京都といえば、先斗町ですね。
鴨川での納涼床も、先斗町の店が一番有名なのでしょう。
歓楽街の名称としては、代表的な名前ですが、
行ってみれば、道幅は本当に狭くてびっくりする。
左右に店が軒を重ねていて、この狭い小路を多くの人が肩を接しながら練り歩く。
先斗町の本質的なものはこの小路性にあるのでしょうね。
京都の街が生み出した文化に
「茶室文化」があります。
どうしてああいった「狭さ・小ささ」を強調して
そのなかでデザインの工夫をやっていくのだろうか、と
いつも不思議な思いをする。
ああいう文化性って、外国にはあるのだろうか、
と、いつも考えるけれど、モロッコのイスラム都市フェズなどを想起する程度。
やはり欧米的価値観世界では、少ないように思う。
ましてや、建築空間性において目的的に追求しているというのは
本当に稀有ではないかと思う。
この先斗町の小路性は、やはり茶室文化に行き着く部分なのだろうか。
その昔、狭い町家の中庭の小空間に、
さまざまな世界性を表現した遊びの精神が
こういう茶室文化の原型なのでしょうが、
先斗町にも、そういった感受性が生きていると思います。
どちらも、人と人との交流とか対話の文化に機縁している。
そのように考えるとき、先斗町が
京都を代表する飲食店街に成長していった部分が見えるのでしょう。
狭さの中で、さまざまな空間的演出をこれでもかと見せつけられる。
狭くすることで、想像力は逆に極限まで高められる。
象徴性への感受力が大いに高まっていくと思います。
空間を表現する要素についての、共通認識が細やかに成立していく。
寸法を小さくすることで、
こういう感受性を磨き上げていこうというのは、
やはり、こういった京都の「都市文化」の賜物だと思います。
そこで展開している、ものの「表徴性」
あるいは、コミュニケーションの繊細さについて
腑分けしていくと面白い文化論になるのではないかと思います。
あるいは、誰か、もうやっているのかなぁ。