三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

ご先祖さまの生き様をみる

2013年01月21日 06時23分13秒 | Weblog


さて、土曜日に帰ってきて
きのうは主に休息を、と思っていましたが、
ぐっすりと寝て体力が回復したら、おあつらえ向きの大雪(笑)。
留守にしていた間も、そこそこは雪が降っていたようですが、
家人雪かき、頑張ってくれていたようで、感謝。
ということで、この大雪にはわたしが恩返しで朝から雪かきであります。
きのうは朝方から降雪が短時間にどっときたので、
公的な除雪車はまったく間に合わない。
冬の間、北海道で戸建て住宅を維持して行くには、
この雪かきを考えながらでなければ、おちおち出張もできない。
しかし、冬場の貴重な運動でもありますね。
雪かき後、日帰り温泉で体重測定したら前回測定からマイナス2kg。
神さまは、よく考えていらっしゃると思います(笑)。
その後は、週1の買い物やら、家族のための週1のお勤め、
カレーライスを作っての夕食ご奉仕などなど、普段どおりの楽しい休日。

そんな合間に、
先日次兄から贈られた、わが家家系調査報告の2回目の通読であります。
なにせ、数百年の家系というのはアップダウンの連続で、
アップしている時期は資料もありわかりやすいけれど、
ダウンしている時期はどうしても資料も散逸しているのです。
まぁ、北海道に移住を決断するというのはご多分に漏れず
家運が大きく下がって来た状況を表しているのは事実。
しかしご先祖様のお陰で、こうして生きていられ、
また、なんとか繋がった形でたどっていけるというのは、感謝の至りです。
そうしたなかで、主に江戸初期以降ですが、
具体的な事跡をたどられるご先祖様の生き様が明瞭に浮かび上がってくる。
次兄の執念でさまざまな事実の発掘があって、徐々に見えてきました。
わが家系は、江戸端初期に大きな変化があった。
直系の継嗣がなくなったところに家の存続のために、
入り婿というか、血縁が切断して若い夫婦が家を継承している。
で、そのときには前後していろいろなことが連続して起こっている。
本来のわが家自体は商家なのですが、
そこに政治による家名存続のための介入があり
いろいろなひとのあっせんの痕跡が見て取れるのです。
武家権力と、実質的な経済運営主体である庄屋層は相互浸透しているようですが、
百姓一揆で破綻させられた庄屋であったご先祖様は
その時期に、武家の介入で継嗣がなくなった商家に入家しているようなのです。
日本民族というのは、なるほど、このように家を存続させてきたのか、
というような実感が迫ってくるようなエポックです。
家名の継承と、血縁の継承は必ずしも一致しない。
よく家は3代続かない、と言われますが
その後も、まことにそのような状況がわが家でも生起しております。

昔日を知ることは、しかし同時にいまを生きる役にも立つ。
顧みて、自分自身の置かれた状況のなかで、
どのように対処していくべきか、おおいに考えさせられております。
そういった意味でも、深く感謝でありますね。
ふむふむ・・・。

コメント
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