かおの矯め。

2007-06-22 03:34:31 | ・ことばの尻尾踏み。
温泉爆発より原発爆発のほうがこわいですってだれも言いませんねえ。


とんでもありませんとかとんでもございませんというのを聞いてもそれほど違和感を感じないのが正直なところだが、それがとんでもない間違いだというのは、もったいありませんとももったいございませんとも言わないことと似ていると思った。

違うじゃんね。どっちも動詞じゃないのよ形容詞なのね。なのだった多分ね。それから、嘉田さん老けたよねと思った。

ヒラリーは既に大統領でこれは再選かと錯覚した。アメリカである、最高のアンチエイジング系スタッフともお知り合いであろうと決めつけて。転機的な苦労などなくても矯めが切れたように老けるときはある。

鏡で自分の顔を見るときに一々覚悟などするのは疲れるから気を逸らしながら見るか、もしくは顔を寄せて一部拡大図のように見るから化粧残しが出るのは稀ではないし、髪を梳かすときなどは顔から視点がほぼ完全に逸れていたりするものだから、出先で夜間、窓に映るその顔の全体像が自分の顔と認識されてだまって驚愕する。

調子のいいとき、ちょっといい顔ツキをしているのではないか、と、それでも明るく強調した表情をつくるのは忘れずに覗く鏡に、疲れが強調された顔が映ったりする。もうだめえさいてえと被虐的に覗いたら妙にウイウイしかったという記憶もある。


ファッションに疎くても化粧だけは念入りな女性というのはいる。自分を少しでも美しく見せようとする気持ちがないおんなはだめなんだそうな。女を歓迎するデパートはトイレの鏡の照明に気をつかう。

鏡は、顔よりも化粧道具のほうに近い。と、いうのは、逆を狙った言い損ね。



そらで自分の顔を見ることがある。ふとした折に ぁ いま表情のバランスが崩れているな、と思うのである。さきほど白い検索画面を見ていたら見えたのでこれを書き始めた。皮膚が弛んだ感覚を伴う、というためだけではない、そう悪くもない矯め切れ感。




先天的視覚障害者の自分の顔、は何だろう。──自分の顔というのは、たまに見える前髪ほつれ髪と微かな鼻先および世界への覗き穴であるばかり。

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1.ことしは、ひこにゃんブームなんだそうな知らなんだ。
2.ことしは、もひかひたらねこダニノミかかゆいかゆい。
コメント (2)
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