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日本語の特質  議論に向いていない

2015年07月30日 09時00分00秒 | 雷日記
こんにちは、落雷抑制システムズの松本です。

日本語を守ることは大事なのですが、言葉を生みだした文化の違いで、英語と日本語には大きな違いがあり、例えば、フランスでの報告ですが、日本語を習うようになってから性格や行動が温和になったというのです。 日本語は気持ちを分かりあうような優しい人間関係で成立する言語で、世界で必要な「戦い合う言葉」としては不適切なツールの様です。 戦う言葉には論理が必要ですが、それを扱うには適した言語ではない、と言うより、日本の文化自体が戦う事、対立する事をを忌避した柔らかな文化なのです。 しかし、その優しさは、必ずしも報われません。 悪人の多い世界では、戦う事を忌避していても「平和主義」との尊敬は受けず、単なる「お人好し」としてカモられる事の方が多いのです。

西部邁氏の「知性の構造」では次の様に述べられています。
「広場にせよ酒場にせよ、職場にせよ家庭にせよ、日本人の群れの集うところに静寂があるというのではない。むしろ逆で、日本人の集団はいつでもどこでも、騒がしいのだ。しかし、そこに言葉は飛び交わってはいない。 いや正確には、言葉もたくさん吐かれてはいるのだが、耳をじっと傾けて聴いていると、それらはおよそ感情吐露としての言葉にすぎないのだと分かる。言説の始点をなす前提は何なのか、言説の中途にどんな推論が組み立てられているのか、言説の終点で如何なる結論が導かれたのか、全て感情の霧に包まれた曖昧模糊としている。」 これは、おおむねその通りで、我々の日常会話は論理からかけ離れた場合が多いのは事実です。

仕事でスペイン語のメールがたまに来ます。これを機械翻訳にかけると、日本語への翻訳では訳が分かりませんが、英語への翻訳であればソコソコ意味が通じます。 同様にスペイン語にする場合、日本語からではなく、英語からの方がまともなスペイン語になっているようです。 日本語としてはシックリしなくても、常に主語を最初に加え、動詞も意識し、だからどうした。。をハッキリと意識しながら原文の日本語を書きかえると機械翻訳もソコソコ機能します。 逆に言えば、日本語は、「誰が」「何を」と言うことを明確にしないでも通じてしまうイイカゲンな言葉なのです。 日本語による議論は、議論として成立しにくいのです。 ですから国会での議論などまるで空回りばかりです。

食堂に入り注文する時に「私はラーメン」と言うのは、日本語では通じるが、英語にしたらトンデモナイ論理に欠ける表現であることを理解し、日本語であっても論理的に表現することを意識すべきですが、日本では、それをすると煩がられてしまうのです。 そして日本には感情的/感覚的な訴えばかりが目につくようになります。国会前で「戦争反対」と叫ぶデモ隊。 感情だけで全く論理がありません。 大学生も多いそうですが、勉強不足の大学生ばかりのようです。 安保法制自体よりも日本の知的レベルの衰退が心配です。

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