今回の関東取材で、なにかと縁があったのが宇都宮。
東北から南下してくると、関東の玄関口に相当する。
交通の要衝地と言えると思います。
ただ、北海道にいると、関東といっても東京の存在があまりにも大きく、
それ以外の関東地域について知識を得ることは少ない。
足利に以前行ったときにも、札幌出身のスタッフたちは
そこが足利幕府という、日本史の中でもきわめて枢要な家系の出身地である
というような認識は全くなかった。
まぁ、無理からぬところかなぁと思われましたが、
わたし自身も、宇都宮といっても餃子での街おこしくらいしか
思い浮かばなかった次第です。
でも、ちょっとした合間に見たのが写真の「二荒山神社」。
式内大社、という表示が堂々と記されているとおり、
古い時代、奈良や平安期を通して、関東地域の中心的な存在だったようですね。
近くの日光に同名の神社があって、紛らわしいということが
どうもこの神社の存在を大きくさせていない原因のような気がします。
ちょっと調べてみて、その由緒というか、歴史性にびっくりいたします。
以下Wikkipediaより抜粋。
古くは宇都宮大明神と呼ばれ尊ばれた。正式名称は二荒山神社であるが、日光の二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)との区別のために鎮座地名を冠して呼ばれる。両社は祭神が異なり名称の由来も異とされるため、全く別の神社と謂われるが、日光社は下毛野氏の氏寺であり東大寺(大和国)や観世音寺(筑紫国)と並ぶ戒壇であった下野薬師寺の修行僧であった勝道上人を開祖とする傍ら、当社は宇都宮氏が座主となるまで、座主は下毛野氏の姻戚者であったと謂われており、両社とも古代関東地方の文化の中心地であった下野国の豪族であり国造である下毛野氏にゆかりの深い神社である。
崇神天皇の第一皇子で毛野国の開祖である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を主祭神とし、崇神天皇が都とした磯城瑞籬宮(現在の奈良県桜井市金屋)の北に鎮座する三輪山(大神神社)の御神体である大物主命とその子事代主命を相殿に祀る。主祭神については時代によって彦狭嶋王、御諸別王(彦狭嶋王の子)、事代主命、健御名方命、日光三所神など諸説ある。
当社の社家である宇都宮氏は、摂関家藤原北家道兼流藤原宗円が、この地の豪族で当時の当社の座主であった下毛野氏ないし中原氏と姻戚関係となり土着したのが始まりであり、当時の毛野川(当時の鬼怒川)流域一帯を支配し、平安時代末期から約500年間に亘り関東地方の治安維持に寄与した名家である。
っていうような次第。
律令国家体制が固まって、
国司となって下向するもっともいい国のひとつがこの地域だったのでしょう。
摂関家藤原北家が利権を確保する狙いを持ったあたり、
この国の重要性が自ずと知られますね。
ほとんど、知ることもなかった地域ですが、
餃子ばかりではない興味がわき起こっているところです(笑)。
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