長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

あづいんだよコンコンチキ!!

2011年08月17日 23時44分19秒 | 日記
 なんだよ、もう!! あっ、これは失礼、冒頭からとりみだしてしまいました、そうだいでございます。

 だってさぁ~、ずーっと暑いまんまなんだもん、お天気が! 毎朝毎朝、起きても起きても炎天ばっか。『ビューティフル・ドリーマー』やないっちゅうねん。こっちはふつうに時が流れてるっちゅうねん。


 こんな状態なもんで、ちょっと最近は調べものをするエネルギーもなくなっているていたらく。
 ということで、今回はふつうのブログになりま~す。あの、ふだんの生活で体験した物事をつづるってやつだ!
 まぁ、『ジャンプ』の最後のページで先生方が1~2行ぼそっとつぶやいてるみたいなのね。もしくはツイッターみたいなのだ。


・甲子園の楽しみかた

 昨日、私が現在在住している千葉県代表の習志野高校が、めでたくベスト8入りをはたした今年の甲子園。
 すごいですね~。こりゃあ、ことによると……? なんかワクワクしますねぇ。
 ところで、私はもう一校、応援している代表校があるんです。それは、奈良県の智弁学園。
 え? なぜかって? そりゃもうあなた、1回戦で私のふるさと山形県の代表校をくだしたチームだからよ。

 そうなのです。私は山形で17年間呼吸していたあいだに身体のズイにまで、
「甲子園は1回戦で敗退するのが普通のイベント」
 という認識が浸みこんでしまっていたために、いつしか、
「甲子園は自分の地元校に勝った高校を応援して楽しむ時間のほうが長いもよおしもの」
 というおそるべきネガティブ思考が形成されていたのです! こえぇ~。
 だって、自分の地元が勝てなかったチームが優勝したら、なんとなく安心するでしょ? じゃあしょうがねぇ!みたいな。

 まぁ、山形県人全員がそう考えているわけでもないんでしょうけど……私は、そんなことを考えているのは私だけだと、そう信じたい。でも、ちゃんと確かめたわけじゃないからね。こわいなぁ~ほとんどの山形の人がそう思ってTVを観てたら!
 とにかくですね、今年の習志野高校の快進撃にはおおいに期待しているのです。私の中のそういった呪わしい「負けて当たり前」意識が今年ついにあらたまるのではなかろうかと!!
 がんばれ、習志野~。


・スニーカー

 どうでもいいんですけど、先日、約5年ぶりにスニーカーを購入しました。ベージュの落ち着いた印象のものです。
 うん、最近はブーツとかミリタリーものの古い形の靴しか買ってませんでしたからね。
 いや~、スニーカーは靴底にクッションがついてるんですか? とても足がラクですねぇ~。
 第2次世界大戦の軍ものの靴は、ほんっっとに靴底が「底だけ」ですから。ショックアブゾーバーなんて気の利いたものがあるわけもねぇ。こちとら戦争やってるんでい!ってな感じで。

 いいわ~、スニーカー。靴底がごっつい分ちょっと背が高くなった気もするし。夢みた~い。
 ただ、ちゃんとしたスニーカーとしては最低価格ラインの2千円弱で西友で買ったやつなんでね。もっとランクアップしたのも買ってみたいね~。
 まぁ、外に出てジョギングする気はさらっさらありませんけどね。だって、暑くて死んじゃうも~ん☆
 新しい靴を履くのはいつもいいものなんですが、うれしいあまりに外に走り出て死ぬなんてグリム童話チックな最期は遂げたくはないですね……メルヘンすぎるぜ。


・どいつもこいつもトレンカ、トレンカ!!

 近ごろさぁ、トレンカはやりすぎじゃありませんこと!?
 トレンカって、あれですよ。レギンスの一種で、先の部分が昔の田舎小学校のジャージみたいに足の裏までまわる布地になってるけど、足の甲とかかとはカバーしてないやつ。
 いやぁ、最近多いのよ、トレンカにサンダルっていうコーディネートで私の働いてるお店にいらっしゃる女の子が。大学生っぽい人が多いかな。

 いいですよ? 生足で日焼けしなくてすみますし、黒いトレンカはたいていのスカートにあいますからねぇ。別にいいんですけど、なぜか私はちとひっかかる。

 なんかね……夢がないんだよなぁ。サンダルだから隠しようもなく足裏にまわってるひもみたいな部分がむき出しになってるでしょ?
 それを見ちゃうと、自分の家でトレンカをエッチラオッチラと履いてるその方の姿がイメージに浮かんじゃって、ものすごくオシャレとはかけ離れたリアリティがまとわりついてくるのよねぇ。あの「足裏でとめる」っていう実用的なつくりがミョ~に目立ってきちゃうの。
 ……私だけ? 私だけかねぇ。
 布地が足首の部分でスパッと切れてるような他のレギンスだったら別になんとも気にならないのですが、あのトレンカって野郎だけは気にいらねぇんだなぁ。

 やっぱりね、オシャレは「リアリティ」を感じさせないところが勝負でしょ! お金をかける必要は全然ないんだけど、最低限「それを着てるときのモゾモゾ姿」を連想させることだけは避けなくてはならないでしょう。
 いや、別にトレンカであっても、着るときは燕尾服姿の執事の手で履かせて私は椅子に座ってヴェルレーヌの詩集を読んでいるだけなんですけど? という人がいたら申し出てください。両手をついてあやまります。

 オシャレっていうのは、いつまでも実用性と非現実性との終わりなきバトルですよね。ガーターベルトの、あの「ひもで吊るしかなかったんだよ~う。」という無念の叫びは、その不憫さがあるからこそエロいんじゃないかと思うんだなぁ。
 みなさん、トレンカを履く時は、大変だとは思うが足先を隠す靴をはいてはもらえないだろうか!? 変なおじさんからのお願いでした。


・「好きな映画?」

 先日、ありがたいことに女の子と話をするチャンスがありまして、蜷川実加さんの映画『さくらん』についてなどをコチャコチャ言いあっていました。
 その時、「そうだいさんのいちばん好きな映画はなんですか?」という質問が。

 これはむずかしいですね!! 「好きな食べ物」とか「好きな季節」とかとおんなじくらい答えづらくない?
 そりゃ観る時の体調にもよるし、ホラー映画と文芸映画をいっしょくたにして考えることも難しいしな~。昔観た映画はどうしてもある程度は忘れちゃうし。洋画と邦画も、微妙に観る時の態度が変わってきちゃうし。

 まぁじっくり考えれば「ベストテン」くらいはできるのかもしれませんが、すぐにパッと答えられなくちゃカッコ悪いし……
 結局、その場では早めに頭に浮かんだ『惑星ソラリス』(アンドレイ=タルコフスキー監督)と答えた次第。
 『惑星ソラリス』については、良かったらわが『長岡京エイリアン』のまる1年前、2010年8月23日の記事を読んでいただきたいと思います。

 ……こんなもんかなぁ。でも、他にもっと先に出てくる映画もあるような気がするんだよなぁ! なんかあったよ、他にも。
 この問題は重大だわ。いつか本腰を入れて取り組んでみたいねぇ。

 ちなみに思い出せるかぎりは、
 ホラー映画のそうだいベスト1 ……『悪魔のいけにえ』(トビー=フーパー監督)
 全映画中のそうだいワースト1 ……『あずみ』(だって、斬られた人の死にっぷりのほうが斬ってる人より動きのキレがいいんだぜ!?)


・ただいま、祈願中。

 先日、「アイドルグループ史」つながりで、あるコンサートの先行予約に応募しました。当選の結果は来週24日にメールで送られてくるらしいです。
 当たるといいな~。ダメだったとしても、そうしたらあらためて申し込んで予約するまでなんですが、このコンサートにだけは行っておきたい!
 でも、アイドルのコンサートの体験第1弾からこんなに本格的なところに行くとなると、ちと急すぎるかもしれんなぁ……不安だわ~。

 当たるかな……あれ、もしかしてこういう「先行予約」のたぐいって、何通も応募しなきゃ当選しないのだろうか!? 私、1通しかメール送ってないよ?
 まぁいいさ。私はクジ運がかなり悪いほうなんでね。忘れちゃうくらいの期待度の薄さでのんびり返信を待つことにいたしましょ~。


・ちょっとみゅうぜあむまで。

 明日は仕事がなくて1日休み。
 家にいてまいどの酷暑で干死に(ひじに)するのもイヤなので、明日は前々から訪れてみたいと思っていたある美術館に行ってくるつもりです。
 ここ、行きたかったんだよぉ~。その存在を知ったのは2年前くらいだったんですけどね。どうにも気になっちゃってて。
 ちょっとすごいぜ……ただの美術館じゃねえって感じですよ。



 ということで、次回はたぶん、その美術館に行ってすずんできたという話題になると思いま~す。楽しみ楽しみ!

 ほんじゃまみなさま、明日も水分補給に気をつけて元気にがんばってまいりまっしょい。
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暑いから勝手に決めてやる!! NHK大河ドラマ主題曲ベストテン

2011年08月15日 22時39分39秒 | 日本史みたいな
 キビシ~ッ!! どうもこんばんは、そうだいでございます。あびゃびゃびゃ、今日も暑かったですね~!

 もうひでぇよ……毎日こんな感じなんじゃないのぉ。
 私の家であるぼろアパートの一室は、ご多分にもれず日中は殺人的な暑さにみまわれます。ほんとに、私がいるかぎりは扇風機フル回転という状況ですね。
 いや~、去年の夏もそんなことを言っていたかと思うのですが、勤労意欲がわくよねぇ~! 正確に言うのなら、「クーラーのきいた仕事場にい続けていたい」意欲がわくよねぇ~!!
 ほんとに、家にいるあいだは扇風機と水風呂さまさまでございます。なんだかんだいっても今日は終戦記念日。8月も後半戦に入るわけなんですから、のりきってまいりましょう!


 と、いうことでねぇ。
 元気に生きていくためには、陽気に口ずさんでいきたい心の名曲が必要不可欠であります。

 今回は『長岡京エイリアン』夏休みジャンボ企画といたしまして、

「勝手に決定!! NHK大河ドラマ主題曲・名曲ベストテン」

 を繰り広げていきたいと思いま~す。
 Oh,イッツ・強引グマイウェイ!! Yes,イッツ個人ブログクリニック。ヘリコプターで出勤。

 やっちゃうよ~。内容は読んで字の如く。1963年の『花の生涯』(主演・二世尾上松緑)以来、およそ半世紀の長きにわたり全50作品の歴史ドラマを提供している伝統のNHK大河ドラマ。
 これらの冒頭をかざり、作品そのものの重要な「顔」となる主題曲の数々を、私そうだいの独断にもほどがある独断とヘンケン=ベッケナー艦長も驚きの偏見でランクづけしてしまおうという厚顔無恥なくわだてです。アメイズィン!

 まぁ……太陽がまぶしいからやっちゃったんだよ。どうかあたたか~い目でお身守りください。

 前にも何回かNHK大河ドラマの話題はしていたかと思うのですが、私自身に観た記憶が残っている最古の作品は1983年の第21作『徳川家康』(主演・滝田栄)で、それ以来、全回観ることができたものはそう多くはないものの、本腰を入れてなるべく観ようとしていたのは1991年の第29作『太平記』(主演・真田広之)から2007年の第46作『風林火山』(主演・内野聖陽)くらいまでの間でした。去年の第49作『龍馬伝』(主演・タージマサハール福山 本人発信のネタよ!?)も、夏にTVがぶっこわれるまでにはほぼ全回観ていましたね。

 そんな感じなので、私自身の記憶だけでNHK大河ドラマの主題曲すべてをフォローするわけにはいかないのですが、さいわいなことに、私は多感な高校生時代に1996年の第35作『秀吉』(主演・竹中直人)までの全曲をまとめたサウンドトラックCDを購入していたため、だいたいの曲は耳に入れることができていました。これにはお世話になりましたね……今は実家にあるか、もしくは紛失しちゃったんだよなぁ~。残念。
 まぁ、大河ファンとしてはめぐまれてるんだろうけど、青春を謳歌する若者としてはなにかを失ってるよね。

 それに加えて昨今は大河ドラマファンにとっても非常に便利な時代となりまして、パソコンをチョチョイとクリックすれば、それこそ昔はビデオかサントラCDを購入しなければ聴くことのできなかった珠玉の名曲の数々も、いとも簡単に聴き直すことができるようになっているんですねぇ。ありがたいこってす。

 ランキングを発表する前に言っておきたいのですが、今回の順位づけの評価基準は、あくまでも「NHK大河ドラマの主題曲としていいかどうか」という1点にしぼっているつもりです。したがって、大河ドラマの「作品としての出来不出来」や、主題曲の「音楽としての完成度の高さ」はあまりかんがみていません。

 作品の出来不出来を評価に入れるのならば、それは全作品を公平に全話ちゃんと観てみないと判定はできないと思うのですが、みなさまもご存じの通り、初期のNHK大河ドラマが制作されていた時代は映像を記録するツールだった放送局用のビデオテープが非常に高価なものだったため、次々と新しい番組の収録映像に上書きされてしまって、いかに大河ドラマといえども全話保存されるという措置はとられていなかったというのが現状でした(さすがに「忠臣蔵の討ち入り」や「本能寺の変」といった、作品中最大の見せ場となった回のみは保存されている)。しかも当時は一般視聴者の家庭に簡易なビデオ録画技術が広まっていなかったため、現在NHKも「NHKアーカイブ」企画の一環として視聴者に「初期大河ドラマ録画映像」の提供を呼びかけてはいるものの、1974年の第12作『勝海舟』(主演・松方弘樹)までは、全話映像のコンプリート視聴は実質不可能となっている状態です。
 ちなみに、実は『勝海舟』の次作にあたる第13作の『元禄太平記』(主演・石坂浩二)もNHKには本放送1回分と総集編前後編しか保管されていなかったのですが、今年2011年になって、作中で大石内蔵助を熱演していた江守徹さんがプライベートで録画していた本放送全話が提供されたようです。やっるぅ~。
 他にも、1970年の第8作『樅ノ木は残った』(主演・平幹二朗)や79年の第17作『草燃える』(主演・また石坂浩二)も最近になって一般視聴者から本放送の録画映像が提供されているそうです。

 とにかくこんな感じなので、大河ドラマ全作品の「公平な作品比較」は不可能なのね。ましてや私の個人的な思い入れや趣向もあったりするわけですからね~。作品を語る上で大事になってくる回も意外とけっこう見逃してたりしてますし、小学生だったのでいまひとつ作品の良さがわからなかったということもあったろうし。

 「作品の出来不出来」といっしょにならべた、「曲としての完成度はあまり参考にしない」というところの真意は、ランキング発表後にくわしくふれたいと思いま~す。

 それじゃあいってみよう! ランキングちぇけら~。


そうだい独断のNHK大河ドラマ主題曲ベストテン ~ご当地のみなさまもあたたかい目で見てください~

第11~34位

11位 第49作『龍馬伝』 佐藤 直紀

12位 第13作『元禄太平記』 湯浅 譲二(大河担当1作目)

13位 第2作『赤穂浪士』 芥川 也寸志

14位 第28作『翔ぶが如く』 一柳 慧(とし)

15位 第9作『春の坂道』 間宮 芳生(大河担当2作目)

16位 第15作『花神』 林 光(大河担当2作目)

17位 第43作『新選組!』 服部 隆之

18位 第16作『黄金の日々』 池辺 晋一郎(大河担当1作目)

19位 第11作『国盗り物語』 林 光(大河担当1作目)

20位 第5作『三姉妹』 佐藤 勝(大河担当1作目)

21位 第10作『新・平家物語』 冨田 勲(大河担当3作目)

22位 NHK新大型時代劇第1作『宮本武蔵』 三枝 成彰(番外)

23位 第6作『竜馬がゆく』 間宮 芳生(大河担当1作目)

24位 第45作『功名が辻』 小六 禮次郎(大河担当2作目)

25位 第1作『花の生涯』 冨田 勲(大河担当1作目)

26位 第27作『春日局』 坂田 晃一(大河担当3作目)

27位 第46作『風林火山』 千住 明

28位 第17作『草燃える』 湯浅 譲二(大河担当2作目)

29位 第12作『勝海舟』 冨田 勲(大河担当4作目)

30位 第24作『いのち』 坂田 晃一(大河担当2作目)

31位 第7作『天と地と』 冨田 勲(大河担当2作目)

32位 第14作『風と雲と虹と』 山本 直純(大河担当1作目)

33位 第3作『太閤記』 入野 義朗(大河担当1作目)

34位 第8作『樅ノ木は残った』 依田 光正


ランキングに入れられなかった選外

・第18作『獅子の時代』 宇崎 竜童
 ※理由……冒険しすぎ! あとオープニング映像が動物くさすぎる

・第19作『おんな太平記』   坂田 晃一(大河担当1作目)
・第20作『峠の群像』      池辺 晋一郎(大河担当2作目)
・第21作『徳川家康』      冨田 勲(大河担当5作目)
・第23作『春の波涛』      佐藤 勝(大河担当2作目)
・第33作『花の乱』       三枝 成彰(大河担当2作目)
・第39作『葵 徳川三代』   岩代 太郎(大河担当1作目)
・第42作『武蔵』         エンリオ=モリコーネ
・第44作『義経』         岩代 太郎(大河担当2作目)
・第47作『篤姫』         吉俣 良(大河担当1作目)
・第50作『江 姫たちの戦国』 吉俣 良(大河担当2作目)
 ※理由……静かすぎてインパクトに欠ける、おぼえられない

・NHK新大型時代劇第3(最終)作『武蔵坊弁慶』
 ※理由……すみません、楽曲を探し出せませんでした!

・第31作『琉球の風』 谷村 新司
 ※理由……谷村新司はすばらしい歌手だが大河じゃない

・第32作『炎立つ』 菅野 由弘
・第48作『天地人』 大島 ミチル
 ※理由……盛り上がりも適度にあるのだが全体的にスケールが小さい

・第35作『秀吉』   小六 禮次郎(大河担当1作目)
・第36作『毛利元就』 渡辺 俊幸(大河担当1作目)
 ※理由……主人公のイメージに対してさわやかすぎてウソくさい

・第38作『元禄繚乱』 池辺 晋一郎(大河担当5作目)
 ※理由……前作『八代将軍吉宗』と印象が似すぎ

・第41作『利家とまつ 加賀百万石物語』 渡辺 俊幸(大河担当2作目)
 ※理由……曲の起伏がはげしすぎておぼえられない


 そしていよいよベストテ~ン。

10位。
第26作『武田信玄』 山本 直純(大河担当2作目)
 とにかく「迫力」の一言ですね。オープニング映像がまんま「風」「林」「火」「山」なのが高校球児的にいさぎよい。
 火薬がドカドカ爆発している中を走らされた馬たちは大変だったろうなぁ……

9位。
NHK新大型時代劇第2作『真田太平記』 林 光(番外)
 この「新大型時代劇」というのは、1984~86年に放送された大河ドラマ第22~24作が近現代史をあつかった「時代劇っぽくない大河」だったために、そのかわりみたいなあつかいで毎週水曜夜8時から放送されていた1年放送ものの本格的時代劇でした。今日に至るまで評価されている3部作であるため、今回のランキングに加えさせていただきました。
 最近、一部の女子から異常なまでの圧倒的支持を得ている真田信繁(幸村)とその周辺を取りあげた作品なのですが、ストイックに男らしく、それでいて豊かな情緒も同時に持ちあわせているこの主題曲は、後年の「萌え」の片鱗すら感じさせない骨太な信濃武士の生きざまを見事に活写しています。

8位。
第34作『八代将軍吉宗』 池辺 晋一郎(大河担当4作目)
 太平の世であるものの権謀術数はあいかわらず渦巻いているという江戸中期をダイナミックにノリよくあらわしていると思います。
 オープニング映像のCGは、ハデに導入するとしてもここまでにしておくのがベストなのかな、と思います。『元禄繚乱』はやりすぎ。

7位。
第4作『源義経』 武満 徹
 これはいいです。歴史的敗者である源義経や平家の悲劇と、勝者であるはずの兄・頼朝の「生き残ってしまった孤独」のどちらにもとることができる哀感あふれた曲調が素晴らしい。
 最終回で、義経が自害したお堂の焼け跡を検分した頼朝(演・芥川比呂志)が、遠い眼をしながら、
 「九郎(義経)は31であったな。」
 とつぶやいたタイミングでこの主題曲が流れ出してきた演出には涙腺が崩壊してしまいました。無常。

6位。
第29作『太平記』 三枝 成彰(大河担当1作目)
 これもいですねェ~! なんてったって私が最初にマジメになって見入った作品ですから。
 ある意味で戦国時代以上に混乱して秩序の崩壊していた鎌倉末期~南北朝時代のキナ臭さと戦乱のはげしさ、恐ろしさをかなりカッコ良く音楽化しているこの曲には毎週しびれていました。
 このドラマの柄本明さん(高師直の役)は神がかってたねぇ! 真田さんもカッコよかったし。

5位!
第25作『独眼竜政宗』 池辺 晋一郎(大河担当3作目)
 もはや説明不要。大河といえば独眼竜。
 今となっては少々手狭に見えるスタジオ撮影のオープニング映像も、馬に乗って近づいてくる「鉄黒漆五枚胴具足」姿の政宗の、異常にでかい月形前立が暗闇でギラッと輝く一瞬ですべてがチャラになってしまいます。
 いささか伊達政宗の印象を上向きに誇張しすぎてしまった感さえあるこの作品なのですが、主題曲が果たした役割も実に大きいですね。

4位ぃ!
第30作『信長 KING OF ZIPANGU』 毛利 蔵人
 大好き。作品の内容に関する評価はどうであろうと、この曲のすばらしさは文句のつけようがない……んじゃないかしら?
 シンプルに「太陽」と「月」の映像しか使っていないオープニングもいいです。
 とにかくはじまりの唐突さが信長っぽくていいですね! 観ている側の都合なんか気にしな~い。
 最初にまっ黒に赤のふちどりで「信長」という太字がドンと出てくるのを見て、濃い味のしょうゆせんべいかかりんとうを食べたくなるのは私だけではないはずです。

3位だッ!
第37作『徳川慶喜』 湯浅 譲二(大河担当3作目)
 ギャーこれも大好きぃ。
 江戸幕末の不安感とある時代の終焉をここまで美しくかなでる曲が他にあ~るでありましょうか?
 落ち着いた曲調と悠久を感じさせる控えめなオープニング映像のマッチングが最高です。
 まぁ、ドラマ本編がオープニング以上に落ち着きすぎだったために私は良くいねむりしてたんですが……未熟者!

2位ぴょ~ん。
第40作『北条時宗』 栗山 和樹
 これはもう……愛してます。
 後半なんか、オープニングを観るためにチャンネルを合わせてましたからね。本編の記憶がかなりまちまちです。
 個人的には元寇関連よりも京と鎌倉の陰謀合戦のほうが好きで観ていたのですが、時宗・時輔兄弟の愛憎のくだりは別にどうでもよかったです。
 主題曲のスケールは映像とあわせてまさに「世界規模」だったのですが、ドラマ本編のほとんどが「京都~鎌倉間の行ったり来たり」で成り立っているという、いわゆる「元寇くるくる詐欺」にひっかかりまくりの1年間でした。


そして……はえある第1位はァ!!

第22作『山河燃ゆ』 林 光(大河担当3作目)

 これですよ。
 この作品も、国際的にリアルタイムな問題の多い「太平洋戦争期」をあつかっていたということで、作品の内容に関する賛否両論は多いのですが、とにっかく主題曲だけは何度観ても素晴らしい。
 盛り上がりますね~。映像の異国の大地や、そこにインサートされる日本人移民の写真の数々が涙をさそいますね~。
 すさまじい緊迫感の曲調にあわせて、日蝕の映像に「山崎豊子作 『二つの祖国』より」という字幕がかさなり、今の時代ではちょっと考えられないようなスゴい字体の『山河燃ゆ』というメインタイトルがド~ンと登場、すかさずサブタイトルへ。
 しびれるわァ~。この水準に頭を使った映像が毎週観られるんだったら、そりゃあ私もあわててTVを買ってNHKさんに受信料を払いますよ。ほんとよ!?

 確かに、堂々たる戦乱時代劇である『独眼竜政宗』や『武田信玄』にくらべるとこぢんまりとしている感はいなめないのですが、「おぼえやすさ」と「波乱」と「気品」がバランス良く配された実に大河ドラマらしい名品だと思います。


 そこなんですね。要は「バランスのとれた美しさ」が好きなんですが、いろんな要素の中でも、しいてあげればいちばん重要なのは「おぼえやすさ」だと思うの、わたし!

 生意気にもランキング外にさせていただいた作品の多く、特に岩代太郎さんの2作品は「音楽作品」としては非常にきれいで筋が通っていて完成されているんです。
 ところが……おぼえられない! 曲調が複雑だったり逆に単調すぎだったりして、大衆的な「おぼえやすさ」に欠けているような気がするんですね。

「あぁ~、あれ、あれはおもしろかったねぇ。毎週観てたよ……ん? どんなオープニングだったっけ。思い出せないや。」
 これじゃあダメなんだよぉ!! 記憶に残ってナンボなの!

 まぁ、ランクインした一柳さんの『翔ぶが如く』だって超複雑なんですが、これはいいんです、やりすぎで耳に残るから!

 問題は最近の大河なのよねぇ。なんかわかりやすいメロディがほしいんだけどなぁ。
 「主人公が女性であること」は、「主題曲がインパクトに欠けること」の理由にはならないと思うんですけどねぇ。


 そんなこんなで、お楽しみいただけたでしょ~か。まぁ、こんな私の勝手なランキングを発表させていただきましたが、目くじら立てずに「自分だったら……」というマイベストテンを考えてみるのも一興かと。

 あの~実は、こんなランキングをポッと思い立ってやってしまったのには理由がありまして、

 な~んか最近、新しい大河ドラマを観る気が日に日に減退してきているような気がするのね、特に今年に入ってから。
 だいたい、あんなに「大河好き」だったはずの私が、毎週満足に観ることもできないのにこうやっておめおめと生きておられるはずがなかったんですよ、昔は!!
 しかしなぜか今、大河なんかどうでもよくなりつつある……

 この事態を憂慮したため、自分への奮起をうながす意味も込めておっぱじめた今回のくわだてだったわけなのですが……どうかしらねェ。
 ままま。順調に視聴率は低下しつつあるようなんですが、こうやって話題にして盛り上がることができるのも「大河ドラマ」の魅力なんですから! 続けていってもらいましょうよ~。


 ガンバレ!! 平清盛~! 大河ドラマの未来はキミにかかっているぞ!!

 ……あれ?
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夏にも聴きたくないこわいはなし

2011年08月13日 22時00分22秒 | ミステリーまわり
 どうもこんばんは~、そうだいでございます。いやーなんかもう、判で押したように暑い日が続きますなぁ!
 もうきっついです……しんどいなぁ~。なにをしても汗が出てきてふとるヒマもありゃしねぇ。
 かといってさぁ! 私、筋金入りの下戸ですもんで、家に帰ってきてから生ビールをグッとなんていう楽しみはあじわえないのよ。夏っていう季節は、酒がのめない人をな~んか損したような気持ちにさせますよね。しょうがないから牛乳をあびるように呑んでます。

 夏といえば、甲子園ですよね~。
 なんか、私の今すんでいる千葉県の習志野高校がイイらしいんですよ。ブラスバンドの音響援護攻撃もすごいんですって? マンガみたいだねぇ。
 いっぽう、私の出身県の高校はすでに1回戦で敗退……東北だねェ、どうにも。まぁ、0点で負けたわけじゃなかったんだからよしとしましょう。

 でも、考えてみたら私、生まれ故郷の山形にいたのは17年間で、18歳になってから13年間千葉にいるんですね。故郷を離れてずいぶん時間がたったんだねい。
 まぁ、これからどうなるのか皆目見当がつかないので、これからも長く千葉にい続けるのかどうかはわからないのですが、まぁ~第2の故郷になっちゃいましたね。よかったぁ~ここで。


 さてさて、あと、夏といえばやっぱり、「恐い話」ですよねぇ~!

 今でも、TVで「心霊映像特集」ってやってるんですか? それこそ、私が小学生だった1980~90年代くらいには、夏になればほとんど毎日のようにどこかのゴールデンタイムに「心霊写真を一挙公開!」とかやってましたし、ワイドショーもヒマな時には恐怖体験の再現ドラマとかやってましたよね。
 ところが21世紀に入ってからは、『奇跡体験!アンビリバボー』が心霊系の話題をあつかわなくなったあたりから、夏になっても特番が2~3コつくられるくらいでずいぶんとおとなしくなってしまったような気がします
 今年の夏がどうなっているのかTVで確かめられないのが残念なのですが、去年は「ハイ!ごろーさん。」と、『ほんとにあった!呪いのビデオ』をテキトーにみつくろったスペシャルくらいしかなかったですよね。さみしいなぁオイ!

 前々から「ホラー映画だいっすき!」と人目もはばからずに公言しているわたくしなのですが、正確に言うと、「こわいの全般だいっすき!! 自分が体験するんでなければ!」ということになります。

 最近、暑い夏だということもあってか、「恐怖」について考えることの多いわたくしなのですが、人間の根元的な感情のひとつであるこの「恐怖」というものは実に興味深いものでありまして、好きな人と嫌いな人、人それぞれに趣向や耐性のまったく違う、しかし誰もが生きている限りかならず持っているはずのこの感情は、各個人が身をもって経験し学習したさまざまな要素によって形成されていくものなんですよねぇ。
 ですから、私も自分にとっての「こわいもの」を考える時には、必ずそういったものにたいして免疫がなかったときに最初に味わってしまったもののことを連想してしまうのです。

 私の意見だけを言わせてもらいますと、人間にとっての「こわいもの」の種類とは、大きくわけて3つに分類することができるんじゃなかろうかと考えています。

1、肉体的に反応できる「出オチでこわいもの」
2、自分の常識とはずれたものを見た時に心理的に感じる「ズレてるからこわいもの」
3、まったくこちら側の類推をゆるさない「よくわからないからこわいもの」

 こんな感じかなぁ。

 まぁ、これまでもいろんなホラー映画や『不安の種』などのホラーマンガ、最近おおはやりの心霊系実録ふう映像ものなどについてのことをつづってきたわけなんですが、だいたい映像作品など、「なるべく多くの人々がわかりやすくこわがって楽しみことができる」ものとして好都合なのは、やっぱり「1、」のこわさですよねぇ。
 そりゃもう、海外の名だたるホラー映画の歴史的名作は、もれなくヴィジュアル的なインパクトを持った「ショックシーン」をうまく用意していますし、そこから吸血鬼ドラキュラだのフランケンシュタインの怪物だのゾンビだのに、レザーフェイスだのフレディだのジェイソンだのといった数々の大スターが登場しているわけなのです。
 ホラー映画にはどうしても1~2時間画面をもたせるためのストーリーが必要となりますが、ショックという点だけに特化している恐怖を楽しみたいのならば、そりゃあもう遊園地のお化け屋敷に行くのがいちばんですよね。いやもう、最近は「お化け屋敷」なんていう古くさいネーミングではとても言い表せないゴージャスで用意周到な規模に拡大しているものも多いようです。
 「お化け屋敷」よりにかたよったホラー映画という点では最近の『パラノーマル・アクティビティ』シリーズなんかは最たるものですし、なんか新作が公開されるらしい『スクリーム』シリーズも、友だちとみんなで観てワイワイ盛り上がるという点では、全身でこわがって楽しむ「アトラクション」的なこわさだと言えるかと思います。要するに、「痛覚を刺激しているからカラい食べ物はおいしい」みたいなもので、適度に他人事な恐怖はりっぱな娯楽になるわけなんですね。

 「1、」のこわさは、「そりゃそんなヴィジュアルのやつがバッと前に出てきたらびっくりするわ!」とか、「突然部屋の壁がドンッとかって蹴られたらとび上がらない人のほうがおかしいよ!」という、いわばかなり暴力的な恐怖なのですが、「2、」の恐怖はもうちょっと時間差があって、自分の観たものが本来「そんな見え方のしないはずのものなんじゃない?」と思った時にジ~ンワリくる恐怖ですよね。
 たとえば心霊写真で、人のいられるスペースがないはずの場所に人の顔があるとか、逆に写っているはずの被写体たちの脚の数が1本足りないとか。
 これらは静止画面であるわけだし、多くの場合「霊?」という人物の表情には感情がありません。むしろ恐ろしい形相だったりして「1、」の恐怖がまじるとトゥーマッチな感じでウソくさくなったりするので、お化けの「演技」は必要ないわけです。ただお化けが「そこにいること」がこわいということ。
 「2、」のジ~ンワリ感をどうにかして映像に取り入れたいと考えた先人による努力は、かの「もうろう系」ホラー映画の金字塔『回転』(1960年イギリス ジャック=クレイトン監督)ぐらいからはじまっていたわけなのですが、これを柔軟に「1、」と融合させて世界的なブームに発展させたのが、かの日本の「Jホラーブーム」だったというわけで。

 『リング』の山村貞子さんだ『呪怨』の佐伯伽椰子さんだ『富江』の川上富江さんだという大スターの面々については去年にさんざんイジらせていただいたのでふれるだけにしておきますが、映画としてわかりやすいショックシーンは「1、」の伝統にのっとって各自クライマックスで用意されているものの、そこまでのくすぐり的な演出にかなり実験的に「2、」が導入されていることは作品に「恐怖の幅と奥行き」を与える効果をもたらしました。
 たとえば、貞子さんの「歩き方」の映像的工夫なんかそうですよね。あれは生きている人間の歩き方じゃないから恐いのだし、伽椰子さんも本人はヴィジュアル技先行のパワーファイターではあるものの、その背景には不気味な少年だの厳重に目張りがされた押入れだのといったアイテムが満載の「なんか気持ち悪い家」という存在があって、より重要な雰囲気づくりをになっているのです。
 のちに多くのパロディが粗製濫造され、最終的に「なんか出てきただけで笑っちゃう」ホラータレントになってしまった貞子さんや伽椰子さんも、実は出てくるまでの「2、」の雰囲気を巧妙に準備しなければ最初っから笑いものになってしまう可能性は充分にあったわけなのです。

 ただ、純粋に「2、」の恐怖だけを楽しみたいのならば、文章の世界の恐怖を楽しむのがいちばんですよね。「文章を読む」という行為からして理性的であるわけで、そのプロセスをへて読む人の想像の世界で展開する恐怖には、「あれ……それ、おかしい。」や、「ってことは……その人、人じゃないよね。」というテクニックがふんだんに組み込まれていることが多いです。
 おすすめはどうしても『新 耳袋』シリーズになりますかねぇ。思わず「うまいっ!」とうなってしまう恐怖に出会える確率が、他のいろんなシリーズよりも格段に高いです。個人的には著者に一定のこだわりと品の良さがあるのも好きな理由です。


 でね。
 私がやっぱりいちばん恐いと思うのは「3、」なんだよなぁ。

 なぜそんなことが起こるのか、まったく意味がわからない。

 軽いものならば首をひねるだけで終わってしまうのですが、いつまでたってもその現象のことが腑に落ちない、いつ自分の身の上に同じことが発生するのかもわからない、という不安感は、決して「エンターテインメント」や「他人事」では処理できない、リアルに身にせまってくる恐怖があります。

 私が10歳前後だったころ、すなわち昭和から平成に変わる時分には、なぜだかまったくわからないのですが、子どもが被害者になる不気味すぎる犯罪事件が横行していました。
 その最たるものはなんと言っても、あの「東京・埼玉連続幼女誘拐殺害事件」ということになるのですが、それはいちおう犯人が逮捕されているとはいうものの、同時期に発生していた「北関東連続幼女誘拐殺人事件」は犯人の検挙どころか各事件の関連性、被害者の行方さえもがさだかになっていない状況のまま現在にいたっています。そのうちの1件である「足利事件」の容疑者として逮捕されていた方が最近になって無罪判決となったのは記憶に新しいですね。

 それでも、「かわいい女の子」でもなければ「大金持ちの御曹司」でもない私はさほどの恐怖は感じていなかったのですが……

 ほぼ同じ時期に起きていた、以下の3事件は、これらだけはめっちゃくちゃ恐かった。身にせまる恐怖を感じた記憶があります。

 本来、これらはもちろん被害者とその一家の方々の実在する現実の事件であるため、今まであげたようなフィクションの「恐怖」たちと同列にしているととられかねない扱いをするのは大変に不謹慎なことなのですが、「本物の恐怖とはなんなのか」を私そうだいが考える場合、どうしても避けることのできない部分に位置する記憶であるため、あえて話題にさせていただきたいと思います。



松岡伸矢くん行方不明事件

 1989年3月7日、徳島県貞光町の親戚宅にやって来ていた松岡伸矢くん(当時4歳)が、親の目の離した数十秒の間に忽然と姿を消した。

 松岡伸矢くんの一家は茨城県に住んでいた。家族構成は父と母、子供が長女、伸矢くん、次男(当時2歳)の5人暮らしだった。
 この年の3月5日、母親の実母が死去し、6日に一家は徳島県小松島市での葬儀に参列した。そのあと一家は車で1時間ほど離れた貞光町の母親の親戚宅を訪れ、この日はここに泊まった。

 翌7日午前8時頃、父は3人の姉弟といとこの子供を連れて近所に散歩に出かけた。このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、公道から山の斜面に私道が延びて、その斜面に親戚宅は建てられていた。まわりに家はない。
 父は朝食前だったので10分ほどで散歩を切り上げている。子供たちは父についてきていた。家の玄関までの10メートルほどの石段を登った玄関先まで伸矢くんがついてきていたことを父は記憶している。父が抱いていた次男を家の中にいた母に手渡し、玄関先に戻ってみると、伸矢くんの姿はなかった。この間、およそ40秒ほどである。

 伸矢くんの姿がみえないことに気づいた父は、すぐに周辺を捜したが、伸矢くんを見つけることができなかった。それから、家族・親類が近所を捜し回り、地元の消防団もこれに加わったが見つけることができず、午前10時に警察に通報した。
 当初は山で迷子になっているのではないかと思われ、この日のうちに山間部で大捜索が行われた。貞光署からは全署員30名の半数が駆けつけ、県警機動隊、消防署員、地元消防団員に一般市民を加えた100人近くの人を動員、翌8日には200人を動員、その後3ヶ月捜索を続けたが、ついに伸矢くんを見つけることはできなかった。
 ちなみに伸矢くんは4歳とは思えないくらいにしっかりしていた。自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた。

・現場は町道の終点付近で外部からの出入りはほとんどない
・失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった
・松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない
・周辺に交通事故の痕跡はない

 松岡さん一家が茨城に帰る前日の16日、一本の奇妙な電話がかかってきた。父が電話を取ると、「奥さんはいますか。」という、語尾のあがる徳島弁独特のアクセントの女性の声がした。母が電話を替わると、その女性は「ナカハラマリコの母親」だと名乗り、「S幼稚園の月組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。もう帰ってくるんですか?」と尋ねた。S幼稚園とは伸矢くんの姉が通っていた幼稚園だった。母は明日帰ると答えたが、その後、女性からの連絡はなかった。
 数日たってS幼稚園に問い合わせてみたところ、見舞金を集めたという事実はなく、ナカハラマリコという名前の子供もいないことが判明した。
 後から考えると、徳島弁のある人間が茨城県にいて松岡さんの親戚宅の電話番号を知っているのも不自然である。また、徳島県にいたとしても伸矢くんの幼稚園の名前まで知っているのはおかしかった。松岡さん一家の事情に内通している者の電話だと言えるが、これが手がかりとなることはなかった。



加茂前ゆきちゃん行方不明事件

 1991年3月15日、三重県四日市市富田在住の加茂前ゆきちゃん(当時8歳)が、この日の夕方、自宅から突然姿を消した。

 板金工場で夜勤をしていた父親はいつも夕方6時に家を出て翌朝帰宅する生活、母親も当時パートに出ていた。当時小学2年生のゆきちゃんはこの日、午後2時頃に友達と別れ、家に帰ってきた。父がぐっすり眠っている時間である。普段からゆきちゃんは、家に帰ると起こさないように物音をたてなかったので、父親は彼女の帰宅に気づかなかった。
 午後2時30分には母親がパート先から自宅に電話を入れ、この時ゆきちゃんが電話に出ている。その後、小学6年生の次女(ゆきちゃんの姉)が帰ってきたとき、ゆきちゃんの姿はなく、テーブルに上にはまだあたたかいココアが残されていた。ゆきちゃんはココアが好きで、よく自分で作って飲んでいたという。
 午後4時頃、父親が起きてきたが、ゆきちゃんがいないことにはさして気に留めなかった。いつも帰宅してから友達と待ち合わせて、遊びに行くことが多かったからだ。やがて長女や母親も帰宅してくるが、ゆきちゃんは夜になっても戻ってこなかった。午後8時には警察に連絡し、家族も小学校の教師らと捜索したが見つからなかった。

 家の中を見ても、不審な点が多かった。

・遊びに行く時、いつも乗っていた自転車が家に置きっぱなしになっていた。
・ゆきちゃんが温めたと思われるココアがそのままだった。
・当時はまだ寒かったが、ゆきちゃんがいつも着ていたピンク色のジャンパーが家に置かれていた。

 また、ゆきちゃんはこの日、友人の遊びの誘いを断っている。なにかの用事があったのだろうか。

 ゆきちゃんの家族はその後も、情報提供を願うビラや看板を作ったり、TV出演して事件の手がかりを待った。自宅では電話に逆探知装置をとりつけて待ったが、脅迫電話はなかった。

 事件から3年後、「加茂前秀行様」という父親の名前を間違えた宛名で、一家に怪文書が届く。非常に不気味な文書だったが、詳しい内容はよくわからなかった。

 事件から20年がたつが、今だにゆきちゃん発見につながる有力な情報は届けられていない。



石井舞ちゃん行方不明事件

 1991年7月25日、福島県船引町で建築業を営む石井賢一さんの長女・舞ちゃん(当時7歳)が深夜、家から行方不明となった。事件から20年がたつ今も発見につながる情報はない。

 この夜、家には賢一さんと妻、夫妻の長男、次男、舞ちゃん、それから賢一さんの両親、そして賢一さん一家と同居している姪(当時17歳)の恋人で建築会社の従業員のK(当時20歳)がおり、その他、妻の友人の娘2人が泊まりに来ていた。
 姪は実家のある郡山市に出かけており、家にはいなかった。

 午後9時ごろ、2階の部屋で賢一さんと長男、次男が就寝した。
 9時20分頃、祖父母はタクシーを呼んで、カラオケスナックに行った。この時、1階玄関を施錠した。
 9時30分ごろ、舞ちゃんと遊びに来ていた2人の女の子の3人が川の字になって2階の洋間で寝た。両親や兄たちの眠る隣の部屋である。

 10時30分頃、母親が舞ちゃんの寝ている部屋をのぞき、タオルケットをかけ直した。その後、2階の洗面所を使っていると、「バタン」と1階の玄関扉が閉まる音がしたので、窓から外を見るとKが歩いていくのを目撃した。母親はたいして気にも留めず、1階にある浴室で入浴した。しばらくすると、再びドアの閉まる音がして、何者かが「パタパタ」と階段を上がる音がした。母親は夫や息子らの眠る部屋に行き、横になった。

 翌午前2時、祖父母がカラオケスナックから帰ってくる。この時、1階の玄関のドアは開いていたので施錠した。祖父母は2階にやってきて「Kがいない。」と父親を起こすが、父は「明日聞くから。」とまた寝てしまった。

 午前5時20分、舞ちゃんと一緒に寝ていた女の子が目を覚ますと舞ちゃんの姿がなかった。一家、パニックとなる。

 午前6時30分、Kが外出先から戻ってくる。Kの話によると「夜10時半ごろ、友人に会うため郡山に向かった。船引駅に着くと、最終電車が出たばかりだったので、タクシーを拾って行った。しかし郡山にその友人は現れず、始発で帰ってきた。」というものだった。Kはその後、2週間にわたる警察の取り調べを受けることになったが、解放されている。ちなみに郡山までKを乗せたというタクシー運転手も現れ、証言した。

 現場検証の結果、この家に住む人物以外の足跡や指紋は発見できなかった。ということは身内の犯行となる。こうしたことから、祖父母、両親、Kなどが揃って疑われることになった。また、警察犬を捜査に導入したところ、玄関先で立ち止まってしまった。これは車で連れ去られたことを意味する。

 安全なはずの家から急に少女が行方不明となったこの事件はメディアでもよく取り上げられた。しかし、解決の手がかりとなる有力な情報は届けられていない。

 犯人はなぜわざわざ、他の子どもたちと一緒に寝ている舞ちゃんを危険を冒して連れさらったのだろうか。しかし、当時の状況としては、この家で暮らす者のうち3人が外出しており、普段は両親と寝ている舞ちゃんがこの日に限って別室で寝ていたのだから、犯行の日としてこれより良い日はなかったのではないだろうか。大人と違い、子供の眠りは深い。多少の物音を立てても起きることは少ない。連れ去るには持ってこいの夜だったはずだ。


※以上、3事件の記事内容は複数の犯罪・事件サイトの記述をもとにまとめさせていただきました。


 こわいんですよねぇ。なにからなにまで。

 3つとも、何者かによる犯罪であることは間違いないのですが、「なぜあの時、あの子でなくてはならなかったのか?」というポイントが見事に理解不能なんですね。
 しかも、普通ならば子どもを守る確実な要素になるはずの「親」と「家」がおそろしいほど無力になっているという点が恐すぎる。

 事件が発生し、それらが大々的に報道された当時、子どもだった私は「部屋で誰かと一緒に寝ていても僕だけさらわれるかもしれんのか……」という恐怖に毎晩本気でおびえていたものだったのですが、現在30歳を超えた年齢になってみると、「つい数十秒前まで一緒にいたのに。」や「あの時、ちょっとしたあの足音を気にしていたら娘は守れたのかもしれない。」という悔恨の思いにさいなまれ続けてしまう親御さんの気持ちの方がよっぽどつらいもののように思えてきます。

 なんでこんなことになるのかねぇ……犯人はあるいは人間であったとしても、そういう運命のめぐりあわせを作ってしまう「人間以上のなにか」の存在を強く感じてしまいますね。私はそれを「神」と呼ぶ気は断じてありません。ひどすぎる!

 加茂前ゆきちゃん事件の3年後に家族に送りつけられた「怪文書」の不気味さはとにかく有名なのですが、私は怒りの感情こそわき上がるものの、それが事件の本当の恐ろしさを助長するもののようには感じられません。それは「文章」を書いた者が誰であるにしろ、なにかしらのメッセージを伝えてきたという点で「人間的」であるからです。まぁとにかく意味不明なので役に立つはずもありませんが。
 3事件とも、「犯人の人間性や動機」がまったくうかがえませんからね。身内の犯行説や某国拉致説なども有力視されているようなのですが……「犯罪をおかす人間にも最低限残されているなにか」さえ欠落しているような気がするのよね。


 「3、」の恐怖はこういった感じで、とにかく受け取る側に言いしれぬ不安感を与えます。エンターテインメントになるはずがないのね。まずは、「チケット料金を払ってスクリーンに映っている商業作品を観る」という形式の映画では再現不可能なのではないでしょうか。本当に身にせまってくる恐怖にはならないからです。
 たとえば、「3、」の恐怖の最低ランクのところでは「不幸の手紙」があるだろうし、あの3月の大震災で横行した「デマメール」のたぐいも、容易に笑い飛ばせない恐怖があったような気がします。

 あと、ごくわずかにある「話し手さえも語りたがらない怪談」っていうのも、「3、」かもね。「他人に話すことさえはばかられる恐怖・タブー」がそこにあるんですね。『新 耳袋』の序盤にある「アレの話」ですよね。


 あ~、こわい。
 結局、人間は「3、」のたぐいに入る「人間ではどうしようもない天変地異」や、最終的に必ずやってくる「自分の死」といった避けようのない力を忘れるために、「1、」や「2、」といったものを作って笑い飛ばす行為に変えているのかもしれません。

 そういった意味でも、久しぶりにガツンとくる恐怖エンタメ、観てみたいですね~。
 恐怖を恐怖でふきとばす!! 3月にあんなことのあった2011年の夏だからこそ、とびっきり激辛のモンが観てみたいものですな。ガハハ!

 ……あ、すんませんウソです。あの、「カレーの王子様」か「ポケモンカレー」レベルで、ひとつ……
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 最終回 『夜空に星のあるように』

2011年08月11日 15時34分46秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 はひ~、ひへ~……どうもこんにちは、そうだいでございます。どうにもキッツい炎天が続きますなぁ! みなさんお元気? 大丈夫? 生きてる?

 たぶんこの『長岡京エイリアン』を1年間続けていたからだと思うんですけど、今週に入ってからgooブログさんにいただいた期間限定のお試しサービスを見るのがちょっと楽しくなっています。
 10日間の限定なんですが、私のブログの閲覧者数やアクセス数が時間帯ごとに表示されたり、いちばんアクセスの多かったブログの記事がどれなのか、とかが分析できる「アクセス解析」というものを見ることができるんです。これは本来ならば有料サービスのものなので、お察しのとおりにビンボくさい私は「タダじゃないんだったら、いらないや。」と遠慮していたのですが、それが今だけのサービスで見られるようになってるんですね。じゃあ拝見させていただきましょう! というわけです。

 で、見てみたんですけど。おもしろいねぇ-。いろんな部分で思っていたものとはちがった状況なのよねぇ、実際に見てみると。

 まずはね、日が出ているあいだも閲覧している方がけっこういらっしゃる。私てっきり、こんな内容のブログとも言えないブログだから、夜中に見る人ばっかりなのかと思っていたのですが、わが『長岡京エイリアン』は、朝7~8時ごろ、昼0~1時ごろ、夕方5~6時ごろ、そして夜中の0~1時ごろにアクセス数の山ができています。その4つの中ではやっぱり夜中がいちばん多いことは多いのですが、さほどの差はありません。
 へぇ~、朝からこんな重たい文章をご覧になられるとは。なかなかにスタミナのある方々かとお見受けしました。ありがとうございます!
 うれしいといえば、時間ごとに見てみて、いちおう閲覧者数0の時間帯がまったくないこともうれしいね~。ありがてぇこってす。

 あとビックラこいたのは、必ずしも更新したての最新記事が最もアクセス数の多い記事であるわけではない、ということ。
 今回の解析サービスは9日からはじまったのですが、

9日のアクセス数最多記事は、「ドリヤス工場の同人誌について」
10日のアクセス数最多記事は、「マンガ『アゴなしゲンとオレ物語』について」
11日のアクセス数最多記事は、「小島聖のヘアヌード写真集について」

 え……あの、「ざっくりすぎるアイドルグループ史」は……いずこ?

 まぁまぁまぁ! これはいささか誇張した言い方でして、確かにトップはそれらなんですが、だいたいそれに続く2~5位の記事はアイドルグループ史のバラバラの記事がのきなみ名をつらねている状況なので、総合1位はやっぱり今やってる「アイドルグループ史」なんですよ。
 でも、やっぱりこっちも興味深いですね。私なんかはてっきり、現在のTVの世界を独占している「AKB48関連」が、そのままアクセス数でもガツンと上位にくるんじゃないかとふんでいたのですが、実はそうじゃないんですね。やっぱりネットの世界とそれ以外のメディアとでは、同じ情報でも需要度がちょっと違うんだろうな。勉強になります。

 ここまでいじっておいてなんなんですが、私はやっぱりこのへんの有料サービスはいらないかな、と思っているので、このお試し期間が終わっても解析の継続をお願いすることはないんですが、楽しませていただきました。ちょっと、お金を払ってまでして、そのへんのことを毎日調べ上げるのはいいや。
 ふだんから、無料でその日の「アクセス数」と「閲覧者数」は見ることができるんですよ。それだけで充分でしょ!

 ちなみに、おかげさまで今のところ、わが『長岡京エイリアン』は「アクセス数」「閲覧者数」ともに増加する状況になっているのですが、恥ずかしいのでそれらの実数を報告するのはやめておくものの、その2つの対比はちょっとおもしろいものになっております。
 よそさまのブログはどうなってらしゃるのかわからないのですが、ここでは基本的に「アクセス数」が「閲覧者数」の約3倍になってるんですよ。
 これって、やっぱ異常? だって閲覧される方が、「1日に平均して3回はこの『長岡京エイリアン』をおとずれている」、ってことになりますからね。

 あの……ありがとうございま~す!! とにかく感謝ですよね。このあっついさかりに、ねえ!! ガリガリ君の1本でもさしあげたいところなのですが、私がほしいくらいなので、あげられません! フォーギヴミ~。


 さ☆て☆と。

 いよいよこの時が来た、とかなんとか言っちゃってはいたのですが、なんとも締まりの悪い「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の最終回でございます。
 なにが締まりがわるいってあぁた、「今現在のアイドルグループ戦国時代」の趨勢がまだまだこれから盛り上がるところだっていうのに、おしまいになっちゃうんですからねぇ!
 AKB48の天下がどこまで続くのかも見ものですし、名門ハロー!プロジェクトの「生足ルーキー」スマイレージや、第10期メンバーをむかえての新生モーニング娘。の反撃ののろしもこれからというところ。
 ももいろクローバーZやぱすぽ☆といった「2010年代グループ」の快進撃もどこまで行けるか気になりますし、

「私たち、終わってなんかないよね。」
「コラッ! まだはじまってもいないんだゾ。」

 というやりとりがリアルに聞こえてきそうなアイドリング!!!、Berryz工房、℃-ute といった古豪グループもまだまだ意気軒昂です。とにかくアイドルとしてはベテランではあっても、みなさん実年齢はほんとに若いんだから!

 ひとまず、この2011年の夏はおもてむきAKB48の天下ということで過ぎ去っていきそうなのですが……はたして来年の夏はどうなっているのか、いやさ、今年の後半の勢力地図さえもがどうなるのか読めない状況にあることは間違いないでしょう。当然、こういった危機感の中から「王者」AKB48が思い切った手をうってくることだって想像にかたくはありません。おもしろくなってきてるってことですよ!

 ただ、お話が2011年の7月まできてしまいましたので、「ざっくりすぎるアイドルグループ史」はいったんここまで、ということとなります。

 いや~。5月に「まぁ、気楽にメモ程度の感覚で始めましょうよ!」と言いながら始まったこの企画だったのですが、1950年代の「かしまし娘」からスタートしまして、70年代の「キャンディーズ」に入ったあたりからどうにもこうにもヒートアップ。 
 「ピンク・レディー」や「おニャン子クラブ」、「プリンセス・プリンセス」に「Wink」に「SUPER MONKEY'S」ときて、「PUFFY」、「SPEED」、そして「モーニング娘。」。

 メモで終わるわけ、なかった!! これらのお名前をながめながら「はい次、はい次」と事務的にやれるわけがなかったんだよォ刑事さん。

 結果、この企画は45回にわたることとあいなってしまいました。まぁ、夏の終わりには間に合ったんだからよしとしようか。

 今、私の手元には20枚ほどの裏表びっしりと字の書き込まれたルーズリーフが残されています。
 言わずと知れた「アイドルグループ史」メモ。調べた情報を走り書きでひかえておき、ブログにうちこんだ段階でその情報の書かれていた部分をペンで横線をひいて消しているため、全体的におどろおどろしい雰囲気の黒っぽい書類になっています。愛着がわいたから捨てずにいるんですけど、これ、いろんな意味で門外不出ですね。人に見つけられたらベロかんで死ぬかもしれません。

「新垣仁絵 ヨガにも精通」
「永作博美の演技力がケタ違い 最年長なのにいちばん若い」
「t.A.T.u 同性愛みたいなイメージ(本人たちはイヤ)」
「夢のマジョリカ・セニョリータ カラオケになかった」

 とかって真剣に書いてあるんだぜ。ふつうじゃないよね~。こわいね~。

 ま、ま、そんなことはさておきまして。


 アイドルグループとは、なんなのか。

 ここで早急に結論を出すつもりも、そもそもそんな権利も私にはないわけなのですが、ファンと一緒にしろうと並のつたなさからから成長のよろこびを分かちあっていく「キャンディーズ型」だとか、観る者をあっと言わせるアメイジングなパフォーマンスで世間をグイグイと引き込んでいく「ピンク・レディー型」だということを私はいろいろとくっちゃべってきました。そして、時代時代によって「アイドルであること」の肯定からはじまるのか、否定からはじまるのか。そういったグループのスタンスもだいぶ違っていたということも知ることができました。
 また、アイドルグループがその時どきの娯楽メディアの中心に位置し続けるものであること、また各時代の「空気」を体現するものであることもわかってきましたね。

 1970年代のキャンディーズやピンク・レディーの人気は、老いも若きも、家族が1つの集まりとなってお茶の間で楽しむ「TV」。その最有力のコンテンツである『ザ・ベストテン』のような歌謡番組の重要なマスコットとしてブレイクしました。
 しかし、80年代のおニャン子クラブのブレイクは、依然としてTV界を活動の核においてはいたものの、それまでの家族という単位を分解した若者に照準をしぼった戦略を展開することとなり、それがのちにレコードをへてCDという(比較的)個人的な娯楽の全盛、ひいては「オリコンヒットチャート」をにぎわせてこそのアイドルという時代を形づくっていくこととなりました。ミリオンヒットがバカスカ出た90年代は、まさにその華だったといえるでしょう。

 そして、時は21世紀。「ネット上の口コミ」と「ライヴ会場でのであい」。
 一見するとヴァーチャルとリアルということでまったく違う娯楽のように見えるものの、実は楽しむ単位が共通して「1人ずつ」。1人で楽しむにしろ他のファンたちと連れだって応援するにしろ、最終的にどのアイドルグループを選択するのかは「1人ずつ」の判断にゆだねられている、そしてその「どれにしようかナ~?」感までもが娯楽のひとつになっているあり方は、AKB48のブレイクによってアイドルグループの世界全体に波及していくこととなりました。

 かつて、あの映画界を「娯楽の王様」の王座から駆逐してしまったTVの世界。さらにそれさえもが絶対なものではなくなってしまった今現在。「あの歌番組に出演できたら全国区!」などというのんきな「芸能界ブレイクすごろく」は存在しえなくなってしまいました。日本人なら誰もが知っている国民的アイドルグループ、という概念は、もしかしたらこれからはなくなってしまうのかもしれません。そのブレイクの指標となるものが、人それぞれの価値観によってまったく違う時代が始まってしまったからです。衛星チャンネルやケーブルTVやネット配信番組に地デジ化などなど、コンテンツが無数になるということは「最大公約数ができにくくなる」ということですからねぇ。

 かくいう私も、そもそもTV自体を家におかない生活を始めてからはや1年になろうかとしています。
 そしてその生活をへての実感は、「TV、べつに無くても生きていけるわ。」
 あの番組を観ていなければ知り合いとの世間話もおぼつかない、というものはホントにないのよ、今。
 あっ、でも私、「あしだまなちゃん」の顔、知らない!! 声はラジオで聴いたことあるけど。これってめずらしいですかね?

 まぁそんなこんなで、「TV」も「ヒットチャート」もかつての影響力を持ちえない時代はもう始まってしまいました。オリコンチャートの1位を獲得するということが、必ずしも「日本一多くの人々が、純粋に曲のよさに惚れてCDを購入した」ということの証拠になるわけではない、ということはもう常識ですよねぇ!? 特にアイドルグループの世界はそうですよ。握手券だとか投票券だとか。
 こんな時代だからこそ、個人個人の「価値観」や「ものを見る眼」というものに直接うったえかける魅力が必要となってこなければならないのです。そうなるべき。

 そういった中で、地道なライヴ、コンサート活動を続けていくことが最近のアイドルグループの共通項となっていることは非常に意味深いものがあるのではないでしょうか。

 つまりは、本当に同じ会場にいてステージで汗水たらして輝いているグループに人々は「おれたちのアイドル!」を見いだして熱狂し、その温度を感じてグループは「あっ、わたしたち、アイドルだ!」という実感と明日もアイドルであることへの自信を持つという、きわーめて!! 芸能の形態としてまっとうでストレートな関係に立ち戻ろうとしているんじゃなかろうかと思うんですね。世界が複雑になる一方だからこそ、人は生身の他人がいることを確かめたくなるのでしょうか。


 TV中継もされ、結果がスポーツ新聞の号外となったりもして全国的な大イベントとなった今年6月の「第3回 AKB48次期シングル選抜総選挙」でしたが、2度目のトップ当選を果たした前田敦子さんが叫んだ、

「私のことが嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください。」

 や、2位に輝いた大島優子さんの、

「色々言われますが、私たちにとって票数というのは皆さんの愛です。」

 という発言は、間違いなく会場の日本武道館にいる人たちに向けられたものであって、TVの向こうから好奇の視線を投げかけている人たちまでをもフォローしたものではなかったはずです。特に大島さんの「色々」という部分には、非常にストレートに「投票してくれた人」と「そうでない人」とを区別する意志が込められていますよね。これは、AKB48が組織としてどんなに巨大化しても、「ファンでない人にこびを売る」戦術をとらず、「自分たちのために大事な身銭を切ってくれたファンだけに最高のサービスを提供する」というスタイルを結成時から変えていないということを強く象徴しています。前田さんの発言も、よく考えてみれば「AKB48が好き」という前提のある人たちだけに向けて発せられたものであるのだから、それ以外の人の反応がどうであろうとまったく関係のない話なのです。そういう意味では、AKB48ほど「TV的でないアイドルグループ」も今まで存在していなかったのではないでしょうか。


 まぁまぁ、ここまでいかなくとも、最近のアイドルグループが「ファン至上主義」を信条としていることは間違いないでしょう。
 つまり、アイドルグループの魅力は、それについて書かれた文章やファンの意見などという「2次情報」ではわからない! 現場である会場に行って、じかに自分自身の眼でもってその魅力のあるなしをジャッジするしかないのです。


 そういえば、先月のいつだったか、ラジオ番組でゲストとして出演したプロインタヴュアーの吉田豪さんが、いつになく取り乱した口調でももいろクローバーZのインタヴューをした時の彼女たちのかわいさをまくしたて、手ばなしで絶賛していたのですが、パーソナリティの小島慶子さんとピエール瀧さんにまったくその魅力が伝わらなかった、という事件がありました。
 私も実は、一連のももクロちゃんフィーバーにはまだピンときていないたちで、その放送を聴いていても、他の名だたる芸能人がいくら彼女たちのライヴがおもしろいと絶賛していても、ラジオや有線放送から流れる彼女たちの楽曲を聴いても、今ひとつその価値は実感できていない状態です。いや、元気なのはわかるんだけどさ……

 でも。たぶんね、ももクロちゃんのステージを観たらわかると思うんだなぁ、彼女たちの真の魅力が。

 つまりはそういうこと。

「いっくらアイドルグループ史だなんだと言っていても、直接この眼で確かめて感じた情報にはまったくかなわない!!」


 ギャ~、出た! 伝家の宝刀、「最終回で全否定」~。
 いいんだ、いいんだ、この3ヶ月で得られた収穫なんだから。

 やっぱりね、アイドルグループは「生の人間」、しかもその中でも、「青春の輝かしい一瞬」をとらえた奇跡のような自然の芸術品なんですよ。
 自然の芸術品は、録画されたもの、保存されたものからはその本質は伝わるはずがありません。そのうち消え去り、そのうちなくなるという前提にこそ美があるんですからね。

 生ガキをプラスチックコーティングしてリビングにかざってど~なる!? 喰わなきゃ! つるっと! 「R」のついてる月のうちに。
 え!? 今は「August」? じゃあフライにしよう。

 ということでね、これからはちょっと、本格的に今現在活動しているアイドルグループのライヴやコンサートにも足を運んでみたいと、本気で思っているんですね、わたくし。

 どのグループからいきましょうかねぇ。前々から言っているように、ぜひともモーニング娘。であるうちに高橋愛さんの勇姿だけは生でこの眼に焼きつけておきたいんですが……行けるかな!?


 そうやってアイドルグループのことに想いを馳せている今この瞬間にも、あるグループはコンサートで唄い踊っており、あるグループはデビューに向けての血のにじむようなレッスンを続けており、またあるグループでは「卒業まであと何日……」という時間をいやおうなく感じているメンバーと、彼女を見つめ彼女を励まし、そして先に旅立つ彼女から何かを学びとろうとしているまわりの仲間たちがいる。

 この「ざっくりすぎるアイドルグループ史」に名をつらねたみなさんは、多くの日本人の心にその姿を残しているごく一部の「輝ける星」たちでした。

 4~50年ほどになろうかという時をへて、すでに今はステージの上に立つ姿を観ることがかなわなくなっているグループも多くあります。

 そんな中でも、手に届きそうな距離の近さで、自分たちの一生に一度しかないその時の生の輝きを見せてくれる人たちが今もちゃんといてくれているんですよ。そこにまだ間にあう。これ以上のよろこびとたのしみがあるかしら、ということなんですね。


 世間の風景はめまぐるしく変わり、それは一見、かつてあったはずの世界が次の時代にはすべて消え去ってしまったかのように感じてしまうほどのせちがらい豹変ぶりなのかもしれません。
 しかし、目の前に広がる光景や社会の流行、こまかなルールは変わっても、人の中身はそう簡単には変わらないはずです。

 生のよろこびもあり、成長することによって輝き、成長することによって失われていくものもある。
 だからこそ、これからどんなことが、どんな変化が巻き起ころうとも、輝いて生き抜こうとする人がいるかぎり、そしてそんな人の生の瞬間を目の当たりにして感動する人がいるかぎり、アイドルの歴史にも終わりは来ないはずなのです。


 そう。地上でなにが起ころうとも、夜空に星のあるように。












                                                         ……きまった?


 ハイハイ、もういい! きまっててもきまってなくてもどっちでもいいから終わりにしようよ、もう!!
 しゅーりょー、しゅーりょー。
 温泉いこう、温泉! もうこのさいスーパー銭湯でもいいから! サウナ入って水風呂でフルーツ牛乳。

 あ~……疲れた。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第44回 『覇道!AKB48 2010年以降 どうするどうなる』

2011年08月09日 14時26分50秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 あぢいっす~。どもども、そうだいでございます~。みんなさま、バテずにお元気でいらしゃいますでしょ~か?
 いよいよ夏本番ですか。まぁ、しのいでいくしかありませんわな。がんばって生きていきましょう!

 前回にもふれたんですが、おとといね、芝居を2本観てきたんですよ、東京に行って。
 まずはお昼から、赤坂RED/THEATER でTHE REDCARPETS の第3回公演『ドールハウス』(作・演出 金房実加)を。それが3時半ごろに終わったので、そこから下北沢まで徒歩で行って夜7時からシアター711で上演していたプロデュース企画「おおのの」の第6回公演『東京モダンガールズ』(演出・大野裕明)を観ました。
 歩いていく途中、渋谷にさしかかったあたりでけっこうな雷鳴と雨量の夕立にあいましたよ。夏だね~、ゲリラだね~! かみなり、外で聴くとけっこうこわいですよねぇ。まぁ、東京には無数に立ち並ぶ高層ビルがあるので、よもや神の怒りが私にクリーンヒットして、日本人男子なら誰もがあこがれる「一瞬だけ全身がガイコツになるエフェクト」を経験することはないだろう、と安心はできるのですが……やっぱこえぇわ。

 お芝居はどちらも2時間前後の適度なヴォリュームで、日曜日ということもあってか、レッドシアターは定員約180席、シアター711は通路もパイプ椅子でうめて定員90席がしっかり埋まる盛況ぶりだったので、今回はおなかいっぱいの充実した2本立てとなりました。
 『ドールハウス』は統合失調症をテーマにした医者と患者の物語、『東京モダンガールズ』は大正時代の女性誌の先駆『青鞜』をめぐる群像劇ということでまるっきり違った内容だったのですが、偶然っちゅうかなんちゅうか、どちらも共通して、出演されている役者さんの良さがきわだつものになっていましたね。

 まぁそうよね……かたや、わずらった者にしかわからない苦しみのある難病、かたや、大正とはいえすでに実感のわかない歴史の一部になっている世界の数十年間を描く時代劇。どちらも2時間前後にまとめきるためには、作家の力量もさることながら、そこでおぎないきれない時間の跳躍やディティールのはしょりを個人の魅力や力ワザでフォローしてくれる役者さんの実力が必要となるわけなんですな。さすが! どちらでも、役者のみなさんの見事なアンサンブルを楽しませてもらいました。

 ほんとに魅力的な方々ばかりだったのですが、個人的には『ドールハウス』で複雑な設定の主役を繊細に演じきっていた村上東奈(はるな)さんのたたずまいが実に印象深かったな。
 なんと言いますか、200名も入らないような小劇場での上演だったわけなのですが、その空間ギリギリでお客さんにとどくミニマムな演技に徹しておられたんですねぇ。それが他者との接触に倦みはてている主人公のあり方にバチコーンとフィットしているように感じられてすごく良かったんですよ。
 声質も口から発せられたとたんに空間に消えていくかのような淡さで、それでしっかりセリフの内容が頭に入ってくるからね。もうちょっとでも大きな劇場になったら聞こえなくなってアウト!っていう絶妙なラインを常にたゆたっているんですよ。うまい!

 と思ってたら、村上さんは10歳ぐらいから子役としてTVドラマなどに出演されているキャリアがあったんですね。納得。クライマックスの感情の爆発にも非常な真摯さが込められていました。ちょっと、次の彼女のお芝居も観てみたいですねぇ。
 ちなみに、村上さんは「あの」アップフロントエージェンシーに所属していらっしゃいますが、ハロー!プロジェクトではありません、念のため。でもまぁ、容姿は言わずもがな、ですよねェ~!


 せったば、今回もいってみましょうかね、「ざっくりすぎるアイドルグループ史」!!
 もうすげぇんだよ、だってあなた、「AKB48の2010年以降」ったら、もうおしまいなんですよ、3ヶ月の長きにわたって続いたこのシリーズの! うひょお~。

 いろいろあった。いろいろあったんだが……今はもう、さっさとおしまいにしたい。

 それで本題のAKB48に入るわけなのですが、実は今回も、正直な話、あまりにも現在進行形で「これから始まる予定」のAKB48関係の新展開が目白押しであるため、今回をもってAKB48についてというくくりをおしまいにするのはど~にも尻切れトンボな感じになっちゃうんですよねぇ。
 これは前の「モーニング娘。」に関しても同じでしたね。あちらも高橋リーダーの卒業ときたるべき「第10期メンバー」の加入によってひとつの歴史の区切りを迎えるはずなんですよ。

 ただ、まぁ、この『長岡京エイリアン』も「日記」ですからねぇ。今の時点でのAKB48にたいしての雑感をつづっておくということもそれなりに意味があることなんじゃあなかろうか、と。
 どうもすみませんねぇ、こんな中途半端な段階でのまとめになっちゃって、ねぇ! ど~にも歴史の教科書のようにはスパッといかないのよねぇ。まぁ、だからこそ先の読めないおもしろさがあるとも言えるんですが。


 前回にも長々とあげたように、2010年から今年2011年6月に盛大に挙行された「第3回選抜総選挙」あたりまで、AKB48はまさしくアイドル界の覇道を突き進み、日本全国の注目をあび、「欠けたることもなし」とうらやまれる国民的アイドルグループに拡大していきました。2005~09年前半の、世間から「アキバ系~?」という白眼視をうけていた雌伏の時代がウソのように感じられる「黄金期」の現出であります。

 しかし! 感動的な前田敦子さんのトップ当選返り咲きがあったあの「第3回総選挙」の余韻も消えつつある今現在、時代の空気はかすかに、それでいて確実にAKB48にたいする温度を変えつつあるように思えるんですね。

 簡単に言ってしまうとそれは、コアなファンでない多くの「世間」と呼ばれる人々の、

「AKB48があることはわかった。だいたい誰がいるのかもわかってきたんだけど……それで?」

 という視線をうける時期が始まってきたんじゃなかろうかと思うんですね。
 つまり、まず最初にわいた「AKB48って、なに?」という興味が、ファンから観たらどんなにあさいものであったとしても、少なくとも世間のおおかたが不安にならないくらい、世間話のお題としてイジれるくらいの情報を手に入れて満足するようになったのが「第3回選抜総選挙」の過剰すぎる報道のあたりだったんじゃないかと思うんですね。まぁ~すばらしいフィーバーっぷりだったでしょ?

 いや~、「……それで?」っていう視線って、こわいですよね。あどけない表情でアリの巣に水をそそぎこむ子どもくらいこわいよね。

 なにがこわいのかというと、それは2009年の秋頃からの一連の旭日のごときブレイク劇をながめてきて、TVや雑誌などからくる膨大な情報をあびたために世間がAKB48のことをだいたい知ったような感覚におちいり、それによってたいていの新展開では驚かない免疫を持つようになってきていることだと思うんですね。

 端的なところで今特に目立つのは、やっぱり2度目の「トップ当選」をへてすっかり「AKB48の顔」となった前田敦子さんの女優としての展開への反応じゃないかと思います。
 ソロ歌手デビューに加えて映画や連続ドラマへの主演という輝かしいキャリアを築いている彼女なのですが、必ずしも「現時点で日本一有名なアイドルグループの中心人物が出ています」という売り込み以上の効果は上げていないように見えるんですね。いや、その時点でもう充分じゃないかと言われればそうなんですが。
 つまり、前田さんは多くのPVや、あのAKB48メンバーを知るための格好のガイドブックとなった「メタドラマ」である『マジすか学園』シリーズで主役を張った経験をへて、今現在は、

「AKB48はわかったから、前田さんっていう人はどうなの?」

 という1人アウェー感満載の戦場におもむく段階に入っているわけなんですね。これはもう、ほぼソロアイドルのあつかいのような過剰すぎる期待を背中にしょわされている状態なんじゃないかと。それを乗り越えたなにかを提示するのは至難の業ですよ!
 あと、前田さん個人の問題……というほどでもないんですけど、前田さんの顔立ちって、いかにも「女優としての演技力がありそうな」つくりですよね……なーんか、「ヘタだけどゆっるしってね~ん☆」とウインクしながら逃げていくような身軽さを自分でよしとしない「硬派さ」というか、武士道精神が宿っているような居住まいがあるような気がするんですが……私の気のせい!?
 でも、気のせいでないのだとしたら、それは間違いなくAKB48で5年以上闘い続けてきた彼女がつちかってきたものであるはずなのですが、今はそのAKB48の影響力のうすい場所でがんばっているわけなんですね。王者の孤独、まさにここにあり。


 前田さんの話題はここまでにしまして、先ほど私は「世間がAKB48をある程度わかりきってしまったような感覚になっている」と言いました。
 これに疑問を感じる方もいらっしゃいますよね。だって、単純にAKB48だけでも今は50名以上メンバーがいるし、それに姉妹グループのSDN48だSKE48だNMB48だをあわせると200名ちかくのアイドルがひしめきあっていることになるんですよ!? 最新の第3回選抜総選挙に出馬した立候補者も150名いるし、定期的に研究生オーディションもおこなっているのだから、AKB48関連のことを知ろうとして「わかった気になる」ということは、ディープになればなるほどむずかしくなるはずです。

 しっかし! それなのに、な~んとなくこの夏、世間は「AKB48がTV画面や雑誌の表紙を独占している状況」に急速になれつつあるのです。
 もちろん、それだけの圧倒的な人気がある証拠なのですからそれに文句のつけようはありませんし、姉妹グループやグループ内ユニット、メンバーのソロ楽曲がのきなみヒットチャートのトップに輝いている活況に変わりはないのですが。

 何百人というかわいこちゃんがいるのに、それがAKB48独自の、それ以前のアイドルグループのスケールでは考えられなかった醍醐味であるのに、ど~してそういう実感がわかないんだろうか!?

 賢明なみなさまならすでにおわかりのことでありましょう。それはね、「あまりにもカッチリ作られすぎてしまったAKB48のピラミッド構造」が原因だと思うの、わたし!

 前にもふれましたが、AKB48は2005年末の結成当初は20名に満たない1チーム制(旧チームA)だったのですが、メジャーデビューしたころにはすでに(旧)チームKがくわわり人数が倍増していたために、AKB48の「顔」となる楽曲のレコーディングやPV撮影には、歌唱・出演する人員をしぼるグループ独特の「選抜メンバー制度」が導入され、グループの中から選ばれたメンバーがそうでない人たちよりもひとつ飛び抜けた位置の扱いを受けるようになっていました。それは今現在でも引き継がれている重要なシステムになっていますね。

 最近はそれにくわえて、毎年恒例のように開催されるAKB48最大のイベント「次期シングル選抜総選挙」には正規メンバー以外の研究生にあわせて、違うアイドルグループであるはずのSKE48にNMB48までもが参加して「AKB48の新曲」に参加するために選挙活動にうちこむという大変な倍率になってしまっています。
 それだけのことはあって選抜総選挙の規模と効果は毎回やるごとにハンパないスケールに巨大化しており、第1回は有効票数約5万票だったものが第2回には約35万票、今年の第3回には約108万票になるというありさま。さすがに来年やるとしてもその倍……にはならないと思うんですけどねぇ。
 とにかく、年に1回のこのビッグイベントにAKB48の妹分にあたるSKE48やNMB48も参加している、しかも今年9月におこなわれる予定の「次期シングル選抜じゃんけん大会」にも彼女たちの選抜メンバーが参戦しているということは、とりもなおさず、一見独立しているように見受けられる全国各地の妹分グループも、AKB48のシングル選抜メンバーを頂点としたピラミッド構造の下層にあまんじている、ということになるんじゃないでしょうか。結局は「東京集権」なんでしょうかねぇ。
 ちなみに、第1回にはSKE48から2名、第2回にはSKE48から5名と研究生から3名、第3回にはSKE48から6名とNMB48から1名の当選者が出ています。

 んで、こういうことによってどういう事態になるのかといいますと、どんなにグループ全体の規模が大きくなったとしても、最終的にはAKB48のシングル曲を歌番組で歌唱したり雑誌のインタビューにこたえたりするほんの一部! 12名そこそこの「メディア選抜」メンバーだけが順ぐりで露出するだけとなり、そこで有名になったり実力をつけることとなったメンバーが次のシングルにも抜擢されるという、最上位のメンバーにとっては「正のスパイラル」、それ以外のほとんどのメンバーにとってはやるたんびにメディア露出への道が遠のいていく「負のスパイラル」という格差が拡大していく事態となるのです。
 第3回の選抜総選挙では「神7」の牙城に切り込んだということで柏木由紀さんが話題となりましたが、それも決して「ダークホース」というまで意外な躍進ではなかったはずです。グラビアにめっぽう強かったから。

 さっすがAKB48。こういうかたちで現代日本の格差社会問題を皮肉っている……わけじゃなくて、こりゃマジか。せちがらいよねぇ~!! 「夢みるアイドル」などというスウィートな幻想は、ここにはみじんも存在していません。そういうことは深田恭子さんにまかせておきましょう。

 決してAKB48のことを過小評価する意図はないのですが、私は今現在のAKB48の状況は、時あたかも1999前半、後藤真希さんが加入する直前の第1・2期メンバーしかいなかった時代のモーニング娘。の状況にきわめて似ているような気がします。
 当然ながらスケールはだいぶ違うわけなのですが、この時期は結成や最初のブレイクにこぎつけるまでの苦楽をともにしたメンバーだけで活動することにある程度の限界を感じるというアイドルグループ特有の時期なんじゃないかと私はふんでいます。そして、たいていのアイドルグループはここをもって解散する流れとなっており、唯一、ごっちんという希代の「グループの歴史にとらわれない風雲児」の出現という奇跡をえたモーニング娘。のみがこの時期を見事に乗り越えて現在にいたっているわけなのです。まぁ、なっち単独エースのモーニング娘。もシブくてよかったんですけど、それでは超えられない一線があったのです。

 要するに、「定期的にオーディションをやってるんだからいいじゃない?」という問題とはまったく別の次元で、ピラミッドの下からこつこつとはい上がってきて念願のメディア選抜を獲得するというまっとうな形でなく、ファンや世間をあっと言わせるセンセーショナルな飛び出し方でセンターにおどりでる革命的な人材を、今のAKB48、ていうか秋元さんは渇望しているのではないでしょうか。
 HKT48だ乃木坂46だ、アジア進出だと話題満載のAKB48軍団なのですが、スケールは拡大する一方であるものの、結局は求心力のコアとなるAKB48本体の人気がなければどうにもならない体制となっているからなのです。
 わかりやすくいえば、今現在のAKB48軍団は、AKB48本隊4チームの人数に研究生、各地のグループなど多くの戦力をしたがえていながら、本陣の選抜メンバーに「なにか」が起こってしまったら瞬く間に軍隊としての統率をうしなって潰走してしまう「桶狭間合戦」時の今川義元軍に似ているんじゃないかと思うんだなぁ。あやういあやうい。

 そして、それを誰よりも痛感しているのがAKB48のみなさん本人であり運営側であり秋元康さんであり、そのあせりのあらわれとなったのが、かの強運(とちょっぴりのテクニック)だけで選抜メンバーを決める前代未聞の「じゃんけん大会」であり、第3回選抜総選挙の直後に降って湧いたようにもちあがった「江口愛実ちゃん」騒動だったんじゃないでしょうか。あの子は単なるおふざけではなく、AKB48全体のガチでの「こういう新人ほしい!!」という願望の具現だったんですね。

 アイドルグループ史でも最大規模のスケールとそれに見あった全国的なブレイク、そしてそれゆえにゆっくりと、しかし確実に近づきつつある「行き詰まり感」。

 現在、AKB48のオフィシャルブログのタイトルは「Official Blog ~TOKYO DOME への奇跡~」となっていまして、これは2006年にAKB48がメジャーデビューしたころから続いているものになっています。
 だが、しかし。当初は「東京ドームでコンサートをひらく」という言葉が実に現実的な最終目標となっていたのでしょうが、すでに2011年の夏の実感としては、多くの人が、

「やったらいいじゃん?」

 と軽く思ってしまうのではないでしょうか。いかに日ノ本広しといえども、今のAKB48にとって公演できないコンサート会場は国内には存在しないはずです。
 しかし、AKB48は今でも目標にかかげた「東京ドーム」コンサートに踏み切れないでいるように見受けられます。
 なぜか。それは、東京ドームの「次の最終目標」が今のところ見当たらないからなのではないでしょうか。

 こりゃあ大問題ですよ……今やAKB48は、「東京ドーム公演を盛大に挙行して華々しく解散! じゃあね~。」ではすまないスケールに巨大化していますからね。

 AKB48。ここが正念場です。

 まずは最新シングルの『フライングゲット』と「第2回じゃんけん大会」の動向が気になるところなのですが、HKT48や乃木坂46への世間の反応もどうなることか。刮目してAKB48関連の新展開に注目したいですね。


 忘れてならないのは、AKB48がここまでの人気と実力を得ることとなる最初のエネルギーとなったものが、決して大きくないライヴ会場に「会いにいけるアイドル」であるということです。
 そこはちゃんと今でも守ってはいるものの、誰もが知っている「神7」のようなみなさんは、本人の意思がどうかは別として、スターならではのハードスケジュールによって劇場とのあいだには埋めがたい距離ができています。かといって、彼女たちが劇場に出たら出たで新人たちの出番がなくなっちゃうし。ど~すりゃいいの!?ってなもんですよねぇ。


 前に確か、私は「AKB48のあり方よりもモーニング娘。のあり方のほうが好き。」という言い方をしたかと思います。

 それは、やっぱり「競争社会を積極的に取り入れた活動」といったあたりが、それ自体はあっておおいにけっこうなのですが、人員の急増にしたがってさっき言ったようなどうにも融通のきかないピラミッド構造になってしまい、「アイドルの世界」にあってほしいと私がねがっている非現実性、ファンタジー性がだいぶ消えてしまっているような気がするからなんですねぇ。
 こつこつ努力をして実力をつけて成長していくというアイドルグループならではのドラマに「メンバー同士の競争」は大事なのかも知れませんが、人はアイドルに、自分たちの身のまわりでは滅多にみられない飛び抜けた才能や浮き世の煩雑さを忘れさせてくれるスター性も見せてほしいとねがうものなのではないでしょうか。その「現実」と「非現実」のバランス感覚こそがアイドルグループの要諦かと思うのですが、まるでそれ自体が「ひとつのリアルな社会」であるかのように、AKB48とその周辺は現実よりの要素でかためられすぎてしまいました。

 そうなると、私はちょっと、ねぇ。「大変だねぇ……」という感情こそわき上がるものの、競争社会のシビアさをほんのちょっとであれ現実の世界で痛感している身としては、その上さらにAKB48の競争社会を見て楽しみたいな、という気にはならないんですよねぇ。
 そりゃまぁ、かわいいアイドルがいっぱいいるわけですし、外見だけで言うと私はチーム4の市川美織さんなんか大好きなんですが、どうにも身を入れて応援する気にはねぇ……え? ロリコンじゃねぇよ!!

 要するに、なんか「有名大学に行くのが当然の進学校」っていうか、「上を目指すのがが当たり前」みたいな感じが好きじゃないんだな。みんなの見る方向が統一されているというのはグループのカラーがはっきりしていていいことなんですが、そこから突然変異的な「根っからのスター」は生まれないような気がするんですね。そんなことないかな?
 確かに、指原莉乃さんのように「せわしないAKB48から一歩距離をおいた」スタンスをもって人気を集めている方もいるわけなのですが、それにしても構造そのものに疑義を唱えることは許されていないわけです。

 そういう意味では、AKB48はこれ以上ないくらいに現在の日本にふさわしい「時代を象徴するアイドルグループ」なのかもしれません。


 まぁ~、こんな感じかしら?
 とにかく、これからのアイドルグループ史どころか、芸能界全体の未来を考える上でも、かつてない規模に拡大したAKB48の今後はおおいに注目すべきですね。おんもしろくなるぞ~。


 さぁ、それではいよいよこの時がやってまいりました。
 次回! ついに3ヶ月続いた「アイドルグループ史」、最終回でございます。

 いや、別になにをするでもなく、「終わったね~。『メモ程度』って言ったの、5月だったねぇ~。」ってボンヤリするだけですんで。

 今回も長々とおつきあいいただき、まことにありがとうございました~。ばーいちゃ。
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