三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

ご先祖さまの生き様をみる

2013年01月21日 06時23分13秒 | Weblog


さて、土曜日に帰ってきて
きのうは主に休息を、と思っていましたが、
ぐっすりと寝て体力が回復したら、おあつらえ向きの大雪(笑)。
留守にしていた間も、そこそこは雪が降っていたようですが、
家人雪かき、頑張ってくれていたようで、感謝。
ということで、この大雪にはわたしが恩返しで朝から雪かきであります。
きのうは朝方から降雪が短時間にどっときたので、
公的な除雪車はまったく間に合わない。
冬の間、北海道で戸建て住宅を維持して行くには、
この雪かきを考えながらでなければ、おちおち出張もできない。
しかし、冬場の貴重な運動でもありますね。
雪かき後、日帰り温泉で体重測定したら前回測定からマイナス2kg。
神さまは、よく考えていらっしゃると思います(笑)。
その後は、週1の買い物やら、家族のための週1のお勤め、
カレーライスを作っての夕食ご奉仕などなど、普段どおりの楽しい休日。

そんな合間に、
先日次兄から贈られた、わが家家系調査報告の2回目の通読であります。
なにせ、数百年の家系というのはアップダウンの連続で、
アップしている時期は資料もありわかりやすいけれど、
ダウンしている時期はどうしても資料も散逸しているのです。
まぁ、北海道に移住を決断するというのはご多分に漏れず
家運が大きく下がって来た状況を表しているのは事実。
しかしご先祖様のお陰で、こうして生きていられ、
また、なんとか繋がった形でたどっていけるというのは、感謝の至りです。
そうしたなかで、主に江戸初期以降ですが、
具体的な事跡をたどられるご先祖様の生き様が明瞭に浮かび上がってくる。
次兄の執念でさまざまな事実の発掘があって、徐々に見えてきました。
わが家系は、江戸端初期に大きな変化があった。
直系の継嗣がなくなったところに家の存続のために、
入り婿というか、血縁が切断して若い夫婦が家を継承している。
で、そのときには前後していろいろなことが連続して起こっている。
本来のわが家自体は商家なのですが、
そこに政治による家名存続のための介入があり
いろいろなひとのあっせんの痕跡が見て取れるのです。
武家権力と、実質的な経済運営主体である庄屋層は相互浸透しているようですが、
百姓一揆で破綻させられた庄屋であったご先祖様は
その時期に、武家の介入で継嗣がなくなった商家に入家しているようなのです。
日本民族というのは、なるほど、このように家を存続させてきたのか、
というような実感が迫ってくるようなエポックです。
家名の継承と、血縁の継承は必ずしも一致しない。
よく家は3代続かない、と言われますが
その後も、まことにそのような状況がわが家でも生起しております。

昔日を知ることは、しかし同時にいまを生きる役にも立つ。
顧みて、自分自身の置かれた状況のなかで、
どのように対処していくべきか、おおいに考えさせられております。
そういった意味でも、深く感謝でありますね。
ふむふむ・・・。

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明治神宮、少年少女新春書道展

2013年01月20日 07時13分15秒 | Weblog


閑話休題。
きのうは飛行機の時間まで、ちょっとした東京散歩。
で、渋谷の街を抜けて、明治神宮の森を気持ちよく歩きました。
神宮には、まだ「初詣」の余韻があるようで、
老若男女・東洋西洋の多くの人々が訪れていました。
結構、チャイニーズも聞こえました。
すぐにも開戦か、というような懸念自体はありますが、
徐々に民間的には、反日・反中的なムードは治まって欲しいなぁ、と。
なんですが、参拝後、
本殿周囲の壁面にたくさんの書が貼ってあるのに気付きました。
どうやら、明治神宮が全国の小中学生少年少女の書を募集して
このような年始の時期に公開しているようなのですね。
いやぁ、すばらしい企画だと感嘆させられました。
こういった歴史の積み重ねもある施設が取り組む文化活動・催事、
みなさんの企画力に脱帽させられる思いであります。
全国有数の初詣客に対して、
全国の若さあふれる子どもたちの自由闊達な文字は、
まことに清冽で、こころに真っ正面から訴えかけてきてくれる。
しばし惚れ惚れと見とれておりました。
文字は、やはりその人となりを表すのだと思います。
少年少女たちのこころが伝わってくる暖かさ。

どれもが凜として素晴らしいのですが、
ひときわ目についていたのが、この写真の真ん中あたりの
「おとし玉」と書かれた書であります(笑)。
書道を少しやっている友人から聞いたことがありますが、
こういうお題の文字には書かれるべきテーマについての決まりはないそうで、
そういった選択も含めて、コンクールなどでは審査になるようです。
まことに直接的で、笑うしかない。
こういう書を見せられ、子どもの屈託のない笑顔をみせられれば、
つい財布に手が行ってしまうでしょうね(笑)。
で、展示は全国の小中学校別で、それも北から南へ
順番に掲示されている。
やはり気になって北海道のこどもたちの作品を探したけれど、
中学校の部では、最初が「青森県」。
いちばん端のところまで行って、小学校の部のはじめに1枚だけ、
北海道の札幌円山小学校の子どもの書がありました。
係の人に聞いたら、
あくまでも作品のレベルで選んでいると言うことで、
なかなか厳しさがあるようです。
北海道の子どもたちの「字を書く」力と文化性の涵養、
もっと注力していかなければならないのかも知れませんね。
やや忸怩たる思いもさせられました。
しかし、そういう了見の狭いことは今後の課題として、
ほんとうに胸のすくような思いで鑑賞させていただきました。
この企画に参加した全国の子どもたち全員に拍手の思いであります。
ありがとうございました。
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外断熱推進会議に参加

2013年01月19日 06時16分38秒 | Weblog



東京を中心にコンクリート建物の外断熱化推進の活動をされている外断熱推進会議。
以前から気にはなっていたのですが、
最近、Facebookなどの「友だち」広がりが役に立ってきて
お誘いを受けるようになったので、昨日新年交礼会に参加してきました。
40~50名ほどの参加があったようなのですが、
やはりメインフィールドは住宅とは違って、コンクリート建築が中心。
主にマンションなどの外断熱化に積極的に取り組まれているようです。
そういう活動なので、やや当方の活動領域とは距離がある。
会場では、見知った顔はほとんど見られないという
「新規開拓活動」であります。
わたしは、こういう新規開拓が大好きでありまして、
会場に着くまでにエレベーターも一緒だった方を手始めに
積極的に人脈開拓活動を展開。
気がついてみれば、15名ほどのみなさんと初対面ながらご挨拶させていただき、
いろいろ意気投合させていただく方たちも多い、
実りの多い会合参加が出来ました。

なんですが、
実は中心メンバーのみなさんがドイツの視察旅行から
当日帰国予定というスケジュールとのこと。
しかもその飛行機が
「シベリア上空でハイジャックされました(笑)」
というのは冗談でしたが、大幅に帰国時間が遅れていました。
事務局長の堀内正純さんをはじめ、顧問的な田中辰明お茶の水大学名誉教授など
ご挨拶したいと思っていたみなさんがそのなかに多かったのですね。
17時から2時間の予定を過ぎても到着されない。
立食パーティでの限界時間を超えてしまって、
全員が会場の壁に並べられた椅子にすっかり着席してしまった頃に
ようやく、主要メンバーのみなさんが到着。
しかも「報告」の映像資料での説明がパソコントラブルで30分は遅延。
きっと主催者のみなさんは冷や汗連続の運営だっただろうとご同情であります。
まぁしかし、終わりよければすべて良し、ということで、
無事に多くのみなさんとチャネルが構築できて
大変有意義に過ごさせていただけました。

で、会場は
すっかりスカイツリーに主役の座を奪われてしまった東京タワーの周辺。
終わってから、目の前の高いお姿をパチリ。
まぁ一石二鳥の体験をさせていただけました。
さて本日はようやく札幌に帰還ですが、
どうも天気の具合が「大荒れ」とのこと。
帰ってからの雪かき作業に不安が募ってきております(笑)。
そうです、東京の残り雪の心配どころではないのであります・・・。
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35年以上前にタイムスリップ

2013年01月18日 06時13分53秒 | Weblog


今週はいろいろなセミナーやら会合参加、仕事打合せで東京。
きのうはあるセミナーが開かれていまして、参加してきました。
なんですが、その会場の案内を見たときから
どうも胸騒ぎがしておりました。
というのは、東京都千代田区神田神保町という
会場住所に激しく反応してしまった(笑)。
わたし、若いときに東京で広告会社勤務していましたが、
その当時のクライアントがこちらの住所にあったのです。
当時から都営地下鉄線はあったのですが、そのころはまだ「三田線」という
名前がつけられていなくて、都営6号線という味もない名前の線で、
神保町が最寄りの駅だったのです。
で、セミナーの会場も以前、お世話になっていた会社のすぐ近く。
歩いて1分ほど。
ということで、少し早めに着くように段取りして、
よく通っていた会社周辺を散策してみました。
そうしたら、もう35年以上前なのに、
そのビルがまだ建っておりました。
その会社はとうの昔に自社ビルを建てて移転していますが、
ビルはそのままで残っていまして、別の会社が
というか、当時からそのビルのオーナーだった会社が使っておりました。
屋上に特徴的な球状の設置物がありまして、
目印になっていた。
で、周辺に目をやっていると当時、よく仕事の打合せで使っていた喫茶店が
まだ残って営業している(!)。
35年というと、地方都市ではなかなか痕跡も残らずに変遷していくのですが、
不思議と東京はそういった積層があるものですね。
むしろ地方よりも、東京の方がそのように残っていく可能性があるのかも。
地方の場合は、その成り立つべき経済的基盤が弱いので
どんどん建て替えられていくけれど、
東京では、一定の経済基盤が底堅いので、存続可能性が高い。
仕事の合間、ちょっとしたノスタルジーを感じておりました。
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8cmの大雪の東京

2013年01月17日 06時59分52秒 | Weblog



きのうから東京に来ております。
仕事の打合せで会うひとみんな開口一番、「いやはや、参りました・・・」。
こっちが北海道から来ているので、安心しきってか、
頼り切ってなのか、みなさん、愚痴をこぼされます。おかしい。
わたしも8年ほど東京生活していたので、
たまにやってくる降雪に、いかに首都圏が泣き所を露呈するかはわかっていますが、
しかしまぁ、にしても積雪は8cmなわけで・・・(笑)。
北海道から来ると大騒ぎが微笑ましくもあり、
なんとも気の毒でもあり、もろもろいっぱいであります。
札幌の市街のように、あらかじめ道路幅にゆとりがあって、
雪の滞留保管場所として確保されている状況とは違って
そういった場所が考えられていない。
まぁ、地価が高いのでやむを得ないのは理解出来るのですが、
各建物が、自分の出入り口の確保、雪の排除を最優先するので
みんな雪を路上に押しつけることになる。
その結果、路面が凍上してしまって、クルマの交通はまったく不能になる。
雪は、都市にその準備を強いるのですが、
東京ではまぁ、どうしようもないですね。
ひたすら太陽さんによる融雪を待ち、堪え忍ぶしかない。

で、都心ビルのオフィスのみなさんばかりですが、
ちょうど降雪・寒波が3連休最終日だったので、
休み開けて出社してのビルの寒さには、閉口していたようでした。
暖房を目一杯に働かせても、「蓄冷」したコンクリート駆体は
容易にはぬくもってくれない。
窓というか、ガラスの壁面からは猛烈に熱が奪われていく。
おとといはそんな状況だったようですね。
仕事しながら風邪を引いてしまうひとが多発するのでは、ということ。
東京のオフィス街は、ガラスと鉄骨とコンクリートで
おおむね構成されているけれど、
そのどれもが、熱的に弱い性質を持っている。
まさに断熱の考えが足りない、という現実を正直に表しているのです。
一応、高いコストの化石燃料による発電が余力を持って
供給されているようで、停電騒ぎまでは至らなかったようですが、
エネルギー危機と断熱強化の関係は、もっとも緊喫な仮題なのではないかと。
ヒステリーばかりを言っても仕方ないので、
地道に断熱強化に社会全体が取り組んでいくしか、道はないと思います。

ただまぁ、喉元過ぎれば・・・でしょうね(笑)。
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冬の葬送

2013年01月16日 05時18分55秒 | Weblog



知人が13日に亡くなった。
北大で長く教職に就かれ、その後、北海道建築技術協会の専務理事を
務められていた長谷川寿夫さんです。
昨年8月には、同じく北海道の住宅関係者でありながら
東北仙台の会合で顔を合わせて旧交を温め、
またその後、12月には「住まいと環境 東北フォーラム」での研究発表を
読ませていただいたばかりでの訃報。
先生とは、北海道が推進した「北海道R住宅」の会議以来、
この6~7年のお付き合いでしたが、
その誠実なお人柄に触れさせていただき、さまざまにご教授いただいていました。
先生の事跡からすると、やや型破りなわたしどものような存在に
やさしくあたたかなお声がけをいただき、
いつも感謝の念をいだいていた次第です。
住宅性能をわかりやすくマンガで表現した仕事や、
住宅の作り手を、人間ルポルタージュで表現した仕事などに、
ちょっと縁遠いかなぁと思われる先生から、一番に
「面白いですね」という声をいただいていたものです。
まことに折り目正しい先生から、
北海道の住宅業界では異端である私どものような存在に目を掛けられるというのは、
望外のこととして、うれしく感じていました。

葬儀に参列しながら、
ひとの仕事とはなんだろうかという思いにかられていました。
とくに先生は昭和19年生まれということであり、
まだ67~68才という、今どきで言えば若い葬送。
北大を退官後、北海道建築技術協会の仕事を「天職」と考えて
尽力され、病床にあっても精力的に仕事を続けられていたと聞きました。
丹念に学究らしく誠実に事物に向かっていく姿勢には、
物静かな、しかし、人間的な迫力がありました。
まことに惜しい人材を亡くしたと思います。

写真はその葬儀からの帰路の様子です。
ひとは、気候条件の厳しいときに多く亡くなるのではないかと思います。
きのう、東京の雪のことを心配していたら、
さっそくこの時期らしい雪景色がやって参りました。
北国らしい、冬の嵐なんですが
しかしその底に、ある種の暖かみも感じられるような
こんな気象条件の日の宵の光景でした。
北海道の冬にはいろんな表情があります。
どうしようもない厳しい様子でもありますが、
こういう環境のなかでなんども過ごすうちに、あるなつかしさのような
風情がこころに迫ってくるような感覚があります。
寒さと雪、湿度が微妙に折り重なって、
やや霧がかかったようななかを車列のなかで過ごす。
こういう葬列も、また感慨があるものだなと思っていました。
長谷川先生に、合掌。
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阿吽の仁王様の謎かけ

2013年01月15日 05時52分03秒 | Weblog



きのうは首都圏、たいへんな天候になって
雪への対応がまったく無防備に近いので、都市機能はマヒしていたようですね。
横浜で13cm積雪を観測と言うことですから
たしかにすごい。
高速道路の上で動けなくなってしまったクルマの運転手さんが
あわててタイヤチェーンを装着している様子も見ましたが、
まぁ、チェーンを持っていただけでもすばらしいと言えるのでしょうか。
しかし、各所でスリップ・立ち往生が続出していたようで、
まことにお気の毒としか言えませんね。
人類の発展プロセスで、気候の良いところが大量の人間が集まる都市として
ふさわしい、というようになるのは必然だとは思いますが、
それに対して、気候変動という要因がいちばんの変容起動力になる
ということもまた、変わらない法則なのでしょう。
ときどき生起するこうした混乱から
想像力を鍛えていく必要性があるのだろうと思います。
なんですが、実は明日から東京出張であります(笑)。
大丈夫だろうとは思いますが・・・。

きのうのブログで取り上げた龍川寺にあった、仁王様2体であります。
立派な山門の左右の飾り間に鎮座しておりました。
阿吽というのは、以下、Wikipediaより
~阿吽(あうん、Skt:A - hum)は仏教の呪文(真言)の1つ。
悉曇文字(梵字)において、阿は口を開いて最初に出す音、
吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれ
宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。
また宇宙のほかにも、前者を真実や求道心に、
後者を智慧や涅槃にたとえる場合もある。
次いで、対となる物を表す用語としても使用された。
特に狛犬や仁王、沖縄のシーサーなど、
一対で存在する宗教的な像のモチーフとされた。
口が開いている方を阿形(あぎょう)、
閉じている方を吽形(うんぎょう)と言う。
転じて、2人の人物が呼吸まで合わせるように
共に行動しているさまを阿吽の呼吸、阿吽の仲などと呼ぶ。~

なんですが、この造形もなかなか見事であります。
大きさもかなりのものでして、
とても立派な格式を表していて、ビックリさせられる。
で、寺の雰囲気からしてどうも江戸期まではさかのぼるのは確実そう。
ふむふむ・・・。
というようなスフィンクスの謎かけのような宿題を
この仁王さん2体、わたしに強いているようであります(笑)。
「なして俺たち、ここにいると思う?」
わかりました、少し時間をいただいて、
仁王さんにお答えしていきたいと思う次第であります。

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長年の疑問氷解~ 「扇垂木」

2013年01月14日 06時41分55秒 | Weblog



先日、宮城県の加美のあたりを走っていたとき、
なにげなく通り過ぎた城下町のような街並み道路の突き当たりの寺院山門に
かなりビックリさせられて、引き換えして写真を取ってみました。
「龍川寺」という寺院なのですが、
その後、インターネットで調べてもあんまり資料にあたらない。
そもそも山門を持っている寺という存在自体、珍しいと思うのだけれど、
来歴などを知るすべがない。
で、この山門には立派な阿吽の仁王様まであって、
とても市井の寺の雰囲気ではないのであります。いや、気になる(笑)。
で、入力していろいろ調べてみたら、
ひょんなことから、わたしが長年(笑)わからなかった寄せ棟屋根の端部の
構造木組みの仕様が探求できたのです。
写真のような放射線状の「垂木」が屋根を支える構造についての疑問です。
まず、この構造の名前がわかった。
「扇垂木~おおぎたるき」と言うのだそうであります。
あるHPの解説では
~仏教建築が「入母屋造」、「寄棟造」を採用してくると、垂木は「放射状」
になる「扇垂木」にしました。長い垂木が屋根の奥深く棟まで入ってこそ、
天秤状態になり垂木は屋根を支える部材としての効果を発揮するのです。~
ということだそうなのです。
この扇垂木に対して「平行垂木」という工法があって、
これは寄せ棟屋根頂部から端部にまっすぐに降ろす対角の材に太い材をあて、
その対角材に対して直角に木組みを施している形式です。
こちらの方が視覚的には施工が容易なように見られ、
時代が下がるにつれて、
こうした様式が多くなるのではないかと推測していました。
まぁおおむねはそういった理解でいいようなのですが、
どちらかというと、日本の大工技術ではナナメの材というのは
「みぐるしい」とされてきているので、
初期の、中国からの仏教導入期にはこの「扇垂木」を採用したけれど
時代が下がってくると、大工たちの感覚が優先されるようになったのではないか。

なんですが、
この宮城県の在の城下町に、こういった大工技術の痕跡を発見するのは意外。
HPを調べていたら、この寺院の施工をされた
宮大工さんの名前までわかったのですが、
どうも、宮大工さんたちの流儀として
こうした屋根端部のデザインが相伝されてきた気配がある。
むむむ、
扇垂木だけに奥が深そうなお話しでありますね(笑)。

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高2の息子、東京に触れさせる

2013年01月13日 06時14分10秒 | Weblog



わたしもきのう、仙台への出張を終えて札幌に帰還。
久しぶりに息子と話すことが出来ました。
息子も4日からおととい10日までほぼ1週間くらい
「東京」に触れ続けていた・・・。
ことしは年初から子どもたちと家族旅行で東京に行ってきたのですが、
それは、なるべく多感な時期に視野を広く持ってもらいたい
という親としての願いからのものでした。
日本人として生きていく上では、東京との間合いの取り方って
なかなか重要な要素部分ではないかと思っています。

わたしは、北海道空知で生まれおおむね札幌の街で育ち
そして東京の大学に行き、そのまま東京で就職して
いくたりかの社会経験を積み、ある程度の人間関係を構築して
それから8年間の東京暮らしの後、札幌に帰ってきて
という人生経路をたどってきました。
20世紀中庸から21世紀の時代のなかで、北海道という
日本の一地方、とも簡単にはいいきれない地方出身者として
日本の社会のなかで生きてきた。
そういうなかで、とくにビジネスや社会性の部分では、
常に東京との間合いを意識して生きてきた。
そういう認識の上で札幌で長く生きてきた人間であります。
で、これからの日本人、人間の生き方として、
やはり東京と、どのような間合いで生きていくかというのは
かなり決定的なのではないかと思い続けています。
娘や息子が成長していく過程で
「東京はひとの住むところじゃないよね」という言葉を発していまして、
そういうふうにわたしは子どもたちに伝えたつもりはなかったのに、
というような思いを常に感じ続けていた次第です。
なので、息子の高2という時期を選んで、
家族全員で東京に触れる旅をしてみた次第です。
それは父親として、どんなふうに東京と「付き合ってきたか」というような
そんなことの断面だけでも伝えたい、ということが動機でした。
地方の人間が東京にたまに行って、
地方での暮らしと同じようにクルマで走り回る、ということは、
首都高速をはじめとする交通事情の難しさがあって、
ある種の「バリア」が存在すると思いますが、
でも地方生活者にとってはクルマこそが本来的な移動手段であって
そのように行動してきている。
人間の常識的感覚もそのように馴致されている。
そういった常識的な感覚から、きちんと東京での生き方を考えるのも
必要な視点だと思います。
カーナビというたいへん便利な装置を活かせば、
このような視点も比較的容易に実現できる。
「皇居にクルマで乗りつける」というような感覚も
一度は味わってみる必要がある。そんな気がしています。

で、息子。
家族旅行で4日間と、折り返して高校の友人たちと3日間、
東京に浸るように過ごしていました。
きのう、家に帰っての会話。
「どうだった? 家族旅行の最後で、
東京への敗北感、みたいなことを言っていたけど?」
「それは変わっていないよ」
「・・・でも、俺、東京で就職したい、東京に行くからね」
っていうことでした。
話し方にも意外なまでの変化があって、
想像以上にかれのなかで吸収したものがあったのかも知れないな、と。

いろいろ、話していくことが楽しみになってきました(笑)。
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エッジの住宅デザイン

2013年01月12日 05時22分50秒 | Weblog


写真は一昨日見てきた大崎市の家の照明。
和室の仕上げの様子なのですが、
蛍光管が天井の柾目板の間に埋め込まれ、
壁面にやわらかい反射光を落としている様子を納めてみました。
写真では表現し切れているかどうか不安ですが、
この壁紙も45度の角度で格子縞模様のものが使われているので、
この反射光角度とおおむねシンクロしていて、
ほとんど意識下の部分で、シャープさが仕込まれていると感じられます。
一般的にはなかなか気付きにくく、
お住まいの施主さんもそういったことには気付かれてはいませんでしたが、
「なんとなく、落ち着く」という生活実感は持って暮らされている。
蛍光管も電球色のタイプが使われていて
目にやわらかい印象のデザインが心掛けられている。
壁紙の色調も、そのような色調に似合うように同系色とされていて
ほんの少しのグラデーション範囲にまとめられているので
全体として、シャープさと調和感が同居している。
和風としてまとめる、というような
そういった施主さんの要望自体、
北海道ではあんまり出てこなくなっているのですが、
たとえあったとしても、細やかなデザインになっていく部分なので
ディテールまでの心がけが必要になってくる。
しかも、通常あんまり気付かないような部分での違いが大きい。
形だけ持ち込んでも、「調和感」というものが達成されない。

なんとなくそんな印象を持って住宅を拝見していました。
人間がそこで過ごしていく時間がもっとも長いのが住宅だとすると、
そういった空間の空間デザインについて
お互いに共通するような言語フレーズが必要だと思うのですが、
なかなか気付きにくい部分ではあります。
やはり「なんとなくいいなぁ」というようなあいまいな領域になってしまう。
しかし、毎日の暮らしに背筋が通っていくかどうかは、
こういう環境要因が与って大きな部分を占めているのも事実。
見ていると、たとえば床の間の床板の下に、
若干の隙間を開けてあって、正面から見ると床板が浮き上がっているように
印象されるような仕上げになっていたりする。
まことに細やかなデザインなんですが、
建築的には、合理性との両立が難しい領域。
設計者としては、いろいろな職人さんに正しくイメージを伝えていくのが
非常に困難な部分もあるだろうなと推測させられる。
しかし、細部にこそ神が宿る、とも言う。
家を建てる、という人間社会でのいちばん普遍的な「創造機会」に
少しでも「いい空間」を心がけていくのは必要ですね。
「生活文化」という言葉を使うけれど、
そういうことは、こういった細かい部分にこそ顕れるものだと思います。


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