写真は、先日見学させていただいた東大阪市の輝建設さんの
事務所併設の古民家建築。
聞いたら、日本民家再生協会会員ということですが、
街中でありながら、こういう古民家が存続していて
「モデルハウス」的な機能も果たしているというケースは珍しい。
北海道ではまずあり得ない光景だし、本州地域でもごく少ないハズ。
こういった古民家建築を維持していくだけでもコスパが悪い。
ふつうは「一般受け」するような現代風住宅を見せて客寄せするところ、
まぁ「昔懐かしい古民家」という懐古趣味を訴求しているようですが、
よく考えてみたら、それ以上の主張性も感じられる。
むしろこういう風に見せられると、逆に現代的な意味を見出させられる。
かえって都市的環境だから、その持っている合理性が目立ってくるのか。
場所性がある事柄をクローズアップしてくれる。
わたし自身も良く見慣れていた「田の字型プラン」。
古民家にはきわめて一般的な間取り形式なのですが、それが
都市の中にあることで、合理性そのものの建築仕様に驚かされる。
たぶん、木造で家を作っていくことを考えたら、
おのずと作り方についてある合理性が生まれてくるのは自然。
木の切り方、材料の製材的統一というのが最初にうかぶ発想。
日本史では田の面積を正確に計り、収量を計算することが、
繰り返し試みられて、権力による中央集権支配が出来ていったけれど、
建築の材料も規格が統一されることで、
全国的生産規模把握が進み、「産業」的発展があったのだろう。
アメリカで2×4の規格統一があって木造住宅の発展があったように、
日本の住宅でも1間2間といった基本モジュール統一があった。
そうした材料を使って合理的に住宅建築を考えたら、
だれでもがいちばん合理的だと思ったのが、
このような「田の字」プランになったのだろう。
まさに必要に応じてモジュール統一されていったのだろうけれど、
このような田の字型住宅インテリア空間は、ニッポン人に
その基盤的な空間感覚も育てていったに違いない。
さらにこういう空間で育つことで、人間感性も規格統一的になった側面が
あるのではないだろうかと、思わされる。
この古民家は昔は里山的な場所に建てられていた農家住宅。
それがいまは、一帯すべてが都市化のまっただなかにある。
都市がこういう古民家を包囲して、
そういう古民家が「合理性」を伝えるというのは、一種のパラドクス。
こういう時空間を包摂している地域性に、
なんとも「奥行き」を感じさせられていた次第です。
事務所併設の古民家建築。
聞いたら、日本民家再生協会会員ということですが、
街中でありながら、こういう古民家が存続していて
「モデルハウス」的な機能も果たしているというケースは珍しい。
北海道ではまずあり得ない光景だし、本州地域でもごく少ないハズ。
こういった古民家建築を維持していくだけでもコスパが悪い。
ふつうは「一般受け」するような現代風住宅を見せて客寄せするところ、
まぁ「昔懐かしい古民家」という懐古趣味を訴求しているようですが、
よく考えてみたら、それ以上の主張性も感じられる。
むしろこういう風に見せられると、逆に現代的な意味を見出させられる。
かえって都市的環境だから、その持っている合理性が目立ってくるのか。
場所性がある事柄をクローズアップしてくれる。
わたし自身も良く見慣れていた「田の字型プラン」。
古民家にはきわめて一般的な間取り形式なのですが、それが
都市の中にあることで、合理性そのものの建築仕様に驚かされる。
たぶん、木造で家を作っていくことを考えたら、
おのずと作り方についてある合理性が生まれてくるのは自然。
木の切り方、材料の製材的統一というのが最初にうかぶ発想。
日本史では田の面積を正確に計り、収量を計算することが、
繰り返し試みられて、権力による中央集権支配が出来ていったけれど、
建築の材料も規格が統一されることで、
全国的生産規模把握が進み、「産業」的発展があったのだろう。
アメリカで2×4の規格統一があって木造住宅の発展があったように、
日本の住宅でも1間2間といった基本モジュール統一があった。
そうした材料を使って合理的に住宅建築を考えたら、
だれでもがいちばん合理的だと思ったのが、
このような「田の字」プランになったのだろう。
まさに必要に応じてモジュール統一されていったのだろうけれど、
このような田の字型住宅インテリア空間は、ニッポン人に
その基盤的な空間感覚も育てていったに違いない。
さらにこういう空間で育つことで、人間感性も規格統一的になった側面が
あるのではないだろうかと、思わされる。
この古民家は昔は里山的な場所に建てられていた農家住宅。
それがいまは、一帯すべてが都市化のまっただなかにある。
都市がこういう古民家を包囲して、
そういう古民家が「合理性」を伝えるというのは、一種のパラドクス。
こういう時空間を包摂している地域性に、
なんとも「奥行き」を感じさせられていた次第です。