長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第44回 『覇道!AKB48 2010年以降 どうするどうなる』

2011年08月09日 14時26分50秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 あぢいっす~。どもども、そうだいでございます~。みんなさま、バテずにお元気でいらしゃいますでしょ~か?
 いよいよ夏本番ですか。まぁ、しのいでいくしかありませんわな。がんばって生きていきましょう!

 前回にもふれたんですが、おとといね、芝居を2本観てきたんですよ、東京に行って。
 まずはお昼から、赤坂RED/THEATER でTHE REDCARPETS の第3回公演『ドールハウス』(作・演出 金房実加)を。それが3時半ごろに終わったので、そこから下北沢まで徒歩で行って夜7時からシアター711で上演していたプロデュース企画「おおのの」の第6回公演『東京モダンガールズ』(演出・大野裕明)を観ました。
 歩いていく途中、渋谷にさしかかったあたりでけっこうな雷鳴と雨量の夕立にあいましたよ。夏だね~、ゲリラだね~! かみなり、外で聴くとけっこうこわいですよねぇ。まぁ、東京には無数に立ち並ぶ高層ビルがあるので、よもや神の怒りが私にクリーンヒットして、日本人男子なら誰もがあこがれる「一瞬だけ全身がガイコツになるエフェクト」を経験することはないだろう、と安心はできるのですが……やっぱこえぇわ。

 お芝居はどちらも2時間前後の適度なヴォリュームで、日曜日ということもあってか、レッドシアターは定員約180席、シアター711は通路もパイプ椅子でうめて定員90席がしっかり埋まる盛況ぶりだったので、今回はおなかいっぱいの充実した2本立てとなりました。
 『ドールハウス』は統合失調症をテーマにした医者と患者の物語、『東京モダンガールズ』は大正時代の女性誌の先駆『青鞜』をめぐる群像劇ということでまるっきり違った内容だったのですが、偶然っちゅうかなんちゅうか、どちらも共通して、出演されている役者さんの良さがきわだつものになっていましたね。

 まぁそうよね……かたや、わずらった者にしかわからない苦しみのある難病、かたや、大正とはいえすでに実感のわかない歴史の一部になっている世界の数十年間を描く時代劇。どちらも2時間前後にまとめきるためには、作家の力量もさることながら、そこでおぎないきれない時間の跳躍やディティールのはしょりを個人の魅力や力ワザでフォローしてくれる役者さんの実力が必要となるわけなんですな。さすが! どちらでも、役者のみなさんの見事なアンサンブルを楽しませてもらいました。

 ほんとに魅力的な方々ばかりだったのですが、個人的には『ドールハウス』で複雑な設定の主役を繊細に演じきっていた村上東奈(はるな)さんのたたずまいが実に印象深かったな。
 なんと言いますか、200名も入らないような小劇場での上演だったわけなのですが、その空間ギリギリでお客さんにとどくミニマムな演技に徹しておられたんですねぇ。それが他者との接触に倦みはてている主人公のあり方にバチコーンとフィットしているように感じられてすごく良かったんですよ。
 声質も口から発せられたとたんに空間に消えていくかのような淡さで、それでしっかりセリフの内容が頭に入ってくるからね。もうちょっとでも大きな劇場になったら聞こえなくなってアウト!っていう絶妙なラインを常にたゆたっているんですよ。うまい!

 と思ってたら、村上さんは10歳ぐらいから子役としてTVドラマなどに出演されているキャリアがあったんですね。納得。クライマックスの感情の爆発にも非常な真摯さが込められていました。ちょっと、次の彼女のお芝居も観てみたいですねぇ。
 ちなみに、村上さんは「あの」アップフロントエージェンシーに所属していらっしゃいますが、ハロー!プロジェクトではありません、念のため。でもまぁ、容姿は言わずもがな、ですよねェ~!


 せったば、今回もいってみましょうかね、「ざっくりすぎるアイドルグループ史」!!
 もうすげぇんだよ、だってあなた、「AKB48の2010年以降」ったら、もうおしまいなんですよ、3ヶ月の長きにわたって続いたこのシリーズの! うひょお~。

 いろいろあった。いろいろあったんだが……今はもう、さっさとおしまいにしたい。

 それで本題のAKB48に入るわけなのですが、実は今回も、正直な話、あまりにも現在進行形で「これから始まる予定」のAKB48関係の新展開が目白押しであるため、今回をもってAKB48についてというくくりをおしまいにするのはど~にも尻切れトンボな感じになっちゃうんですよねぇ。
 これは前の「モーニング娘。」に関しても同じでしたね。あちらも高橋リーダーの卒業ときたるべき「第10期メンバー」の加入によってひとつの歴史の区切りを迎えるはずなんですよ。

 ただ、まぁ、この『長岡京エイリアン』も「日記」ですからねぇ。今の時点でのAKB48にたいしての雑感をつづっておくということもそれなりに意味があることなんじゃあなかろうか、と。
 どうもすみませんねぇ、こんな中途半端な段階でのまとめになっちゃって、ねぇ! ど~にも歴史の教科書のようにはスパッといかないのよねぇ。まぁ、だからこそ先の読めないおもしろさがあるとも言えるんですが。


 前回にも長々とあげたように、2010年から今年2011年6月に盛大に挙行された「第3回選抜総選挙」あたりまで、AKB48はまさしくアイドル界の覇道を突き進み、日本全国の注目をあび、「欠けたることもなし」とうらやまれる国民的アイドルグループに拡大していきました。2005~09年前半の、世間から「アキバ系~?」という白眼視をうけていた雌伏の時代がウソのように感じられる「黄金期」の現出であります。

 しかし! 感動的な前田敦子さんのトップ当選返り咲きがあったあの「第3回総選挙」の余韻も消えつつある今現在、時代の空気はかすかに、それでいて確実にAKB48にたいする温度を変えつつあるように思えるんですね。

 簡単に言ってしまうとそれは、コアなファンでない多くの「世間」と呼ばれる人々の、

「AKB48があることはわかった。だいたい誰がいるのかもわかってきたんだけど……それで?」

 という視線をうける時期が始まってきたんじゃなかろうかと思うんですね。
 つまり、まず最初にわいた「AKB48って、なに?」という興味が、ファンから観たらどんなにあさいものであったとしても、少なくとも世間のおおかたが不安にならないくらい、世間話のお題としてイジれるくらいの情報を手に入れて満足するようになったのが「第3回選抜総選挙」の過剰すぎる報道のあたりだったんじゃないかと思うんですね。まぁ~すばらしいフィーバーっぷりだったでしょ?

 いや~、「……それで?」っていう視線って、こわいですよね。あどけない表情でアリの巣に水をそそぎこむ子どもくらいこわいよね。

 なにがこわいのかというと、それは2009年の秋頃からの一連の旭日のごときブレイク劇をながめてきて、TVや雑誌などからくる膨大な情報をあびたために世間がAKB48のことをだいたい知ったような感覚におちいり、それによってたいていの新展開では驚かない免疫を持つようになってきていることだと思うんですね。

 端的なところで今特に目立つのは、やっぱり2度目の「トップ当選」をへてすっかり「AKB48の顔」となった前田敦子さんの女優としての展開への反応じゃないかと思います。
 ソロ歌手デビューに加えて映画や連続ドラマへの主演という輝かしいキャリアを築いている彼女なのですが、必ずしも「現時点で日本一有名なアイドルグループの中心人物が出ています」という売り込み以上の効果は上げていないように見えるんですね。いや、その時点でもう充分じゃないかと言われればそうなんですが。
 つまり、前田さんは多くのPVや、あのAKB48メンバーを知るための格好のガイドブックとなった「メタドラマ」である『マジすか学園』シリーズで主役を張った経験をへて、今現在は、

「AKB48はわかったから、前田さんっていう人はどうなの?」

 という1人アウェー感満載の戦場におもむく段階に入っているわけなんですね。これはもう、ほぼソロアイドルのあつかいのような過剰すぎる期待を背中にしょわされている状態なんじゃないかと。それを乗り越えたなにかを提示するのは至難の業ですよ!
 あと、前田さん個人の問題……というほどでもないんですけど、前田さんの顔立ちって、いかにも「女優としての演技力がありそうな」つくりですよね……なーんか、「ヘタだけどゆっるしってね~ん☆」とウインクしながら逃げていくような身軽さを自分でよしとしない「硬派さ」というか、武士道精神が宿っているような居住まいがあるような気がするんですが……私の気のせい!?
 でも、気のせいでないのだとしたら、それは間違いなくAKB48で5年以上闘い続けてきた彼女がつちかってきたものであるはずなのですが、今はそのAKB48の影響力のうすい場所でがんばっているわけなんですね。王者の孤独、まさにここにあり。


 前田さんの話題はここまでにしまして、先ほど私は「世間がAKB48をある程度わかりきってしまったような感覚になっている」と言いました。
 これに疑問を感じる方もいらっしゃいますよね。だって、単純にAKB48だけでも今は50名以上メンバーがいるし、それに姉妹グループのSDN48だSKE48だNMB48だをあわせると200名ちかくのアイドルがひしめきあっていることになるんですよ!? 最新の第3回選抜総選挙に出馬した立候補者も150名いるし、定期的に研究生オーディションもおこなっているのだから、AKB48関連のことを知ろうとして「わかった気になる」ということは、ディープになればなるほどむずかしくなるはずです。

 しっかし! それなのに、な~んとなくこの夏、世間は「AKB48がTV画面や雑誌の表紙を独占している状況」に急速になれつつあるのです。
 もちろん、それだけの圧倒的な人気がある証拠なのですからそれに文句のつけようはありませんし、姉妹グループやグループ内ユニット、メンバーのソロ楽曲がのきなみヒットチャートのトップに輝いている活況に変わりはないのですが。

 何百人というかわいこちゃんがいるのに、それがAKB48独自の、それ以前のアイドルグループのスケールでは考えられなかった醍醐味であるのに、ど~してそういう実感がわかないんだろうか!?

 賢明なみなさまならすでにおわかりのことでありましょう。それはね、「あまりにもカッチリ作られすぎてしまったAKB48のピラミッド構造」が原因だと思うの、わたし!

 前にもふれましたが、AKB48は2005年末の結成当初は20名に満たない1チーム制(旧チームA)だったのですが、メジャーデビューしたころにはすでに(旧)チームKがくわわり人数が倍増していたために、AKB48の「顔」となる楽曲のレコーディングやPV撮影には、歌唱・出演する人員をしぼるグループ独特の「選抜メンバー制度」が導入され、グループの中から選ばれたメンバーがそうでない人たちよりもひとつ飛び抜けた位置の扱いを受けるようになっていました。それは今現在でも引き継がれている重要なシステムになっていますね。

 最近はそれにくわえて、毎年恒例のように開催されるAKB48最大のイベント「次期シングル選抜総選挙」には正規メンバー以外の研究生にあわせて、違うアイドルグループであるはずのSKE48にNMB48までもが参加して「AKB48の新曲」に参加するために選挙活動にうちこむという大変な倍率になってしまっています。
 それだけのことはあって選抜総選挙の規模と効果は毎回やるごとにハンパないスケールに巨大化しており、第1回は有効票数約5万票だったものが第2回には約35万票、今年の第3回には約108万票になるというありさま。さすがに来年やるとしてもその倍……にはならないと思うんですけどねぇ。
 とにかく、年に1回のこのビッグイベントにAKB48の妹分にあたるSKE48やNMB48も参加している、しかも今年9月におこなわれる予定の「次期シングル選抜じゃんけん大会」にも彼女たちの選抜メンバーが参戦しているということは、とりもなおさず、一見独立しているように見受けられる全国各地の妹分グループも、AKB48のシングル選抜メンバーを頂点としたピラミッド構造の下層にあまんじている、ということになるんじゃないでしょうか。結局は「東京集権」なんでしょうかねぇ。
 ちなみに、第1回にはSKE48から2名、第2回にはSKE48から5名と研究生から3名、第3回にはSKE48から6名とNMB48から1名の当選者が出ています。

 んで、こういうことによってどういう事態になるのかといいますと、どんなにグループ全体の規模が大きくなったとしても、最終的にはAKB48のシングル曲を歌番組で歌唱したり雑誌のインタビューにこたえたりするほんの一部! 12名そこそこの「メディア選抜」メンバーだけが順ぐりで露出するだけとなり、そこで有名になったり実力をつけることとなったメンバーが次のシングルにも抜擢されるという、最上位のメンバーにとっては「正のスパイラル」、それ以外のほとんどのメンバーにとってはやるたんびにメディア露出への道が遠のいていく「負のスパイラル」という格差が拡大していく事態となるのです。
 第3回の選抜総選挙では「神7」の牙城に切り込んだということで柏木由紀さんが話題となりましたが、それも決して「ダークホース」というまで意外な躍進ではなかったはずです。グラビアにめっぽう強かったから。

 さっすがAKB48。こういうかたちで現代日本の格差社会問題を皮肉っている……わけじゃなくて、こりゃマジか。せちがらいよねぇ~!! 「夢みるアイドル」などというスウィートな幻想は、ここにはみじんも存在していません。そういうことは深田恭子さんにまかせておきましょう。

 決してAKB48のことを過小評価する意図はないのですが、私は今現在のAKB48の状況は、時あたかも1999前半、後藤真希さんが加入する直前の第1・2期メンバーしかいなかった時代のモーニング娘。の状況にきわめて似ているような気がします。
 当然ながらスケールはだいぶ違うわけなのですが、この時期は結成や最初のブレイクにこぎつけるまでの苦楽をともにしたメンバーだけで活動することにある程度の限界を感じるというアイドルグループ特有の時期なんじゃないかと私はふんでいます。そして、たいていのアイドルグループはここをもって解散する流れとなっており、唯一、ごっちんという希代の「グループの歴史にとらわれない風雲児」の出現という奇跡をえたモーニング娘。のみがこの時期を見事に乗り越えて現在にいたっているわけなのです。まぁ、なっち単独エースのモーニング娘。もシブくてよかったんですけど、それでは超えられない一線があったのです。

 要するに、「定期的にオーディションをやってるんだからいいじゃない?」という問題とはまったく別の次元で、ピラミッドの下からこつこつとはい上がってきて念願のメディア選抜を獲得するというまっとうな形でなく、ファンや世間をあっと言わせるセンセーショナルな飛び出し方でセンターにおどりでる革命的な人材を、今のAKB48、ていうか秋元さんは渇望しているのではないでしょうか。
 HKT48だ乃木坂46だ、アジア進出だと話題満載のAKB48軍団なのですが、スケールは拡大する一方であるものの、結局は求心力のコアとなるAKB48本体の人気がなければどうにもならない体制となっているからなのです。
 わかりやすくいえば、今現在のAKB48軍団は、AKB48本隊4チームの人数に研究生、各地のグループなど多くの戦力をしたがえていながら、本陣の選抜メンバーに「なにか」が起こってしまったら瞬く間に軍隊としての統率をうしなって潰走してしまう「桶狭間合戦」時の今川義元軍に似ているんじゃないかと思うんだなぁ。あやういあやうい。

 そして、それを誰よりも痛感しているのがAKB48のみなさん本人であり運営側であり秋元康さんであり、そのあせりのあらわれとなったのが、かの強運(とちょっぴりのテクニック)だけで選抜メンバーを決める前代未聞の「じゃんけん大会」であり、第3回選抜総選挙の直後に降って湧いたようにもちあがった「江口愛実ちゃん」騒動だったんじゃないでしょうか。あの子は単なるおふざけではなく、AKB48全体のガチでの「こういう新人ほしい!!」という願望の具現だったんですね。

 アイドルグループ史でも最大規模のスケールとそれに見あった全国的なブレイク、そしてそれゆえにゆっくりと、しかし確実に近づきつつある「行き詰まり感」。

 現在、AKB48のオフィシャルブログのタイトルは「Official Blog ~TOKYO DOME への奇跡~」となっていまして、これは2006年にAKB48がメジャーデビューしたころから続いているものになっています。
 だが、しかし。当初は「東京ドームでコンサートをひらく」という言葉が実に現実的な最終目標となっていたのでしょうが、すでに2011年の夏の実感としては、多くの人が、

「やったらいいじゃん?」

 と軽く思ってしまうのではないでしょうか。いかに日ノ本広しといえども、今のAKB48にとって公演できないコンサート会場は国内には存在しないはずです。
 しかし、AKB48は今でも目標にかかげた「東京ドーム」コンサートに踏み切れないでいるように見受けられます。
 なぜか。それは、東京ドームの「次の最終目標」が今のところ見当たらないからなのではないでしょうか。

 こりゃあ大問題ですよ……今やAKB48は、「東京ドーム公演を盛大に挙行して華々しく解散! じゃあね~。」ではすまないスケールに巨大化していますからね。

 AKB48。ここが正念場です。

 まずは最新シングルの『フライングゲット』と「第2回じゃんけん大会」の動向が気になるところなのですが、HKT48や乃木坂46への世間の反応もどうなることか。刮目してAKB48関連の新展開に注目したいですね。


 忘れてならないのは、AKB48がここまでの人気と実力を得ることとなる最初のエネルギーとなったものが、決して大きくないライヴ会場に「会いにいけるアイドル」であるということです。
 そこはちゃんと今でも守ってはいるものの、誰もが知っている「神7」のようなみなさんは、本人の意思がどうかは別として、スターならではのハードスケジュールによって劇場とのあいだには埋めがたい距離ができています。かといって、彼女たちが劇場に出たら出たで新人たちの出番がなくなっちゃうし。ど~すりゃいいの!?ってなもんですよねぇ。


 前に確か、私は「AKB48のあり方よりもモーニング娘。のあり方のほうが好き。」という言い方をしたかと思います。

 それは、やっぱり「競争社会を積極的に取り入れた活動」といったあたりが、それ自体はあっておおいにけっこうなのですが、人員の急増にしたがってさっき言ったようなどうにも融通のきかないピラミッド構造になってしまい、「アイドルの世界」にあってほしいと私がねがっている非現実性、ファンタジー性がだいぶ消えてしまっているような気がするからなんですねぇ。
 こつこつ努力をして実力をつけて成長していくというアイドルグループならではのドラマに「メンバー同士の競争」は大事なのかも知れませんが、人はアイドルに、自分たちの身のまわりでは滅多にみられない飛び抜けた才能や浮き世の煩雑さを忘れさせてくれるスター性も見せてほしいとねがうものなのではないでしょうか。その「現実」と「非現実」のバランス感覚こそがアイドルグループの要諦かと思うのですが、まるでそれ自体が「ひとつのリアルな社会」であるかのように、AKB48とその周辺は現実よりの要素でかためられすぎてしまいました。

 そうなると、私はちょっと、ねぇ。「大変だねぇ……」という感情こそわき上がるものの、競争社会のシビアさをほんのちょっとであれ現実の世界で痛感している身としては、その上さらにAKB48の競争社会を見て楽しみたいな、という気にはならないんですよねぇ。
 そりゃまぁ、かわいいアイドルがいっぱいいるわけですし、外見だけで言うと私はチーム4の市川美織さんなんか大好きなんですが、どうにも身を入れて応援する気にはねぇ……え? ロリコンじゃねぇよ!!

 要するに、なんか「有名大学に行くのが当然の進学校」っていうか、「上を目指すのがが当たり前」みたいな感じが好きじゃないんだな。みんなの見る方向が統一されているというのはグループのカラーがはっきりしていていいことなんですが、そこから突然変異的な「根っからのスター」は生まれないような気がするんですね。そんなことないかな?
 確かに、指原莉乃さんのように「せわしないAKB48から一歩距離をおいた」スタンスをもって人気を集めている方もいるわけなのですが、それにしても構造そのものに疑義を唱えることは許されていないわけです。

 そういう意味では、AKB48はこれ以上ないくらいに現在の日本にふさわしい「時代を象徴するアイドルグループ」なのかもしれません。


 まぁ~、こんな感じかしら?
 とにかく、これからのアイドルグループ史どころか、芸能界全体の未来を考える上でも、かつてない規模に拡大したAKB48の今後はおおいに注目すべきですね。おんもしろくなるぞ~。


 さぁ、それではいよいよこの時がやってまいりました。
 次回! ついに3ヶ月続いた「アイドルグループ史」、最終回でございます。

 いや、別になにをするでもなく、「終わったね~。『メモ程度』って言ったの、5月だったねぇ~。」ってボンヤリするだけですんで。

 今回も長々とおつきあいいただき、まことにありがとうございました~。ばーいちゃ。
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