性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【1800年前中国三国志時代「穀倉丸抱え」住宅】

2019年08月02日 08時21分11秒 | Weblog


日本文化の深層変化を見る意味で東京上野の国立博物館企画展は
東京出張時、時間を見てチェックするのですが、最近の展示では
中国にちなんだ、というか、政治的に改善傾向を謳っている日中関係に配慮した
そういった企画展が相次いでいますね。
中国政府側の「微笑外交」米中貿易戦争の副作用ということがあきらかで、
日本側としては付き合っている程度で、あまり実質的とは思えないけれど。
顔真卿の書の展示であるとか、訪日中国人が好きそうな展示が目立つ。
今回も「三国志」についての展示ということで、
日本人来場者以上に中国人訪問者が多い印象。さらに全展示写真撮影許諾。
だいたい、国立博物館展示では主要な展示を除いて撮影許諾はありますが、
さすがに全展示OKというのは珍しかった。
中国ではいわゆる「国宝」的な位置付けになるものは「1級文物」と
呼ばれるそうですが、そういうものもさまざまに展示されていた。
中国国内ではこのあたり、どうなのかは事情を知りませんが
中国のみなさんはさかんにスマホでシャッターを切っていた。
まぁいろいろの文物でしたが、やはり住宅とか建築にはつい興味が強く湧く。

この三国志時代というのは西暦では2世紀に相当する。
日本では魏志倭人伝・卑弥呼の時代です。
中国での人口規模は263年ころで767万人。寒冷化の影響で
人口減少期に相当していたことから、社会不安が沸き起こっていた。
だいたい中国王朝は易姓革命であって、不安定期になると農民暴動が多発する。
この時期は漢も末期で、各地で「黄巾の乱」という民衆蜂起が繰り返されていた。
その結集軸として中国ではしばしば宗教が媒介になる。
現代共産党独裁中国でも、同様に宗教的な集会などには権力側は
非常に敏感になっているとされている。
こういう社会では、政治も経済も国家もなにより食べ物に帰趨していただろう。
ただでさえ、農民が食えなくなっている時代なのだから、
その収奪者たちの最大関心事は、まさに食料へのこだわり。
そのように見ていて、こうした時代の地域の支配者たちの住形式をあらわす展示。
写真は、上は「三連穀倉楼」と名付けられた1級文物で住宅ミニチュア造形。
下は「五層穀倉楼」というものでした。
どちらも穀倉を下層階に抱きかかえて、その上部に住居施設を作っている。
食糧危機に際して、まことにわかりやすく食べ物を大量に抱きかかえるという
「設計趣旨」のきわめて明瞭な住宅建築だと思います。すごい中国的(!)。
この文物自体は住宅のミニチュアですから、元のモデルになった住宅の
素材自体はわからないのですが、穀倉サイロ部分は土を焼成させたレンガと推定。
そのなかに周辺の農民から搾取した食料を一杯に貯め込んでいる。
その上の住居部分はたぶん木造で軽く建てられているのだろうと想像。
下の方がより大型で魏を建国した曹操の息子でその後帝位を譲って退隠した
献帝の終の住み処というようなアナロジーが書かれていました。
しかし、個人的には上の写真のデザインセンスに軍配。
3つの穀倉と、その上の3階部分の平屋的な部分の対比がいい。
屋根はかなり軒が長く伸びていて、全体のバランスが取られている。
なんとなく「ツリーハウス」も連想させてなかなかいい雰囲気の家だなぁと、
勝手に「すみごこち」を妄想していました(笑)。
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