蘭の国から

富貴蘭を中心に我が家の植物栽培や自生地紹介等など

錦麒麟

2014年09月26日 | 富貴蘭(豆葉)

今日は錦麒麟(きんきりん)です。



私が富貴蘭に夢中になりはじめた頃に、当時の高知の富貴蘭会長さん宅で芽変わりしました。
故福森正さんは親子二代にわたっての富貴蘭愛好家で、親父さんの東洋雄氏は花ものの先駆けとなった桃源と春及殿を発見されており、
親子そろって富貴蘭界に大きな足跡を残されました。









さてこの錦麒麟、いい木が入ったと東海園さんが持ってきてくれて6~7年でしょうか、そこそこ見れる株になってきました。









親木は購入時よりも幾分派手になってしまいましたが、子供はそこそこの柄でいってますから、まずまずといったところでしょうか。
このまま株立ちにするか、割ってしまうか。春には悩んでしまいそうです。



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大量のフウラン

2014年09月24日 | 自生地


先日我が家に大量のフウランがやって来ました。



ご近所さんが、庭木を切ったらフウランがいっぱい着いてからと、持ってきてくれました。なんとまぁ、たいそうな量です。
ちゃんと枝ごとに切ってくれてたので、我が家の入り口に組み上げてみました。





我ながらよく出来ました。こんな時には例のモジャモジャが役に立ちます。
仕上げにパット散らしたら、あら不思議、一気に自然な感じに。しかも遮光も兼ねてます。





こちらはいつぞやのキバナノセッコク。





いつのまにか我が家の入り口がジャングル化してきてます。
来年はこのままにしておくとして、再来年にはどこか着けることを考えなければいけません。



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阿波墨錦

2014年09月23日 | 富貴蘭(縞)

今日は阿波墨錦(あわすみにしき)です。



20年ほど前に半田素麺で有名な徳島県半田町で発見されました。
当時は『半田錦』と呼ばれていましたが、写真を拝むだけでなかなかお目にかかることは出来ませんでした。

その後『阿波錦』と改名されてある程度に増殖され、私も派手目な木を1つ購入して作っていました。
正直さほど気にも留めていなかった品種で、登録したいと言う方がいるとの話を聞いた時には、
この程度の品種を登録しても…とボロッと言ってしまい、
その話を伝え聞いて断念され、株立も手放されたとかで、何とも申し訳なく思っております。









その後、墨が入るとの話を聞き、数鉢購入し…はまってしまいました。
中には墨がベタベタテカテカの木もあり、整理するため『阿波墨錦』と名前を付けました。
墨が出ることを強調する意味と、阿波錦の名前で別品種も流通していることから付けてみましたが、今後整理が必要かもしれません。









しかしながら、どんどんとその魅力に惹かれていく程に、返す返す先の方に申し訳なく、自責の念が増すばかりです…
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月下美人

2014年09月21日 | 富貴蘭(覆輪)

今日はアマミ系黄大覆輪の月下美人(げっかびじん)です。



今年の春、東海園さんから購入しました。







玉子色と言ったらいいのか、なんともほんわかとした黄色です。でも玉子覆輪ではカッコ悪いので、月下美人にしました。









親は派手目で子供は中透け?いやいやこのあと転覆して覆輪になります。なってくれるはず、、なってほしいな。
ホウサイランにはありそうな柄ですが、富貴蘭では珍しいタイプだと思います。これは良い買い物だったかなと思ってます。今のところ。
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曼珠沙華

2014年09月19日 | その他の草花


今日は真っ赤な曼珠沙華(まんじゅしゃげ)です。



と言ってもフウランの曼珠沙華ではなく、ヒガンバナです。
梅雨のような夏がやっと開けたかと思ったら、もうこの花の季節になってしまいました。







情熱の赤と言ってもおかしくない色をしているのに、何とも寂しげです。
この感覚は文化的美学に基づくもので、田舎育ちの私は、この花を見るとどうしてもお墓を連想してしまい、決して庭に植えたりはしません。
この感覚は日本人独特なもので、西欧人にとっては本能的美学に訴える素晴らしい花壇用球根です。



私たちが楽しむ富貴蘭などの伝統園芸植物も、明らかに文化的美学に基づく美意識によるものです。
単に視覚的に美しいと言うのではなく、様々な知識や経験を通した目線で、独特な美意識をもって観賞しているといった意味です。

いつの日か、日本中の花壇に普通にヒガンバナが植えられるような時代がやって来るかもしれませんが、
いにしえより伝わる花卉園芸文化が決して廃れないように、大切に守り育て、受け継いで行きたいものです。


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