はいど~も~こんばんは! そうだいでございます。
みなさま、年度末のお忙しい中、本日も大変お疲れさまでございました。まぁね、年度末の締めくくりもなんとか目途がつきそうになったかと思えば、当然ながらも来年度はじめの大変さがじわじわ身に迫ってくるというね……結局、人生これの繰り返しか!
そんなこんなで今月もまともに記事が更新できそうにない忙しさなのですが、今回は前回の『原子怪獣現わる』(1953年)に続きまして、なんで今やるのかはよくわかんないのですが、私が買った DVDソフトにいっしょに収録されていた、この作品についてのつれづれをつづろうかと思います。
どうしても出てくるモンスターがモンスターなので、いかんせん『原子怪獣現わる』のリドサウルスに比べると見劣りしてしまうのですが、こっちも世界特撮映画史上、決して無視することなどできない超名作なのでございますよ。
映画『放射能X』(1954年6月公開 93分 アメリカ)
『放射能X』(ほうしゃのうエックス、原題:Them!)は、ワーナー・ブラザース制作の特撮モンスター映画。
1950年代に冷戦下のハリウッドで多数製作された「放射能の影響による巨大生物」映画の1作。当初3D映画として企画されたが、当時の特撮技術では画面に奥行きを出せなかったため、実物大の巨大アリのプロップを使ってライブ・アクションで撮影された。第27回アカデミー賞の特殊効果賞にノミネートされた。
あらすじ
ニューメキシコ州の砂漠で突如起こった連続失踪惨殺事件。その唯一の生存者である少女は放心状態となっていたが、現場から採取された大量の蟻酸の匂いを嗅いだ彼女は「Them!(奴らよ!)」と絶叫した。事件の犯人は幾たびの核実験の影響により異常巨大化したアリで、砂漠の地下は彼らの巨大な蟻塚と化していた。事件の捜査に当たったピーターソン巡査部長は、生物学者のメドフォード博士や FBIのグレアム捜査官らと協力して毒ガスによる殲滅作戦を行うが、時すでに遅く女王アリは巣立った後だった。
ピーターソンたちは、砂漠から消え失せた女王アリがロサンゼルスへ向かい、その地下を縦横無尽に走る下水道を新たな巣穴としていたことを突き止める。軍は巨大アリを根絶すべく、火炎放射器で武装した歩兵部隊を総動員する。幼い兄弟がアリにさらわれたことを知り、単身で巣穴へ潜入したピーターソンが見たものは、無数の卵とそれを守る女王アリの威容だった。
主なキャスティング
ベン=ピーターソン巡査部長 …… ジェイムズ=ホイットモア(32歳)
ハロルド=メドフォード博士 …… エドマンド=グウェン(76歳)
パット=メドフォード博士 …… ジョアン=ウェルダン(20歳)
ロバート=グレアム捜査官 …… ジェイムズ=アーネス(31歳)
キビー少佐 …… シーン=マクロリー(30歳)
オブライエン司令官 …… オンスロウ=スティーヴンス(52歳)
アラン=クロッティ …… フェス=パーカー(29歳)
ロッジ夫人 …… メアリー=アランホカンソン(37歳)
生き残った少女 …… サンディ=デスチャー(8歳)
エド=ブラックバーン巡査 …… クリス=ドレイク(30歳)
主なスタッフ
監督 …… ゴードン=ダグラス(46歳)
脚本 …… テッド=シャードマン(45歳)、ラッセル=ヒューズ(44歳)
音楽 …… ブロニスラウ=ケイパー(52歳)
美術 …… スタンリー=フライシャー(50歳)
制作・配給 …… ワーナー・ブラザース映画
はい、というわけでございまして、巨大肉食恐竜リドサウルスに続きまして、今回は核兵器実験の影響によって体長2.5~3.5m もの巨大肉食アリが生まれてしまったというモンスターパニック映画となります。
本作はスタッフの陣容からしても『原子怪獣現わる』とは直接のつながりのない作品なのですが、どうやら当時、制作・配給のワーナー・ブラザース映画では「原子力の未知のエネルギーによって恐怖のモンスターが出現する」というコンセプトの映画が立て続けに作られていたようで、そういう意味では確実に本作は、前年にヒットした『原子怪獣現わる』に続く作品となっているのです。あれか、『ゴジラ』(1954年)と『獣人雪男』(1955年)みたいな関係なのか。
とは言いましても、本作での看板モンスターとなる「巨大アリ」は、文字通りほんとに「バカでかいアリ」と形容するしかない生物感ありありのキャラクターでして、まるっきり空想の存在であるリドサウルスとは全く異なる方向性のモンスターとなっております。
地味……地味なのよね、この映画! でも、とんでもない名作なんですよ、これ。
比較してみれば、リドサウルスは北極圏での水爆実験によって長い冬眠状態から目を覚ました体長30m の肉食恐竜なのですが、バズーカ砲や機関銃といった通常兵器がけっこう有効ではあるものの、血などの体液が飛散すると人類にとって非常に有害な未知の病原菌が蔓延してしまうという大きな脅威を抱えた存在でありました。リドサウルスを殺すこと自体は可能なのですが、その手段を熟慮する必要があるわけなんです。
それに対して今回の巨大アリはといいますと、まず人体に致命的なダメージを与える鋭利な大アゴと、致死量20人分の蟻酸を注入できる腹部の毒針が大きな武器ではあるものの、頭部にある2本の触角が弱点であるためそこさえ狙えば拳銃でも倒すことができ、火炎放射器などによる火の攻撃にも非常に弱いという、よりリアルな害獣、害虫のような存在になっています。人間よりでかいアリというと確かに恐ろしいのですが、冷静に対処すれば1匹1匹の脅威度は低いんですよね。
うん、1匹1匹は別にそうそう怖くもないんですよ……でもこのモンスター、アリなんだよ!
そうなんです、今回の巨大アリの厄介な問題は、「ほっとくと際限なく増える」というところ! ここなんですよ。
なので、本作の見どころは色々とたくさんあるのですが、その中でも最大の魅力は何なのかと言いますと、物語に冒頭からクライマックスまで貫かれる「人類と巨大アリとの、一分一秒を争う生存競争」の緊張感! これに尽きるのではないでしょうか。
ほんと、本作は物語の構成の密度において、『原子怪獣現わる』のたった1年後の作品だとはにわかに信じ難い、ひとつ上のフェイズに到達しているのです。進化が早いな!
いや、『原子怪獣現わる』だって、当時としては中だるみの少ないハイテンポな作品なのですが、ほら、いきなり実物のかわいらしいタコとサメの喰い合いをえんえん1分も流すようなほんわかトンチキ感もあったじゃない? それと比べると、本作『放射能X 』にも登場人物が軽快な冗談を言い合うようやり取りはあるのですが、なんか全体的に「これから起きうる最悪の事態から目を背けたくてわざとふざけてる」みたいな、全然笑えない空気が作品世界を覆っているんですよね……要するに、制作スタッフの姿勢と俳優陣の演技が真剣そのもの! 子どもだまし感や稚気がまるで感じられないのです。
たかが、でっかいアリの繁殖パニックに、なぜこれほどまでにギリギリの緊迫感を生むことができるのか。それはもう、本作が制作された1954年当時の米ソ冷戦体制をかなりもろに作品に投影しているからなのではないでしょうか。
そのリアルな空気が最も如実に表れているのが、終盤でロサンゼルス市内に地下下水道の巨大アリの巣を殲滅するための戒厳令が発令される時の描写なんですよね。
『原子怪獣現わる』では、リドサウルスが突然ニューヨークに上陸したためにビル街を人々が逃げ惑うという典型的な描写にとどまっていたのですが、本作ではアメリカ軍が用意周到に新聞各メディアへの情報統制を敷いた上で、満を持してテレビ・ラジオ全局の放送をジャックして「ロサンゼルス市民の皆様、只今より緊急放送を行います。どうか電源を切らずにそのままお聞きください。繰り返します……」というアナウンスが始まります。あまりにも唐突に「今夜18時からの外出を禁じます」という命令が発せられるわけなのですが、驚くべきはそれを聞いた市民の反応で、かなり冷静にそれを承知して、まるで何もなかったかのように、放送が終わるとまた静かにおのおのの生活行動を再開するのでした。また日常の時間が始まるのかとも思えたのですが、市道には徐々にものものしく武装したジープが増えてきます……
すごいですよね、この淡々としたくだり! 誰もパニックにならないんですよ、モンスターパニック映画なのに! これぞまさに、数ヶ月後の『ゴジラ』における「また疎開かぁ……」の先を行く演出だと思います。
むしろ、ロサンゼルス市民は「なんだ、でかいアリの駆除か。」くらいのホッとした感で受けとめたのかも知れません。まぁ、アメリカとソ連の全面核戦争が始まるよりはずっとましですよね……
そんなこと言うんだったら『原子怪獣現わる』だって、制作時期的にはおんなじじゃねぇかと思われるかもしれないのですが、この両者は同じ「核実験きっかけのモンスターパニック映画」ではあっても、実はそのアプローチの仕方がまるで違うのです。
大事な相違点は2つあって、1つ目は「どんな核実験で事件が起きたのか」という点です。
『原子怪獣現わる』でリドサウルスが覚醒するきっかけとなったのは、アメリカ軍が北極圏で行ったという1950年代前半当時最新の水爆実験でした。いくら人口密度が少ないとはいえ、そんなことをされる北極圏もたまったもんじゃないのですが、主人公がそれを推し進めている研究者その人であるし、リドサウルスを退治する最終兵器も放射能を利用したものだったので、核実験そのものを明確に糾弾する雰囲気にはなっていない印象です。原子力の使い方には注意しましょう程度の危機意識でしょうか。
また、実験場がアメリカ本土でないこともあいまって、核の脅威がいまひとつ観客にピンとこない他人事感を持っていることも見逃せませんね。でも北極圏だなんて、そんなとこでやったらソ連が気づかないはずないでしょ! ケンカ売ってんのか!?
一方、それに対してこの『放射能X 』はと言いますと、巨大アリが生まれたきっかけが約10年前の1945年7月16日にニューメキシコ州ホワイトサンズで行われた「トリニティ実験」での人類初の原子爆弾の試験爆発が原因らしいと推測されているのです。ただ、本作における女王アリの繁殖サイクルの速度から見ても、約10年前に被爆したアリが巨大化して存命しているわけではなく、何世代もの代替わりを経た上で巨大化し、ついに砂漠にキャンプにやってきた一家と接触してしまったという解釈になるでしょうか。
ちょっと、トリニティ実験ってそれ、世界中の教科書に載ってる人類史上の超重要な出来事よ。しかも、曲がりなりにもアメリカ合衆国を戦勝に導いた栄光の1ページなんじゃないの? それを、こうもはっきりと「人類滅亡の扉を開いた」みたいな負の扱いにするとは。日本人としては「ほんとにアメリカ人が娯楽映画として作ったの?」とびっくりしてしまうような覚悟の決まり方です。同年、本作公開の5ヶ月後に産声を上げた我が国の『ゴジラ』もそうとうに純度の高い反戦反核映画なのですが、この『放射能X 』も、単なるゲテモノSF 映画とは片付けられない硬度のある意志を持った作品なのです。
クライマックスで科学者が「原子力の最初に実験ですらこれほどの怪物が生まれたのだから、これからは……?」とつぶやく名セリフも、『ゴジラ』の山根博士の言葉に並ぶヘビーな名言だと思いますね。たかがアリ映画と侮るなかれ!
『原子怪獣現わる』と『放射能X 』との相違点の2つ目は、やはり登場するモンスターのリアリティだと思います。
リドサウルスは、確かにハリーハウゼンのストップモーション撮影の技術の高さを存分に楽しめる名キャラクターではあるのですが、やはりその独特の憎めないデザインやなめらかなアクションは、怪獣でこそまだないものの、愛嬌すら感じられる空想上の存在のそれです。
それに対して今作の巨大アリは、もうただただ「でかいアリ」としか言いようのないリアルな作りとなっており、実物大の動く模型をほんとに何体も作って撮影しているだけあって、触っただけで手が切れそうな硬い剛毛がびっしり生えている表皮やざらざらした表面の大アゴが迫ってくるさまは「怖い」というよりは「キモい」に近い嫌悪感を抱かせる害虫的存在にならしめています。
まぁ、何と言いましてもあの『ゴジラ』さえ生まれていない時代の特撮技術なのですから、やはり2~3m の造形物が人間の動きに追いつけるほどなめらかに移動できるはずもなく、まるで日本のお祭りの山車か、大阪なにわの伝説の巨獣「かに道楽の看板」のごとき大雑把で緩慢な動きしかできないので、そういった意味での愛くるしさはあるのですが、その造形物のマイナスを補って余りあるのが、『原子怪獣現わる』ではほとんど見られなかった「恐怖の婉曲的表現」なのです。
まず何はなくとも、開幕でいきなり登場する「恐怖のあまり失語症になった少女」という謎の提示の仕方がすばらしく魅力的ですよね。これ、演じる子役の女の子の演技力の高さもあいまって、ほんとすごい!
恐怖の主体自体は出てこないのに、それを恐れるあまりに普通でなくなった被害者の様子から、その主体の恐ろしさがビンビン伝わってくるという演出はそれ以外にも、むごたらしく破壊されたキャンピングカーや雑貨店、そして発見される店主の惨殺死体といったお膳立てによって的確に配置されていきます。そして、死体から採取された蟻酸の匂いによって少女が絶叫して発した言葉こそが、この映画の原題であるという、この美しさすら感じられる構成の妙! もはや匠の技の域ですよね。
モンスター映画の定番キャラである目撃者、生存者自体は『原子怪獣現わる』にも出ているのですが、「誰も証言を信じてくれない」という面がコミカルに描かれるだけで、ちょっと本作の少女とは同列に扱えない次元の違いがあります。本作において飛翔する女王アリを目撃した青年アランのくだりもコメディチックではあるのですが決してそれだけには終わらず、あれだけ羽アリにしか見えない姿をしてるのに本人は「UFO だ!」と言い張っているのが、当時の「空飛んでる変なやつはみんなUFO 」という固定観念を象徴しているようで実に興味深いですね。ちなみに、あの「ロズウェル事件」が起きたのは1947年で、場所は何と本作と同じニューメキシコ州! そりゃ UFOって言うよね~。
あと、前回の記事とやり方がかぶるのですが、リドサウルスと巨大アリとでその姿が本編中に初登場した時間を比較してみても、リドサウルスが「10分ちょい」なのに対して巨大アリは「28分」という驚異のじらしっぷりになっています。でも退屈しないんだよねぇ、出てきてもただのでかいアリなのに。それはやっぱり、そこにいくまでの演出と演技が十二分に魅せてくれるからなんですよ!
いや~……これほんと、『原子怪獣現わる』のフォロワーとはとてもじゃないけど言えないクオリティの高さですよ。
必ずしも、本作の制作スタッフが『原子怪獣現わる』を参考にしたりライバル視したりしていたのかどうかは定かでないのですが、確実に言えるのは、当時、映画制作スタッフ全員が現場に到着した巨大アリのハリボ……いやいや造形物を目の当たりにして、
「駄目だこいつ……早くなんとかしないと……」
と、夜神月のような凍りついた表情になったことだと思います。いや、デザイン自体は素晴らしいと思うんですが、いかんせん動きがね。
結局、やはり創作の現場というものは「危機感」や「緊張感」が肝要なんじゃないでしょうか。そのために演出家がスパルタになるというのもいけないとは思うのですが、やはり「必要は発明の母」と同じで、「何かアイデアをぶち込まないとヤバいぞ!!」という危機意識が本作においては大いなる推進力となり、脚本、演出、演技、カメラアングルと、全方位から知恵を振り絞って巨大アリを怖く見せようとする団結が生まれたのだと思います。
これもう、クラス中が性別や学校内ヒエラルキーの垣根を超えて、自分たちの企画したショボいお化け屋敷をなんとか怖くしようと協力し合う文化祭のノリに近い、思わず目頭が熱くなるようなパッションを感じますよね。青春だね~!! タイムマシンで当時の撮影現場に行って、ポカリスエット10ケースを贈りたい。でも、「え? スエットって、汗……?」ってドン引きされるんだろうなぁ。
あーだこーだ言っておりますが、本作は公開から半世紀以上経った21世紀現代でも、観る者に大いなる示唆を与えてくれる稀有な名作です。その示唆とはすなはち、
「文句言ってるヒマがあったら、ありもんを120% 活用する知恵をしぼれ! Just do it!! 」
まさにこれですよね。
ほんと、本作は数千数万という数の力が恐怖の主体であるアリをモンスターにしておきながら、実際の造形物は映像を観る限り、1~2体の動くものと2~3体の全身模型、そしてアップ用の頭だけ上半身だけの模型が1~2セットという手駒の具合なんですよ。無謀や! あまりにも無謀な闘いやでぇ、ゴードンはん!!
でも、そこをちゃんと見事に成立させてしまうのがものすごいところで、要するに巨大アリの本拠地は細長い迷路のような坑道が縦横無尽に曲がりくねる巣の中だったりロサンゼルス川の下水路だったりするので、奥行き10m くらいですぐ曲がり道になる狭い空間を2~3頭の巨大アリが埋めてくれたら、それでもう充分に無数のアリの圧力は感じられる画面になるんですよね。数千数万という情報は役者がセリフで言えばいいのであって、バカ正直に数千数万の巨大アリを画面に並べる必要などまったくないのです! 昨今の、頭のひとつも使わずに予算にかまけてCG 作画でなんでもかんでも絵にしちゃう大作映画は、『放射能X 』の爪の垢でも煎じて飲めい!!
ただ、クライマックスの巨大アリ軍団 VS アメリカ軍の大決戦の中で、下半身がなく台車のような構造がもろだしなアリがちらっと見切れてしまうのは、カンベンな!!
だいたい、そんな最終決戦の舞台となるロサンゼルス川も、コンクリートで無機質なアリ地獄のように整地された情景が非常にSF 的であり近未来的なのですが、そもそもほんとにある既存の施設のロケ撮影なんだもんね! まぁ水路内はスタジオ撮影だったとしても、やはり製作費節約の知恵は最後まで活用されていたと思います。いやほんと、その一貫した制作姿勢に頭が下がります……
あと、本作にアリの幼虫は登場しません。アリの幼虫というと端的に言えばウジのような半透明の生物になるはずなのですが、本作にはチョココロネみたいな形の卵こそ出てくるものの、他には成虫態のアリしか出てこないのです。
たぶんこれ、予算と撮影技術上の都合で複数タイプの造形物を制作できないことが原因だと思うのですが、どこまでも生真面目一本道な本作の制作スタッフはこの不可思議な欠落を完全無視で押し通すのではなく、なんと真正面から登場人物のパット博士に「どうして幼虫がいないのかしら?」と疑問の形で触れさせ、彼女の父であるハロルド博士からその回答として、
「それだけ成長速度が速いということじゃ。生存戦略の究極の形じゃよ……!!」
と言わしめているのです。これ、すごくね!? 制作上の窮状を自分からぶっちゃけといて、それを巨大アリの脅威の増幅に転換してるんだぜ……このノーガード戦法の肝の座りよう! 薩摩隼人もビックリよ。
さぁこんな感じで、作品の目玉であるはずの巨大アリの造形物「以外」をほめ出したらキリが無いという、奇しくも作中で現れた巨大アリの巣の入口のごとき奇妙なドーナツ化現象を出来させているこの『放射能X 』なのですが、最後にこれだけは言わねばという魅力を挙げさせていただきたいと思います。
それはもう、実質主人公であるピーターソン刑事を演じるジェイムズ=ホイットモアを筆頭とする俳優陣の確かな演技力の共演! これですよね~。
ピーターソン刑事は、見た目こそげじげじまゆ毛ががっつりつながり、むくつけき容貌で背も高くはなく、その一方でハンサムを絵に描いたようなFBI のエリート捜査官グレアムと並ぶとまるで『こち亀』の両津と中川のような既視感がものすごい人物なのですが、とにかく長年の相棒だったブラックバーン巡査をみすみす死なせてしまった悔恨の念を胸に秘め、寡黙ながらも確実に地に足の着いた捜査で巨大アリの殲滅に一身をささげる執念の刑事魂を見せてくれます。ほんとにもう……男です、漢です!! 「目は口程に物を言う」と言いますが、画面の中にこのピーターソン刑事がいると、その視線に目が言っちゃうんですよね。疑念、疲労、推理、閃き、情熱! そのすべてがセリフ無しで伝わってくる! 事件の証人のとりとめのない話を無関心に聞いているようでいて、何か引っかかるワードがあるとその瞬間にグレアムと視線を合わせて「それだ……当たってみよう。」という言外のコミュニケーションが。
いや~、この映画、相手でっかいアリよ!? アリ相手にそんな120% の刑事演技をやっていいんですかい!? ジェイムズ=ホイットモアっていうお方は生真面目と言うか不器用というか……手を抜くということを知らんのかね!!
やっぱり外見で言うと本作の主人公ペアはグレアム捜査官とパット博士の美男美女カップルなわけなんですが、本作で最も魅力的な人物は、これはもう満場一致でピーターソン刑事でしょう。クライマックスで下水道に迷い込んだ幼い兄弟(この2人のおびえる演技もめちゃくちゃ上手い)を身を挺して救出するという花道をもらったのも当然の采配かと思うのですが、できればピーターソン刑事にもハッピーエンドを与えていただきたかった……でも、その非情な展開もまた、実に本作らしいんですよね。相手が人類じゃないというだけの戦争映画になっちゃうんですよね、この映画!
そんなピーターソン刑事の他にも、美人なパット博士に出会って2言目に「それじゃホテルに行きましょうか♡」とのたまうグレアム捜査官も、硬質な本作における貴重な息抜き要員として不可欠な存在感を放っていますし、巨大アリに夫を惨殺され、行方不明になった愛する我が子たちの救出を涙ながらに待ちわびるロッジ夫人も、少ない出番ながらクライマックスの緊張感をぐっと引き締める名演を見せてくれます。あの悲痛な表情……子を持つ人にとってはたまんないですよね……何度も言いますが、この映画、相手はでかいアリなのよ!? なぜそんなに全力投球なんだ、みんな!?
ただ、そんな中でもひときわ個性的なのは、やはりハロルドとパットのメドフォード博士父娘だと思います。年齢的に言えば祖父と孫娘みたいですけど……
実はこの「博士と知的なヒロイン」というキャラクター配置は、血のつながりこそないものの『原子怪獣現わる』とそっくりなのですが、それをそうと感じさせないのは、本作におけるハロルド博士がかなりエネルギッシュな行動力を持った奇矯な人物であることと、娘のパット博士もまた知的なだけでなく、自ら勇ましいパンツルックになって巨大アリと猛毒シアンガスの充満する巣にも潜入する意志の強さを持っているからでしょう。やはりここでも、『原子怪獣現わる』からさらに先に進んでキャラクターの造形が深くなっているんですよね。ただの博士、ただの知的な女性ではないぞという個性が光っているのです。
特にハロルド博士は、独断で失語症の少女に蟻酸の匂いをかがせて恐怖体験のフラッシュバックをさせるとか、ついに出現した巨大アリを視認した瞬間にその弱点を看破して「触角を狙え! そこ以外は意味が無い!!」と的確な指示を出したりと、もしこの作品が1990年代にリメイクされていたらハロルド博士の役は確実にアンソニー=ホプキンスだっただろうなぁと思わせる、かなりエキセントリックなおじいちゃんになっています。
ただ、その一見猪突猛進な行動もまた、巨大アリの加速度的な増殖がアメリカどころか全人類の脅威となることを予見しているがゆえに、一刻も早くその根を絶たねばという焦燥感からきていることが次第にわかってくるのもまた、本作らしい用意周到な計算のうちなんですよね。ほんと、隅から隅までようできとるわぁ。
まぁこんな感じで、まだまだ言いたいことはたくさんあるのですが、この『放射能X 』は、この前後にある『原子怪獣現わる』や『ゴジラ』の影に隠れるべきでは全くない真の傑作であると思います。
特に怪獣文化が定着化している日本では、「ただアリがでっかくなっただけ」のパニック映画であると見られがちな本作にスポットライトが当てられる機会は不当に少ないような気がするのですが、この映画は間違いなく、「アリ以外」の部分にきらめく宝石のような魅力がひしめき輝いています。だまされたと思って観てみんしゃい! あ、繰り返しますが、巨大アリの外見自体はすばらしいですよ。
あと、これは見逃すわけにはいかないのですが、この作品における巨大アリこそが、世界特撮映画史上において初めて「人類の核実験によって変質したモンスター」の嚆矢であることは間違いありません。リドサウルスは目覚めただけで変質はしてないですよね。
変質と言っても単に巨大化しただけと言ってしまえばそこまでですし、5ヶ月後に生まれた水爆大怪獣ゴジラのように放射能の特性をその身に取り込んだようなコペルニクス的転換もないわけなのですが、逆に、現実の世の中にふつうにわんさといる生物が、ある日突然に人類の脅威となってしまうという意外性や恐ろしさで言うのならば、リドサウルスやゴジラのようないかにも空想然とした存在よりも、アリさんのほうが適任なのかもしれませんね。
いかんせん、その直後に生まれたゴジラの衝撃によって日陰の存在になってしまったような『放射能X 』なのですが、モンスター映画としておくには惜しいSF ヒューマンドラマとして、本作は今なお色あせぬ輝きを放ち続けているのです。
あの、消費者として喜んで購入した身の私が言うのもなんなのですが、他の映画と抱き合わせにして DVDを売るような扱いで良い作品じゃないよコレ!? 超お得だからいいけど。お暇なら、ぜひご一見を!!
さ~て、今回アリやったからさぁ、いつか今度は、私がいちばん大好きな昆虫のアレが巨大化したあの映画についても語ってみたいですね~。デッドリーまんてぃ~す!! これも造形が素晴らしいのよね。
あ、でも、アリの映画と言えば絶対に無視できない、生物パニック映画界の極北に位置するあの伝説的カルトSF にも触れないわけにはいきませんよね……パニックになってんの、何人かしかいないんだけどね。
むし、ムシ、虫、蟲! 夢は広がるなぁ~オイ☆
みなさま、年度末のお忙しい中、本日も大変お疲れさまでございました。まぁね、年度末の締めくくりもなんとか目途がつきそうになったかと思えば、当然ながらも来年度はじめの大変さがじわじわ身に迫ってくるというね……結局、人生これの繰り返しか!
そんなこんなで今月もまともに記事が更新できそうにない忙しさなのですが、今回は前回の『原子怪獣現わる』(1953年)に続きまして、なんで今やるのかはよくわかんないのですが、私が買った DVDソフトにいっしょに収録されていた、この作品についてのつれづれをつづろうかと思います。
どうしても出てくるモンスターがモンスターなので、いかんせん『原子怪獣現わる』のリドサウルスに比べると見劣りしてしまうのですが、こっちも世界特撮映画史上、決して無視することなどできない超名作なのでございますよ。
映画『放射能X』(1954年6月公開 93分 アメリカ)
『放射能X』(ほうしゃのうエックス、原題:Them!)は、ワーナー・ブラザース制作の特撮モンスター映画。
1950年代に冷戦下のハリウッドで多数製作された「放射能の影響による巨大生物」映画の1作。当初3D映画として企画されたが、当時の特撮技術では画面に奥行きを出せなかったため、実物大の巨大アリのプロップを使ってライブ・アクションで撮影された。第27回アカデミー賞の特殊効果賞にノミネートされた。
あらすじ
ニューメキシコ州の砂漠で突如起こった連続失踪惨殺事件。その唯一の生存者である少女は放心状態となっていたが、現場から採取された大量の蟻酸の匂いを嗅いだ彼女は「Them!(奴らよ!)」と絶叫した。事件の犯人は幾たびの核実験の影響により異常巨大化したアリで、砂漠の地下は彼らの巨大な蟻塚と化していた。事件の捜査に当たったピーターソン巡査部長は、生物学者のメドフォード博士や FBIのグレアム捜査官らと協力して毒ガスによる殲滅作戦を行うが、時すでに遅く女王アリは巣立った後だった。
ピーターソンたちは、砂漠から消え失せた女王アリがロサンゼルスへ向かい、その地下を縦横無尽に走る下水道を新たな巣穴としていたことを突き止める。軍は巨大アリを根絶すべく、火炎放射器で武装した歩兵部隊を総動員する。幼い兄弟がアリにさらわれたことを知り、単身で巣穴へ潜入したピーターソンが見たものは、無数の卵とそれを守る女王アリの威容だった。
主なキャスティング
ベン=ピーターソン巡査部長 …… ジェイムズ=ホイットモア(32歳)
ハロルド=メドフォード博士 …… エドマンド=グウェン(76歳)
パット=メドフォード博士 …… ジョアン=ウェルダン(20歳)
ロバート=グレアム捜査官 …… ジェイムズ=アーネス(31歳)
キビー少佐 …… シーン=マクロリー(30歳)
オブライエン司令官 …… オンスロウ=スティーヴンス(52歳)
アラン=クロッティ …… フェス=パーカー(29歳)
ロッジ夫人 …… メアリー=アランホカンソン(37歳)
生き残った少女 …… サンディ=デスチャー(8歳)
エド=ブラックバーン巡査 …… クリス=ドレイク(30歳)
主なスタッフ
監督 …… ゴードン=ダグラス(46歳)
脚本 …… テッド=シャードマン(45歳)、ラッセル=ヒューズ(44歳)
音楽 …… ブロニスラウ=ケイパー(52歳)
美術 …… スタンリー=フライシャー(50歳)
制作・配給 …… ワーナー・ブラザース映画
はい、というわけでございまして、巨大肉食恐竜リドサウルスに続きまして、今回は核兵器実験の影響によって体長2.5~3.5m もの巨大肉食アリが生まれてしまったというモンスターパニック映画となります。
本作はスタッフの陣容からしても『原子怪獣現わる』とは直接のつながりのない作品なのですが、どうやら当時、制作・配給のワーナー・ブラザース映画では「原子力の未知のエネルギーによって恐怖のモンスターが出現する」というコンセプトの映画が立て続けに作られていたようで、そういう意味では確実に本作は、前年にヒットした『原子怪獣現わる』に続く作品となっているのです。あれか、『ゴジラ』(1954年)と『獣人雪男』(1955年)みたいな関係なのか。
とは言いましても、本作での看板モンスターとなる「巨大アリ」は、文字通りほんとに「バカでかいアリ」と形容するしかない生物感ありありのキャラクターでして、まるっきり空想の存在であるリドサウルスとは全く異なる方向性のモンスターとなっております。
地味……地味なのよね、この映画! でも、とんでもない名作なんですよ、これ。
比較してみれば、リドサウルスは北極圏での水爆実験によって長い冬眠状態から目を覚ました体長30m の肉食恐竜なのですが、バズーカ砲や機関銃といった通常兵器がけっこう有効ではあるものの、血などの体液が飛散すると人類にとって非常に有害な未知の病原菌が蔓延してしまうという大きな脅威を抱えた存在でありました。リドサウルスを殺すこと自体は可能なのですが、その手段を熟慮する必要があるわけなんです。
それに対して今回の巨大アリはといいますと、まず人体に致命的なダメージを与える鋭利な大アゴと、致死量20人分の蟻酸を注入できる腹部の毒針が大きな武器ではあるものの、頭部にある2本の触角が弱点であるためそこさえ狙えば拳銃でも倒すことができ、火炎放射器などによる火の攻撃にも非常に弱いという、よりリアルな害獣、害虫のような存在になっています。人間よりでかいアリというと確かに恐ろしいのですが、冷静に対処すれば1匹1匹の脅威度は低いんですよね。
うん、1匹1匹は別にそうそう怖くもないんですよ……でもこのモンスター、アリなんだよ!
そうなんです、今回の巨大アリの厄介な問題は、「ほっとくと際限なく増える」というところ! ここなんですよ。
なので、本作の見どころは色々とたくさんあるのですが、その中でも最大の魅力は何なのかと言いますと、物語に冒頭からクライマックスまで貫かれる「人類と巨大アリとの、一分一秒を争う生存競争」の緊張感! これに尽きるのではないでしょうか。
ほんと、本作は物語の構成の密度において、『原子怪獣現わる』のたった1年後の作品だとはにわかに信じ難い、ひとつ上のフェイズに到達しているのです。進化が早いな!
いや、『原子怪獣現わる』だって、当時としては中だるみの少ないハイテンポな作品なのですが、ほら、いきなり実物のかわいらしいタコとサメの喰い合いをえんえん1分も流すようなほんわかトンチキ感もあったじゃない? それと比べると、本作『放射能X 』にも登場人物が軽快な冗談を言い合うようやり取りはあるのですが、なんか全体的に「これから起きうる最悪の事態から目を背けたくてわざとふざけてる」みたいな、全然笑えない空気が作品世界を覆っているんですよね……要するに、制作スタッフの姿勢と俳優陣の演技が真剣そのもの! 子どもだまし感や稚気がまるで感じられないのです。
たかが、でっかいアリの繁殖パニックに、なぜこれほどまでにギリギリの緊迫感を生むことができるのか。それはもう、本作が制作された1954年当時の米ソ冷戦体制をかなりもろに作品に投影しているからなのではないでしょうか。
そのリアルな空気が最も如実に表れているのが、終盤でロサンゼルス市内に地下下水道の巨大アリの巣を殲滅するための戒厳令が発令される時の描写なんですよね。
『原子怪獣現わる』では、リドサウルスが突然ニューヨークに上陸したためにビル街を人々が逃げ惑うという典型的な描写にとどまっていたのですが、本作ではアメリカ軍が用意周到に新聞各メディアへの情報統制を敷いた上で、満を持してテレビ・ラジオ全局の放送をジャックして「ロサンゼルス市民の皆様、只今より緊急放送を行います。どうか電源を切らずにそのままお聞きください。繰り返します……」というアナウンスが始まります。あまりにも唐突に「今夜18時からの外出を禁じます」という命令が発せられるわけなのですが、驚くべきはそれを聞いた市民の反応で、かなり冷静にそれを承知して、まるで何もなかったかのように、放送が終わるとまた静かにおのおのの生活行動を再開するのでした。また日常の時間が始まるのかとも思えたのですが、市道には徐々にものものしく武装したジープが増えてきます……
すごいですよね、この淡々としたくだり! 誰もパニックにならないんですよ、モンスターパニック映画なのに! これぞまさに、数ヶ月後の『ゴジラ』における「また疎開かぁ……」の先を行く演出だと思います。
むしろ、ロサンゼルス市民は「なんだ、でかいアリの駆除か。」くらいのホッとした感で受けとめたのかも知れません。まぁ、アメリカとソ連の全面核戦争が始まるよりはずっとましですよね……
そんなこと言うんだったら『原子怪獣現わる』だって、制作時期的にはおんなじじゃねぇかと思われるかもしれないのですが、この両者は同じ「核実験きっかけのモンスターパニック映画」ではあっても、実はそのアプローチの仕方がまるで違うのです。
大事な相違点は2つあって、1つ目は「どんな核実験で事件が起きたのか」という点です。
『原子怪獣現わる』でリドサウルスが覚醒するきっかけとなったのは、アメリカ軍が北極圏で行ったという1950年代前半当時最新の水爆実験でした。いくら人口密度が少ないとはいえ、そんなことをされる北極圏もたまったもんじゃないのですが、主人公がそれを推し進めている研究者その人であるし、リドサウルスを退治する最終兵器も放射能を利用したものだったので、核実験そのものを明確に糾弾する雰囲気にはなっていない印象です。原子力の使い方には注意しましょう程度の危機意識でしょうか。
また、実験場がアメリカ本土でないこともあいまって、核の脅威がいまひとつ観客にピンとこない他人事感を持っていることも見逃せませんね。でも北極圏だなんて、そんなとこでやったらソ連が気づかないはずないでしょ! ケンカ売ってんのか!?
一方、それに対してこの『放射能X 』はと言いますと、巨大アリが生まれたきっかけが約10年前の1945年7月16日にニューメキシコ州ホワイトサンズで行われた「トリニティ実験」での人類初の原子爆弾の試験爆発が原因らしいと推測されているのです。ただ、本作における女王アリの繁殖サイクルの速度から見ても、約10年前に被爆したアリが巨大化して存命しているわけではなく、何世代もの代替わりを経た上で巨大化し、ついに砂漠にキャンプにやってきた一家と接触してしまったという解釈になるでしょうか。
ちょっと、トリニティ実験ってそれ、世界中の教科書に載ってる人類史上の超重要な出来事よ。しかも、曲がりなりにもアメリカ合衆国を戦勝に導いた栄光の1ページなんじゃないの? それを、こうもはっきりと「人類滅亡の扉を開いた」みたいな負の扱いにするとは。日本人としては「ほんとにアメリカ人が娯楽映画として作ったの?」とびっくりしてしまうような覚悟の決まり方です。同年、本作公開の5ヶ月後に産声を上げた我が国の『ゴジラ』もそうとうに純度の高い反戦反核映画なのですが、この『放射能X 』も、単なるゲテモノSF 映画とは片付けられない硬度のある意志を持った作品なのです。
クライマックスで科学者が「原子力の最初に実験ですらこれほどの怪物が生まれたのだから、これからは……?」とつぶやく名セリフも、『ゴジラ』の山根博士の言葉に並ぶヘビーな名言だと思いますね。たかがアリ映画と侮るなかれ!
『原子怪獣現わる』と『放射能X 』との相違点の2つ目は、やはり登場するモンスターのリアリティだと思います。
リドサウルスは、確かにハリーハウゼンのストップモーション撮影の技術の高さを存分に楽しめる名キャラクターではあるのですが、やはりその独特の憎めないデザインやなめらかなアクションは、怪獣でこそまだないものの、愛嬌すら感じられる空想上の存在のそれです。
それに対して今作の巨大アリは、もうただただ「でかいアリ」としか言いようのないリアルな作りとなっており、実物大の動く模型をほんとに何体も作って撮影しているだけあって、触っただけで手が切れそうな硬い剛毛がびっしり生えている表皮やざらざらした表面の大アゴが迫ってくるさまは「怖い」というよりは「キモい」に近い嫌悪感を抱かせる害虫的存在にならしめています。
まぁ、何と言いましてもあの『ゴジラ』さえ生まれていない時代の特撮技術なのですから、やはり2~3m の造形物が人間の動きに追いつけるほどなめらかに移動できるはずもなく、まるで日本のお祭りの山車か、大阪なにわの伝説の巨獣「かに道楽の看板」のごとき大雑把で緩慢な動きしかできないので、そういった意味での愛くるしさはあるのですが、その造形物のマイナスを補って余りあるのが、『原子怪獣現わる』ではほとんど見られなかった「恐怖の婉曲的表現」なのです。
まず何はなくとも、開幕でいきなり登場する「恐怖のあまり失語症になった少女」という謎の提示の仕方がすばらしく魅力的ですよね。これ、演じる子役の女の子の演技力の高さもあいまって、ほんとすごい!
恐怖の主体自体は出てこないのに、それを恐れるあまりに普通でなくなった被害者の様子から、その主体の恐ろしさがビンビン伝わってくるという演出はそれ以外にも、むごたらしく破壊されたキャンピングカーや雑貨店、そして発見される店主の惨殺死体といったお膳立てによって的確に配置されていきます。そして、死体から採取された蟻酸の匂いによって少女が絶叫して発した言葉こそが、この映画の原題であるという、この美しさすら感じられる構成の妙! もはや匠の技の域ですよね。
モンスター映画の定番キャラである目撃者、生存者自体は『原子怪獣現わる』にも出ているのですが、「誰も証言を信じてくれない」という面がコミカルに描かれるだけで、ちょっと本作の少女とは同列に扱えない次元の違いがあります。本作において飛翔する女王アリを目撃した青年アランのくだりもコメディチックではあるのですが決してそれだけには終わらず、あれだけ羽アリにしか見えない姿をしてるのに本人は「UFO だ!」と言い張っているのが、当時の「空飛んでる変なやつはみんなUFO 」という固定観念を象徴しているようで実に興味深いですね。ちなみに、あの「ロズウェル事件」が起きたのは1947年で、場所は何と本作と同じニューメキシコ州! そりゃ UFOって言うよね~。
あと、前回の記事とやり方がかぶるのですが、リドサウルスと巨大アリとでその姿が本編中に初登場した時間を比較してみても、リドサウルスが「10分ちょい」なのに対して巨大アリは「28分」という驚異のじらしっぷりになっています。でも退屈しないんだよねぇ、出てきてもただのでかいアリなのに。それはやっぱり、そこにいくまでの演出と演技が十二分に魅せてくれるからなんですよ!
いや~……これほんと、『原子怪獣現わる』のフォロワーとはとてもじゃないけど言えないクオリティの高さですよ。
必ずしも、本作の制作スタッフが『原子怪獣現わる』を参考にしたりライバル視したりしていたのかどうかは定かでないのですが、確実に言えるのは、当時、映画制作スタッフ全員が現場に到着した巨大アリのハリボ……いやいや造形物を目の当たりにして、
「駄目だこいつ……早くなんとかしないと……」
と、夜神月のような凍りついた表情になったことだと思います。いや、デザイン自体は素晴らしいと思うんですが、いかんせん動きがね。
結局、やはり創作の現場というものは「危機感」や「緊張感」が肝要なんじゃないでしょうか。そのために演出家がスパルタになるというのもいけないとは思うのですが、やはり「必要は発明の母」と同じで、「何かアイデアをぶち込まないとヤバいぞ!!」という危機意識が本作においては大いなる推進力となり、脚本、演出、演技、カメラアングルと、全方位から知恵を振り絞って巨大アリを怖く見せようとする団結が生まれたのだと思います。
これもう、クラス中が性別や学校内ヒエラルキーの垣根を超えて、自分たちの企画したショボいお化け屋敷をなんとか怖くしようと協力し合う文化祭のノリに近い、思わず目頭が熱くなるようなパッションを感じますよね。青春だね~!! タイムマシンで当時の撮影現場に行って、ポカリスエット10ケースを贈りたい。でも、「え? スエットって、汗……?」ってドン引きされるんだろうなぁ。
あーだこーだ言っておりますが、本作は公開から半世紀以上経った21世紀現代でも、観る者に大いなる示唆を与えてくれる稀有な名作です。その示唆とはすなはち、
「文句言ってるヒマがあったら、ありもんを120% 活用する知恵をしぼれ! Just do it!! 」
まさにこれですよね。
ほんと、本作は数千数万という数の力が恐怖の主体であるアリをモンスターにしておきながら、実際の造形物は映像を観る限り、1~2体の動くものと2~3体の全身模型、そしてアップ用の頭だけ上半身だけの模型が1~2セットという手駒の具合なんですよ。無謀や! あまりにも無謀な闘いやでぇ、ゴードンはん!!
でも、そこをちゃんと見事に成立させてしまうのがものすごいところで、要するに巨大アリの本拠地は細長い迷路のような坑道が縦横無尽に曲がりくねる巣の中だったりロサンゼルス川の下水路だったりするので、奥行き10m くらいですぐ曲がり道になる狭い空間を2~3頭の巨大アリが埋めてくれたら、それでもう充分に無数のアリの圧力は感じられる画面になるんですよね。数千数万という情報は役者がセリフで言えばいいのであって、バカ正直に数千数万の巨大アリを画面に並べる必要などまったくないのです! 昨今の、頭のひとつも使わずに予算にかまけてCG 作画でなんでもかんでも絵にしちゃう大作映画は、『放射能X 』の爪の垢でも煎じて飲めい!!
ただ、クライマックスの巨大アリ軍団 VS アメリカ軍の大決戦の中で、下半身がなく台車のような構造がもろだしなアリがちらっと見切れてしまうのは、カンベンな!!
だいたい、そんな最終決戦の舞台となるロサンゼルス川も、コンクリートで無機質なアリ地獄のように整地された情景が非常にSF 的であり近未来的なのですが、そもそもほんとにある既存の施設のロケ撮影なんだもんね! まぁ水路内はスタジオ撮影だったとしても、やはり製作費節約の知恵は最後まで活用されていたと思います。いやほんと、その一貫した制作姿勢に頭が下がります……
あと、本作にアリの幼虫は登場しません。アリの幼虫というと端的に言えばウジのような半透明の生物になるはずなのですが、本作にはチョココロネみたいな形の卵こそ出てくるものの、他には成虫態のアリしか出てこないのです。
たぶんこれ、予算と撮影技術上の都合で複数タイプの造形物を制作できないことが原因だと思うのですが、どこまでも生真面目一本道な本作の制作スタッフはこの不可思議な欠落を完全無視で押し通すのではなく、なんと真正面から登場人物のパット博士に「どうして幼虫がいないのかしら?」と疑問の形で触れさせ、彼女の父であるハロルド博士からその回答として、
「それだけ成長速度が速いということじゃ。生存戦略の究極の形じゃよ……!!」
と言わしめているのです。これ、すごくね!? 制作上の窮状を自分からぶっちゃけといて、それを巨大アリの脅威の増幅に転換してるんだぜ……このノーガード戦法の肝の座りよう! 薩摩隼人もビックリよ。
さぁこんな感じで、作品の目玉であるはずの巨大アリの造形物「以外」をほめ出したらキリが無いという、奇しくも作中で現れた巨大アリの巣の入口のごとき奇妙なドーナツ化現象を出来させているこの『放射能X 』なのですが、最後にこれだけは言わねばという魅力を挙げさせていただきたいと思います。
それはもう、実質主人公であるピーターソン刑事を演じるジェイムズ=ホイットモアを筆頭とする俳優陣の確かな演技力の共演! これですよね~。
ピーターソン刑事は、見た目こそげじげじまゆ毛ががっつりつながり、むくつけき容貌で背も高くはなく、その一方でハンサムを絵に描いたようなFBI のエリート捜査官グレアムと並ぶとまるで『こち亀』の両津と中川のような既視感がものすごい人物なのですが、とにかく長年の相棒だったブラックバーン巡査をみすみす死なせてしまった悔恨の念を胸に秘め、寡黙ながらも確実に地に足の着いた捜査で巨大アリの殲滅に一身をささげる執念の刑事魂を見せてくれます。ほんとにもう……男です、漢です!! 「目は口程に物を言う」と言いますが、画面の中にこのピーターソン刑事がいると、その視線に目が言っちゃうんですよね。疑念、疲労、推理、閃き、情熱! そのすべてがセリフ無しで伝わってくる! 事件の証人のとりとめのない話を無関心に聞いているようでいて、何か引っかかるワードがあるとその瞬間にグレアムと視線を合わせて「それだ……当たってみよう。」という言外のコミュニケーションが。
いや~、この映画、相手でっかいアリよ!? アリ相手にそんな120% の刑事演技をやっていいんですかい!? ジェイムズ=ホイットモアっていうお方は生真面目と言うか不器用というか……手を抜くということを知らんのかね!!
やっぱり外見で言うと本作の主人公ペアはグレアム捜査官とパット博士の美男美女カップルなわけなんですが、本作で最も魅力的な人物は、これはもう満場一致でピーターソン刑事でしょう。クライマックスで下水道に迷い込んだ幼い兄弟(この2人のおびえる演技もめちゃくちゃ上手い)を身を挺して救出するという花道をもらったのも当然の采配かと思うのですが、できればピーターソン刑事にもハッピーエンドを与えていただきたかった……でも、その非情な展開もまた、実に本作らしいんですよね。相手が人類じゃないというだけの戦争映画になっちゃうんですよね、この映画!
そんなピーターソン刑事の他にも、美人なパット博士に出会って2言目に「それじゃホテルに行きましょうか♡」とのたまうグレアム捜査官も、硬質な本作における貴重な息抜き要員として不可欠な存在感を放っていますし、巨大アリに夫を惨殺され、行方不明になった愛する我が子たちの救出を涙ながらに待ちわびるロッジ夫人も、少ない出番ながらクライマックスの緊張感をぐっと引き締める名演を見せてくれます。あの悲痛な表情……子を持つ人にとってはたまんないですよね……何度も言いますが、この映画、相手はでかいアリなのよ!? なぜそんなに全力投球なんだ、みんな!?
ただ、そんな中でもひときわ個性的なのは、やはりハロルドとパットのメドフォード博士父娘だと思います。年齢的に言えば祖父と孫娘みたいですけど……
実はこの「博士と知的なヒロイン」というキャラクター配置は、血のつながりこそないものの『原子怪獣現わる』とそっくりなのですが、それをそうと感じさせないのは、本作におけるハロルド博士がかなりエネルギッシュな行動力を持った奇矯な人物であることと、娘のパット博士もまた知的なだけでなく、自ら勇ましいパンツルックになって巨大アリと猛毒シアンガスの充満する巣にも潜入する意志の強さを持っているからでしょう。やはりここでも、『原子怪獣現わる』からさらに先に進んでキャラクターの造形が深くなっているんですよね。ただの博士、ただの知的な女性ではないぞという個性が光っているのです。
特にハロルド博士は、独断で失語症の少女に蟻酸の匂いをかがせて恐怖体験のフラッシュバックをさせるとか、ついに出現した巨大アリを視認した瞬間にその弱点を看破して「触角を狙え! そこ以外は意味が無い!!」と的確な指示を出したりと、もしこの作品が1990年代にリメイクされていたらハロルド博士の役は確実にアンソニー=ホプキンスだっただろうなぁと思わせる、かなりエキセントリックなおじいちゃんになっています。
ただ、その一見猪突猛進な行動もまた、巨大アリの加速度的な増殖がアメリカどころか全人類の脅威となることを予見しているがゆえに、一刻も早くその根を絶たねばという焦燥感からきていることが次第にわかってくるのもまた、本作らしい用意周到な計算のうちなんですよね。ほんと、隅から隅までようできとるわぁ。
まぁこんな感じで、まだまだ言いたいことはたくさんあるのですが、この『放射能X 』は、この前後にある『原子怪獣現わる』や『ゴジラ』の影に隠れるべきでは全くない真の傑作であると思います。
特に怪獣文化が定着化している日本では、「ただアリがでっかくなっただけ」のパニック映画であると見られがちな本作にスポットライトが当てられる機会は不当に少ないような気がするのですが、この映画は間違いなく、「アリ以外」の部分にきらめく宝石のような魅力がひしめき輝いています。だまされたと思って観てみんしゃい! あ、繰り返しますが、巨大アリの外見自体はすばらしいですよ。
あと、これは見逃すわけにはいかないのですが、この作品における巨大アリこそが、世界特撮映画史上において初めて「人類の核実験によって変質したモンスター」の嚆矢であることは間違いありません。リドサウルスは目覚めただけで変質はしてないですよね。
変質と言っても単に巨大化しただけと言ってしまえばそこまでですし、5ヶ月後に生まれた水爆大怪獣ゴジラのように放射能の特性をその身に取り込んだようなコペルニクス的転換もないわけなのですが、逆に、現実の世の中にふつうにわんさといる生物が、ある日突然に人類の脅威となってしまうという意外性や恐ろしさで言うのならば、リドサウルスやゴジラのようないかにも空想然とした存在よりも、アリさんのほうが適任なのかもしれませんね。
いかんせん、その直後に生まれたゴジラの衝撃によって日陰の存在になってしまったような『放射能X 』なのですが、モンスター映画としておくには惜しいSF ヒューマンドラマとして、本作は今なお色あせぬ輝きを放ち続けているのです。
あの、消費者として喜んで購入した身の私が言うのもなんなのですが、他の映画と抱き合わせにして DVDを売るような扱いで良い作品じゃないよコレ!? 超お得だからいいけど。お暇なら、ぜひご一見を!!
さ~て、今回アリやったからさぁ、いつか今度は、私がいちばん大好きな昆虫のアレが巨大化したあの映画についても語ってみたいですね~。デッドリーまんてぃ~す!! これも造形が素晴らしいのよね。
あ、でも、アリの映画と言えば絶対に無視できない、生物パニック映画界の極北に位置するあの伝説的カルトSF にも触れないわけにはいきませんよね……パニックになってんの、何人かしかいないんだけどね。
むし、ムシ、虫、蟲! 夢は広がるなぁ~オイ☆
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