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三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

前九年合戦・安倍氏終焉の地

2013年09月14日 09時48分56秒 | Weblog



東北の歴史に強い興味を持つようになって
いちばん不可解だと思っていたので、
東北地元の人たちも、地元勢力の敗北後のことについて
その様子を伝えるよすがを持っていないことでした。
前九年後三年合戦というのは、その後の鎌倉幕府体制という
律令国家体制を関東という、「外部」から破壊させた
「土地私有体制~封建制」への扉を開いた歴史事実だと思われるのですが、
その主役である、安倍氏の貞任~さだとう~が
源頼義に攻め滅ぼされた場所、「厨川の柵」で攻城戦が行われた場所が
まだ、歴史的には特定されていない。
安倍氏というのは、出自自体もまだ、不分明な存在であるのですが、
それにしても、奥州、東北にとっては
敗残したとはいえ、地域勢力が中央権力と戦った英雄。
中央政府側から「反乱者」の烙印を押されるのは仕方ないのですが、
地域には、一定のよすがが存在するのではないかと
期待もしていた次第です。
ただ、「炎立つ」の作者・高橋克彦さんの作品からも特定地域については
触れられてはいませんでした。
そんなことで気になっていたのですが、
きのう、盛岡で取材があったので、ついでに念願を果たしたいと
「安倍館町」という地名の場所を訪れたわけなのです。
やはり、現地に来てみれば、
その蓋然性は、十分に明確になってくる。
この写真は、「厨川神社」という社の様子であります。
で、この神社と谷を挟んで向かい側には「安倍神社」まであった。
この神社の後背は、高い土手になっていて、その下には川が流れている。
普通に考えれば、「厨川柵」というのは、地形的にも
ここであることが明らかではないかと思われます。
前面道路からも斜面を登ってこなければならないことから、
この場所は見晴らしのいい高台なのです。
ということで、遙かな昔を想起して厳かな気分にて参詣。
反乱者の烙印を押されたとはいえ、
かの時代に、勇壮に生きた安倍氏のことを胸に描く時間を過ごしておりました。
コメント
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