どうもこんばんは~、そうだいでございます。いやーなんかもう、判で押したように暑い日が続きますなぁ!
もうきっついです……しんどいなぁ~。なにをしても汗が出てきてふとるヒマもありゃしねぇ。
かといってさぁ! 私、筋金入りの下戸ですもんで、家に帰ってきてから生ビールをグッとなんていう楽しみはあじわえないのよ。夏っていう季節は、酒がのめない人をな~んか損したような気持ちにさせますよね。しょうがないから牛乳をあびるように呑んでます。
夏といえば、甲子園ですよね~。
なんか、私の今すんでいる千葉県の習志野高校がイイらしいんですよ。ブラスバンドの音響援護攻撃もすごいんですって? マンガみたいだねぇ。
いっぽう、私の出身県の高校はすでに1回戦で敗退……東北だねェ、どうにも。まぁ、0点で負けたわけじゃなかったんだからよしとしましょう。
でも、考えてみたら私、生まれ故郷の山形にいたのは17年間で、18歳になってから13年間千葉にいるんですね。故郷を離れてずいぶん時間がたったんだねい。
まぁ、これからどうなるのか皆目見当がつかないので、これからも長く千葉にい続けるのかどうかはわからないのですが、まぁ~第2の故郷になっちゃいましたね。よかったぁ~ここで。
さてさて、あと、夏といえばやっぱり、「恐い話」ですよねぇ~!
今でも、TVで「心霊映像特集」ってやってるんですか? それこそ、私が小学生だった1980~90年代くらいには、夏になればほとんど毎日のようにどこかのゴールデンタイムに「心霊写真を一挙公開!」とかやってましたし、ワイドショーもヒマな時には恐怖体験の再現ドラマとかやってましたよね。
ところが21世紀に入ってからは、『奇跡体験!アンビリバボー』が心霊系の話題をあつかわなくなったあたりから、夏になっても特番が2~3コつくられるくらいでずいぶんとおとなしくなってしまったような気がします
今年の夏がどうなっているのかTVで確かめられないのが残念なのですが、去年は「ハイ!ごろーさん。」と、『ほんとにあった!呪いのビデオ』をテキトーにみつくろったスペシャルくらいしかなかったですよね。さみしいなぁオイ!
前々から「ホラー映画だいっすき!」と人目もはばからずに公言しているわたくしなのですが、正確に言うと、「こわいの全般だいっすき!! 自分が体験するんでなければ!」ということになります。
最近、暑い夏だということもあってか、「恐怖」について考えることの多いわたくしなのですが、人間の根元的な感情のひとつであるこの「恐怖」というものは実に興味深いものでありまして、好きな人と嫌いな人、人それぞれに趣向や耐性のまったく違う、しかし誰もが生きている限りかならず持っているはずのこの感情は、各個人が身をもって経験し学習したさまざまな要素によって形成されていくものなんですよねぇ。
ですから、私も自分にとっての「こわいもの」を考える時には、必ずそういったものにたいして免疫がなかったときに最初に味わってしまったもののことを連想してしまうのです。
私の意見だけを言わせてもらいますと、人間にとっての「こわいもの」の種類とは、大きくわけて3つに分類することができるんじゃなかろうかと考えています。
1、肉体的に反応できる「出オチでこわいもの」
2、自分の常識とはずれたものを見た時に心理的に感じる「ズレてるからこわいもの」
3、まったくこちら側の類推をゆるさない「よくわからないからこわいもの」
こんな感じかなぁ。
まぁ、これまでもいろんなホラー映画や『不安の種』などのホラーマンガ、最近おおはやりの心霊系実録ふう映像ものなどについてのことをつづってきたわけなんですが、だいたい映像作品など、「なるべく多くの人々がわかりやすくこわがって楽しみことができる」ものとして好都合なのは、やっぱり「1、」のこわさですよねぇ。
そりゃもう、海外の名だたるホラー映画の歴史的名作は、もれなくヴィジュアル的なインパクトを持った「ショックシーン」をうまく用意していますし、そこから吸血鬼ドラキュラだのフランケンシュタインの怪物だのゾンビだのに、レザーフェイスだのフレディだのジェイソンだのといった数々の大スターが登場しているわけなのです。
ホラー映画にはどうしても1~2時間画面をもたせるためのストーリーが必要となりますが、ショックという点だけに特化している恐怖を楽しみたいのならば、そりゃあもう遊園地のお化け屋敷に行くのがいちばんですよね。いやもう、最近は「お化け屋敷」なんていう古くさいネーミングではとても言い表せないゴージャスで用意周到な規模に拡大しているものも多いようです。
「お化け屋敷」よりにかたよったホラー映画という点では最近の『パラノーマル・アクティビティ』シリーズなんかは最たるものですし、なんか新作が公開されるらしい『スクリーム』シリーズも、友だちとみんなで観てワイワイ盛り上がるという点では、全身でこわがって楽しむ「アトラクション」的なこわさだと言えるかと思います。要するに、「痛覚を刺激しているからカラい食べ物はおいしい」みたいなもので、適度に他人事な恐怖はりっぱな娯楽になるわけなんですね。
「1、」のこわさは、「そりゃそんなヴィジュアルのやつがバッと前に出てきたらびっくりするわ!」とか、「突然部屋の壁がドンッとかって蹴られたらとび上がらない人のほうがおかしいよ!」という、いわばかなり暴力的な恐怖なのですが、「2、」の恐怖はもうちょっと時間差があって、自分の観たものが本来「そんな見え方のしないはずのものなんじゃない?」と思った時にジ~ンワリくる恐怖ですよね。
たとえば心霊写真で、人のいられるスペースがないはずの場所に人の顔があるとか、逆に写っているはずの被写体たちの脚の数が1本足りないとか。
これらは静止画面であるわけだし、多くの場合「霊?」という人物の表情には感情がありません。むしろ恐ろしい形相だったりして「1、」の恐怖がまじるとトゥーマッチな感じでウソくさくなったりするので、お化けの「演技」は必要ないわけです。ただお化けが「そこにいること」がこわいということ。
「2、」のジ~ンワリ感をどうにかして映像に取り入れたいと考えた先人による努力は、かの「もうろう系」ホラー映画の金字塔『回転』(1960年イギリス ジャック=クレイトン監督)ぐらいからはじまっていたわけなのですが、これを柔軟に「1、」と融合させて世界的なブームに発展させたのが、かの日本の「Jホラーブーム」だったというわけで。
『リング』の山村貞子さんだ『呪怨』の佐伯伽椰子さんだ『富江』の川上富江さんだという大スターの面々については去年にさんざんイジらせていただいたのでふれるだけにしておきますが、映画としてわかりやすいショックシーンは「1、」の伝統にのっとって各自クライマックスで用意されているものの、そこまでのくすぐり的な演出にかなり実験的に「2、」が導入されていることは作品に「恐怖の幅と奥行き」を与える効果をもたらしました。
たとえば、貞子さんの「歩き方」の映像的工夫なんかそうですよね。あれは生きている人間の歩き方じゃないから恐いのだし、伽椰子さんも本人はヴィジュアル技先行のパワーファイターではあるものの、その背景には不気味な少年だの厳重に目張りがされた押入れだのといったアイテムが満載の「なんか気持ち悪い家」という存在があって、より重要な雰囲気づくりをになっているのです。
のちに多くのパロディが粗製濫造され、最終的に「なんか出てきただけで笑っちゃう」ホラータレントになってしまった貞子さんや伽椰子さんも、実は出てくるまでの「2、」の雰囲気を巧妙に準備しなければ最初っから笑いものになってしまう可能性は充分にあったわけなのです。
ただ、純粋に「2、」の恐怖だけを楽しみたいのならば、文章の世界の恐怖を楽しむのがいちばんですよね。「文章を読む」という行為からして理性的であるわけで、そのプロセスをへて読む人の想像の世界で展開する恐怖には、「あれ……それ、おかしい。」や、「ってことは……その人、人じゃないよね。」というテクニックがふんだんに組み込まれていることが多いです。
おすすめはどうしても『新 耳袋』シリーズになりますかねぇ。思わず「うまいっ!」とうなってしまう恐怖に出会える確率が、他のいろんなシリーズよりも格段に高いです。個人的には著者に一定のこだわりと品の良さがあるのも好きな理由です。
でね。
私がやっぱりいちばん恐いと思うのは「3、」なんだよなぁ。
なぜそんなことが起こるのか、まったく意味がわからない。
軽いものならば首をひねるだけで終わってしまうのですが、いつまでたってもその現象のことが腑に落ちない、いつ自分の身の上に同じことが発生するのかもわからない、という不安感は、決して「エンターテインメント」や「他人事」では処理できない、リアルに身にせまってくる恐怖があります。
私が10歳前後だったころ、すなわち昭和から平成に変わる時分には、なぜだかまったくわからないのですが、子どもが被害者になる不気味すぎる犯罪事件が横行していました。
その最たるものはなんと言っても、あの「東京・埼玉連続幼女誘拐殺害事件」ということになるのですが、それはいちおう犯人が逮捕されているとはいうものの、同時期に発生していた「北関東連続幼女誘拐殺人事件」は犯人の検挙どころか各事件の関連性、被害者の行方さえもがさだかになっていない状況のまま現在にいたっています。そのうちの1件である「足利事件」の容疑者として逮捕されていた方が最近になって無罪判決となったのは記憶に新しいですね。
それでも、「かわいい女の子」でもなければ「大金持ちの御曹司」でもない私はさほどの恐怖は感じていなかったのですが……
ほぼ同じ時期に起きていた、以下の3事件は、これらだけはめっちゃくちゃ恐かった。身にせまる恐怖を感じた記憶があります。
本来、これらはもちろん被害者とその一家の方々の実在する現実の事件であるため、今まであげたようなフィクションの「恐怖」たちと同列にしているととられかねない扱いをするのは大変に不謹慎なことなのですが、「本物の恐怖とはなんなのか」を私そうだいが考える場合、どうしても避けることのできない部分に位置する記憶であるため、あえて話題にさせていただきたいと思います。
松岡伸矢くん行方不明事件
1989年3月7日、徳島県貞光町の親戚宅にやって来ていた松岡伸矢くん(当時4歳)が、親の目の離した数十秒の間に忽然と姿を消した。
松岡伸矢くんの一家は茨城県に住んでいた。家族構成は父と母、子供が長女、伸矢くん、次男(当時2歳)の5人暮らしだった。
この年の3月5日、母親の実母が死去し、6日に一家は徳島県小松島市での葬儀に参列した。そのあと一家は車で1時間ほど離れた貞光町の母親の親戚宅を訪れ、この日はここに泊まった。
翌7日午前8時頃、父は3人の姉弟といとこの子供を連れて近所に散歩に出かけた。このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、公道から山の斜面に私道が延びて、その斜面に親戚宅は建てられていた。まわりに家はない。
父は朝食前だったので10分ほどで散歩を切り上げている。子供たちは父についてきていた。家の玄関までの10メートルほどの石段を登った玄関先まで伸矢くんがついてきていたことを父は記憶している。父が抱いていた次男を家の中にいた母に手渡し、玄関先に戻ってみると、伸矢くんの姿はなかった。この間、およそ40秒ほどである。
伸矢くんの姿がみえないことに気づいた父は、すぐに周辺を捜したが、伸矢くんを見つけることができなかった。それから、家族・親類が近所を捜し回り、地元の消防団もこれに加わったが見つけることができず、午前10時に警察に通報した。
当初は山で迷子になっているのではないかと思われ、この日のうちに山間部で大捜索が行われた。貞光署からは全署員30名の半数が駆けつけ、県警機動隊、消防署員、地元消防団員に一般市民を加えた100人近くの人を動員、翌8日には200人を動員、その後3ヶ月捜索を続けたが、ついに伸矢くんを見つけることはできなかった。
ちなみに伸矢くんは4歳とは思えないくらいにしっかりしていた。自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた。
・現場は町道の終点付近で外部からの出入りはほとんどない
・失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった
・松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない
・周辺に交通事故の痕跡はない
松岡さん一家が茨城に帰る前日の16日、一本の奇妙な電話がかかってきた。父が電話を取ると、「奥さんはいますか。」という、語尾のあがる徳島弁独特のアクセントの女性の声がした。母が電話を替わると、その女性は「ナカハラマリコの母親」だと名乗り、「S幼稚園の月組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。もう帰ってくるんですか?」と尋ねた。S幼稚園とは伸矢くんの姉が通っていた幼稚園だった。母は明日帰ると答えたが、その後、女性からの連絡はなかった。
数日たってS幼稚園に問い合わせてみたところ、見舞金を集めたという事実はなく、ナカハラマリコという名前の子供もいないことが判明した。
後から考えると、徳島弁のある人間が茨城県にいて松岡さんの親戚宅の電話番号を知っているのも不自然である。また、徳島県にいたとしても伸矢くんの幼稚園の名前まで知っているのはおかしかった。松岡さん一家の事情に内通している者の電話だと言えるが、これが手がかりとなることはなかった。
加茂前ゆきちゃん行方不明事件
1991年3月15日、三重県四日市市富田在住の加茂前ゆきちゃん(当時8歳)が、この日の夕方、自宅から突然姿を消した。
板金工場で夜勤をしていた父親はいつも夕方6時に家を出て翌朝帰宅する生活、母親も当時パートに出ていた。当時小学2年生のゆきちゃんはこの日、午後2時頃に友達と別れ、家に帰ってきた。父がぐっすり眠っている時間である。普段からゆきちゃんは、家に帰ると起こさないように物音をたてなかったので、父親は彼女の帰宅に気づかなかった。
午後2時30分には母親がパート先から自宅に電話を入れ、この時ゆきちゃんが電話に出ている。その後、小学6年生の次女(ゆきちゃんの姉)が帰ってきたとき、ゆきちゃんの姿はなく、テーブルに上にはまだあたたかいココアが残されていた。ゆきちゃんはココアが好きで、よく自分で作って飲んでいたという。
午後4時頃、父親が起きてきたが、ゆきちゃんがいないことにはさして気に留めなかった。いつも帰宅してから友達と待ち合わせて、遊びに行くことが多かったからだ。やがて長女や母親も帰宅してくるが、ゆきちゃんは夜になっても戻ってこなかった。午後8時には警察に連絡し、家族も小学校の教師らと捜索したが見つからなかった。
家の中を見ても、不審な点が多かった。
・遊びに行く時、いつも乗っていた自転車が家に置きっぱなしになっていた。
・ゆきちゃんが温めたと思われるココアがそのままだった。
・当時はまだ寒かったが、ゆきちゃんがいつも着ていたピンク色のジャンパーが家に置かれていた。
また、ゆきちゃんはこの日、友人の遊びの誘いを断っている。なにかの用事があったのだろうか。
ゆきちゃんの家族はその後も、情報提供を願うビラや看板を作ったり、TV出演して事件の手がかりを待った。自宅では電話に逆探知装置をとりつけて待ったが、脅迫電話はなかった。
事件から3年後、「加茂前秀行様」という父親の名前を間違えた宛名で、一家に怪文書が届く。非常に不気味な文書だったが、詳しい内容はよくわからなかった。
事件から20年がたつが、今だにゆきちゃん発見につながる有力な情報は届けられていない。
石井舞ちゃん行方不明事件
1991年7月25日、福島県船引町で建築業を営む石井賢一さんの長女・舞ちゃん(当時7歳)が深夜、家から行方不明となった。事件から20年がたつ今も発見につながる情報はない。
この夜、家には賢一さんと妻、夫妻の長男、次男、舞ちゃん、それから賢一さんの両親、そして賢一さん一家と同居している姪(当時17歳)の恋人で建築会社の従業員のK(当時20歳)がおり、その他、妻の友人の娘2人が泊まりに来ていた。
姪は実家のある郡山市に出かけており、家にはいなかった。
午後9時ごろ、2階の部屋で賢一さんと長男、次男が就寝した。
9時20分頃、祖父母はタクシーを呼んで、カラオケスナックに行った。この時、1階玄関を施錠した。
9時30分ごろ、舞ちゃんと遊びに来ていた2人の女の子の3人が川の字になって2階の洋間で寝た。両親や兄たちの眠る隣の部屋である。
10時30分頃、母親が舞ちゃんの寝ている部屋をのぞき、タオルケットをかけ直した。その後、2階の洗面所を使っていると、「バタン」と1階の玄関扉が閉まる音がしたので、窓から外を見るとKが歩いていくのを目撃した。母親はたいして気にも留めず、1階にある浴室で入浴した。しばらくすると、再びドアの閉まる音がして、何者かが「パタパタ」と階段を上がる音がした。母親は夫や息子らの眠る部屋に行き、横になった。
翌午前2時、祖父母がカラオケスナックから帰ってくる。この時、1階の玄関のドアは開いていたので施錠した。祖父母は2階にやってきて「Kがいない。」と父親を起こすが、父は「明日聞くから。」とまた寝てしまった。
午前5時20分、舞ちゃんと一緒に寝ていた女の子が目を覚ますと舞ちゃんの姿がなかった。一家、パニックとなる。
午前6時30分、Kが外出先から戻ってくる。Kの話によると「夜10時半ごろ、友人に会うため郡山に向かった。船引駅に着くと、最終電車が出たばかりだったので、タクシーを拾って行った。しかし郡山にその友人は現れず、始発で帰ってきた。」というものだった。Kはその後、2週間にわたる警察の取り調べを受けることになったが、解放されている。ちなみに郡山までKを乗せたというタクシー運転手も現れ、証言した。
現場検証の結果、この家に住む人物以外の足跡や指紋は発見できなかった。ということは身内の犯行となる。こうしたことから、祖父母、両親、Kなどが揃って疑われることになった。また、警察犬を捜査に導入したところ、玄関先で立ち止まってしまった。これは車で連れ去られたことを意味する。
安全なはずの家から急に少女が行方不明となったこの事件はメディアでもよく取り上げられた。しかし、解決の手がかりとなる有力な情報は届けられていない。
犯人はなぜわざわざ、他の子どもたちと一緒に寝ている舞ちゃんを危険を冒して連れさらったのだろうか。しかし、当時の状況としては、この家で暮らす者のうち3人が外出しており、普段は両親と寝ている舞ちゃんがこの日に限って別室で寝ていたのだから、犯行の日としてこれより良い日はなかったのではないだろうか。大人と違い、子供の眠りは深い。多少の物音を立てても起きることは少ない。連れ去るには持ってこいの夜だったはずだ。
※以上、3事件の記事内容は複数の犯罪・事件サイトの記述をもとにまとめさせていただきました。
こわいんですよねぇ。なにからなにまで。
3つとも、何者かによる犯罪であることは間違いないのですが、「なぜあの時、あの子でなくてはならなかったのか?」というポイントが見事に理解不能なんですね。
しかも、普通ならば子どもを守る確実な要素になるはずの「親」と「家」がおそろしいほど無力になっているという点が恐すぎる。
事件が発生し、それらが大々的に報道された当時、子どもだった私は「部屋で誰かと一緒に寝ていても僕だけさらわれるかもしれんのか……」という恐怖に毎晩本気でおびえていたものだったのですが、現在30歳を超えた年齢になってみると、「つい数十秒前まで一緒にいたのに。」や「あの時、ちょっとしたあの足音を気にしていたら娘は守れたのかもしれない。」という悔恨の思いにさいなまれ続けてしまう親御さんの気持ちの方がよっぽどつらいもののように思えてきます。
なんでこんなことになるのかねぇ……犯人はあるいは人間であったとしても、そういう運命のめぐりあわせを作ってしまう「人間以上のなにか」の存在を強く感じてしまいますね。私はそれを「神」と呼ぶ気は断じてありません。ひどすぎる!
加茂前ゆきちゃん事件の3年後に家族に送りつけられた「怪文書」の不気味さはとにかく有名なのですが、私は怒りの感情こそわき上がるものの、それが事件の本当の恐ろしさを助長するもののようには感じられません。それは「文章」を書いた者が誰であるにしろ、なにかしらのメッセージを伝えてきたという点で「人間的」であるからです。まぁとにかく意味不明なので役に立つはずもありませんが。
3事件とも、「犯人の人間性や動機」がまったくうかがえませんからね。身内の犯行説や某国拉致説なども有力視されているようなのですが……「犯罪をおかす人間にも最低限残されているなにか」さえ欠落しているような気がするのよね。
「3、」の恐怖はこういった感じで、とにかく受け取る側に言いしれぬ不安感を与えます。エンターテインメントになるはずがないのね。まずは、「チケット料金を払ってスクリーンに映っている商業作品を観る」という形式の映画では再現不可能なのではないでしょうか。本当に身にせまってくる恐怖にはならないからです。
たとえば、「3、」の恐怖の最低ランクのところでは「不幸の手紙」があるだろうし、あの3月の大震災で横行した「デマメール」のたぐいも、容易に笑い飛ばせない恐怖があったような気がします。
あと、ごくわずかにある「話し手さえも語りたがらない怪談」っていうのも、「3、」かもね。「他人に話すことさえはばかられる恐怖・タブー」がそこにあるんですね。『新 耳袋』の序盤にある「アレの話」ですよね。
あ~、こわい。
結局、人間は「3、」のたぐいに入る「人間ではどうしようもない天変地異」や、最終的に必ずやってくる「自分の死」といった避けようのない力を忘れるために、「1、」や「2、」といったものを作って笑い飛ばす行為に変えているのかもしれません。
そういった意味でも、久しぶりにガツンとくる恐怖エンタメ、観てみたいですね~。
恐怖を恐怖でふきとばす!! 3月にあんなことのあった2011年の夏だからこそ、とびっきり激辛のモンが観てみたいものですな。ガハハ!
……あ、すんませんウソです。あの、「カレーの王子様」か「ポケモンカレー」レベルで、ひとつ……
もうきっついです……しんどいなぁ~。なにをしても汗が出てきてふとるヒマもありゃしねぇ。
かといってさぁ! 私、筋金入りの下戸ですもんで、家に帰ってきてから生ビールをグッとなんていう楽しみはあじわえないのよ。夏っていう季節は、酒がのめない人をな~んか損したような気持ちにさせますよね。しょうがないから牛乳をあびるように呑んでます。
夏といえば、甲子園ですよね~。
なんか、私の今すんでいる千葉県の習志野高校がイイらしいんですよ。ブラスバンドの音響援護攻撃もすごいんですって? マンガみたいだねぇ。
いっぽう、私の出身県の高校はすでに1回戦で敗退……東北だねェ、どうにも。まぁ、0点で負けたわけじゃなかったんだからよしとしましょう。
でも、考えてみたら私、生まれ故郷の山形にいたのは17年間で、18歳になってから13年間千葉にいるんですね。故郷を離れてずいぶん時間がたったんだねい。
まぁ、これからどうなるのか皆目見当がつかないので、これからも長く千葉にい続けるのかどうかはわからないのですが、まぁ~第2の故郷になっちゃいましたね。よかったぁ~ここで。
さてさて、あと、夏といえばやっぱり、「恐い話」ですよねぇ~!
今でも、TVで「心霊映像特集」ってやってるんですか? それこそ、私が小学生だった1980~90年代くらいには、夏になればほとんど毎日のようにどこかのゴールデンタイムに「心霊写真を一挙公開!」とかやってましたし、ワイドショーもヒマな時には恐怖体験の再現ドラマとかやってましたよね。
ところが21世紀に入ってからは、『奇跡体験!アンビリバボー』が心霊系の話題をあつかわなくなったあたりから、夏になっても特番が2~3コつくられるくらいでずいぶんとおとなしくなってしまったような気がします
今年の夏がどうなっているのかTVで確かめられないのが残念なのですが、去年は「ハイ!ごろーさん。」と、『ほんとにあった!呪いのビデオ』をテキトーにみつくろったスペシャルくらいしかなかったですよね。さみしいなぁオイ!
前々から「ホラー映画だいっすき!」と人目もはばからずに公言しているわたくしなのですが、正確に言うと、「こわいの全般だいっすき!! 自分が体験するんでなければ!」ということになります。
最近、暑い夏だということもあってか、「恐怖」について考えることの多いわたくしなのですが、人間の根元的な感情のひとつであるこの「恐怖」というものは実に興味深いものでありまして、好きな人と嫌いな人、人それぞれに趣向や耐性のまったく違う、しかし誰もが生きている限りかならず持っているはずのこの感情は、各個人が身をもって経験し学習したさまざまな要素によって形成されていくものなんですよねぇ。
ですから、私も自分にとっての「こわいもの」を考える時には、必ずそういったものにたいして免疫がなかったときに最初に味わってしまったもののことを連想してしまうのです。
私の意見だけを言わせてもらいますと、人間にとっての「こわいもの」の種類とは、大きくわけて3つに分類することができるんじゃなかろうかと考えています。
1、肉体的に反応できる「出オチでこわいもの」
2、自分の常識とはずれたものを見た時に心理的に感じる「ズレてるからこわいもの」
3、まったくこちら側の類推をゆるさない「よくわからないからこわいもの」
こんな感じかなぁ。
まぁ、これまでもいろんなホラー映画や『不安の種』などのホラーマンガ、最近おおはやりの心霊系実録ふう映像ものなどについてのことをつづってきたわけなんですが、だいたい映像作品など、「なるべく多くの人々がわかりやすくこわがって楽しみことができる」ものとして好都合なのは、やっぱり「1、」のこわさですよねぇ。
そりゃもう、海外の名だたるホラー映画の歴史的名作は、もれなくヴィジュアル的なインパクトを持った「ショックシーン」をうまく用意していますし、そこから吸血鬼ドラキュラだのフランケンシュタインの怪物だのゾンビだのに、レザーフェイスだのフレディだのジェイソンだのといった数々の大スターが登場しているわけなのです。
ホラー映画にはどうしても1~2時間画面をもたせるためのストーリーが必要となりますが、ショックという点だけに特化している恐怖を楽しみたいのならば、そりゃあもう遊園地のお化け屋敷に行くのがいちばんですよね。いやもう、最近は「お化け屋敷」なんていう古くさいネーミングではとても言い表せないゴージャスで用意周到な規模に拡大しているものも多いようです。
「お化け屋敷」よりにかたよったホラー映画という点では最近の『パラノーマル・アクティビティ』シリーズなんかは最たるものですし、なんか新作が公開されるらしい『スクリーム』シリーズも、友だちとみんなで観てワイワイ盛り上がるという点では、全身でこわがって楽しむ「アトラクション」的なこわさだと言えるかと思います。要するに、「痛覚を刺激しているからカラい食べ物はおいしい」みたいなもので、適度に他人事な恐怖はりっぱな娯楽になるわけなんですね。
「1、」のこわさは、「そりゃそんなヴィジュアルのやつがバッと前に出てきたらびっくりするわ!」とか、「突然部屋の壁がドンッとかって蹴られたらとび上がらない人のほうがおかしいよ!」という、いわばかなり暴力的な恐怖なのですが、「2、」の恐怖はもうちょっと時間差があって、自分の観たものが本来「そんな見え方のしないはずのものなんじゃない?」と思った時にジ~ンワリくる恐怖ですよね。
たとえば心霊写真で、人のいられるスペースがないはずの場所に人の顔があるとか、逆に写っているはずの被写体たちの脚の数が1本足りないとか。
これらは静止画面であるわけだし、多くの場合「霊?」という人物の表情には感情がありません。むしろ恐ろしい形相だったりして「1、」の恐怖がまじるとトゥーマッチな感じでウソくさくなったりするので、お化けの「演技」は必要ないわけです。ただお化けが「そこにいること」がこわいということ。
「2、」のジ~ンワリ感をどうにかして映像に取り入れたいと考えた先人による努力は、かの「もうろう系」ホラー映画の金字塔『回転』(1960年イギリス ジャック=クレイトン監督)ぐらいからはじまっていたわけなのですが、これを柔軟に「1、」と融合させて世界的なブームに発展させたのが、かの日本の「Jホラーブーム」だったというわけで。
『リング』の山村貞子さんだ『呪怨』の佐伯伽椰子さんだ『富江』の川上富江さんだという大スターの面々については去年にさんざんイジらせていただいたのでふれるだけにしておきますが、映画としてわかりやすいショックシーンは「1、」の伝統にのっとって各自クライマックスで用意されているものの、そこまでのくすぐり的な演出にかなり実験的に「2、」が導入されていることは作品に「恐怖の幅と奥行き」を与える効果をもたらしました。
たとえば、貞子さんの「歩き方」の映像的工夫なんかそうですよね。あれは生きている人間の歩き方じゃないから恐いのだし、伽椰子さんも本人はヴィジュアル技先行のパワーファイターではあるものの、その背景には不気味な少年だの厳重に目張りがされた押入れだのといったアイテムが満載の「なんか気持ち悪い家」という存在があって、より重要な雰囲気づくりをになっているのです。
のちに多くのパロディが粗製濫造され、最終的に「なんか出てきただけで笑っちゃう」ホラータレントになってしまった貞子さんや伽椰子さんも、実は出てくるまでの「2、」の雰囲気を巧妙に準備しなければ最初っから笑いものになってしまう可能性は充分にあったわけなのです。
ただ、純粋に「2、」の恐怖だけを楽しみたいのならば、文章の世界の恐怖を楽しむのがいちばんですよね。「文章を読む」という行為からして理性的であるわけで、そのプロセスをへて読む人の想像の世界で展開する恐怖には、「あれ……それ、おかしい。」や、「ってことは……その人、人じゃないよね。」というテクニックがふんだんに組み込まれていることが多いです。
おすすめはどうしても『新 耳袋』シリーズになりますかねぇ。思わず「うまいっ!」とうなってしまう恐怖に出会える確率が、他のいろんなシリーズよりも格段に高いです。個人的には著者に一定のこだわりと品の良さがあるのも好きな理由です。
でね。
私がやっぱりいちばん恐いと思うのは「3、」なんだよなぁ。
なぜそんなことが起こるのか、まったく意味がわからない。
軽いものならば首をひねるだけで終わってしまうのですが、いつまでたってもその現象のことが腑に落ちない、いつ自分の身の上に同じことが発生するのかもわからない、という不安感は、決して「エンターテインメント」や「他人事」では処理できない、リアルに身にせまってくる恐怖があります。
私が10歳前後だったころ、すなわち昭和から平成に変わる時分には、なぜだかまったくわからないのですが、子どもが被害者になる不気味すぎる犯罪事件が横行していました。
その最たるものはなんと言っても、あの「東京・埼玉連続幼女誘拐殺害事件」ということになるのですが、それはいちおう犯人が逮捕されているとはいうものの、同時期に発生していた「北関東連続幼女誘拐殺人事件」は犯人の検挙どころか各事件の関連性、被害者の行方さえもがさだかになっていない状況のまま現在にいたっています。そのうちの1件である「足利事件」の容疑者として逮捕されていた方が最近になって無罪判決となったのは記憶に新しいですね。
それでも、「かわいい女の子」でもなければ「大金持ちの御曹司」でもない私はさほどの恐怖は感じていなかったのですが……
ほぼ同じ時期に起きていた、以下の3事件は、これらだけはめっちゃくちゃ恐かった。身にせまる恐怖を感じた記憶があります。
本来、これらはもちろん被害者とその一家の方々の実在する現実の事件であるため、今まであげたようなフィクションの「恐怖」たちと同列にしているととられかねない扱いをするのは大変に不謹慎なことなのですが、「本物の恐怖とはなんなのか」を私そうだいが考える場合、どうしても避けることのできない部分に位置する記憶であるため、あえて話題にさせていただきたいと思います。
松岡伸矢くん行方不明事件
1989年3月7日、徳島県貞光町の親戚宅にやって来ていた松岡伸矢くん(当時4歳)が、親の目の離した数十秒の間に忽然と姿を消した。
松岡伸矢くんの一家は茨城県に住んでいた。家族構成は父と母、子供が長女、伸矢くん、次男(当時2歳)の5人暮らしだった。
この年の3月5日、母親の実母が死去し、6日に一家は徳島県小松島市での葬儀に参列した。そのあと一家は車で1時間ほど離れた貞光町の母親の親戚宅を訪れ、この日はここに泊まった。
翌7日午前8時頃、父は3人の姉弟といとこの子供を連れて近所に散歩に出かけた。このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、公道から山の斜面に私道が延びて、その斜面に親戚宅は建てられていた。まわりに家はない。
父は朝食前だったので10分ほどで散歩を切り上げている。子供たちは父についてきていた。家の玄関までの10メートルほどの石段を登った玄関先まで伸矢くんがついてきていたことを父は記憶している。父が抱いていた次男を家の中にいた母に手渡し、玄関先に戻ってみると、伸矢くんの姿はなかった。この間、およそ40秒ほどである。
伸矢くんの姿がみえないことに気づいた父は、すぐに周辺を捜したが、伸矢くんを見つけることができなかった。それから、家族・親類が近所を捜し回り、地元の消防団もこれに加わったが見つけることができず、午前10時に警察に通報した。
当初は山で迷子になっているのではないかと思われ、この日のうちに山間部で大捜索が行われた。貞光署からは全署員30名の半数が駆けつけ、県警機動隊、消防署員、地元消防団員に一般市民を加えた100人近くの人を動員、翌8日には200人を動員、その後3ヶ月捜索を続けたが、ついに伸矢くんを見つけることはできなかった。
ちなみに伸矢くんは4歳とは思えないくらいにしっかりしていた。自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた。
・現場は町道の終点付近で外部からの出入りはほとんどない
・失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった
・松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない
・周辺に交通事故の痕跡はない
松岡さん一家が茨城に帰る前日の16日、一本の奇妙な電話がかかってきた。父が電話を取ると、「奥さんはいますか。」という、語尾のあがる徳島弁独特のアクセントの女性の声がした。母が電話を替わると、その女性は「ナカハラマリコの母親」だと名乗り、「S幼稚園の月組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。もう帰ってくるんですか?」と尋ねた。S幼稚園とは伸矢くんの姉が通っていた幼稚園だった。母は明日帰ると答えたが、その後、女性からの連絡はなかった。
数日たってS幼稚園に問い合わせてみたところ、見舞金を集めたという事実はなく、ナカハラマリコという名前の子供もいないことが判明した。
後から考えると、徳島弁のある人間が茨城県にいて松岡さんの親戚宅の電話番号を知っているのも不自然である。また、徳島県にいたとしても伸矢くんの幼稚園の名前まで知っているのはおかしかった。松岡さん一家の事情に内通している者の電話だと言えるが、これが手がかりとなることはなかった。
加茂前ゆきちゃん行方不明事件
1991年3月15日、三重県四日市市富田在住の加茂前ゆきちゃん(当時8歳)が、この日の夕方、自宅から突然姿を消した。
板金工場で夜勤をしていた父親はいつも夕方6時に家を出て翌朝帰宅する生活、母親も当時パートに出ていた。当時小学2年生のゆきちゃんはこの日、午後2時頃に友達と別れ、家に帰ってきた。父がぐっすり眠っている時間である。普段からゆきちゃんは、家に帰ると起こさないように物音をたてなかったので、父親は彼女の帰宅に気づかなかった。
午後2時30分には母親がパート先から自宅に電話を入れ、この時ゆきちゃんが電話に出ている。その後、小学6年生の次女(ゆきちゃんの姉)が帰ってきたとき、ゆきちゃんの姿はなく、テーブルに上にはまだあたたかいココアが残されていた。ゆきちゃんはココアが好きで、よく自分で作って飲んでいたという。
午後4時頃、父親が起きてきたが、ゆきちゃんがいないことにはさして気に留めなかった。いつも帰宅してから友達と待ち合わせて、遊びに行くことが多かったからだ。やがて長女や母親も帰宅してくるが、ゆきちゃんは夜になっても戻ってこなかった。午後8時には警察に連絡し、家族も小学校の教師らと捜索したが見つからなかった。
家の中を見ても、不審な点が多かった。
・遊びに行く時、いつも乗っていた自転車が家に置きっぱなしになっていた。
・ゆきちゃんが温めたと思われるココアがそのままだった。
・当時はまだ寒かったが、ゆきちゃんがいつも着ていたピンク色のジャンパーが家に置かれていた。
また、ゆきちゃんはこの日、友人の遊びの誘いを断っている。なにかの用事があったのだろうか。
ゆきちゃんの家族はその後も、情報提供を願うビラや看板を作ったり、TV出演して事件の手がかりを待った。自宅では電話に逆探知装置をとりつけて待ったが、脅迫電話はなかった。
事件から3年後、「加茂前秀行様」という父親の名前を間違えた宛名で、一家に怪文書が届く。非常に不気味な文書だったが、詳しい内容はよくわからなかった。
事件から20年がたつが、今だにゆきちゃん発見につながる有力な情報は届けられていない。
石井舞ちゃん行方不明事件
1991年7月25日、福島県船引町で建築業を営む石井賢一さんの長女・舞ちゃん(当時7歳)が深夜、家から行方不明となった。事件から20年がたつ今も発見につながる情報はない。
この夜、家には賢一さんと妻、夫妻の長男、次男、舞ちゃん、それから賢一さんの両親、そして賢一さん一家と同居している姪(当時17歳)の恋人で建築会社の従業員のK(当時20歳)がおり、その他、妻の友人の娘2人が泊まりに来ていた。
姪は実家のある郡山市に出かけており、家にはいなかった。
午後9時ごろ、2階の部屋で賢一さんと長男、次男が就寝した。
9時20分頃、祖父母はタクシーを呼んで、カラオケスナックに行った。この時、1階玄関を施錠した。
9時30分ごろ、舞ちゃんと遊びに来ていた2人の女の子の3人が川の字になって2階の洋間で寝た。両親や兄たちの眠る隣の部屋である。
10時30分頃、母親が舞ちゃんの寝ている部屋をのぞき、タオルケットをかけ直した。その後、2階の洗面所を使っていると、「バタン」と1階の玄関扉が閉まる音がしたので、窓から外を見るとKが歩いていくのを目撃した。母親はたいして気にも留めず、1階にある浴室で入浴した。しばらくすると、再びドアの閉まる音がして、何者かが「パタパタ」と階段を上がる音がした。母親は夫や息子らの眠る部屋に行き、横になった。
翌午前2時、祖父母がカラオケスナックから帰ってくる。この時、1階の玄関のドアは開いていたので施錠した。祖父母は2階にやってきて「Kがいない。」と父親を起こすが、父は「明日聞くから。」とまた寝てしまった。
午前5時20分、舞ちゃんと一緒に寝ていた女の子が目を覚ますと舞ちゃんの姿がなかった。一家、パニックとなる。
午前6時30分、Kが外出先から戻ってくる。Kの話によると「夜10時半ごろ、友人に会うため郡山に向かった。船引駅に着くと、最終電車が出たばかりだったので、タクシーを拾って行った。しかし郡山にその友人は現れず、始発で帰ってきた。」というものだった。Kはその後、2週間にわたる警察の取り調べを受けることになったが、解放されている。ちなみに郡山までKを乗せたというタクシー運転手も現れ、証言した。
現場検証の結果、この家に住む人物以外の足跡や指紋は発見できなかった。ということは身内の犯行となる。こうしたことから、祖父母、両親、Kなどが揃って疑われることになった。また、警察犬を捜査に導入したところ、玄関先で立ち止まってしまった。これは車で連れ去られたことを意味する。
安全なはずの家から急に少女が行方不明となったこの事件はメディアでもよく取り上げられた。しかし、解決の手がかりとなる有力な情報は届けられていない。
犯人はなぜわざわざ、他の子どもたちと一緒に寝ている舞ちゃんを危険を冒して連れさらったのだろうか。しかし、当時の状況としては、この家で暮らす者のうち3人が外出しており、普段は両親と寝ている舞ちゃんがこの日に限って別室で寝ていたのだから、犯行の日としてこれより良い日はなかったのではないだろうか。大人と違い、子供の眠りは深い。多少の物音を立てても起きることは少ない。連れ去るには持ってこいの夜だったはずだ。
※以上、3事件の記事内容は複数の犯罪・事件サイトの記述をもとにまとめさせていただきました。
こわいんですよねぇ。なにからなにまで。
3つとも、何者かによる犯罪であることは間違いないのですが、「なぜあの時、あの子でなくてはならなかったのか?」というポイントが見事に理解不能なんですね。
しかも、普通ならば子どもを守る確実な要素になるはずの「親」と「家」がおそろしいほど無力になっているという点が恐すぎる。
事件が発生し、それらが大々的に報道された当時、子どもだった私は「部屋で誰かと一緒に寝ていても僕だけさらわれるかもしれんのか……」という恐怖に毎晩本気でおびえていたものだったのですが、現在30歳を超えた年齢になってみると、「つい数十秒前まで一緒にいたのに。」や「あの時、ちょっとしたあの足音を気にしていたら娘は守れたのかもしれない。」という悔恨の思いにさいなまれ続けてしまう親御さんの気持ちの方がよっぽどつらいもののように思えてきます。
なんでこんなことになるのかねぇ……犯人はあるいは人間であったとしても、そういう運命のめぐりあわせを作ってしまう「人間以上のなにか」の存在を強く感じてしまいますね。私はそれを「神」と呼ぶ気は断じてありません。ひどすぎる!
加茂前ゆきちゃん事件の3年後に家族に送りつけられた「怪文書」の不気味さはとにかく有名なのですが、私は怒りの感情こそわき上がるものの、それが事件の本当の恐ろしさを助長するもののようには感じられません。それは「文章」を書いた者が誰であるにしろ、なにかしらのメッセージを伝えてきたという点で「人間的」であるからです。まぁとにかく意味不明なので役に立つはずもありませんが。
3事件とも、「犯人の人間性や動機」がまったくうかがえませんからね。身内の犯行説や某国拉致説なども有力視されているようなのですが……「犯罪をおかす人間にも最低限残されているなにか」さえ欠落しているような気がするのよね。
「3、」の恐怖はこういった感じで、とにかく受け取る側に言いしれぬ不安感を与えます。エンターテインメントになるはずがないのね。まずは、「チケット料金を払ってスクリーンに映っている商業作品を観る」という形式の映画では再現不可能なのではないでしょうか。本当に身にせまってくる恐怖にはならないからです。
たとえば、「3、」の恐怖の最低ランクのところでは「不幸の手紙」があるだろうし、あの3月の大震災で横行した「デマメール」のたぐいも、容易に笑い飛ばせない恐怖があったような気がします。
あと、ごくわずかにある「話し手さえも語りたがらない怪談」っていうのも、「3、」かもね。「他人に話すことさえはばかられる恐怖・タブー」がそこにあるんですね。『新 耳袋』の序盤にある「アレの話」ですよね。
あ~、こわい。
結局、人間は「3、」のたぐいに入る「人間ではどうしようもない天変地異」や、最終的に必ずやってくる「自分の死」といった避けようのない力を忘れるために、「1、」や「2、」といったものを作って笑い飛ばす行為に変えているのかもしれません。
そういった意味でも、久しぶりにガツンとくる恐怖エンタメ、観てみたいですね~。
恐怖を恐怖でふきとばす!! 3月にあんなことのあった2011年の夏だからこそ、とびっきり激辛のモンが観てみたいものですな。ガハハ!
……あ、すんませんウソです。あの、「カレーの王子様」か「ポケモンカレー」レベルで、ひとつ……