おにぎりとか非躍。

2022-09-18 23:50:20 | ・たべもの。
きのう土曜日の朝、お味噌のおにぎりが食べたいと思うと同時に、陽気のことを考えて酢飯がいいかな、となった挙げ句に、すし酢とお味噌を混ぜたものを手に取ってぽろぽろするのをむりやりラップで包んじゃったらそりゃうまいもんじゃあありませんぜ。



最近たまにラジコを聴く。あえて聴きたいラジオ番組はそう多くはない。人名で検索してマイリスト登録をして、たまあに気が向いたときに「いますぐ聴ける」をクリックする。

いまふと思い出したが、リアルラジオにセットしてあるのはAMFM切り替えでTBSとJwaveで、ラジオ広告の広告はもう珍しくなくなっているけれど、きょう家人の見るテレビの音声がテレビ広告の広告を発していることにびっくりして局を見に行ったほどだった。局だけ確認して(ちなみにTBS)広告画面は見ていない。ターゲットはネットよりテレビに信をおく中高年経営者もしくはプレ起業者とかだろう。プライドをかなぐり捨てた感が少し寂しい、としたらあなたも年寄りですね。



先週木曜日、じつにめずらしく殆どブレーキなくものごとをこなしていた。殆ど、というのは、それに気づいて逆に本当はダメなんじゃないかと思ったり珍しがったりという自発ヨコヤリのせいである。
えいえんにムリそうだった地元のひとへのLINEが送れ、翌金曜日はブレーキを感じながらもおひるごはんをご一緒できた。

戻って木曜日。シゴトの古い資料を捨てたりする元気もあった。箱の下のほうにメモ用紙にかいたものが入っていた。自分の記憶に残るあれやこれやは大事にしまっていた分、捨てるときにもまとまっていたのだろう。左下は十代で、今はウチのない住所がなぜだなぜか書かれている。右上は高遠町近くの廃村にて。切れている上部左に廃屋あり。いちばん新しい右下の切り貼りは2006年だからここの画像フォルダにも入っているかもしれない。





返却期限の新書(タイトルが個人文法的に疑問符がつく)斜め読み。ある意味オムニバスのよう。坂茂氏による邸宅をちょっと見てみたい。


───
「一汁一菜でよいと至るまで」 p.217

たとえ暑い日に一日中持ち歩いても、傷む心配がないことが携帯食の条件です。
そのためにやるべきことは、米はきちんと水が澄むまで洗って、何度も取り替えてから
ザルにあげること。40分ほど時間を置いて給水すること。
洗い米をきれいな水で水加減して、すぐに炊くこと。
念入りに手を洗うこと。
炊き立ての熱々をまとめること。
手塩をしてむすび、表面に塩の壁を作ること。
すず竹など通気性の良い弁当箱に入れること。
こうした先人の知恵は、目に見えないものの存在を意識した人間の振る舞いです。
こうした手順は、雑菌を「入れない」、「殺菌」、「増やさない」という、衛生管理の原則を超えた複雑な道理に適った知恵の産物です。科学的な細部の知識というより、大きなものを総合的に捉える直観的な判断で得た経験や知恵を土台とする慣習にこそ、自然と人間の関わりにある深い思想が表れるのです。 これに加えて、姿形にこだわらない、おいしく作ろうなんて思わない





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