っていう記事が朝日に掲載されていたようです。
歴史に少し興味を持っていれば、このこと自体はまったく自然なことだと知れる。
というよりも、現代世界では「国民国家」意識による国家認識が強くあるけれど、
対馬海峡を挟んで、この2つの地域は、
たまたま違う国家形成をした、というのが実態に近いだろうという方が常識的。
ある時期までは、ことばにも共有部分があったに違いないだろうと思われる。
同じように、「漢字」も、律令国家体制も輸入した。
先進文化は中国大陸で生成し、それを両社会とも受容した。
世界宗教文化である仏教も大陸から半島を経由して、この列島社会に伝わった。
両社会とも世界共通言語の「漢字」表記によって国家運営文書が統一されていた。
その「文明」最大の「伝播者」である僧侶もまた、相互浸透していた。
平安初期、遣唐使として渡った僧侶、慈覚大師・円仁などは、
どうも言語も通じていただろうと記録からはうかがえる。
ちょうど、キリスト教圏内で世俗の国境を超越した広い交流があったように
東アジアの先進的な社会、中国・朝鮮・日本の社会では、
かなりの「同質性」が文化的にも相互に担保されていただろうことは明らか。
記事では、朝鮮の僧侶の漢文への読み下し注記として、
表音文字としての「カタカナ」らしきものが発見されたと、ある日本の歴史学者さんが
発表していた、ということなのだそうです。
その記事に対して、ホリエモンさんが、
「ネトウヨ」が騒ぐだろう、とつぶやいたそうで、
案の定、ずいぶんかまびすしくこの発表をされた先生に対して
「非国民」呼ばわりに近い罵声が起こっているのだとか。
わたしなどは、先に半島で表音文字を発明したのだとすれば、
それを社会発展に十分に活かさなかった朝鮮文化に残念感を持つくらいなのですが、
ムード的に、韓国側はこれを日本を蔑む材料にするに違いないという
そういった嫌悪の気分が日本社会に存在しているということですね。
また、韓国側にもそういった蓋然性があり、両社会の間に反目を助長するムードがある。
起源がどうであれ、
この列島社会では、律令国家運営側が強制したことで、
漢字を受容し、カタカナ・ひらかなという補助的な表音文字も
複雑に使い切る言語教育が、社会全体に根付き、文化的素地が広く底堅く形成された。
また、農業生産管理が社会システムの基本とされたので、
中央権力と生産地現地との間のコミュニケーションの必要上、
これらのかな交じり漢字文書が大量に交通した結果、
識字率が、たぶん、どの時代でも世界の他の地域社会よりも格段に向上した。
それが、わたしたちの「日本的なる」文化素地を形成していると思うのです。
このことはかなり特異的なことであることは、間違いがない。
けれど、だからといって、すべてこの社会で独自に生み出したのだというのは、
やはり言い過ぎだろうと思います。
この発表にようなことが、たぶん実態に近いのだろうと思います。
また、最近読んだ歴史学説では、
日本社会の「排外主義」は、自分たち自身が明らかに大陸あるいは半島社会からの
移住民であることが明らかである天皇制支配体制に巣くった「貴族層」たちが、
実は目的的に,平安期前後から、それ以降の移住民たちへの「排外」を作りだした、
という研究発表もされています。
こういったムードというのは、まことに困った事態だと思います。