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三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

安藤忠雄「新国立競技場」記者会見

2015年07月17日 05時24分45秒 | Weblog
住宅建築の世界から出発し、さまざまな建築の世界で活躍してきた
安藤忠雄さん。先般、札幌に来られたときの講演を聞いて
その「ものづくり」の精神性には共鳴できるものを感じています。
きのうは、いま話題になっている新国立競技場建設費の件で
オープンな論議を巻き起こすための序幕の役割を引き受けるかたちで
記者会見を開かれていました。
以前の札幌での氏の講演を聞いていて、
なぜか不思議と、司馬遼太郎さんと似た部分を感じていました。
まぁ、不幸にしてわたしは司馬遼太郎さんが生きているときに
そのお話しを聞く機会はありませんでしたが、
テレビや映像など、さらに講演記録の音声などに触れています。
同じ大阪人であり、市井を感じさせられるという意味合いなのか、
その雰囲気の同質性を強く感じさせられました。
そういえば、司馬遼太郎記念館という建築は、氏の設計なんだとか。
ぜひ一度、その空間性には触れてみたいと思っています。
彼が作る空間について、その温熱環境性については同意できないけれど、
しかし、ものを作って行く考え方・感じ方、情熱の部分では
大きなリスペクトを感じさせられています。
こういったアンビバレンツな思いを起こさせるのはかれの人間力でしょう。
意見は違っても尊敬に値する人、というのはいるようなものですね。
そういうかれが、東大の教授になったり、
新国立競技場設計コンペの「審査委員長」になるというのは、
わたしたちの社会のいまのありようとも関わっているのだと思うし、
ある意味で、妥当なことであろうとも思っています。

会見では、かれらしくざっくばらんに、会場を埋めた報道陣に向かって、
「写真なんて撮っていないで、言いたい聞きたいことをドンドン言ってほしい」
と、まさにストレートに投げかけていた。
で、5~6人からの質問内容が出終わったあたりで、
そういった声に応えるように語っていったと思います。
設計コンペ審査委員長としてのかれの役割を明確にしていた。
まるで今回の混乱の責任がかれ個人に帰せられるような
そういったタメにするとしか思えない情報の混乱の中で、
このようにきちんと情報開示されれば、まことにその通りと思う。
これは国家プロジェクトであり、
進められていったプロセス自体にはそう大きな瑕疵はないと思われました。
そしてデザイン案としてのザハ・ハディッドさんの案の説明も
おおむね了解可能だったと思います。
多くの人に、あるイメージを喚起する建築デザイン選定根拠として
妥当性を持った説明であると思われました。
安藤さんも自ら言っていたけれど、この記者会見を起点にして
大いに、国民的論議に発展させればいいのだと思います。
設計コンペ審査委員長としては、今回その選定意図は伝えられたと思う。
日本社会で起きていることなので、
その解決も、日本のいまの「民主主義」を発揮して論議し、
「落としどころ」も含めて考えていければ、
世界に向かって、なるほどいまの日本社会はリスペクトに値すると
そういったアピールにもなると思います。
シャレではないけれど、それこそ「建設的」な論議をすべきだ。
安藤さんの言葉の中で、繰り返し、日本のものづくりへの言及があった。
その部分で、司馬遼太郎さんが重なっていたとも感じたのだと思います。
現代の日本が、過去と未来の民族の歴史に向かって
いま、どのような建築を作れるのか、と
そういったアジテーションにもなっていたと思いました。


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