三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

江戸期の基本ビジネス

2009年05月08日 06時14分13秒 | Weblog



写真は江戸期から続いていた増毛の成功者・本間家住宅より。
北海道の日本海側一帯は、江戸期に大型漁業で栄えました。
江戸期は旺盛な商品経済が地域的に発展した時代で、
あらゆる産品に及び、
それが今日社会の「地域性」の基本を形成していると思います。
そういうなかでももっとも旺盛な需要は
やはり流行の先端であるファッションであり、
若い女性を彩った呉服が極めつけの商品だったと思います。
西洋近代の国家では、こういう需要よりも
侵略戦争のための軍需産業が大きかったことでしょう。
その意味では、日本の平和社会というのは
江戸期からの基本的な日本社会の性格に根ざしているとも言えるのかも知れませんね。
そういう平和ボケを、黒船が一気に打ち砕き
明治の疾風怒濤の時代があり、
太平洋戦争に至るヒステリーを生んだのかも知れません。

で、こういう江戸期最大の産業を支えたのが
蝦夷地西岸域で大量に収奪されていたニシンを材料にした「金肥」。
木綿畑は、大量の肥料投入を必然にし、その最良の原料として
ニシンがその需要に応えたということです。
そして、この増毛の地でも、この写真のように
最新の京都のファッションである呉服反物が
北前船交易によって、もたらされてきたものでしょう。
「松前の春は、江戸にもない」賑わいだったというのは、
こういう経済循環の根源に北海道地域の産品があったことから
生み出されてきたことなのだろうと思います。
そういう余波のようなものがこの増毛にも来ていて、
いろいろなビジネスをやっていた江戸期の豪商に連なるこの家でも
このような反物を扱って儲けていたのでしょう。

いまの時代になってみれば、
もう、この時代が持っていた呉服反物への熱気というようなものは
追体験は出来ないでしょうが、
このデザインにおいて、京都の文化はまさに核心的に強い影響力を持っていた。
ことばで「下らない」という言葉が日本語の基本言語になってありますが、
それは、京都の文化が生み出す(酒)産品への強い憧憬を
長い年月、日本人が抱き続けてきた歴史を証してくれている。
京都から「下ってきた」ものでなければダメだ、下らない、なんですね。
花鳥風月であるとか、色彩への感覚など、
こういう呉服反物の基本デザインのテーマには
まことに色濃く、京都が持ち続けてきた
日本人の好みの文化性が直接的に反映していただろうと思います。
そういうものに、万金が投入され消費されてきたのですね。
そういう風に見てくると、
最北の日本経済圏という印象が深く感じられてくる光景です。



北のくらしデザインセンター
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