だらだら。

2007-06-03 23:55:08 | ■だらだら。
中学のころそれは私ひとりではなくチュウニボウの少なくない感覚らしいのですが、まわりのひとが大抵ばかに見えました。職場見学のバスに乗って千葉市以北というか以西というか幾つかの企業を回り給料や暮らしを少し考えましたが、最終的な選択は県立の中で偏差値が一番低い高校でした。教育に熱心でない二親にその意味は通じようもないのに。その単科の女子校に行ったら、まわりのひとがみんな自分よりずっと利口なことに気づきました。後付けの物言いですが、父も母も愛の乏しい人でした。母に対しては一貫していました。やさしいふりだけでいいのに。でした。父に対しての私の情は主に同情でした。酒の臭いと湿度を放つ父に高く抱き上げられるのを拒まない年齢一桁の私と何もしないからと懇願の目であける掛け布団の中のほんの数分に何か話したのかすら忘れた年齢二十歳の私も結局かわりはなかったような気がします。父の死後何の感興も示さぬまま母は言いました。年をとっても旅行にすら連れていってくれなかった。自分から誘わぬのみならず父にもし誘うだけの才覚?があったとしても無視したとしか思えない私は母にとっていちばんの無理解者かもしれません。母は二、三年だけだったと思いますが福音館の母の友を愛読しており、私はそれを読んでは母と母の友とのイメージの乖離を思いました。母は同情を遮断します。父を度々幼時同様に○○ちゃんと呼んでいた祖母の抽斗には優等賞と大書された父への賞状が何枚も保管されていました。先日番組内でタモリが新橋の飲み屋のママと4月生まれですか戦中ですね私は戦後ですなどと談笑していましたね。終戦前後に生まれた男女が高校時代は身近な教師として多くいました。男性に比べて女性はおしなべて思慮深くかつ明快でした。いちばん洗練されたおしゃれをするボーイッシュな家政科教師は男女を全く同じ条件で教育すれば個人としての差しか生じないと断言していました。私はそれについてそうかなあと訝しむ程度で、突き詰めて考えることはありませんでしたが、私ひとりを見て女というものを低く判断しないでね、と看板しょって歩きたい気分はありました。あの世代は当時で言うところのウーマンリブ的な考えが経済あるいは何もかもと似て今よりも楽観視された時代にいた人たちかもしれません。ジャンルはわかりませんが、私の目にする多くの男たちの気分は女はやっぱり素直なのがいちばん。でした。男ってばかだなあ女が何でもやると言っているのにらくちんよりも名をとるんだねえとそんなことを考えなくなる二十代初期までよく思ったものです。主義主張もなく、yokoさんの日記の一部を読んでただ思い出す絵のようなイメージを文字で書いていくと時間がかかり、夢のようにその多くを忘れていく幸い。


男ってバカと大言するナカジマさんは皇室大好きな右翼系ですが私ってバカとしか言えない国賊系の私とそれなりに話が合うのは、互いにひとへの思いやりがあるせいでしょうか、互いにひとの話を聞かないからでしょうか、要するに結論的にはぱっとしないじんせーという共通項でしょうね。往時の教師たちと同世代ですね。よくわかんないけど信念があるひとっていいわねーとか思います。ハンカチとマーの話をしたら、ゴシップ通でもあるナカジマさんによるとハンカチの母が本を出したとのこと。トモダチの息子がハンカチだったらあらあらまあまあやったねーすてきなむすこじゃんなどと言うほかはありません。いずれ自分好みのヨメをもらったら既にオヤ好み。ってやつなんだろうなんて勝手に想像します。

マー応援者よりオールスター投票を1日5回よろしくとのメールがあり、1人で5回なんてすっきりしないけど、ガンバッテいるひとには可能な範囲で協力することにしているので可能な範囲でシテいこうと思います。(‥ )


Amazon投稿はボツとなった模様です。例によって自分の文章は控えずにいたので何書いたか忘れましたが、ボツの条件には十二分だったかもしれませんへらへらぐすん。


コメント (1)
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