家づくり2013」の発売予告新聞1ページ広告が掲載されました。
中部版、西部版(九州以南)については、あす17日の掲載となります。
北海道が生み出した住宅の高断熱高気密の住宅技術が
どんどん温暖地日本の各地にも普及して来つつあり、
そうした動きにさらに加速度を加えたいという狙いからの出版であり、
その広告告知であります。
折から、エネルギー問題の住宅分野への波及、
節電であるとか、円安による灯油価格の高騰などといった
暮らしに直結する問題に、断熱という知恵と工夫で対峙していこうという
寒冷地日本が生み出した技術を、さらに広く日本各地のみなさんに訴求したい
という大きな狙いであります。
断熱の強化こそが、エネルギー危機を突破する王道だと信じるものです。
そして日本の独自な住宅工法・在来工法の住宅に最適な断熱技術を
なるべく平易な表現であらわしています。
発売は3月1日から全国主要書店店頭ですが、
表記の通り、2月23~24日の全国一斉見学会会場で先行販売も予定しています。
詳細は、
新住協の家づくり2013
をご覧ください。

さて一方で、出版の仕事をしていて、
やはり朝日新聞に1ページ大の広告を載せるというのは
ひとつの大きなエポックであります。
ここで広告した本は、一応、なかなかこれ以上はない告知手段で広報された
というわかりやすさがあります。
昨日は某新聞社広告局さんから、仙台出張での留守中に
さっそくお電話をいただきまして
いろいろ「事情聴取」(笑)をされました。
情報はなかなか早いですね。
ぜひ多くのみなさんが手にとって読んでいただけますように期待しております。

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宮城県登米名物料理・はっと鍋

2013年02月15日 05時32分10秒 | Weblog



きのうは朝1番で仙台へ。
空港からレンタカーで一路、南三陸をめざして北上。
大震災発生当初、「1万人が安否不明」とされた町です。
ここで国交省と南三陸町の共催による「国土政策フォーラム」が開催されたのです。
北海道大学出身で東京大学地震研究所助教の大木聖子さんが
基調講演されると言うことで話題になってもいました。
大木さんは高校1年のときの阪神淡路大震災を機に地震学者を志したという
若い女性研究者で、全国各地で防災の普及啓発活動に活躍されています。
こういうエバンジョリストは貴重な存在です。
で、この模様はこの6月に発行する「東北の住まい再生5号」で
掲載していきたいと考えています。ぜひご一読下さい。

なんですが、
全的被災地・南三陸ということで、
時間もちょうど昼時で朝も早かったのでお腹も空いたということで、
国道45号線の南側手前、
津山の道の駅で早めに食事していこうと立ち寄りました。
で、なにげに食堂の「木里口」という店に入りました。
するとおばさんが、いきなり「はっと鍋ですよ、はっと鍋」とささやく。
予備知識のない当方としては、そのささやきについ釣り込まれて、
「じゃ、はっと鍋、お願いします」となった。
どうもサブリミナル商法にやられたような感じであります(笑)。
で、待つことしばし、出てきたのが上の写真の料理。これで850円也。
いろいろな具材が乗っている。
どうも山梨のほうとうのようなもののようです。
以下、宣伝文より。

「はっと」とは、小麦を練り、手でちぎって汁や鍋で野菜と一緒に煮て食べるものです。宮城県北の登米市、栗原市一円の、郷土料理として家庭で食べられていました。
油麸も合わせ、しいたけ、ゴボウ、春菊、ネギなど旬の地場の野菜を、しょうゆ味でサッと煮込んで召し上がっていただきます。
登米市津山町は、北上川から生まれる霧によって育てられた杉材や、ワサビなどが特産品となっている町です。道の駅津山のもくもくランドという名前も、この杉の木にちなんで名づけられています。杉材を加工した独特の矢羽木工品を並べたもくもくハウスでは木材加工の体験もできます。
 この道の駅のお客さまに津山特産の食材を使った食事を提供するのが、木の里の入り口にある「木里口」の役目です。



小麦を練り、手でちぎった麺状の本体は、
上の具材を平らげた後、
ようやくその姿が現れてきます。
まぁ、うどんのような食感ですが、形は幅広で平ぺったく、一口サイズ。
どうもお腹いっぱいになるものかどうか、
やや不安でしたが、食べ始めると意外にボリューム感もあって、
最後のアタリでは、満腹感で脳内が満たされてきました。
満足できるおいしさでありました。
宣伝文どおり、地元料理へのエバンジョリストぶりには、拍手であります。

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南三陸町へ取材訪問

2013年02月14日 08時01分24秒 | Weblog



さて本日は、宮城県南三陸町への取材。
震災復興の状況はいろいろに情報収集していますが、
現代の課題が浮き彫りになってくるプロセスでもあります。
写真は、宮城県の住宅新築状況の活発さを対震災前と比較しての
色分け図です。ほぼ倍増近い状況で推移している。
しかし、それでも見通しとしては,10年近い年月がかかると言われている。
そしていま、指標に現れている住宅建築は、比較的に余裕のあるケースであり、
そもそも仕事のメドが立たず、生活基盤の再建に魂案を抱えている方や
敷地の状況が混迷している方たちなどが控えている状況。
亡くなられた方の残された土地の権利関係など、
きわめて難しい問題も指摘され、阪神のときとは
復興のスピードに、格段の違いがある。

そういうことなんですが、
しかし、出張は今年になって今度で6回目。
ほぼ半分以上は北海道以外で仕事をしている計算になります。
1週間にわたって札幌にいたというのは、1週のみ。
本当にスタッフの頑張りが支えてくれていると感謝しています。
また、冬の北海道の戸建て住宅に住んでいると、
除雪の問題などで、家人に多くの苦労も掛けざるを得ない。
本当にいろいろ手間を掛けることになります。
自分としては、まずなによりも体調管理をしっかりやって
迷惑を掛けないようにすることが第1と考えています。
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美しい屋根プロポーション

2013年02月13日 06時59分59秒 | Weblog



日本の建築って、その美感の根源は屋根のラインにあると思う。
わたしは、日本という歴史時間は縄文からの10000年ではないかと思っています。
で、その歴史時間のなかで展開してきた住宅建築について
いろいろに見続けてきているのだと思います。
縄文は竪穴式住居で、その居住体験をわたしたちはずっと持ち続けていると思う。
竪穴住居はそのプロポーションで考えると
写真のような屋根のなだらかな下降線として残っているのではないか。
で、その内部で煮炊きするようになって、煙出しが必要になり、
写真のような「入母屋」形状になっていったのでしょう。
全体として、自然素材である萱などのなだらかな曲面がDNAに刷り込まれていって
屋根に「ビーナスライン」が欲しくなっていった。
どうもそんなような流れだったのではないかと推測しています。

ところが、わたしは北海道に住んでいる。
北海道の住宅がいちばん初めに日本建築を否定したのは屋根の問題から。
開拓初期、北海道に建てられた住宅は
その家系が永く住んでいたその出身地の伝統的な住宅スタイルだった。
その当時はすでに一般的に屋根には瓦が乗せられていた。
その瓦屋根が積雪・落雪・氷柱などの連鎖から一冬で見るも無惨に剥脱する。
さまざまな要因がそこにはあったのですが、
最初の結論として、屋根は瓦を止めようということになった。
そして変形屋根とかの試行錯誤を経て、
雪を乗せたままにする陸屋根、無落雪屋根が登場して
北海道の住宅風景は一変し、そして固定化されていった。
そこにはフランクロイドライト建築のような、水平ラインの美はありえるけれど、
写真のようなビーナスラインの屋根の美は消えて行ってしまった。
十数年ほど前に建築された札幌ドームでは、
逆ビーナスラインが実現しましたが、そこでもさっそく落雪によって
周辺に駐車したクルマが破損するという事態も出来した。
そういった流れで、北海道には屋根の曲線美というものは消えてしまった。
今日では、そういった北海道住宅の潔さが、
モダンデザインとして、むしろ本州地域でも広がりを持ってきている。

しかし、どうなんだろうか?
これからも行く末を注視しなければならないと思っています。
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自由学園明日館

2013年02月12日 05時42分24秒 | Weblog






先日の東京出張の折に訪れた建物です。
自由学園の来歴は、
クリスチャンだった女性思想家の羽仁もと子と羽仁吉一の夫婦によって1921年4月15日、キリスト教精神に基づいた理想教育を実践しようと東京府北豊島郡高田町(現・豊島区)に設立された。1934年に校舎を東京府北多摩郡久留米町(現・東久留米市)に移転し、現在にいたる。
経緯はしっかり調べていませんが、
帝国ホテルの設計を依頼されたF.L.ライトさんが日本滞在中に
設計した建築として有名な建物であります。
プレーリースタイルというライトさんのオリジナリティがよく表現されています。
北海道の建築家の草分けと言われる田上義也さんも弟子のひとり。
田上義也さんの建物はよく目にする機会があり、
ごく日常的に接してきている。
なので、ライトさんのデザインははじめて見学しましたが、そのディテールは
おおむねよく目に触れているデザイン。
はじめてだけれど懐かしいというような感覚に近い。
逆に言うと、ライトさんのデザインに初めて会った気がしなかった。
子どもとよく遊んでいて、そのそっくりのお父さんに会ったような感覚。
ある種、「源流に触れる」というような感覚とも言えるのでしょうか。



こういうことって、
なかなかにいろいろなことを考えさせてくれる体験です。
そういえば田上義也さんは「えぞライト」というように愛称されていたそうです。
そのような中央に対する「鄙」の感覚って、探求の余地がある。
推測としては、中国という国民性の中心的なところに「模倣性」がありますね。
現代では、世界の有名建築がそっくりコピーされているそうです。
きっと「中華思想」の一表現形態なのではないかと思われますが、
そういったこととも通底しそうなアジア的感覚なのかも知れません。
オリジナリティということへの態度がどうも未分明のような気がする。
ただ、日本という民族歴史は受容とオリジナリティの間で揺れ続けてきた。
古くは漢字文化・律令制国家から、今日世界の西洋文明受容まで、
どんどん受容し、それへの尊崇も失わないけれど、
やがて、茶の湯のような独自文化も生み出す。
それに対して中華思想の国家たる中国は、どうも「尊崇」という態度は存在しないか、
決定的に足りないのではないかと思います。
オリジナルのデザイン世界に触れて、
そんなようなことを感じ続けておりました。
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寒冷地でのエアコン暖房

2013年02月11日 06時42分34秒 | Weblog



わが家は面積が異常に広い家で、86坪もあります。
別に自慢しているのではなく、以前「事務所兼用住宅」だったのが
事務所を別に建てざるを得なくなって、
勢い、その広さのまま、住宅として利用し続けてきているのです。
で、いちばん困るのが暖房問題であります。
全居室を一元的に暖房すべきなのですが、
やはり、費用の問題で個別的な対応をしてきております。

具体的には、2階3階の主要居室は温水セントラルによる床暖房を
メインにした常時暖房として、
その2階床の暖房はコンクリートスラブ面へのパイピングなので
1階の天井からもゆったりとした輻射暖房効果もある、ということで、
1階のわたしの書斎・個室については、その輻射熱も基礎的に利用して
さらに補助的暖房方式としてエアコンを使っています。
それも以前、事務所だったときに大量のコピー機やプリンター・パソコンを
使っていたので、夏期には高温になっていたことで設置したエアコンの
再活用として使っているのです。
今日の、寒冷地仕様の高効率エアコンなどではまったくありません。
その従来タイプのエアコンを常時運転させ、
おおむね21~22℃の設定で運転させているのです。
で、このエアコンが、出張中に調子が悪くなってしまった。
わたしの留守中の大雪で、どうも室外機に大雪が積もってしまって
外気の取り込み口が雪でふさがれてカラ運転だったということ。
それもわたしの居室なので、家人が気付いたのが3日ほど前。
で、室内機のほうがランプの点滅状態で再起動させても不発。
購入してから15年近くになるので「おシャカかなぁ」という見立てでした。
しかし、おかげさまでブロック外断熱の建物なので、
居室の気温はそれほどの低下はしていない。
たぶん、非暖房状態が3日は確実だったのですが、
それでも生活に支障があることはない、20℃以上は保っていました。
しかし、長時間パソコンによるデスクワークには、やや快適性が落ちる。
しょがない買い換えるか,冬場だと安く買えるかも、と思っておりました。
札幌は北海道内では比較的に温暖に属する気候なので
寒冷地用までの重装備タイプは必要がない、という判断で
通常の家電エアコンで十分だと思っておりました。
で、家電量販店に夫婦で買い物に出掛けようとしていたのです。
しかし、時間経過をとってから、二度三度と再起動を試みていたエアコン、
きのうの夕方になって、買い物に出掛ける寸前、
再度確認してみたら、なんと通常運転しているではありませんか(笑)。
おおお、おシャカになるのはいやだと、
最後の力を振り絞ってくれたものか、感動の再起動ぶりであります。
ということで、買い換えの物入りも不用になり、
いまも元気に運転を継続しております。
効率を考えると冬場は24時間連続運転のほうがいい。
写真はこのエアコンの室外機の様子であります。
積雪の状態を確認もしていなかったのですが、設置方法にも問題があった。
やはり冬場の積雪を考えて、下駄を履かせて設置させる必要もあった。
反省しながら、その延命を喜んでいる次第であります。
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オバマ大統領の奥さん役不発

2013年02月10日 06時55分04秒 | Weblog



きのうは、今回の出張の最終日で
仙台市内で講演を行ってから、会合に出席し、
ようやく札幌に帰って参りました。
4泊5日で仙台~東京~ふたたび仙台という旅程でした。
3泊と4泊の間には、ちょっと溝があるように思いますね。

講演はリフォームと震災復興のお話しを中心に。
多くのみなさんからお声がけいただき、興味深く受け止めていただけました。
で、終わってから懇親会パーティが用意されておりまして、
どれもこれもおいしそうなお食事が出て参りました。
勝山館という仙台市内有数の老舗会館ということで、
大変豪華な食事なのですが、そのうえに楽しいゲストのショー。
ザ・ニュースペーパーさんという芸人さんたちです。
演し物は政治家パロディで
安倍晋三、オバマ大統領、通訳、谷垣禎一などなどのパロディでした。
おかしい、抱腹絶倒に笑える。
なんですが、わたし、その後に会合を控えていたので
その時間待ち合わせがあり、中座して行かなければならない予定。
おかしくて残念だし、お食事ももったいないけれど、でありました。
迫ってくる時間にせき立てられながら、でもショーもおかしいし・・・。
そのうえ、なにを思われたか知らないのですが、
どうも展開が意外な方向に向かってきて、
オバマ大統領が壇から降りてきて、一番前の席だったわたしの肩に
手を回してきて、かれから臨時の奥さん役に指名されてしまった(笑)。
おいおい、であります。
あやうくノってしまいたいのを必死に我慢して辞退。
どうも講演の様子を見ていたのでしょうか?
こいつなら漫才にも付き合いそうだと目星を付けられていたのかも。
なんですが、
せっかくの芸能界デビューのチャンスを逸してしまった次第です(笑)。
わたし、嫌いではないのです。そういうノリに任せての寸劇。
ただまぁ、オバマさんの奥さんなんてまったく知らないので
無茶振りにお応えするほどの日常的準備はない。
しかし、時間にゆとりがあれば、楽しそうだとは思っておりました。
クリントンさんの奥さん役なら、なんとかなったかも(笑)。
2~3秒の秒殺ネタで、すっと消えるというのも悪くはなかった。
でも、きのうは秋田のローカル局でわたし、録画で出演していたので、
そういうことでは芸能的に運が向いてきているのかも知れません。
しかしまぁ、約束もありなんとか逃げまして、
ほうほうの体で、次の約束に向かわざるを得ませんでした。
でもやっぱり、やってみたかったなぁ、という心残りもある(笑)。
デビューに向けて、
日頃の準備を怠らないようにしようと思います。
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早起きは三文の得、川崎大師・護摩焚き

2013年02月09日 05時29分05秒 | Weblog


きのうも東京にいまして、
ある案件の進行状況をウオッチしながらの待機であります。
なぜかこの日は東京のビジネスホテル特異日なのか、
都内の宿泊先が混み合っていて、
川崎のホテルに宿泊しておりました。
で、前日は疲れ切っていたので、早寝して早朝に起きてひと仕事片付け、
さて、久しぶりに散歩にでも、と
思い立ったのが「川崎大師」であります。
名前だけは知っているけれど、
そしてわが家の宗旨である真言宗の開祖、空海さんの尊称が
「大師」であることも知っているけれど、
まぁ、だからといって、川崎大師にわざわざ行くと言うほどでもない(笑)。
当たり前の日本人としての一般的行動です。
なんですが、ホテルからはちょうど電車の都合もよく、
距離的にも1.5kmほどという手頃さ。
ということで、出掛けて参りました。
わたし、こういう昔からの日本人の大衆的感覚の再確認がスキ。
なんというか、日本人大衆という皮膚感覚に
まるで温泉に浸かるように「浸る」のが楽しいのですね。
予定調和への期待感というか、大衆性の再確認というか、
日本人であることの探求というか。
まぁ野次馬であることの明瞭な証拠ですね(笑)。
川崎大師というのは、平間寺というのが本名だそうであります。
以下、Wikipediaより。

平間寺(へいけんじ)は神奈川県川崎市にある真言宗智山派の大本山の寺である。川崎大師(かわさきだいし)の通称で知られる。山号は金剛山。院号は金乗院。高尾山薬王院、成田山新勝寺とともに関東三本山のひとつである。尊賢(そんけん)を開山、平間兼乗(ひらま かねのり)を開基とする。
1813年(文化10年)に徳川幕府第11代将軍、家斉が厄除に訪れた事から厄除け大師として広まる。 毎年の正月には初詣の参拝客で大変な賑わいとなる。2006年初詣客は272万人となり、全国3位、神奈川県1位を記録した。
当寺への参詣客を輸送する目的で1899年1月21日(初大師の縁日)に開業した大師電気鉄道は、現在の京浜急行電鉄の基となった。

で、参拝に伺ったところ、
なにやら、本堂内に十数人の方たちが座り込まれている。
気になって、お寺の方に聞いたら、朝の護摩を始めるのだそうであります。
6時半から貫首の方がお出ましになって自ら務められる。
たいへんありがたいものであることは、わたしにもわかる。
たくさんのお坊さんたちが現れて、お経を唱えます。
わが家でも法事などでお坊さんがやってくれるようなお経のようです。
で、そのうちに中央でいちばんえらい方が護摩の独特の儀式を執り行うのです。

護摩の炉に細長く切った薪木を入れて燃やし、炉中に種々の供物を投げ入れ(護摩焚き)、火の神が煙とともに供物を天上に運び、天の恩寵にあずかろうとする素朴な信仰から生まれたものである。火の中を清浄の場として仏を観想する。
<同じくWikipediaより。>

もっけの幸いであります。
ひたすら商売繁盛・家内安全を祈願しておきました。
そのうえ、終わってからはご本尊様を見せてもいただける。
なんといっても、川崎大師での体験であります。
まことにありがたい,得がたい経験をさせていただけた次第。
合掌。南無大師遍照金剛。
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