ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

中国のスパイを警戒せよ(Yuki von Murataの提言)

2013-04-15 | 日本のこと

最近、わたしが危機感を受けた三つのニュースがあります。


「地方公共団体によって実施する「外国語青年招致事業」(JETプログラム)で、
中国から55人が送り込まれた。
目的は日本各地の外国語教育と国際交流の充実。
国際交流員や、小学校、中学校、高校の外国語指導助手、
スポーツ国際交流員として全国各地に派遣される」

「自衛隊員が外国籍の女性と結婚しているケースが、最新の調査では、
陸上自衛隊14万人中約500人、海上自衛隊4万2000人中約200人、
航空自衛隊4万3000人中約100人の計800人であった。
また、その7割にあたる約600人が中国人で、
ほかフィリピンや韓国出身者などが上位を占めるという」

「中国四川省から4月3日、日本で看護士を目指す15人が出発する。
15人は病院で仕事をしながら日本語を学び、
看護師資格を取得すれば正式に採用される。
月収は8~10万。
日本の看護士として正式採用されれば年収は最高で450万ほどとなる」


日本人に仕事が無い昨今、どうしてこのような「中国人優遇」が起こるのか。
自衛隊の配偶者の例は少し違いますが、特に医療の分野で、
わざわざ言葉の不自由な、文化も考え方も、そして何よりも
仕事に対する責任感とか、人に対する優しさとか、そういった根本が
全く違う中国人をわざわざ採用するのはなぜか。

わたしはこれらに対して何とも言えない「不快」を感じてしまうのですが、
もし、ピンとこない方は、こう考えてみてください。

あなたは、重病の家族の担当が中国人の看護士だったらどうしますか?
いや、あなた自身が中国人の看護士にケアされたいと思いますか?


今日は少し異例ですが「クライン孝子の日記」というメルマガから転載します。

ちなみに、冒頭画像は、中国が今主張している「自国領海」。

・・・頭沸いてんのか(笑)

中国という国との「友好」について考えるきっかけになるかもしれません。
それではどうぞ。




中国情報機関によるアメリカでのスパイ活動の実例)

先日、中国女性スパイにアメリカ軍・軍事情報が漏洩し、
元アメリカ軍将校が逮捕、起訴された。
アメリカ司法省は3月21日、恋愛関係にあった中国人女性27歳を、
核兵器(著者注釈:戦略核システムの配備)や他の軍事情報機密
(著者注釈:対短中ミサイル探知能力、ミサイル防衛システム、レーダー網)
など漏らしたとして元アメリカ軍将校を逮捕、起訴したものである。


このような中国の女スパイ達は世界中の国際的な情報交流会、
経済界の交流会、学術セミナー、投資セミナー、国際展示場などに
普通に参加し活動している。

日本にも彼女たちはいる。

カメラで親睦会などの人物を必要以上に撮り、名刺交換を行っている。
彼女たちはその動きから大した訓練はしていないが、
スパイだとすぐに見抜ける。外見は普通の女性だ。
ボンド映画に出てくるようなセクシーさなどない場合が多い。
彼女たちに甘い顔して無防備に名刺交換或いは接近しない方が賢明だ。

彼女の背後で、ビジネスパートナーと―ひそひそ話だが―
中国のスパイ活動について明らかになったこのようなニュースについて
かすかにこの中国人女性に聞こえるように話してみれば
面白いことが起こるだろう。
確実に即、脱兎のごとくその場からふっと消え二度とそこにはやってこない。


こんなケースもある。

フランスのワイン生産技術者が2年間の期限つきで中国の指導をしていた。
任期が終えフランス帰国する頃に、なぜか?ひとりの中国女性と運命的に出会い、
技術者はそのまま中国に残ってフランスワインの生産の秘儀を教えることになった。
中国はワイン生産の技術ノウハウを盗むのを目的に女を用いて目的を達成させた。
これを情報機関業界用語でセットという。


アメリカ航空宇宙局(NASA)の中国人研究員江波(ジアン・ボー)に対し、
連邦捜査局(FBI)が武器輸出規制違反に関する調査を実施した。
江波は、帰国直前3月16日にワシントン・ダレス国際空港で
虚偽の供述をしたという容疑(事実上はスパイ容疑)で逮捕された。



中国製の該当する数新機器やパソコンなどは使用しない方がよい
バックドアーから気が付かずに国家、企業、個人情報が中国に盗まれる。

念のために。
インターネットのシステムを使用する限り、
その運営はアメリカ合衆国によってされている。
故に全ての情報はアメリカ合衆国に傍受されていると言っても過言ではない。
フェィスブックも例外ではない。

このため、ドイツ連邦共和国は個人情報保護の目的を兼ね
匿名での登録ができるようにフェィスブックに反対している。

ここでの問題はアメリカ合衆国か、中国に情報を傍受される場合
どちらがベスト或いはベターかということだ。



ロシア、イスラエルの情報機関などならば、場合によっては
この冒頭の中国人女性スパイは報復として暗殺されることになるだろう。


多くの軍事関係者は女性に拳銃を向けることをためらう。
女性が戦場に参加していなかった時代・・・
武士、騎士達が参加する武士道、騎士道が通用する戦争は現代ではない。
女性兵士、女性スパイ、女性テロリストが戦場に参加する時代だ。

軍隊でも女性に拳銃を向けられない者は死ぬ。
情報機関、軍の特殊部隊(SAS)などでは、
例えば攻撃する部屋の中に攻撃相手が集まっている場合は、
優先的に女性スパイ、テロリストに額と心臓に弾丸を撃ち込めるように訓練する。
そうでなければ、偽りの涙を流しながら命乞いする振りをして、
隙あれば逆に撃たれることになるからだ。


普段から、接近してくる女性(相手が男性でも同じだが)に気を許さず、
頭の中で拳銃を向けるように警戒を怠ることなく、
顔では笑顔を浮かべ敵か味方か識別する必要はある。
これは情報部の訓練か個人的な経験を重ねるしかできない。


さて、日本人は同じアジア人、東洋人或いは黄色人種だからと
中国人、朝鮮(韓国)人、に親しみを感じる人もいるかもしれない。

そして、多くの日本人は、
「自分は社会的に大したことがないしスパイ工作の標的にならない」と言う。
が、それはあなたの認識が極めて甘いことをここに警告する。

あなたが社会の底辺であっても中国、北朝鮮、韓国の工作員に
とっては利用価値あるターゲットとなり得る。
情報機関は使える者/物は徹底的に利用するのが基本原則である。

例えば、あなたが社会の底辺あるいは借金があるならば、
借金の肩代わりをする代わりに偽装結婚、
或いはあなたを旅行などに誘い出し拉致殺害し、
あなたの戸籍の乗っ取り、乗っ取った人物(表面上は日本人)
は別の中国人或いは朝鮮人工作員(異性)と婚姻し、
偽の親族を本国から呼び情報活動のアジト(基地)を構築することがある。

実際に、北朝鮮や中国の工作員は日本国ではこのような
背乗り工作(戸籍を奪い本人になりすます)を行っている。

或いは、中国人が日本人と結婚し、婚姻後に日本国籍を取った後に離婚。
日本人になった中国人は、本国から工作員と偽装結婚するのである。
離婚しない場合は、本国から親族と称する工作員を日本に送り込む。
やがて、工作員も日本国籍を取り日本人になりすまし、中国のために
情報活動または工作活動をする。


(日本政府への提案)

その1

警視庁・公安関係のホームページで、
敵国の工作を掲載させ国民に告知と啓蒙する、
(参照例:ドイツ憲法擁護庁(Bvf)ホームページ:スパイ、
イスラム系テロリストの活動などの報告)
及びパンフレットの配布を提案する。
同時に警察、公安関係の存在意義を高め、国民の支持を得るようにする。

その2

日本国籍の帰化条件の再検討及び審査の強化。
中国、朝鮮人の日本国籍への帰化条件として、
親族の日本への呼び込みは本人から2等身まで限定、他の親族まで呼ぶことは不可、
最初の帰化申請者の本人と2等身者が帰化した場合、
その帰化した2等身から見た2等身者は呼べないなどの
再検討及び審査の強化をすべきである。

これは同時に中国人の日本国での生活保護申請の誤用の多発を予防できる。
中国では日本へ行って生活保護を受け、本国でマンションを建てようなど
ふざけたことが流行っている。

その3

コンビニで働く中国人学生などの中には第五列のスパイとして
在日中国大使館の為に働いている場合もある。
日本の大学の研究成果などを盗み本国へ送っている。

日本では中国人学生の受け入れによる官庁、教育機関に巨額の利権が
生まれているが、無駄な国費を費やしている可能性も高い。
これは日本国にとって益なのか再考する必要もある。

利権は活かすなら…教育費を未来の日本人のために使用すべき。

この留学生達が日本企業に就職した場合は、中国政府から日本企業
の企業機密を盗み出すように指示を受けることがある。
手放しで日中友好など言うのはおめでたい結果になる。




日本社会で社会的に底辺層を標的にした工作例でもわかりだろう。
ならば、あなたが、会社員、重役、会社取締役、公務員、官僚、
防衛関係者であれば彼らはそれ以上に接近するようになる。

公になった橋本龍太郎元総理大臣の中国人女性の件を思い出されるといい。
(他にも過去の総理大臣経験者、官僚で敵国の女スパイ、愛人などとの
関係があった方もいる。が、これ以上は公表しない。)

中国式の過剰な接待、ハニートラップなどあらゆる方法を用いて、
産業スパイや国家機密情報の提供などに強要させ協力者とさせられる、
 或いは接待、親しみ、お世辞などで親中国に洗脳され
“無意識のスパイ”にさせられることもある。

(エリス中尉註:丹羽宇一郎元中国大使のことですね)

良かれと思い、自分から日中友好という信条になり
中国に日本の技術、研究論文など無償提供するようになる。
中国人には“いいひと”と利用され、用済みになって放り出される。
中国に進出して撤退した企業にはこのような経験をしたことだろう。



滅多にないが・・・あなたが重要人物或いは情報部員なら、
キスしただけで口から毒が回る方法で毒殺されることも場合によってはある。
現代の検死方法で判別できない暗殺方法を執行される場合もある。 



従って、中国、朝鮮の女と肉体関係を持ったりすべきでない。
或いはあなたが企業の幹部、重役で国外など出張し、現地取引先に
「女を用意してくれ」
など、たとえ日本企業に対しても頼まないことだ(よくあることだが)。
困り果てた現地日本人スタッフは
「某総合商社或いは某メーカーの現地御用達の女です」
など機転を回して言うだろうが、そのような女はいない。

そしてそこにはあなたの安全の保障もない。

意図せずあなたは日本を裏切って敵国の為のスパイになるかもしれない。
ある日、中国、朝鮮への言動が180°変わる惨めな自分を見ることになるだろう。
何かに怯える人生ほどつまらないことはない。

中国で自殺した日本の外交官の事件を忘れるな!
彼の死を無駄にするな!


エリス中尉註:おそらく領事館職員の間違いであろうと思われます。


補足:

売春婦の中には、情報機関の女性工作員、情報部員が働いて
いる場合もある。
イスラエル・モサド・ロシアも同様。
彼女たちは中国女性工作員と異なりボンド映画のようにセクシーで
教養、機転、会話力などが伴っている。
同時に暗殺能力も高い。





(文法の間違い、読みづらいところを逐一訂正してあります)



霧島を行く~新燃岳と乳牛の一生

2013-04-14 | お出かけ

レポートが行きつ戻りつしますが、また霧島の報告です。
霧島神社でさざれ石の巌となる生成過程を目にして、
非常にカルチャーショックを受けたエリス中尉と受けなかった家族。

(家族は全然さざれ石の存在に気が付いていなかったため)

次なる観光地、といっていいのかどうか。
新燃岳ハイキングコースの入り口に行きました。



この辺一帯を高千穂河原といいます。



二連の山に見える、右側が「高千穂峰」。
左が「御鉢」といわれる火口。



ほとんど人気無し。
噴火前はそれなりににぎわっていたんでしょうか。



駐車場にあったお土産所とレストランなど。
どれも結構建てられたばかりのような感じですが、
営業していたのは一番左に見える店だけでした。
後は休業状態です。

鳥居から向こうには行きませんでした。
神社の手洗いがありますが、ここに神社はありません。
鳥居の向こうには1934年まで霧島神社(この前に行った)があったそうです。
高千穂河原は天孫降臨の聖地として信仰を集めてきました。
ご神体が無くなっても、その痕跡を取り払えないのも
また日本人のメンタリティかも・・・。


新燃岳は活火山ですので、太古から噴火を繰り返してきましたが、
そんなところにもかかわらず飲食店を営業する人がいるとは・・。
現在のように入山規制レベル3(5段階の3)ともなると、
無期休業を余儀なくされてしまうというのに。


ご存知の通り、新燃岳は平成23年の初頭に噴火し、
降灰などの多大な被害がありました。
灰に留まらず噴石も落下し、車のガラスが割れたりしています。



見るからに新しい避難壕。
おそらく噴火以降作られたのではないでしょうか。



サイレンも噴火以降作られたようです。
噴火してから作ってどうする、と言う気がしないでもありません。

観光センターはオープンしており、
その時の様子を資料として展示していました。



赤く塗られた山のふもとに黄色い立て札が見えますが、
それが「高千穂河原」つまり現在位置です。

噴火したときここにいたらまず助からないでしょう。





噴石が木をなぎ倒し、その熱で火災が・・・。

当時、大変だろうなあと思いながらも
遠く離れた九州で起こっていることゆえ、なんとなく
「他人事」であったこの噴火ですが、住人には一大事。

「災害」って所詮そんなものかもしれません。
福島の災害ですら「他人事」と感じる人がいるのですから、
死者の出なかったこの災害を大したことに思えないのもむべなるかな。



皇国の降灰この一閃にあり。

こんなに降灰しては、農作物はきっと全滅だったでしょう。
地元地銀は災害に遭った農家に融資をしたそうです。



当時と現在のここの姿。
比べてみると警報サイレン、そしてこの日唯一営業していた
一番左の休憩所は当時無かったことがわかりますね。




何しろ火口のふもとですから、この降灰。
今跡形もなくきれいになっているのは

「片付けたんでしょうね」(案内の方)

各員一掃奮励努力したんですねわかります。



平常時の姿。
黄色い札が現在位置です。



鹿もいるようです。
奈良の鹿とは少し違いますね。



穏やかに見えますが、まだまだ入山規制は解けないようです。

さて、この後、お昼を食べることになりました。



高千穂河原からほんの少し走ったところにある牧場です。
牧場は当然皆車で訪れるのですが、入口には
タイヤのために大量の石灰が撒いてありました。

「車を消毒しても人間の靴底になにかついていたら
どうしようもないんじゃね?」

と息子がごもっともな突っ込みを入れていましたが・・・。
口蹄疫以降、九州の畜産家はぴりぴりしているのでしょう。

口蹄疫といえば。
そう、「赤松口蹄疫」ですよ。

この件に関してもわたしはいまだに民主党の馬鹿どもを全員
石灰をぶっかけて土中に埋めてしまいたいくらい腹が立っています。
全く、この一件をとっても彼らが「日本人を守る気が全くない政権」
であることが如実に表れていましたね。

それはともかく。



ひつじと触れ合う「ふれあい広場」。
顔の黒いひつじ、可愛いかも。

わたし「ヒツジと触れ合えるよ!」
息子「触れ合いたくない」

確かに。
触れ合うには少しニオイが気になる動物かもしれない。



この女の子も触れ合いをかたくなに拒否しています。
まあ、自分より大きいし、無理はない。

ヒツジの方もガンつけてます。
こちらにも触れ合おうという姿勢が全く感じられません。



大きなタンクにはミルクが貯められています。
DAIRY(乳製品)と記されていますね。



ソリ持参で斜面を滑る子供がいれば、



ソリ無しで斜面を転がる子供在り。



ここからは新燃岳がこんな風に見えます。
この手前の木は桜。
これが満開になったのはさぞきれいだったでしょうね。



ここでランチを取ることにしました。
TOは去年の夏一度来ているそうです。

「一度家族を連れてきてやりたい」

ということで、案内の方がわざわざコースに入れてくれました。



ここに来たらこれを食べるしかない。
まあほかにもメニューはありますが、
これを食べなければここに来た意味がない。

というラム肉のすき焼き。

高タンパク低脂肪。
ラムはヘルシー食材ですよ、ということで一同納得し
注文をしました。

正直言ってわたしはラムが大の苦手。
北海道に行ったときしゃぶしゃぶをいただき、
これならなんとか食べられると思ったのですが、

焼いたラムは・・・・・ダメでしたね(笑)

ヒツジ独特のあの匂いがどうしてもだめなんです。
タレが濃厚なので、かなりごまかされますが、
このときも一切れでギブアップ。
肉を食べるふりしてせっせと野菜をつついておりました。



やっとの思いで食べ終わり、土産物屋で定番のソフトクリームを。
これは、霧島名物のかんきつ類(なんだっけ)の味で、
美味しかったです。



土産物屋の棚を見れば。
ヒツジ、豚、キツネ、これはわかる。
しかし、抱き合っているピンクとブルーの物体、
それと茶色いトトロのようなこの物体は何か。

右は、ミミズク?



ところで、一切れのラム肉を持て余しながらふと、
ここに飼われているひつじさんたちの運命について
考えてしまったんですよ。

日本人はヒツジの乳を飲まないから、やはり
子ヒツジの内に先ほどのジンギスカンになってしまわなくても、
ウールの毛を刈られるのが主な仕事。

でも、やっぱり最後はお肉にされてしまうんだろうか。

そんなことを考えたのは、土産物屋に貼ってあった
この掲示を見たからです。



皆さん。見ました?

わたしはですね。
今の今まで乳牛はミルクを取るのが仕事だから、
メス牛は最後までその役目を果たし、
無事に一生を終えるのだと心のどこかで信じていたんですよ。

ですから北海道で牛の群れを見ても、心穏やかでいられたというか、
「こんな広々したところで一生を送れてよかったね」
などと、まるでジャングル大帝のレオ(末期)
みたいなお花畑なことを考えていたんですよ。

ところが。

これによると、オス牛は生まれてオスだと分かったとたん、
母牛と離されて、運が悪ければ数か月で

ランドセルにされてしまい、

さらには2年半で否が応でも

ステーキにされてしまう

というのですね。

まあ、それはよろしい。
牛にとっては全然よろしくありませんが、
それが牛に生まれてしまった牛の宿命というものです。

しかし、わたしが一生安泰だと思っていたメス牛は、
時期が来たら無理やり人工妊娠、そして出産させられ、
強制的に牛乳を取られるのです。

そして、3回も4回も同じことを繰り返し・・・・。

その任務ゆえオスよりも長く生かせてもらえはするわけですが、
妊娠と出産、それに伴う乳絞られ、それだけで終わってしまいます。


そもそも、すべての牛はオスもメスも、生まれてから一口も
母牛の乳、つまり牛乳を飲むことなく死んでいくんですね。
牛乳は人間様のためだけのものなのですから。

「うしのこどもが まきばにいました」

こんな出だしで始まる歌をコーラスで歌ったことがありますが、
その二番が

「ぼくがまいにち ぎゅうにゅうのむから
それをこうしが しっているのか」

つまり僕が呼んでも知らん顔して態度悪いけど、
(『しらんかおして あそんでいました』)
母牛の牛乳を取られて怒ってるんだな?
そうだな?

って歌だったんですね。
今にして思えば、牛の悲哀を無邪気な歌詞で、
切々と訴えているすごい歌だったんだ・・・。

人間は「人間なんだから人間の乳をやるのが
赤ん坊にとって一番いいことである」
と母乳を推奨されるわけですが、
これ逆に考えると牛だって牛なんだから、
牛乳を飲むのが一番いいに決まってます。

それをいくら早くて2年で殺してしまうからと言って、
一口も母牛の乳を飲めないとは・・・・。



そして、さらに哀れなことには、そうやって
人間のために尽くすだけ尽くした後、メス牛もやっぱり

肉になってしまうのです。

しかも、オス牛が「ステーキ」と限定されているのに対し、
メス牛は「ミンチ」
ミンチですよ。
その理由は?
やっぱり年取って肉が固くなるからですよね?


差別するな!といいたいところですが、それも仕方のない話。


人間は他の命をいただいてのみ生きていくものであるからして、
こういうことに「かわいそう」とは口が裂けても言えません。

(しかし、こういう牛さんの災難に対しては何とも思わず、
日本人が捕るクジラやマグロにだけ憐れみをかけているのが、
そう、シーシェパードという団体なわけですね)


そしてこの上、ヒツジですよ。

ヒツジなんて食べなくたって、人は全く困らないんじゃないか?
とそれでなくても肉食をあまりしないわたしとしては
ついそんな風に思ってしまいますが、
老衰するまで飼って自然死させるわけにいかないから、
殺して食べてやるしかないんだよ、ということなんでしょうね。


「ヒツジさんとのふれあい」
などというコーナーでヒツジとたのしく触れ合った後、
隣のレストランでそのヒツジの肉を食らう。

自分が食べるためだけに草食動物を襲い、
それをきれいに食べてしまう猛獣たちより、
人間の方がよっぽど残酷な動物かもしれない、と思います。







横須賀軍港めぐりツアー~「ひゅうが」甲板のキリン

2013-04-13 | お出かけ


右 こんごう型ミサイル護衛艦「きりしま」DDG-174

左 あすか型試験艦「あすか」ASE-6104

横須賀軍港めぐりツアーもいよいよ終盤です。
この「あすか」ですが、去年の観艦式でお見かけしました。



この実験艦についてはこの時もお話ししましたが、
一番特徴的なのはシャープに突き出した艦首の形。
これは、艦首から錨をおろすときに、艦底に備えてある
バウソナーに間違っても当らないように。



向こうが「あすか」。
艦首のシャープさが良くわかりますね。

ってことがとても印象的なフネです。



実験艦は観測艦と違って武器を載せます。
ただしそれは艦のための装備ではなく、あくまでも
正式にどこかの艦に搭載するまでの一時的なもの。

「ひゅうが」が就役するまで、この「あすか」には
FCS-3(正式名00式射撃指揮装置)が搭載されていました。
「あすか」で実験したこの装置、今は「ひゅうが」に移され、
現在は基台だけが残っているそうです。




「ひゅうが」のどこかに写っていないかと調べたら、
ありました。
艦橋の上、大小のFCS-3のアンテナが写っています。
大きい方がC型のレーダーバンド面、
小さい方がX型のバンド。



はたかぜ型ミサイル護衛艦「はたかぜ」DDG-171

この「はたかぜ」にも観艦式で遭遇しました。



「しらね」と一緒に、祝砲を撃つ係。
ところで、この「はたかぜ」についている黒い大きな
スクリーン状のものにご注目ください。



はい、これですね。

これはSPS-52C三次元レーダーと言いまして、
この「はたかぜ型」に搭載されているアンテナです。

こう見えても幅が4.2メートルありますから、
「今いる部屋より広い」とおっしゃる人もいるかもしれませんね。

これはもともとアメリカ海軍が開発したものです。
最初のSPS-39型はいわゆるレーダーらしい曲面アンテナのもので、
1960年ごろに配備されていましたが、
この平面アンテナはその二代あとの後継型です。

この「はたかぜ」にはIFFアンテナも搭載しているそうです。
IFF即ち「敵味方判別装置」

これ、英語で言うとすごいんです。

Identification Friend or Foe
「友達か敵か認識する」

ってそのままやないかい!
なんというか、米海軍のネーミングもアツいわね。

昔、東急ハンズで買った「ポテトチップス用マジックハンド」

NBCS  No Broken Clutch System 
「対象物破損防止クラッチ機能」


NTTS   No Touch Table System
「指先机上非接触機構」


FECS  Finger Easy Cleaning System
疑似指先クリーニング機構


って説明書がついていたのを突如思い出しましたわ。



・・・で、これどうやって「友達か敵か見分ける」のかというと、

「電波を発射し、対象物に返信を要求する装置で、
電波を発射して既定の返信があれば友軍、
規定の返信がなければ敵軍と判別する」

相手が不幸にして所定の返信を忘れてしまったら敵認定で、
その時には容赦なくハープーンミサイルがぶち込まれます。

・・・っていうかこのシステム、
「アナタハワタシノトモダチデスカ~?」って相手に聞くだけで、
別に独自の認識機能があるわけではないじゃないような・・・。
「山!」と言って「川!」と返してこなければ敵、ってことでしょ?


ポテチハンドより内容に偽りありだ!





非常に特徴的な艦首のこれ、なんですか?
カメラ?



「むらさめ」型護衛艦「むらさめ」DD-101


「Destroyer」を駆逐艦と呼んで何が悪い!
と、わたしかつて実際にある護衛艦勤務の士官に
(もう少し違う言い方で)言ったことがあるのですが、
そのときこの自衛官はこともなげにこう言いました。

「言いますよ、駆逐艦」

あ、自衛隊の中の人は「駆逐艦」って使うんだ。
拍子抜けするとともに
「やっぱり軍か自衛隊かなんてしょせん言葉だけの問題だなあ」
と実感したわけですが。

因みにわたしはシステムの問題なら軍への変更賛成。
でも、「自衛隊」という言葉がかっこいいので、痛し痒し。
だって、たとえば「自衛隊員」。
これ、軍に名称変更になったらなんていうの?
やっぱり、軍人?

そちらはそのままにして、どちらかというとわたしは階級の
「三尉、一佐」を「少尉、大佐」に変えてほしい。



閑話休題、
この「むらさめ」は実になんというか、個人的感想ですが
「駆逐艦らしい駆逐艦」という気がします。


リムパックに3回参加。

国際観艦式で先導艦。

トラファルガー海戦200周年記念観艦式に参加。

イラク復興、インド洋、ソマリアと立て続けに派遣。


全く、八面六臂の大活躍とはこのことでしょう。
もっとも「むらさめ」型の駆逐艦はどの艦も、
かわるがわると言った感じで派遣されているのですが、
とくにこの「むらさめ」は一番艦らしく活躍の場が多い気がします。



ここにいた護衛艦の甲板で乗組員が
何やら整列しています。
この日は日曜でしたが、勤務があってそれが終了したのでしょうか。
後ろに立っている士官がこちらを見ていますが、
ここにいた2,3人の士官だけがこちらに向かって
「帽振れ」してくれました。

やっぱり士官には「帽振れ推奨」されてるみたいですね。



そうそう、言い忘れましたが、冒頭写真の「きりしま」、
これはイージス艦です。



174番の艦体には先日も説明した「イージス艦の印」
オクタゴンのアンテナがついていますね。(復習)

ちなみに、このイージス艦がSPY送信中は甲板に人は出られないとか。
というくらい強力な電波だそうで・・・。

怖い。
というか、もし甲板に出たらどうなるの?

これほど強力な電波でデータリンクをすることが即ち「楯」なので、
肝心の艦の装甲そのものは結構ヤワだと言う話です。

至近戦には弱いってことですかね。

しかし、すごい映像を見つけてしまいました。
この「きりしま」が、6発放たれた大陸間弾道ミサイルを、
1発残らず全てをハワイ沖の大気圏外で撃破して海に沈めるシーン。


http://www.youtube.com/watch?v=_pr9WY2Xyj0&feature=player_embedded

練度が半端じゃありません。
やはり海軍の系譜という感がありますね。



「むらさめ」のアンテナをうしろから。

ところで、こうやって海自のフネをいろいろと見てくると、
どの艦も・・・退役する「さわゆき」ですら、

どこにも全くサビが見当たらない

のに少し驚きませんか?
出港してすぐ、米海軍のイージス艦を少しアップにしてみたら、
そこら中が錆びだらけだったの、覚えてますよね?

アメリカは「問題なく運用できればOK」って感じですが、
なにしろ海自のフネは、今まで何度か内部を見た経験からも

「本当に本当にクリーン」(『バトルシップ』の監督談」

なのは間違いないのかも。
そういえば「日本海海戦『海ゆかば』と言う映画で、
日本海対戦前、「甲板洗い」「全員が入浴」「持ち場の大掃除」
そして、大砲には清酒をかけてお浄めまでしてましたっけ。


こういう明治時代からの「海軍精神」が、
結局海自になった今も受け継がれてるってことなんでしょうね。

少年工科学校などの教育課程でも、防大でも、「掃除」を
非常に重視しますが、少なくともアメリカは違うでしょうね。

掃除は掃除人の仕事、って思ってそう。




とかなんとかいろいろ見ているうちに、
最初の「ひゅうが」停泊地に戻ってきました。
これは出発前の写真。



この写真をアップしてみました。
YO36。
これは支援艦で、艦艇用の「油船」(ゆせん?)です。

つまり・・・・「ひゅうが」お食事中。

たしかにホースみたいなのが「ひゅうが」に挿入されてます。
そして、絶対に油船の船体が「ひゅうが」に当らないように
大きな丸いボールを間に挟んでいるのが興味深い。

しかし、この巨大な「ひゅうが」のタンクを満タンにするのに
こんな小さなフネで補給するんですか?

それから!よくよく海面を見てください。
うっすらと赤っぽいフロートで囲まれています。

これ、件のオイルフェンスですよね?!

わーい、大型艦でのオイルフェンスの使い方がこれでわかったぞ。




帰りに通りかかったら、「ひゅうが」ではこんな作業をしていました。
何をしているかさっぱりわかりませんが、
こんな小さなボートでもちゃんと自衛隊旗をつけているのが
なにやら微笑ましい。
たくさん垂れ下がっているのはホース?
それともボートを降ろしたロープ?





電話で上と連絡を取りながら。
これも、携帯が普及しているからこそ。
携帯以前のこういう作業はどうやって意志を確認したんでしょうか。
やっぱり手旗かな。



この作業の上部の様子。
6人もの作業員が仕事しています。

右から二番目の隊員が被っているのは
「ひゅうが」のキャップです。

ツアーも終わりに近づき、ガイドさんは最後のフネの説明。

「わたしは『ひゅうが』が一番好きなんですよ。
その理由は・・・・」




「甲板にキリンがいるからです!」




「ひゅうが」のの上のCIWSがカバーをかけられてお休み中。

こちらは子供のゾウさん?


というわけで、横須賀軍港ツアーは終わりました。
その日その日によって軍港は少しずつその顔を変えます。

今回とは違った何かが見られることを期待して、
またしばらくしたらここを訪ねてみるつもりです。



次回横須賀探訪シリーズ最終回。

「横須賀海軍カレー」の巻、こうご期待。






横須賀軍港めぐりツアー~リムパック参加艦(?)

2013-04-12 | 自衛隊

「日本で一番危険な島」、吾妻島の新井堀割水路を抜けると、
ツアーが出港した港がまた見えてきます。



この図でいうと、左下で自衛官が敬礼している、
その上に自衛艦が二隻、そこに差し掛かっていきます。



まず右手岸壁に係留しているのは

すま型 海洋観測船 すま AGS-5013

「にちなん」「わかさ」そしてこの「すま」、と
ここには海洋観測艦が勢ぞろい。

音響観測用のアンテナが立っていますね、
中央部と後部にあるのは電波収集用のESMアンテナです。

残念ながらこちらからは見えないのですが、「すま」は
右舷側に観測用のデッキがあるのです。

そして、



艦の一部をクローズアしました。
ボートを二艘搭載していますが、これは作業艇。
アームがググーっと海上にせり出し、
簡単にボートが出動可能になるというわけ。

そして、艦体にほかの護衛艦にはない舷窓があります。
海洋観測艦は基本長期行動が原則だからということですが、
やっぱり、これって
「長いことフネにいて外が見えないと気が塞ぐから」
という理由なんでしょうか。

この舷窓は海洋観測艦にはどれにも設けられています。



すこし変わった艦体のこのフネ、

水中処分母船 YDT-03

機雷や不発弾、爆発物の水中処理をする部隊のことを

水中処分隊

といいます。
横須賀のサマーフェスタに行くと、この処分隊の訓練展示を
見ることができるようですし、このツアーでも運が良ければ
訓練行動中の彼らに遭遇することもあるようです。

自衛艦旗も鮮やかな小さいゴムボートに乗る
真っ黒に日焼けした精悍な隊員は、全身鋼のように鍛えられ、
まさに「海の男」そのもの。
youtubeで見た勇姿にはため息が出るほどでした。


そのダイバーたちの業務支援を行うのがこの母船です。
居住区を備えているのは勿論のこと、水中処分具をはじめ、
潜水用機材、処分艇、揚収用クレーンなどを搭載しています。

そして、ダイバーたちが母船から出動できるような昇降機を
艦尾に備えているそうです。



艦尾をアップにしてみました。
ゲートみたいに見えるのが昇降機かもしれませんね。



はつゆき型護衛艦「さわゆき」DD125

つい最近就役を終え、今廃棄処分を待つ状態だそうです。
「わかしお」を見ても感じますが、引退の決まったフネというのは
見ていてどうしてこう、もの悲しいのでしょうか。



甲板のいたるところにはブルーシートが掛けられています。
気のせいか、何か魂の抜けかけたような雰囲気が・・。



それはこんなところにも。
おそらく名札であったと思われるプレートからは、
名前が消され、わずかに字の痕跡が覗えるだけ。



2012 Sawayuki Final Year

艦橋上部分に書かれていました。
最後の年であることを刻んで去年一年を過ごしたのですね。



そしてなんといってももの悲しいのはこの喫水線。
艦内の再利用機材をほとんど搬出してしまった結果、
これだけ喫水線が下がってしまったということがわかる画像。
武器類だけでも物凄い重量になりますからね。


ところで、ガイドの方がこの「さわゆき」を説明する際、

「リムパックで最優秀艦に選ばれたこともある」

と確かにおっしゃったわけです。
そのときは「ふーん」と思って聞いていたのですが、
帰ってから調べると、この「さわゆき」が記録の上では

リムパックに参加したことは一度もない

ということがわかってしまったのです。
しかも、おっしゃるところの「最優秀艦」ですが、
昔一度「あまつかぜ」という艦を調べたときにこの艦が


「あまつかぜ」

演習中4回の艦対空交戦をすべて成功させたほか
仮設敵である豪海軍「メルボルン」の航空攻撃により大破した
「コンステレーション」への再攻撃を企図して接近してきた
米原潜「サーゴ」と接敵、これを「撃破」したことにより
本演習における最優秀艦として高く評価された

(ウィキペディア)

であることを知り、驚いたことがあります。
もしかしたらこのガイドさんは「さわゆき」を
「あまつかぜ」と取り違えているのかと言う疑いが・・・。



しかもですね。

この「さわゆき」では、2008年に放火事件が起っているんですね。

21歳の海士長が
「仕事がきつく時間が無いので訓練をするのが嫌になった」
という理由で放火してしまった、という事故だったのですが、
非常に不運なことに、このときに取材に出たヘリコプターが墜落し、
報道の人間が4人亡くなってしまいました。

たとえ任務遂行中の自衛隊員が事故で死亡しても、片隅の三行記事で
簡単に報じるだけで済ませるマスコミは、その事故を大々的に報じました。
そして「自衛官が放火しなかったら報道員は死なずに済んだ」
と因縁付けるごとくに、あの手この手で印象報道をした結果、
ついに石破防衛大臣(当時)が

「こういうことが起こらなければ痛ましいことが起こらなかった」

などとその件について陳謝してしまったのです。
「放火が起きなければヘリも出動していなかった。
出動しなければ事故も起きなかった」
いやまあ、理屈から言えば決して間違ってはいませんが、

それを陳謝するなよ(怒)


放火した海士長が放火の罪を問われるにやぶさかではないけど、
ヘリの墜落は単なる操縦ミスか整備の不調か、天候か・・・、
いずれにしてもそんなことは自衛隊とは全く無関係でしょう。

ヘリの墜落の責任までトップが認めるなっつの。

しかも回収されたビデオによると、このヘリが墜落したのは取材前で、
全く事件との因果関係はなかったらしいじゃないですか。


それはともかく。


どちらにしてもこのような事件を起こしたフネをその後
常識的に自衛隊がリムパックに参加させるものでしょうか。

「さわゆき」の経歴を調べると、リムパックではなく、
事件2年後の2010年に遠洋練習航海部隊には参加しているようですが。

「さわゆき」がリムパックに艦名は載ってないけど出て、
優秀艦になったのは本当であるという話をもしご存知の方がおられましたら、
ぜひご一報くだされば幸いに存じます。






退役が決まったフネには国旗も自衛隊旗も付けられることはありません。
波乱の多かった(らしい)その護衛艦人生を終え、
彼女は今こうして静かに最後のときを過ごしているのです。
なにはともあれ、お疲れさまでした。


「さわゆき」に敬礼。







横須賀軍港めぐりツアー~「日本で一番危険な島」

2013-04-11 | お出かけ

ツアーの出ていた案内所でこんな地図を買いました。
裏が昔の海軍時代の地図になっています。

軍港めぐりツアーの航路は赤の点線で記されており、
ちゃんとジョージ・ワシントンの停泊位置もわかるように
記載されています。

これを見てお分かりのように、ツアーは
{吾妻島」という島の周りを廻って帰ってきます。
その吾妻島が左手に見えてきたところ。



なんだか寂れているようなアヤシイ雰囲気。
ガイドさんの説明によると、

「旧軍時代は燃料や火薬の貯蔵庫があったが、戦後
米軍に接収されて以後、共同管理地に戻ってもここで
何がされているかは明らかにされていない」

ひみつの武器弾薬貯蔵島ってことですか。

この島が米軍に接収されたのはなんと昭和20年の9月2日。
占領を始めるなり「大慌て」でここを抑えたようですね。
まあそれも燃料弾薬が貯蔵されているとあっては当然か。

その後、在日米軍と日本の共同管理下に置かれてはいますが、
何人たりとも一般人の立ち入りは禁止です。
ここでいったい米軍は何をやっていたのだろう。



島、といいますが。
実はこの吾妻島、人工島なのです。
造ったのは海軍。
メイドバイジャパニーズインペリアルネイビー。

弾薬貯蔵をするために箱崎半島と言われた岬の根元を堀削して
隔離のための島をつくってしまったんですね。豪快だ。
この水路を造るのも爆薬を利用して豪快にやったらしく、
海軍の技術力の高さが表れているという話でした。
何と1899年(明治22年)のことでございます。

人工の水路ですから、深さはあまりなく、
ジョージワシントンは勿論のこと、大きな船は航行できません。
従って、小型の艦船が「近道」に利用する水路となっています。

実は海軍には、横須賀の「夏島」という島の周りを埋め立てて
これとは逆に陸続きにしてしまったという前科?もあります。
もともと陸軍の土地で、陸軍軍人の別荘もあったそうなのですが、
海軍はここを手に入れ、そうやってここに飛行場を造りました。

それが「追浜飛行場」です。

前回お伝えした「日産」「住友重機」の工場がその跡にあたります。



水路を掘削したことでこの島は隔離され、
弾薬、燃料、武器を貯蔵するだけでなく
それらを調整したり開発する「秘密基地」にもなりました。

勿論現在もです。


現在は、在日米海軍補給センターの管理下で、
航空燃料・艦船燃料等の貯蔵・補給を行う貯油施設で、
吾妻島全域と堀割水路を隔てた旧田浦送油施設地区からなっています。

周辺水域は横須賀海軍施設水域の一部で常時立入禁止。

施設には吾妻島に37基の提供タンクがあり、
貯油能力は約397,000klといわれています。
燃料の貯蔵は、海上のブイまたは接岸により、
タンカーからタンクに送油される仕組みです。

燃料は、はしけ等を利用して米軍艦船に供給されているほか、
旧田浦送油施設地区に送油され、
その後タンクローリー車等により各施設に輸送されているのです。



ところで写真の二個一の酸素ボンベみたいなのは何かわかりません。
消火器のように見えなくもないですが・・。

建物は日本軍の頃からのものかもしれませんね。



これも何かわからないけど、燃料を移すための
特殊な素材の巨大なホースではないか?と予想してみる。

「全然ちげーよ」

という確信がおありの方、もし何かご存知でしたら
教えてください。



何か手がかりになりそうな文字が見えたので写真を撮ったのに、
前の人の頭で隠れてしまいました。残念。

水路を移動しているときに撮ったものです。

と言うことは、この何本もある細いパイプが、

水路の下を通っている燃料用のパイプ?

この水路を通る前に、肉眼では全く見えなかったのですが、
何か書いてあるらしいゲートを発見。
とりあえず撮って、拡大してみました。




「魚雷・水雷」「機雷」

横須賀施設


なんですって~!

mine、というのは地雷のことも指しますが、
ここが海軍施設であることで「機雷」だと理解しました。

そんなものも作っているのか。
それとも作っていたのか。
あるいは単に「調整する」だけなのか。

このゲートが字もかすれるほど古くて、
とても現在使われているように見えないのと、
さらによく見るといたるところに鉄条網があり、
立ち入り禁止になっているっぽいのが謎です。

現在、グーグルアースではここを見ることはできませんが、
別に公開していないというわけではなく、ウィキペディアの
「吾妻島」のページからは、ここの航空図を見ることができます。

吾妻島航空写真

これを見ていただくと、島の何か所かに燃料のタンクがあり、
それらが島を斜めに横切る道路の一方にあるとしたら、
この「水雷、機雷施設」はその反対側の島の端に位置します。
つまりこの写真の島右上の出っ張った部分ですね。

やはり危険な作業であるため引火物とはできるだけ
遠くに離していたのでしょう。
今は軍艦の搭載武器も様変わりしましたから、
そのためこの部分は使用されない一角となったのではないでしょうか。

しかしながら今現在もここが
『日本一危険な島』
であることには間違いのないところでしょう。


因みに、この航空写真で見る、島の左下部分。
ここは、昭和54年から日米合同施設において

「海自水雷調整所として共同使用とすることが合意された」

区画です。(旧軍港市国有財産処理審議会承認)
米軍だけが使用しているわけではないんですね。
まあ、米軍としても昔と違って占領しているわけではなく、
「日米同盟の運用のために日本の土地を使わせてもらう」
という立場ですから、島の占有はありえないのかもしれません。

現在、全施設面積の30パーセントにあたる、

吾妻島補給所(貯油タンク6基、約20,000kl)、
弾薬施設(艦船用誘導弾薬整備・調整)、
吾妻島信号所、
気象観測所(港務支援)及び
横須賀水雷整備所(水雷武器整備・調整)

これらの部分が共同利用されています。
ここで勤務する日米軍人その数141名(現在)。






はい、その証拠。

という言い方も少し何ですが、新井削堀というこの水路を
抜けたところにある日米国旗。

ところで、このツアーのガイドですが、海自の制服に似た感じの
船員風スーツを着た、(でも茶髪だったりする)若い人。
調子のいいおしゃべりと、程よくすべるギャグとダジャレの連発で
なかなか楽しい一時間を過ごすことができたのですが。

このツアー、軍港と言う特殊なところを巡る関係上、
ツアーのたびに係留しているフネが違っているわけですから、
それなりに勉強して軍艦や護衛艦のことを調べておられるのですが、
ときどき「あれ?」「そうだっけ?」と思うようなことを
さらっとおっしゃるんですね。

例えばこの国旗掲揚については、お互いのメモリアルデーの際、
例えば日本は3月11日、アメリカは9月11日に半旗にする、
と言う説明をしたわけですが、その説明のときに

「ウサマ・ビン・ラディンが起こした同時多発テロが」

なんて断定してしまっていました。
うーん。
確かにアメリカはビン・ラディンを主犯と決めつけ、
派兵の理由にしてついには「死人に口無し」で
殺してしまったみたいですけどね。

このテロについて本人はわりと早い段階で
「わたしが指揮したのではない」って声明だしてませんでしたっけ。

うかつなことは言えませんが(とか言いながらエリス中尉、
以前に結構大胆な米政府陰謀説など書いてしまったことがありますが)
そういったことを全く考慮に入れなかったとしても、
もし本当にビン・ラディンが計画したなら、堂々と犯行声明を出して、

「アメリカの帝国主義に対する攻撃である」

って言ってたと思うんですよね。
だって、やったのに「やっていない」とうそをつくのなら、
じゃああれだけのことをやる理由って何?ってことになりませんか?

つまりこの件はいろいろとアメリカ政府にアヤシイことがあるのも事実だし、
ビンラディンが黒幕であると確定したわけでもないんです。
今のところね。

そういう微妙な問題をこんなツアーのガイドとはいえ
確定事項として語ってはダメでしょ、って話。





さて、と言うわけで、吾妻島の周りをぐるっとまわり、
また出港したところに帰ってきました。




護衛艦が見えてきました。
ここでもじつはガイド説明の「あれ?」があったのですが、
それは次の項のお楽しみ。











開設1000年記念ギャラリー~一コマ漫画集

2013-04-10 | つれづれなるままに



毒を食らわば皿まで、というのは譬えが少々ヘンですが、ここまでやったので
ついでに開設当初から挿絵として描いてきた一コマ漫画を挙げてみます。

これはまだ最初の頃、お絵かきツールを使って中指で描いた絵。

「空飛ぶ主計大尉」

というタイトルです。
軍事に興味を持ち出していろんな随筆を読んでいたら、
素人を飛行機に乗せてスタント(空中回転とか)
をしたら皆ゲロゲロになってしまった、という話を
結構面白がってしている人が多いのに気づきました。

なかでも、糧食の配分を全て管理する主計課の士官、
この人たちを言葉巧みに騙して連れ出し、

「いかに搭乗員の任務が過酷であるか」

を身を以て知ってもらうために、心を鬼にして()
彼らを無理やり飛行機に乗せ、極限までのGを味あわせ、

「ああ、搭乗員というのは大変な激務だ」

「こんな激務に耐えるには体力がいる」

「彼らへの食事の量を増やしてやろう」

という流れを作ったという話をたまたま3件知りました。
そのうち一つが坂井三郎中尉の話。

あまりにもその手口がやり方が同じなので、
実際はこのようなことが結構多かったのではないかと勘繰って、
このエントリを製作しました。

「ねずみ上陸」



帝国海軍ともあろうものが、とつい口をついてしまいますが、
フネにはびこるネズミ撲滅運動の一環として、
乗員にはネズミを一匹捕まえたらご褒美に一日上陸
(陸に上がる休暇)
というトホホなしきたりがありました。

映画「日本海大戦 海ゆかば」は日露戦争の三笠の話ですが、
水兵が上陸のご褒美欲しさにネズミを追いかけるエピソードがあります。

フネに乗る者にとって上陸は憧れですから、
ネズミを偽装してでもその恩恵に被ろうとしたのです。

画像左は「外から持ち込んだドブネズミ」。
右は「大事に育てた養殖ネズミ」。
いずれもフネのネズミにしては汚すぎ、あるいはきれいすぎて、
「偽装」がばれてしまったというお話。

ところでフネにネズミはどうやって乗り込むのか。
一度目撃した人の話だと、ブイに引っかけた鎖を伝って
ネズミが艦に侵入していたことがあるそうです。

聯合艦隊の軍艦はほとんどが沈んでしまったわけですが、
その直前に「なぜかネズミがいなくなった」
というような話はなかったのでしょうか。

ネズミは船が沈むのを察知するという能力があるらしいですが。




「海軍広報 懲罰言い渡し書」

http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/e3bd4362b99e0deb2f34cb89db6fe395

防衛庁の資料室でふと見つけた
「海軍懲罰についての事例報告書」
これが、旧字カタカナの読みにくい文献でありながら
ついついのめりこんで読んでしまうくらい面白かったのです。

海軍内の罪は海軍内で裁かれ、海軍内で罪に服す。
こんな当時の常識が、現代に置き換えてみると

「え、こんなことしてるのに罪が軽すぎない?」
「こんなことくらいでこんな思い罪っていったい・・・」

といぶかしく思うことが非常に多くて。

「海軍的にはOK」
「海軍的にはアウト」

それが世間一般のとは違っている、と言うのが何とも。


「伝説の男」



http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/e3bd4362b99e0deb2f34cb89db6fe395

海軍兵学校30期卒、都留雄三大佐。
この「戦史には残らないが海軍の有名人」
の兵学校時代の成績を調べようとして
30期の卒業名簿を調べたのですが、なぜか名前が無い。
187名という小所帯ですから見落とすわけはないのですが。
もしかしたら養子にでも行ったのかと思い、
「雄三」と言う名前で検索しても見当たらず。

この人、本当にちゃんと兵学校を出たんだろうか。


「ドボコン」



http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/fd760c125406819f17b43f190e23e5a9

音楽家が隠語として使っている省略形名称のうち
傑作と個人的に思うものを列挙してみました。

因みに「ドボコン」はドボルザークのチェロ協奏曲、
「たこはち」はショスタコービッチの交響曲8番、
「だふくろ」はドビュッシーの「ダフニスとクロエ」です(苦笑)


「美しすぎる仲人」



http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/302de65e1fdd61f064a9eabfb2f26f0b

このエントリを検索するために「美しすぎる仲人」でググったら、
なんと「美しすぎる仲人」を自称する方のブログが出てきました。

いやまあ・・・・この方の写真も大変お綺麗ではありましたが、
なんというか、自称してしまう段階でアウトかな・・・と・・・。

わたしがこの時目撃した「美しすぎる仲人」は、
自分のブログで自称しなくても、おそらく「伝説」になるレベルの、
絶世の佳人でした。

今現在、お歳をめされてもきっと周囲の方には
「美しすぎる老婆」
と言われているに違いありません。



「報道の意味」



http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/2de7882b2f8c9f6f5f3ce7e95a44f767

マスメディアの現状というのがここ数年で一気に
日本にとって危機的ともいうべきおかしなことになりました。
「まさか社会の木鐸ともあろう報道陣がそんなことはしないだろう」
と国民が性善説で判断していた媒体が、
三年前異常なほどに一致団結して起こした政権交代。

政権を取った民主党が彼らの予想をはるかに上回る
無能揃いだったおかげで、民主党は社会からNOを言い渡され、
今そのマスコミの最後の頑張りも虚しく消えて行こうとしています。

マスコミがアオり、民主に「やらせてみた」おかげで日本がどうなったか。
今、株価や国際関係、すべての惨状を見て、
国民は改めて「マスコミに騙された」との思いを新たにしています。

そして、あまりにも犠牲の多い三年間ではありましたが、要するに
マスメディアとは「そういうものなのだ」「そういうことをするものだ」
とはっきり国民が目覚めるに至ったという点では、
あまりにも高い授業料ではありましたが、日本は一歩進んだのです。

それが証拠に。

「お友達内閣」→「全く反応されませんでした」

「カツカレー」→「朝日新聞社ビルのカレーの方が高いことがばれました」

「慰安婦問題」→「朝日の捏造であることが国会で明らかにされました」

「憲法クイズ」→「首相ではなくクイズを出した議員がバッシングされています」


政権交代前とは、マスゴミの「誘導」「印象操作」「仕込み」が
まったく功を奏していないことがこういった件に表れています。

しかもこのブログでも語った「雛人形倒しゲーム事件」などによって、
報道内部の「特定日本人」「非日本人」たちのあからさまな反日が明るみに出、

「報道の公正さ」

に皆が疑問を持ち出しました。



このエントリは、当時「流行」だった、裁判員制度で死刑判決を出した
裁判員に、この画像のように

「辛かったですか~?人に死刑を言い渡すのは?」

と嬉々としてインタビューしていたマスゴミを批判したものです。
そのときに
「需要と供給があるから、こういう報道はすぐなくなるだろう」
と言っていた身内の法曹関係者の予言は当たりましたね(笑)


「代車に乗りて我が未熟さを知る」



題名と楳図タッチの絵が説明する通り、
修理のために貸し出された車に乗って、
おのれの未熟さ(あらゆる意味で)を知った、という、
単なる反省文でございます。

それにしてもみなさん。

ETCカードを入れずにゲートに突っ込んでしまい、
バーが上がらないのに後ろから大型車が迫ってくる。

この恐怖は楳図先生の漫画どころじゃありませんよ(笑)



車の話が出たついでに。
先日タイヤを全交換することになり、
ディーラーが当たり前のように「橋石」のタイヤを勧めるので

「橋石は不買対象ですから」

と宣言し、ピレリのタイヤにしました。
ディーラーの方も、今までなんとなく橋石を勧めて来たけど、
今回ピレリにしてみたら安いし、「ランク」といっても
街中走行には何の意味もないレベルの違いでしかなく、
しかも、実際には足回りがソフトなのに驚き、

「勉強させていただきました」

と言われました。

え?

なんで橋石が不買対象なんだ、って?
60歳にもなって実の母親から「子ども手当」をもらっていた
元首相がいましたが、このメーカーはその実家だからです。
そこで一句、


”不買運動 できることからこつこつと”
(字余り)



「ある海軍軍人の(笑)回想録」




あまり反響はありませんでしたが、個人的にはこの
ある海軍軍人の(笑)シリーズ二編、自分でも気に入っている
エントリです。

「ある海軍軍人の(笑)回想録」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/0cd1a1220c0480cda789ef1fa119eafd
「ある海軍軍人の(笑)終戦
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/d37aa40955154f56573b04491f402f19


こんな人物とお会いして、海軍のお話を伺ってみたかった。(迫真)


「エリス中尉 v.s 韓流おばさん」



世の中、テレビが「流行っている」といえば、
本当にはやっていると思い込んで自分もまんまと
その誘導に乗って「マイブーム」(笑)にしてしまう、
そんな「釣られ好き」という層はいつの時代も
一定数存在するものです。

ところがインターネットによって「誘導する側」の意図が
最近では瞬時にして暴かれてしまうようになり、メディアは
仕掛けた途端それを糾弾されるという時代になりました。

韓流が所詮「仕掛けられたブーム」であることを知っていたのは、
この画像のエントリを書いた頃はおそらく「サイレントマジョリティ」
であったと思うのですが、その後、マスコミがごり押ししても、
肝心の「あちらさん」が

「大統領の竹島不法上陸」
「オリンピックでの領土主張メッセージ」

で派手に日本人の怒りの導火線に火を点けて、
片っ端からごり押しを逆効果にしてしまったのです。

その後民主党の自爆やカウンターデモの自爆により、
気付かなかった人たちは目をさまし、
気付いていた人たちはあらためて声を大にするようになりました。

先般国会において中山斉彬議員が明らかにした
「朝鮮半島併合の真実」。
今までインターネットとごく一部の言論人の中だけでのみ語られてきた
このことが初めて国会議員の手で開陳されたという意味では、
歴史的な瞬間だったのではないかという気がしています。

マスコミがこの件を全く報じず、肝心の韓国側がこれについて
何の反応もしないのも、これがいかに彼らにとって都合が悪い
真実だったかということにほかなりません。


因みに、この画像を挙げたエントリで、
無名の韓流スターのサイン会をやっていた施設ですが、
この時のファンの狼藉で顰蹙を買ったのかどうか、
最近ではそういうイベントはしていないようです。

あれはどう控えめに言っても、
「韓流おばさん、ことに大阪の韓流おばさんは最低」
とみなされても仕方ないお行儀の集団でしたから・・・。



「笹井中尉に叱られたい」



初めてマンガっぽい絵をブログに揚げようと、
gooブログに備えられている「お絵かきツール」を使って
ポインタを指でなぞって描いたものです。

その後、ときどきこのページのアクセスが、
中国語のウィキぺディアからあることがわかりました。
誰か(おそらく台湾の人)が、ウィキに貼りつけたようです。

台湾の「大空のサムライ」ファンの何人かは、
「坂井三郎の敵中宙返り事件」のあとの
「笹井中尉のお説教シーン」をこの絵でイメージしている、
という可能性もあるということです。

うーむ、誇らし・・・くはない。


市谷・防衛省ツァー~その他いろいろ

2013-04-09 | 自衛隊


というわけで、何日にも分けて見学記をお送りしました。
今回のツアーは厚生棟と東儀仗広場の見学が無く、
それだけは次へのお楽しみとなったわけですが、
残念なことがあるとすれば、厚生棟に行かなかったせいか
生の自衛官をあまり見かけなかったこと。



平日の午前中なので、みんな勤務中。
あまり外をうろうろしていないであろうことはわかりますが、
その点少し残念でした。

このお二人は海自の方でしょうか。



市谷記念館を見学した後グラウンドの横を通ったのですが、
自衛官が走りまくっていました。
これは任務?それとも休みの日の自主トレ?

だれかの自衛隊(陸自)レポートに

「朝からドカ飯、訓練の合間の休憩時間も走ったり球技したり。
死ぬのか?こいつらは運動していないと死ぬ動物なのか?」

と書いてありましたっけ。
それが仕事だからですよ、と今なら突っ込める。

去年、呉で旧海兵団こと教育隊の見学をしたのですが、
隊舎の共有部分には腕立てやら懸垂などの自主トレ達成表があり。
さらに雨の日曜にもかかわらずグラウンドを走っている隊員もいました。

「自衛隊に入ればいやでも体力はつく」
と誰かが言っていたのを思い出しました。

ここに写っている人影は後ろ姿も若々しいですが、
グラウンドには30代40代と思しき人も。



ね?

どの人とは言いませんが。
それとも単なる若くして髪が少なくなった人かな?
体型は首から上よりずっと若々しいですね。



毎日鍛錬。これぞ自衛隊員。



あまりにも隊員の姿がないので、
もしかしたら陸自の部隊は三島事件の日のように
富士演習場にでも行ってしまっていたのかと思って調べたら、
ここには陸自の

陸上幕僚監部
通信団
中央情報隊本部(通信、写真)
陸自警察隊本部
中央業務支援隊(人事など)
中央管制気象隊
中央会計隊
会計監査隊本部
研究本部システム開発隊

といった部門しかないことがわかりました。

そりゃどこにも隊員がいないはずだ。
つまり、平日の昼間は屋内で仕事をしている部隊ばかりです。

しかし、会計を「部隊」と称するとは、とさすがは自衛隊です。



補給のお仕事中。

ところでここの通信団の隷下には、

「第301映像写真中隊」

というかっこいいようなそうでもないような名前の隊があります。
広報活動に必要な映像は勿論、災害地に出動し記録を残し、
災害派遣部隊に資する「映像小隊」を擁するそうです。

自衛隊には一般にあまり知られていない部隊がありそうです。
メディアの発達とともに、たとえば「システム防衛隊」なんていう、
これははっきり言ってかっこいい名前の「サイバー防衛隊」
なども日々生まれてくるのですわけですから。

ドカ飯一日運動だけが自衛隊ではないってことですね。

体力に自信はないし体を動かすのは面倒臭い、
でも、国を憂う気持ちは人一倍。
そんな気持ちさえあれば大歓迎。
一日ネットの前で過ごす「自宅警備員」ぎみの君、

自衛隊サイバー防衛隊に応募してみないか!

(入隊後配属されるかどうかについて当方は一切責任を持ちません)



掲示板に貼られた「五省」のポスター。
自衛隊結成60周年記念に作られたもののようです。

五省(ごせい)。
それは帝国海軍から海上自衛隊に伝わる
その日の行いを反省するために
自分自身に投げかける、五つの問いかけ。

沈む夕日をフネの甲板から見つめている、
後ろ姿も凛々しい自衛官。

このような素敵なせっかくのポスターに、
いくらスペースが無いからってこんな風に
「入札公告」を貼らないでいただきたいの。



ついでに見つけた貼り紙のお知らせ。

いちいち粗探しするようですが
(というかそれが目的の防衛省見学)
ヘリポートを使用するのにいちいち
「ご迷惑をお掛けいたします」
などと謝らねばならないなんて・・・・。

かつて真珠湾攻撃をした海軍航空隊機動部隊の訓練が
錦江湾で大々的に行われたとき、
海軍はいちいち住民に

「ご迷惑おかけいたしますが、
引き続きご理解を賜りますようよろしくお願いします」

なんてことを断ったのか?
そんなことしてないでしょ?
しかし住民は飛行機の騒音などはものともせず、
皆日本国旗を振ったり手を振ったりしたんでしょ?


まあ、そのころとは社会情勢が全く違うとしても、
そこにヘリポートがあることは周知の事実なんだから、
ヘリコプターが来れば騒音があるくらい皆知ってます。

文句を言う方が間違っておる。
そんな輩に配慮せんでもよい。

と、つい義憤にかられるエリス中尉であった。
皆さまの自衛隊としてはそうもいかないんでしょうけど。




市谷記念館の玄関にまとめて飾られている防衛庁の札。
今六本木のミッドタウンがあるところが旧防衛庁だったわけですが、
もしかしたらその頃の表札と移転してからのもの二種類でしょうか。

防衛省の看板は防衛庁から移行になったのが急だったので、
完成が施行に間に合わず、しばらくはアルミの仮管板が掛けられていたとか。

そういえば防衛庁が防衛省になったのってごく最近なんですよね。
それは第一次安倍内閣下で行われたというの、覚えておられますか?

ええ、案の定この案には猛烈な反対論が一部にありまして(笑)

「省に昇格することによって自衛隊の自衛以上の役割の拡大や、
自衛隊を軍隊へ格上げしようとする動きであるというもの、
省への昇格によって中国や韓国などに日本が軍備の増強、
ひいては陸軍悪玉論を根拠とし、旧日本軍の完全復活をはかっている
などの批判を誘発することを危惧する声などがあった。

また、「制服組」の発言力向上をはかりたいという意識と結びついた
省昇格論への反発として、省昇格によって
文民統制が脅かされるのではないか、という警戒論も見られた」

左派っていつも同じようなことしか言わないんですね。

「軍靴の足音が~」
「中国、韓国が~」
「文民統制が~」

これ、今現在「自衛隊の軍昇格」に対して反対しているのと
全く同じ人たちが言っていそうですね。

第一次のときの安倍総理を潰したのは、
主にこういうことを言う一派、つまりどう考えても

「日本が好きでない、あるいはよその国の方が好きな人々」

であったらしいことが、これからもよくわかりますね。


 

ところで、以前お話ししたこのメモリアルゾーン。

このコースに立って、この慰霊モニュメントを眺めると、
いやでも目に入ってくる建物がありまして・・・。



それがこれ。

こんなでかでかと「自衛官募集」という看板を
屋上に上げるところを見ると、このアパートは
自衛隊員か防衛省関係の官舎?

敷地内に住むのは独身で、家族持ちはこういうタイプに
住む、と理解すればよろしいでしょうか。



そこでこれ。
いかに中を見学しようと見せてもらえない秘密の花園、
それが自衛隊員の居住区。

しかしパンフレットには皆さまの興味にお応えするため、
居室、食堂、浴場の写真がちゃんと掲載されています。

で、この居室。
二人一部屋らしいですが、見たところ
パーティションで隔てられて個人のスペースは
確保されているように見えます。

なるほど、これを「準個室化」というのか・・・。

「フルメタルジャケット」や、最近読んだ漫画「ライジングサン」
なんかみたいに、大きな部屋に二段ベッドがあってその上と下に
一人ずつ、などという過酷なものではないようですね。

それとも準個室化はこの市谷だけの仕様?

いずれにしても、心配されるほど酷い環境ではないようで
何よりです。
お風呂も普通の銭湯のようですね。



というわけで色々語ってきた防衛省見学記。
防衛相の用意した「見学用」のコースに若干の、
いやある意味では大いに不満を感じつつも、
そういう「開示」の実態も含めて新たに知ることとなり、
収穫は大でした。

「三島自決の場」を見たことからまたぞろ触発されて、
若松孝二監督作品「11・25自決の日」を観ましたし、
栗林中将の絵手紙も文字を書きとるためにじっくり読み直し、
あらためて心に響くものを感じましたし。

もうすこししたら機会を見つけて午後コースにも潜入してまいります。


このツアーは平日しかやっていません。

当初、土日祝しか休めない人たちのためにも、
せめて土曜日くらいは開催してもいいのでは?という気がしていましたが、
防衛省は休日ですから構内はがらんとした状態です。
警備の人数も休日なら減っているわけで、逆に大変そうですし、
良く考えるまでもなく、構内で生活する自衛隊員たちも、
せっかくの休日なのに物見遊山客にあれこれ観察されたくないでしょう。


国民の権利として内部を開示することを要求することは間違いではありませんが、
そこに所属する人々の権利に無神経であってはなりませんね。


というわけで、防衛省ツアー参加記、これでおしまいです。
またいつか「午後ツアー」にも行って参りますので、その潜入記もお楽しみに。

情報を下さったM24さん、アドバイス戴いた鷲さん、お礼を申し上げます。







市谷・防衛省ツァー~旧便殿の間と恩賜の銀時計

2013-04-08 | 陸軍

この建物はかつてはA棟庁舎のところにあり、
「一号館」と称していました。
極東国際軍事裁判が行われたため「負の遺産」
であることから取り壊しを求める声や、逆にだからこそ
保存を求める声が右から左から喧しかったそうです。

ごもっとも。

どちらの意見も尊重した、というところかもしれませんが、
歴史的な意味のある部分だけを資料館として残し、
コンパクトに作り変えたというわけです。



わたしのような「現物主義」には、
このような「作り直されたもの」を見ても、
心底感動できないのも事実。
例えば三島事件の現場なども窓の桟やドアはそのままでも
後は壁も天井も新たに作ったものですからね。



まあ愚痴はほどほどにして。
これは前にもお見せした「大本営表札」。

三島事件の現場とドアを通じてつながっている部屋が
かつて天皇陛下の休憩所であった

旧便殿の間

この「旧」というのがいつからついた名前なのか
いまいち不明です。
昔は「便殿の間」と称していたということでしょうか。

因みに三島事件の現場になったのは、
旧陸軍大臣室で、事件の10年前からここに置かれていた
東部方面総監部の総監室でした。

総監室で総監を人質に取り、一号館の前に自衛官を集めさせ、
総監室からすぐに出られるバルコニーから彼らに語りかける。

今にして思うとこの計画はいろんな意味でビジュアル的にも、
機能的にも完璧だったのではないでしょうか。

ここまでは。

三島がマイクを用意せず、自衛官のヤジとヘリの音に
その声をかき消されて、全く言いたいことが伝わらなかった、
というあたりから「計画失敗」の感は拭えません。

前も言ったようにサラリーマン的に「専守防衛」が身についていた
自衛隊員がそもそも蹶起する可能性はなかった、
という最大の「計算違い」は仕方がないこととしても、
事件後の自衛官へのアンケートではほとんどが
「三島の意見には賛同できる」と答えたと言いますから、
もう少し計画を最後まで詰めて実行していたら、
少しくらいは結果が変わっていたのではないかと思います。

三島はどちらにしてもその日の朝、車の中で

「あと数時間で死ぬなんて信じられない」

と言ったとされ、自衛官たちの反応がどうであったとしても
切腹による自決という幕切れに変わりはなかったと思いますが。



さてそれはともかく、その隣の部屋、旧便殿の間。
ドアは外開きです。
天皇陛下専用の休憩室だったので、

「陛下が客を迎えることは決してない」

という理由から、ドアは外向き。
そういえばこういうドアは大抵内向きでしたね。



ガイドさん

「ドア上部の網の小窓をご覧くださいませ。
この部屋の壁は非常に分厚くなっていますが、
実はそこは空洞になっていて、地下の冷たい風を送り込み、
この小窓から冷気を出して部屋を涼しくしていました」

クーラーなど無い時代の心遣いです。



窓の桟は材質が紫檀でしょうか。
つやつやとまことに美しい艶を今でも放っています。

この窓の角近く、上部に小さな四角い網が見えますね?
これもまた地下からの冷気を出していた「空気穴」。

すごい省エネ工法です。
全ての家がこのような「地下冷気冷房」を採用したら、
クーラーの排熱は減り、電気の使用量はだだ下がり!

これからの住宅メーカーはこんな工夫もしてみては?



鏡の下はヒーター。
当時最新式のセントラルヒーティングだと思われます。

女性が写っていますが、足元を見てお分かりのように
この記念館は土足厳禁。
皆入り口でスリッパに履き替えます。



光ってしまってちゃんと撮れませんでしたが、
この部屋に掛けてある

「陸軍大演習の全員写真」

ガラス乾板写真だ、と聞いた気がします。
特に高画質の写真を要求されたため、
ネガを原寸大に焼き付けたとかなんとか。

というわけで、一番後ろにいる人も
「完璧に顔がはっきりと写っている」のだとか。
海軍兵学校の入学写真に是非もこれを採用してほしかったです。

そして、並び方ですが、写真の隅から隅までびっちりと、
真四角になるように人が並んでいるでしょう?
これは、実際は後ろに行くほど人数が多い「扇形」
に整列して撮っているのだそうです。



特別ゲストらしい海軍軍人がところどころ見えますね。
カメラは特別に設置された高い台から撮影していますが、
全員視線はカメラではなく真正面に向けられています。



山本五十六発見。
緑色の光はガイドさんの持っているレーザーポインター。

「演習に参加した士官が全員写っています」

という説明に横にいた年配の方が

「じゃ、下っ端の軍人も写ってるんだ・・・・ええと少佐じゃなくて」
「少尉ですね」

これはエリス中尉。

反射的に隣から口を出してしまいました。(てへっ)
えっ、と驚いたような顔で顔を見直されました。

それより、昨今ではこんな年配の人でも
軍隊の階級のことなど全く知らない人がいるんですね。

(と自分の数年前のことを棚に上げるエリス中尉である)




おお、これは。

これが噂の恩師の銀時計

陸士で主席次席の二人に与えられる優等賞です。

明治時代から日本では、帝国大学、学習院、商船学校、
陸軍士官学校や陸軍騎兵学校等軍学校において、
各学部の成績優秀者(首席と次席)に対して、
天皇からの褒章として銀時計が授与されました。
元々は陸士などの軍学校がこの制度の発祥だそうです。

裏返せばこの時計には「恩賜」と刻まれています。

成績優秀者に贈られるものは銀時計だけではなく、
海軍兵学校では恩賜の短剣でしたし、
陸士陸大も「恩賜の軍刀」が授与されました。

初期の陸大では「恩賜の望遠鏡」だった時代もあったそうです。
(ツァイス製かしら)

貰えた者は「将来の栄達」が約束されたということで、
これらの授与者を「恩賜組」と称しました。

でも、「ハンモックナンバー」でもお話ししたように、
陸軍海軍問わず恩賜組が必ず順調に出世するわけでもないらしい、
というのもまた人の世の現実です。



さて、いろいろ見たものについてお話ししてきましたが、
防衛庁の見学記、最終回としてあと一回、
ちょっとした雑感などを挙げたいと思います。


 


 


キャンドル工場を見学した

2013-04-07 | お出かけ

あちらで仕事、こちらで見学。
相変わらず我ながらフットワークの軽いエリス中尉です。

今回はキャンドル工場を見学してきました!

岡山に行ったとき、最終日に息子とわたしのために
先方が「岡山観光」を予定してくださっていました。
してそのコースとは「瀬戸大橋見学」。

瀬戸大橋は去年ご案内いただいたばかりなので、
できればほかのところに行きたい、と要望を伝えると、
お知り合いのつてを辿って工場見学させていただくという
モノづくりに興味のあるわたしと息子にぴったりのプランが。



全国的にも有名なキャンドルメーカーです。
やはりキャンドルというと「ムード」のものなので、
社屋も洒落ています。



一歩はいると、ボードに我々の名前が!
歓迎されています~!
これは嬉しいものですね。



説明を最初に受ける部屋には季節の飾り物。
勿論キャンドルを使ったアレンジです。
このときは雛祭り前でした。



ここの商品に「似顔絵キャンドル」というのがあります。
結婚式の披露宴などで、新郎新婦の似顔キャンドルに火を点けたり、
プレゼントにするのに提案しています。

で(笑)

このまさおとたかおの二人のおじさん。
これは会社の社長と常務(だったかな)。
つまり創業者一族です。
なんと双子なんですね。
双子のおじさんが同じ会社で経営をしている、というのは
なんとも世界的に珍しいのではないでしょうか。

世の中にはあまり似ていない双子もいるものですが、
この二人は文字通り(笑)瓜二つ。
髪の毛の減り方まで同じです。

「社員には見分けがつくんですか」

と聞いてみると、

「最初は皆見分けられませんが、
ずっと仕事をしているとわかってきます」

この二人を見分けられるようになったかどうかが、
この会社になじんできたかどうかの目安にもなっていると。



どちらのおじさんだろう?

はい、これは代表取締役のたかおさんですね。
自分自身をキャラクター化しています。
おはようとちゃんとあいさつし合う会社。



今までこういうお仕事の現場に見学に行くと、必ず全員が
立ち上がって「ありがとうございました!」と、
こちらが気恥ずかしくなるくらい真摯な態度でご挨拶くださいます。

日本のこういった小さな工場って、本当にこういう空気を大切にしているなあ。
社長のたかおさんが看板で提唱するように、
「きちんと挨拶をする」
「外の人(顧客になるかもしれない)に対して礼を尽くす」
こんなことを実に一生懸命するんですね。

こういうのって、日本ならではなのかもしれませんね。



商品サンプルが飾ってあります。
仏事用のお洒落な灯明。



アロマテラピーの分野でもキャンドルは必須。
お香代わりにもなる和の香りのキャンドル。



これも仏事用。
まるで雪洞のようなろうそく立て。

この会社は、キャンドルを生活の中でどのように提案していくか、
そんな「実例」を実際に見るフロアを持っています。



広い部屋のコーナーごとにテーマを決めて、
キャンドルのある生活を提案しているのです。
見学者があるときだけ実際に火をつけるのだと思いますが。



これは結婚式の披露宴テーブルのセッティング。



化粧台にもアロマキャンドルを。



日常使いのディナーキャンドル。
勿論ディナー用ですから無香です。

この会社では、ここのキャンドルを使ってこのようなテーブルを作り、
それを写真に撮ってブログで自慢(?)するブロガーが
一定数いることに目をつけ、彼女らに声をかけて会社主催の
「キャンドルパーティ」に招待したりしているのです。

そのときに遠くは北海道から来たブロガーもいるのだとか。

ブロガーというのは基本報酬ではなく「自己顕示」が最終目的ですから、
メーカーにすればこのように「表現したがっている人」を取り込むことで
ネットを媒介とした口コミより強力な宣伝部隊を無料で雇うことができます。



ディナー用テーブルセッティング。



わたしもキャンドルが好きで、
寝室でよくアロマキャンドルを点けます。
ブログに載せるほどのテーブルセッティングは
滅多にしませんが。



「キャンドル葬」。
菊とお線香のではなく、お花とキャンドルの葬儀。
わたしも選べるならこんな葬儀で人生の終焉を迎えたい。

・・・・・なーんて。

最近「無宗教で葬儀をしたい」というニーズに向けて
このような提案をしているのだそうです。



この後、工場見学をしました。
道を隔てて向かい、というところに工場があります。



ここにもウェルカムボード。



震災の犠牲者を追悼するためのキャンドル。



工場入り口にも三つ目のウェルカムボード。
激しく歓迎していただきました。



この会社の社歴。
皆さまは、結婚式でお色直し入場してきた新郎新婦が
一所に火をつけるとそれがハート形に小さいキャンドル伝いに
燃えていき、最終的にメインキャンドルに火がつく、
というタイプのキャンドルサービスを見た(あるいはした)
ことはございませんでしょうか?

この説明がわかりにくければ、写真の左下を見てください。

このハート形キャンドルサービス、じつはこの会社が
開発したオリジナル商品。
一時披露宴ビジネス界を席巻しました。

それが1977年のこと。
今はあまりやらないようですね。



寒さを防ぐためか、埃除けか。
カーテンで仕切られた作業場。



このようなガラス入りキャンドルは、
一つ一つ芯を真ん中に垂らして作ります。
手作業なんですね。



キャンドルの形によって作り方もさまざま。





ん?

どこかで見たホテルのマークが・・・・。
リーガロイヤルホテルですね。



キャンドルに施す彫刻は、コンピュータ制御で
このような機械が自動でやります。
彫刻する刃物は熱で蝋を溶かしながら。



なんとやかんで蝋を溶かしている現場に遭遇。



芯を真ん中に入れるのも、手を抜くと不良品になってしまいます。
作業をする人は慎重に、注意深く行っています。



ここでこのようなお供えを発見。
案内の方は「事故が起こらないように・・・」
とおっしゃっていましたが・・・・これ、違いますよね。

先ほど社史をアップしましたが、その一部に



こんな事故が起こっていることが書いてあったのですが、
もしかしたらこの時に亡くなった方がおられるのでは・・・。

このようなことを訪ねるわけにもいかないので、
単にその時そう思っただけですが。



工場で作業をされている方々も、皆わたしたちを認めると
明るく挨拶をしてくださいました。
会社の雰囲気はこういうところに表れますね。





機械に名前をつけています(笑)
この機械は「なっちゃん」。
これを扱う専任が「なっちゃんは俺の嫁」とか言っていたりして。



芯通し、つまり後からキャンドルに芯を通すための機械。
作業員は皆着帽、マスクをしています。
商品に混入するのを防ぐというより、蝋の粉を吸い込まないように?



ここで蝋のかたまりをふるいに掛けます。



できた小さい蝋燭が貯まっていきます。



芯の出方と炎の大きさを実験する「燃焼台」。
ちゃんと近くには消火器が備えられています。
どうもいつも火をつけておく場所のようですね。



これは、芯になる糸を巻き取っていく機械。
ディッピングして蝋を付着させた糸です。




長い蝋燭は、芯を蝋にざぶんと漬け、
引き上げるという作業を何回か行って作ります。



というわけで工場見学はおしまい。
工場を出るときに、袋いっぱいのキャンドルをいただきました!
アロマキャンドルやディナーキャンドル、缶入りのキャンドルが
たくさん入っていました。

そして、この会社がアイビースクエアに出しているお店に。
工場からは20分くらいかかります。



お店に到着。
右を歩いているのが今日説明をしてくださった社員さん。
クライアントの奥さんの「ママ友」です。
今日ここを見学したのも皆このママ友ネットワークのおかげ。



お店の外にはこんなかわいい雛飾りが。
売り物ではありません。



なぜここに来たかというと、工場見学の一環。
手作りキャンドルに挑戦!というアクティビティのため。
今からキャンドル作りまーす。

 

目の前の百花繚乱の蝋パーツの中から、
決められた数の好きな色の蝋を選びます。
それを白い蝋と一緒にグラスに埋めていきます。

 

できました~。

すると、お店の人が熱いとかした蝋を注ぎ入れます。
このろうそくは息子の作品。

 

わたしのにも。
わたしは季節を先取りして桜をあしらってみました。



参加者一同、自分の作品を持って記念写真。

このあと、お店でバスキャンドルなども購入。
家に帰ってさっそくお風呂に浮かべて楽しみました。

お土産に戴いたキャンドルもいたるところで絶賛活用中。
キャンドルに火がついていると、無条件で気持ちが
安らぐことをあらためて実感しています。

キャンドルのある生活、なかなかいいものですよ。(宣伝)





市谷・防衛省ツアー~竹田宮恒徳王グッズ

2013-04-06 | 博物館・資料館・テーマパーク

この市谷記念館、極東国際軍事裁判が行われたフロアーには
この地が士官学校であった時代からあったものや、
あるいは戦後寄贈されたものなど、
歴史的な資料が多数展示されています。

建物全体の説明を聞いた後、見学者には約20分、
これらを見る時間が与えられるのですが・・・・・。

全く時間、足りません。

一つ一つの解説を読むどころか、
わたしがとりあえずすべての展示物を写真に撮るため
ケースの前を走り回っていたところ、あっという間に時間が来て

「みなさんもうこちらに集合しています」

と呼ばれてしまう始末。



陸軍軍楽隊の制服。
いつも思うんですけど、軍楽隊の帽子についているモップみたいな、
これなんなんですかね。

管楽器の管掃除にこれの細いの使ったりしますが・・・。



サーベル、日本刀など刀の展示多数。



これはどう見ても日本の刀ではない、
とおもったら緬甸刀。
ビルマ刀です。

昭和17年、竹田宮恒徳王がタイのバンコクに出張したときに
献呈された刀だそうです。



おお、仕込み杖。
頭山満などは仕込み杖を携えていたとどこかで読んだことがあります。



出た。青竜刀。

ここにある日本刀は、仕込み杖も含めて
何も手入れしていないはずなのにピカピカで、
今でもスパスパ切れそうな光を放っていましたが、
なぜか青竜刀だけが錆びまくっていました。



やはり「刀鍛冶」が作ったりする刀は、
それだけで焼き付けなどが全くこういう刀とは違うようです。
ここには荒木貞夫大将や梅津美治郎(いずれもA級戦犯で起訴)
の愛用の刀もありました。




明治21年ごろのもの。
なんと日露役回顧写真帖、つまり
「日露戦争に出征した人たちの写真」?

まるで子供のような兵士もいますね。

前から2列目の右から5番目、
髭のえらい男前がいますが、これが「寺内校長」。
これは士官学校で教えた生徒たちでしょうか。





明治時代、士官学校を学習院の生徒が訪問したとき
その記念に撮られた写真のようです。
男前の寺内校長、ここにも健在。
前列右から6番目?
前の写真からはかなり年月が経っていると思われます。

ボタンの無い制服を着ているのが学習院生ですね。
それにしても訪問した方をこんな後ろに立たせるなんて。
当時の「軍人至上主義」が垣間見える写真です。




終戦の御聖断の瞬間。
おそらく画家は見ていたわけではないので「想像図」です。

一番左で心配そうな顔をしているのが

内閣総理大臣、鈴木貫太郎

その二人横、海軍大臣、米内光政

その右、外務臣、東郷茂徳

一人飛んで陸相、阿南惟畿

ではないかと思われます。



勲章。

右側は勲一等旭日大綬章。
国家または公共に対し勲績ある者に授与されるものです。
歴史に残る政治家や軍人は大抵が受勲されています。

先日お話しした栗林忠道大将は、
戦後20年たった1967年に戦没者受勲をされています。

戦後初めてアメリカ人としてこれを受勲したのが、
「草鹿中将の乾杯」というエントリでお話しした
アーレイ・バーク海軍大将。
かなり激しい嫌日で侮日家であったバーク大将は、
草鹿中将と知り合っていらい熱烈な親日家に転向(笑)

戦後自衛隊の設立に多大な強力をした「恩人」となります。
多くの勲章を生前受けていたバーク大将ですが、
彼が亡くなり、棺に横たわったその体には、たったひとつ、
日本政府から送られた勲一等旭日大綬章が付けられていたそうです。

バーク大将はわかりますが、その後日本政府は
あのカーチス・ルメイにもこの勲章を与えているんですよね。

東京大空襲を指揮した「鬼畜ルメイ」。
表向きの理由は「航空自衛隊の設立に寄与」ということですが、
どうやら実際のところは当時の佐藤内閣の政治的戦略で、
アメリカとの関係に絡んだものである、という推測が大勢を占めているようです。

勿論国会を含み世論はこの叙勲に対して批判的でした。

勲一等の授与は天皇親授が通例であるはずですが、
昭和天皇はルメイへの親授を拒否されたということです。





色は鮮やかで、リボンの色も全く褪せていません。
この功に旧金鵄勲章は、今村均中将のもの。



竹田宮恒徳王の軍帽。
この方は陸軍幼年学校出で、陸大まで行かれました。
どうも血気盛んな皇族であられたようで、
日中戦線への出征を希望して周囲に止められ、
満州の騎兵隊にいるときに隊が前線に出ることになると
また周囲が呼び戻そうとするので直談判で隊に残り、
と、何かと「お騒がせ」でした。

この時初めて戦場に立ち、
「弾が飛んでくるのはあまり気持ちのいいものではなかった」
と感想を残しておられます。

・・・・まあ、普通はそうでしょうな。



竹田宮恒久王ご尊顔。
なかなか美男でいらっしゃいます。



ついでにさらに美男のご尊父、
竹田宮恒久王の軍服姿。
凛々しゅうございます。




父上の恒久王と同じく恒徳王もまた大本営参謀として、
比島攻略、なんとまあガダルカナルの戦いに参加しています。

「宮田参謀」

というのが参謀としての秘匿ネームだったそうですが、
いくら名前を隠していてもそこは皇族、軍としては何とか
おとなしくしていて欲しいのに(たぶん)、
血気盛んな(笑)恒徳王、ここでも前線視察を希望したり、
危険が多いラバウル視察を(おそらく)周囲の反対を押し切り
強行したりして、周囲をハラハラさせていたそうです。


いわゆる足手ま(略)ってやつですね。
周囲の皆さんの気持ちをお察しします。


上の写真は父上の恒久王ご着用の陸軍副官が付ける黄色い肩章。
副官の地位というのは世間的にも軍的にも
あまり重要視されていなかったわけですが
(当ブログ『一日副官』参照)
これは皇族の立場を考慮したうえでの苦渋の配置だったのでは
ないでしょうか。

ところで、わたしは箱の中に入っている
「防虫剤」が気になりました。
今でも効き目は持続しているのでしょうか。



竹田宮グッズ多数。
このシナ茶碗は「カケツギ」をしている?



皇族ともなると水筒ですらこのような木箱に
恭しく納めて保存してもらえます。
これはお父上の恒久王が日露戦争に行かれたときのもの。



皇族ともなると戦地で模様入りの陶器食器で
ご飯が食べられるんですね・・・・。

おまけに大根おろし器持参とは・・・・。
まさかご自分で摩り下ろしたりなさったわけではあるまい。




これも竹田宮コレクション。
なんと、軍艦比叡の進水記念品として配られた模型。
プラスティックではありませんから「プラモ」とは言いませんが、
なにしろ組み立て式の模型です。
スクリューとか魚雷のミニチュアが真鍮で作られていて

これ、欲しい!(笑)



完成品がこれだとものすごく大きくなるので、
文鎮にするにはいかがなものかって気もしないでもないですが。
因みに比叡が進水式をしたのは1912年の11月21日。
第三次ソロモン海戦で自沈しました。

皇族の方に配られるくらいですから、限定セットだったのだと思いますが、
それにしても凝った作りですね。



これも記念品の一環で、おそらく模型の部分だと思いますが、
いったいどの部分なのかまではわからず。
比叡の軍艦プレート(っていうのかな)のミニチュア、
なぜか蓋付きの香炉(たぶん)などです。

実は恒徳王、昭和15年(1940)の大観艦式の際、
昭和天皇に共俸し、お召艦だった比叡に乗艦しています。

この時の観艦式は皇紀2600年を奉祝する盛大なものでした。
この観艦式の間に光子王妃が長男を出産され、
王は艦から降りるなり初めてパパになったことを知らされています。



ちゃんと横須賀鎮守府の長官から、
竹田宮に贈った「記念品グッズ」の目録が残されていました。
これ、何人くらいが同じ記念品をもらったんでしょうね。



これは、な~んだ。(クイズ)

これも竹田宮コレクション。
おそらくこれが何か答えられる人はいますまい。
・・・・・・いや、いるかな?

答えは機関銃の弾倉。
なんとイギリス軍のものです。
これは香港攻略、バトルオブホンコン、日本側作戦名「C作戦」
(なんちゅう安易な名前だ)で、日本軍が香港島の英軍を
わずか18日で降伏させたという大金星の記念。
開戦二日後の12月10日から始まった戦闘です。

つまり敵の落とした弾倉を拾ってきて
「記念品」としてわざわざ竹田宮に贈呈したんですね。

この戦闘についてはいろんなエピソードがあって、
ベルリンオリンピックに出た水泳選手が二人いたので、

この人たちにビクトリア湾を泳いで決死隊にさせようと

したけど、武器を背負っていたらさすがの五輪チャンピオンも
全く泳げないことがわかって断念したとか。

さぞこの二人の少尉(学徒)もホッとしたことでしょう。
にしても、オリンピック選手を決死隊にさせようとするなんぞ、
まともな人間の思いつくことではありません。


この香港攻略のあと、香港はいきなり今まで息をひそめていた
中国マフィアが大手を振って悪いことをしだしました。

また、日本軍の朝鮮人軍属が掠奪や強姦といった不法行為を行いました。

香港市民は朝鮮人軍属を
「一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりも凶暴だった」と記録している。
このため、香港市民は日本人よりも朝鮮人を激しく憎んでいたということです。

ただ、日本軍も現地民に対して犯罪行為を行なわなかったというわけではなく、
このような不法行為が起こったのは、憲兵の展開が遅れたためと見られています。

憲兵が嫌われていた、ということを前ログで書きましたが、
軍紀を粛正するという大事な役目をつかさどる機関でもあったのです。

憲兵だからといってゆめ「悪」と決めつけることはなりません。
(というこのエントリの意図はご理解くださいました?)



赤いシャツがお洒落。
肥前官軍のチョッキ、と説明在り。
薩長土肥のころの佐賀肥前軍の軍服ですね。

「勝てば官軍」のあれ・・・だったっけ?




なぜか将校用の下着までが展示されています。
今、靖国神社の遊就館では「大東亜戦争70年展」をやっていて
(入場無料)入るといきなり山口多聞少将の軍服が飾ってありますが、
「山口多聞って、小柄だったんだなあ」と実感します。

山口多聞に限らず、展示されている有名な軍人の軍服は
どれもこれも「わたしでも小さいんじゃあ・・・」
と心配になってしまうくらい小さく見えます。

このシャツも、一番右のサイズは38センチ(肩幅)となっていて、
全体的に皆小さかったんだなと改めて思います。




勅令の紋章。
驚くことに、手描きです。
当時、このようなカラー印刷などなかったんですね。
100年経っても印刷と違い、色鮮やかなまま。
「百年プリント」です。


・・・そういえばあのフィルム、「100年プリント」とはなんだったのか。



というわけでほとんどすべての展示品を網羅してきました。


竹田宮恒徳王は、戦後すすんで皇籍を離脱し、
一般人となって、皇籍離脱金に群がってくる魑魅魍魎を退け、
スポーツの分野で関連団体の代表を多く務めました。

体育の日を制定に携わり、なんといっても
東京、札幌オリンピックを日本に招致するのに大きな力を発揮。

戦線で周りをハラハラさせた御仁が、戦後は日本のスポーツ界にとって
偉大な働きをする重要人物になったのです。

よかったよかった。

付け加えれば竹田宮の邸宅の在った土地が今の高輪プリンスホテル。
今でもその邸宅は保存されて同ホテル貴賓室となっています。










鹿屋航空基地記念館~復元零戦

2013-04-05 | 海軍

霧島行きを一も二もなく決めたのは、
ご案内くださった方(TOの知り合い)の、

「奥様が海軍好き(笑)なのでしたら鹿屋基地見学を
行程に入れますのでいかがですか」

というありがたいお申し出があったからです。
鹿屋基地とは昭和11年にここに海軍航空基地ができてから
継続して稼働し続け、海軍亡き後も警察予備隊、保安隊、
そして海上自衛隊が昭和29年に開隊して今日まで
ずっと現役で稼働し続けてきた航空基地です。

ここには基地資料館があり、昭和20年には特攻を出すことになった
この基地の歴史を今日に伝えています。



殺風景な基地入口。
まだこの時には季節前でしたが、構内には
たくさんの桜の木がありました。

横須賀の米軍基地となっている旧海軍基地もそうですが、
海軍は海軍徽章には錨に桜をあしらっていたこともあり、
桜の木こそ海軍のシンボル、としていたので、昔から
基地や工廠、関係各所の敷地には積極的に桜を植えたのだそうです。

その後知ったのですが、横須賀の港の海沿いに桜があるのは
「海軍の軍港」だったからということのようです。



地元出身でここに「鹿屋体育大学」を誘致した自民の大物、
二階堂進先生揮毫。



昔海軍基地、今海自基地であることを強調するため、
錨のマーク。
勿論ここは航空基地です。



ここが史料館。
前もって案内の方を頼んでおいてくださったので、
元自衛官の館員の方が説明をしてくれました。



エントランスを入ると敬礼してお迎えしてくれる特攻隊員の像。
この像を製作した福島氏は重度身体障害を持っておられますが、
国のために殉じた特攻隊員に捧げるためにその体をおして
この像を制作、完成させ、寄贈されました。



海軍式敬礼。
死に臨んで眉をきりりと絞った、若々しいその面立ち。



エントランスにはこのようなステンドグラスが場を圧するようにあります。

平山郁夫作、夕映桜島。

また平山か、などと言ってはいけません。
こういうところに飾るとなると、この大家をおいて
他に説得力のある画家は現代には(三年前に亡くなりましたが)
いない、ということだったのだと思います。たぶん。



しかし平山郁夫がステンドグラスを仕上げたわけでなく、
この原画をもとにこれは製作されました。
いや、わたしは決して平山郁夫を嫌っているわけではなく、
むしろ大好きといってもいいのですが、それにしても、
このステンドグラスとこの原画、はっきりいって

全く別物

って気がしません?
同じなのは構図だけで、原画よりむしろステンドグラスの製作に
かかった手間と創意工夫の方が称賛されるべきでは、と。

なのに、ステンドグラスの製作者は名前も出してもらえない・・・・。



エントランスのお知らせコーナー。



ついついこういうものに注目してしまうエリス中尉。
やっぱりこういうドラマティックな募集をした方が
現代の若者には受けがいいと狙ってのことでしょうか。

一人ひとりが「主役」になる場所がある

「国を護る」
という意義を強調したり、このように
若者の「自分探しの途中」への呼びかけを狙ったり。

一昔前、盛り場を歩いていたら
「兄ちゃんいいカラダしてるね」
と肩をたたいてリクルートしていたころに比べると
そのアプローチの仕方も世につれ時につれ、の感あり。

余談ですが、またつい最近
「昨今、自衛隊員はモテるらしい」
という話をあるところで聞いてしまったのですが、その人曰く

「モテます。陸自ですらモテます」

ついウケてしまいました。
陸自ですら、って(苦笑)


さて、ここの展示ですが、基本的に写真撮影禁止です。
しかし、このエントランスと復元零戦は撮っても構いません。

で、ここにこのようなものが。



おおおお、二式大艇!
知る人ぞ知る、日本海軍の傑作飛行艇。
敵にも恐れられたというあの「エミリー」が。
ガラスケースの上を見ると

「前方をご覧ください」



おおお、エミリー!エミリーではないか。

なんとここは巨大な二式大艇がどーんと展示されています。
この二式については一項を割いてまた別の日にお話しします。



丹作戦とはもともと源田実が指導したマリアナでの夜襲作戦ですが、
第二次作戦はあの宇垣纒長官の指示による特攻作戦を言います。

第二次丹作戦は、ウルシーで行われました。





このときに24機、762部隊から出撃した「銀河」。



偵察機、彩雲。
最近ふとしたきっかけで、
この時彩雲に乗って偵察をした士官搭乗員の
関係者と知り合いました。
この方についての話もそのうちする予定です。



ヘルキャットとコルセアも登場。
このとき、二式大艇5機が特攻機を誘導しました。
特攻の目的は正規空母で、一艦につき三機の突入が決められました。

丹作戦はその後4次まで計画されましたがいずれも実施ならず、
この二次作戦が唯一の実行された特攻作戦となります。



鹿屋基地生みの親、村会議員永田良吉さん。



なぜかここに貼ってある「いこい」(煙草)パッケージ。
まるでステルスのようなシェイプの日本機。
・・・ってこれ、いったい何なんです?



設立当初の鹿屋基地。



昭和21年、米軍駐留当時の鹿屋基地。
この荒廃した建物はその後修復され、現在も使用されています。

これも現在修復され、海自で使用されています。
リサイクル万歳。



何かよくわからないけど、手抜きっぽいオブジェ。
失礼ですか?

TOがやおらこれだけ写真を撮りだしたので
「なぜ?」と聞くと、
「スカイツリーのデザインした澄川さんの作品だから」

どうやらTOはスカイツリーの関係者と仕事だかなんだかで
結構仲良しみたいなんです。
で、「こんなの観ました」
と言うためだけに写真を撮っていた模様。
エリス中尉、スカイツリーには非常に否定的で、

「あのデザインはよくない」

とかねがね言ってるんだけど、伝えてくれたかしら。



さて、ここの目玉展示、復元零戦。
この丸い「空のドーム」と一緒の写真を、
皆さま一度くらいはどこかでご覧になったかもしれませんね。

右に立っているのが案内してくれた元自衛官。
このときは同行者が全員いて、

「時間の都合で1時間で回りたい。
その後昼食を食べたら
一人だけ戻ってきてその一人はゆっくり見るから」

(何を隠そうその一人とはエリス中尉である)

と言っておいたのに、こういうところの案内をする方は
ついつい熱心にいろいろと語りだしたら止まらないらしく、
わたしが次の予定を心配して
「あの、もう一時間経ちましたが大丈夫ですか」
と言うまでマイペース。

この時時間がかなり押していたのですが、それでも
同行者たちもこの復元零戦にはかなりの興味を示しました。



この零戦は、平成4年、錦江湾と吹上浜から引き揚げられた
零戦の残骸を元に、三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所の協力で、

鹿屋基地所属隊員が復元したもの

なのだそうです。



その復元作業の過程。



階段があるので上に上がってみました。
当時の零戦そのままなんだろうなあ。



周りの展示品は撮っちゃダメですが、
零戦は撮ってもいい、というので、
零戦を撮るついでに周りの展示品も一緒に撮ってみました。



撮ってもあまり意味はなかったですが。



下からあれこれ説明をしてくださっています。
本物の部分はあまりないので、係りの人は
本体を触りまくり。
エルロンを手でパカパカ上下させて、わたしに

「フットレバーが動いているの見えますか?」



ちゃんと写せませんでしたが、言われてみると、
フットレバーがエルロンの動きに合わせて動いています。
そう、推力伝達装置はちゃんと復元していると。



ただし、エンジンは全く再現していません。
だからもちろんこの零戦は飛べません。

エンジンもきれいに修復されています。
と言うか、修復と言っても引き上げられたのはほとんど
残骸と言うか鉄の塊みたいなものだったので、
よくぞここまで再現したなあと海上自衛隊の関係者の
熱意と努力に頭が下がります。

エンジンを付けなかったのは「付けてもどうせ飛ばせない」から。
日本の現航空法では、こういう飛行機を飛ばすことができません。
だったら見えるように外に展示しましょう、ってことでしょうか。

アメリカではレストアされた零戦が飛んでいるというのに・・・。



零戦の前部から海軍旗が見えたので。



尾翼を撮るふりして展示物。
しかしあまりこれも意味がありませんでした。
(内心がっかり)



ここで、一旦昼食をとるために皆退館。
近くのホテルで食事後、わたしひとりをここに落とし、
皆は近くの滝(なんか有名な)を見物に行きました。

それもこれも「同行者がいたら自分の興味のある部分を
ゆっくり見学できないだろう」という同行者の計らい。

というか、前もって
「わたし一人で見学させてください」
って頼んでたんですけどね(爆)

帰ってきて、まず外にあった展示物を見ました。



下川万衛兵の碑。

昭和16年、零戦の飛行訓練で急回転、急降下すると
尾翼が一部剥離するということがわかり、
実用実験をしたという責任感から、横須賀航空隊隊長の
下川万衛兵が同条件での実験をした結果、
やはり急回転急降下において機体の一部が分散し、
下川機は態勢を立て直すことができず海に突入、
下川大尉は殉職・・・・・・・・

あれ?

この話、どこかで聞いたことあるぞ。



映画の「零戦燃ゆ」劇中、加山雄三扮する下川大尉が
零戦の故障により実験中殉職してしまった、という話。

あの話は実話だったのか。

あの映画は主人公が「零戦」で、その開発から敗戦の際
燃やされてしまうまでが描かれていました。
この、零戦の完成までの段階における貴重な教訓となった
下川大尉の犠牲をエピソードに選んだのは当然かもしれません。


ここには「天山」の名残りもありました。



艦上攻撃機「天山」11型のプロペラ。
鹿屋沖で漁船の網にかかったものだそうです。



その天山艦攻雷撃隊、二五四飛行隊の碑。

そう、一度このブログにも書いたことのある、
飛行隊長肥田真幸(ひださねゆき)大尉率いる天山部隊。
その隊員全員の名前が刻まれています。



生存者が故郷から持ち寄った石が
ここに名前を刻まれて納められています。

「肥田大尉の石」は特別にプレートに乗せられ、
ひときわ大きなものです。

・・・・あれ?画面右下、石が無くなっていませんか?



これは錦江湾で漁船の網にかかった零戦21型のプロペラ。



宮崎県沖で1978年に見つかった紫電改のエンジン。
源田実大佐率いる343航空隊所属のものと分かっているようです。



魚雷アソートセット。



このような説明のパネルもありました。



館内の中庭には九一式航空魚雷。
これは肥田大尉の天山も使用した(ですよね?)航空機用魚雷。
日本は魚雷を作るのが得意だったらしく、この九一式も、
酸素魚雷の九三式も、非常に完成度の高いものでした。




この鹿屋史料館は海自の基地を隣接し、
広い敷地に歴代の海自航空機を展示しています。

それについてはまた別の日に・・・・。





ブーメラン戦隊ジミンガー~「憲法クイズ」と「特定日本人」

2013-04-04 | お出かけ

防衛省の見学に行ったとき、何を隠そう
ブログにアップするだけのネタとしてこの

「日本をトリ戻す!トリ型饅頭」

を購入して家族に白い目で見られたエリス中尉です。

この「政治家饅頭」を作っている「大藤」と言う会社ですが、
「麻生太郎を応援する」と言うコンセプトで
「太郎ちゃん饅頭」
を発売、それで有名になったのでその後「政治家シリーズ」
を続々と売り出している変なお菓子屋さんです。

画像の「トリ型饅頭」ですが、買ってきたものの誰も食べようとしないので
いつまでも戸棚に入っているこの箱を今開けてみると



こ・・・これはっ・・・・・・

銘菓「ひ(伏字)」!

作りが雑で一番左のひよこさんが怖い。



箱の裏隅には安倍総理の出身地、
山口の観光案内。
安倍総理と夫人がまるで「さかなクン」のような
フグの被り物をしているのが泣かせます。



安倍政権の支持率が高いということで
かさにかかって

「アベノミックス饅頭」新発売。

ミルク味とチョコレートの「ミックス」ですねわかります。

しかし、このシリーズ、他の議員と安倍総理の絵が、
全くタッチが違うというか・・・。

似てなくない?


因みに、もうすぐ小泉進次郎議員をフューチャーした

「進次ろうる」(抹茶味ロールケーキ)

が発売になります。
楽しみだなー(棒)


【ニュージミンガー ケンポークイズ・小西】

「日本の足を引っ張るな」
と、民主党議員の揚げ足取り質疑に対して激しく突っ込んだ
「ブーメラン戦隊ジミンガー」シリーズ。
この期に及んで新規メンバーの参入です。

インターネットを見ておられる方はご存知と思いますが、
3月31日の予算委員会質疑で民主党の小西裕之議員が

「包括的な人権規定と言われる憲法の条文は何条か」

などと執拗に質問し、それに対して安倍総理が

「調べればわかることを聞くのは生産的ではない」

と答えると、

「知らないのなら憲法を改正する資格はない」

さらに

「問責に値する」

などと首相を批難するに終わったということがありました。
小西議員は首相から「このやりとりに何の意味があるのか」
などとたしなめられるに終わらず、国民からはこの質疑に対して

「人を指さすなと親に教わらなかったのか」
「予算質疑の時間を無駄にするな」
「態度がなってない」

などと非難され、自身のブログのコメント欄のほとんどが

「議員辞めろ」
「次は落選させる」

という批判的な言葉で炎上しているようです。
本人は今まで全く放置していたブログを毎日更新しているようですが、
またその内容がだらだらと長いだけの

「俺は悪くない。
悪いのは答えられなかった安倍総理だ」

というさらなる言い訳(しかも指摘された箇所は随時訂正、さらに
コメントも承認制にして削除しているらしい)に終始しているため、
さらに皆の怒りを買っているようです。


わたしはこの小西議員の質疑、動画では見ていません。
あちこちに質疑内容が出ていますし、その内容からも
岡田や海江田、玄葉議員の質疑どころではない不快な、
腹立たしいものであることは確実ですので。


しかし、写真で見る限り、この小西議員の表情。
わたしは、この顔を見て

「人間は卑劣なことを行おうとするときには
どんなに表向きまともに取り繕っても表情に表れるのだなあ」

と感心してしまいました。
ご存知ない方は一度見てみましょう。

全く先入観抜きで見たとしても、実にいやな顔です。



さて、何をもってわたしが卑劣かというと、わたしはこの質疑において
小西議員は護憲派として建設的な議論をする気はなく、
単に安倍首相の無知をさらけ出し、4年前にマスゴミが
一斉にネガティブキャンペーンに使った麻生総理の

「ホテルのバー通い」「カップラーメンの値段を知らない」
「漢字の読み間違い」「ホッケが何か知らない」

こういった炎上ネタをあらたに自分の手で生みだし、
安倍または自民党バッシングのきっかけにすることしか
実は考えていなかったに違いないと考えるからです。


そしてそういう意図を持って小西議員が安倍総理にした

「アシベノブヨシ、タカハシカズヒロ、サトウコウジという
憲法学者の名前を知っているか?」

という質問ですがね。

は~い、わたし一人だけ知ってま~す(笑)

この中のどなたとは言いませんが、
結婚披露宴で祝辞を賜りました~!
超ワタクシ事ですが。

でも、もちろんそれ以外の二人は知りません。
特に、高橋カズヒロという学者は知りません。
身内の法曹関係者に聞いても知りませんでした。

高橋カズユキさんなら知っている、と申しておりました。

しかもですね。

ここんところの質問が酷い。

安倍「わたしは安倍「憲法学の権威ではないし、
憲法学を学ぶ学生だったこともないので、存じません」

小西「憲法を学ぶ学生だったら誰でも知ってる基礎知識です」

小西、人の話聞いてるか?

つまり、小西議員は安倍総理から「知らない」と言う言葉を引き出し、
それを非難する、と言うストーリーを練り、脚本を書いて、
それを一夜漬けで叩き込んで意気揚々と質疑したのでしょう。

「わたしは憲法を学ぶ学生ではなかった」
という答えは「想定外」だったというわけですね。


しかも、芦部さんが憲法の教科書に載りだしたのは、
法曹関係者にいわせると90年代以降のこと。
40年前に学生だった安倍総理がいくら法学部でもその時名を知らなくて当然。

え?

憲法改正するつもりなら名前を暗記しているべきだって?
そうかな。
わたし決してそうは思いませんが。
総理の仕事は憲法だけじゃありませんからね。
それこそ経済から教育、社会福祉、文化に至るまで、
国民生活のすべてに対して責任を持つわけです。

何かを変えるにはその条文や名前を事細かに知っていないといけない、
というのなら、

何のためにブレーンや閣僚や官僚、有識者である委員等がいるんです?

総理の仕事はオーケストラに譬えれば指揮者。
たとえばヴァイオリンパートの弓のアップダウン、
指揮者はすべて把握している必要があるでしょうか?
そんなことを統括するため主席奏者がいるわけですから
指揮者は奏者の運弓のことなんか知らなくてもできます。
いやむしろ、そんなことに拘って全体を見ない指揮者であれば
そっちの方がはるかに問題です。


そして当の小西議員が、福島の子供たちの被曝問題を
必死の表情で訴える森まさこ議員の真後ろで

「あくびする」
「熟睡する」
「爪を噛む」
「爪の垢を一心に貪り食う」
「ふらりと出て行ったきり戻ってこない」

こういうアホ動画を同時に流されてしまったので、
はっきりいって説得力も何にもありません。


それもあってインターネット言論は安倍総理ではなく
圧倒的に「小西の態度」をこぞって非難している。
揚げ足取りのための質疑であることを見抜いてしまったんですね。



ネットを見ない層をターゲットにした世論操作で
「民主党に一度やらせてみよう」と大キャンペーンを張り、
バー通いやカップラーメンで「自民にお灸を」とネガティブキャンペーンをし
民主党はマスコミの力で政権交代を成し遂げました。

しかし日本人も馬鹿ではありません。
ネットで情報を得る人口は格段に増えましたし、
中韓の「外交的圧力」に対して配慮しっぱなし、
なにより国益を全く顧みない政治をしていた民主党は
まず選挙で引きずりおろされました。

そしてマスゴミに関してはこの三年間でいろんな「裏」が
あまりにも明らかになり、なんといっても

「民主党と言う不良物件を甘い言葉で押し付けた」

その異常性にネットをしない層も気づきだしたのです。
当のマスコミも4年前とは違い「もはや日本人に工作は効かない」ということを
安倍政権発足早々の「カレー報道事件」で思い知ったに違いありません。

今回の「憲法クイズ」にしても、一応は小西議員は安倍総理をやり込め、
「答えられなかった、やーいやーい」
ととりあえず勝利宣言をしているわけですから、いかに批判の声がネットに溢れても
今までのマスコミだったら

「乗るしかない、このビッグウェーブに」

とばかりに映像を切り張りして小西議員を英雄に仕立てて、
ネガティブキャンペーン第一弾開始、というところだったのでしょうが、
いかんせんキャンペーンネタにするには
あまりにもこの鉄砲玉が無能すぎて「決めて」に欠けてしまった。
質疑の態度が悪くて不快感をまず最初に感じさせてしまったため、
一般世論の後押し(つまり尻馬)も期待できそうにありません。


因みに佐藤幸治先生ですが、皇室典範に関する有識者メンバーで、
いわゆる女帝問題について2005年からかかわってきた学者なので、
安倍総理は、面識があるはずなんですよね。

しかし、もし安倍総理がまともに

「佐藤幸治先生は存じています」

と答えたとしましょう。
おそらく、小西議員は「あとの二人を知らない」ことを責めたでしょう。
それでは安倍総理が

「全員知っている」

と答えたとしましょう。
おそらく、小西議員は

「それでは各学者は何条のことをどう主張しているか」

などと細部に亘ってクイズをしたでしょう。
そう、要するに安倍総理が
『知りません』と言うまで質問を続けるつもりだったのです。
なぜならそれが目的だからです。
あるいは次々と出すクイズにそのうち安倍総理が間違った答えを出す。

それが目的の質疑だったからです。



ほとんど今や国民に嫌悪感を持たれているレベルの民主党、
今回、小西議員はこの虫の息の民主党に引導を渡したようなものです。
文字通り立派な「ジミンガー」のブーメラン使いとしてデビューを飾り、
そして三年後には(長い!)間違いなく消えていくでしょう。




番外メンバー トクテイニホンジンガー ヨシフ・キムチレッド有田】

「何十年も前に帰化した元朝鮮人から献金を受けている。
国籍ロンダリングで韓国人になった元北朝鮮人の民団メンバーと
仲がいいけど、それがどうした」

となんの酔狂かツイッターで自ら宣伝してしまった、
民主党議員有田芳生(よしふ)。

この人物はやたら民団や総連とのつながりを自ら強調し、
在日朝鮮人に対する各種特権を廃止するためのデモを
「人種差別」
として法律で規制するべく立ち上がりました。

しかし民主党の幹事長、ロチュー・ブルーこと細野モナ男に
はしごを外されたのは記憶に新しいところです。

そして、意余ってついやりすぎて、
在日朝鮮人の特権に反対する正規のデモを起こした日本人に対し、

「特定日本人」

という差別的用語をクリエイトし、ツイッターで発信。
しかし有田議員の意図とはうらはらに、
次の日にはインターネット住民の中でその意味は


「特定日本人」=「反日日本人」あるいは「成りすまし日本人」

であるという定義に180度変わってしまい、さらに有田議員本人が
「特定日本人」であるということになってしまっていました。


美しいまでに見事なブーメランです。




さて、冒頭の「政治家饅頭シリーズ」の会社ですが、
「太郎ちゃん饅頭」などというお菓子を作るくらい、
ここの社長という人は、麻生太郎外相に、
まあいわば「入れ込んでいた」ように思われました。

それでは政権交代によって民主党が与党になってしまったとき、
この会社は、どうしていたのか。

下野した自民と麻生太郎をあくまで応援し、

「陽はまた昇る!政権奪回饅頭」

などを作って忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐え、
いつか太郎さんが表舞台に帰ってくるのを待っていたのか。

・・・・・どうもそうでもないみたいです。




ま、要は時の施政者であれば誰でもいいのね。
な~にが「今こそ民主主義の力」だ(笑)








市谷・防衛省ツアー~南郷少佐と戦時の英雄たち

2013-04-03 | 陸軍




市谷の防衛省ツアー、記念館の展示についてもう少し。

これは南郷茂男像。
金属供出の嵐が日本中を吹き荒れたときも、
この銅像はどうやら接収を免れたようですね。
胸像としては物凄く大きいので「接収し甲斐があった」
と思うのですが、陸軍としては「これだけは」という思い入れで
どこかに隠していたのかもしれません。

さて、この南郷さん。
「日本軍史上初、兄弟そろってのエースパイロット」
とウィキペディアには説明してあります。
これが茂男なのかお兄さんの茂章なのか、
写真をちゃんと撮らなかったので確認していませんが(←)
飛行服が陸軍のだからたぶん茂男さんだと思います。

それにしても、兄弟がそろって陸と海のパイロット、
しかもどちらも航空隊で図抜けた技量を持っていたという・・・。

やはりこういうのは「才能」「素質」がものを言うのでしょうか。

お兄さんの茂章さんは1938年中国戦線で、
弟さんは1944年1月、ニューギニアでそれぞれ戦死しています。



軍服も本物が。

一番右はネイビーカラーですが、これは
陸軍中将の制服です。
袖の詩集が特殊なので、おそらく皇族用ではないかと。
(これも未確認)



終戦に際し自決した阿南陸相の軍服。



陸軍マント。
フードがお洒落です。
やっぱり軍人さんのマントは陸海問わずよろしおすなあ。
このマントからブーツがすっと伸びて。

ああ、そうだ。

陸軍は、ブーツが「萌え」ポイントなんですよね。
栗林中将も、あのバロン西も。
スタイルの良さがいっそうブーツ姿を際立たせていました。



ロシアのお金。



秦中将とは関東軍参謀秦彦三郎
ロシア通として知られ、ロシア語を堪能に繰りました。
終戦時は瀬島龍三(どこかで聞いたなこの名前)とともに、
極東ソ連軍総司令官と停戦交渉に当たりました。

どうも上のロシア貨幣も秦中佐の私物であった模様。



戦闘で働きを上げて亡くなった少尉をこのように顕彰しています。
この新聞記事の内容を少し読んでみると、加藤少尉は24歳、
長城戦つまり中国戦線で戦死した小隊長で、
その戦死の模様を戦友が新聞記者に語っています。

「あゝ なんと気高い心構えであろう。
自身は一兵でも多くを欲するときでありながら、
隊の兵力の不足を憂い、健在者六名を復帰せしめた
少尉の崇高な決意に誰か泣かぬものがあろうか。
隊長も機関銃隊長も敵弾熾烈の元で鍔を上げて泣いた」

「隊長は『加藤よ、甘んじて隊のために死んでくれ。
今一押しだ。君の努力で敵はもう浮足立ったようだ』
と傍に居る人に言った」

「血染めの地図を示しながら
『お前は戻って○隊長は生存者六名とともに山上を死守する、
敵は約300名だと報告せよと命じられました』
と涙にむせびながら戦況を報告した。
誰一人声を発するものは無い。
上等兵は遂に耐え切れず『アッ』と泣き伏してしまった」

「加藤少尉以下の壮烈無比なる戦死は皇軍の光彩として
戦史に永久に残るであろう」


当時から新聞は「事実をそのまま伝える」のではなく、
書き手の感想と世間に「こう煽りたい」ということだけを書く、
ということをしていたのだとよくわかる記事ですね。

現在、この加藤少尉について調べても、
何の資料も検索にはかかってきません。
このときその戦死を麗々しく称えた世間が、
加藤少尉の名前を忘れるのは非常に早かったようです。



「加藤喜兵衛少尉」。
今回、この名前で検索しても、ある陸士出身の方への追悼文が
ひとつヒットしただけでした。



歴史的資料。
真ん中の英文の降伏要項は1945年9月付です。
どうやらフィリピンに駐留する軍に出されたものである模様。
(ちゃんと読んでいないので推測。てへぺろ)



先日認識票(ドッグタグ)が話題になっていましたが、
日露戦争の認識票発見。
金色というのは真鍮でしょうか。
それにしても全く劣化していませんね。
まるで小判のようです。



ああびっくりした(笑)
ガラスケースに横たわるこの義足、
実際に見ても本物そっくりです。
皇后陛下から賜ったというものなのですが、さすがというか、
職人の手の入れようが半端じゃありません。

おそらく義足義手に掛けてはトップメーカーが
これを依頼され制作したのではないかと思われます。

肌の色とかシミまで再現されて、もうこれは芸術品。



日露戦争で片足を負傷した歩兵少佐、木下秀四郎。
この人についても少なくともインターネットでは
なにもヒットしませんが、義足を皇后陛下から賜ったのは
この一歩兵少尉(勲4等功4級)であったようです。

なぜこの人だけが、という気もしないでもないですが、
彼もまた「作り上げられたヒーロー」だったのかもしれません。


展示されていたものについて、もう少し続けます。




横須賀軍港めぐりツアー~さようなら、「わかしお」

2013-04-02 | 自衛隊

横須賀軍港めぐりツアー。
出港してすぐは右手に米海軍基地の岸壁がありますので、
最初はずっと米軍艦艇を見ながら進むことになります。

横須賀湾の入り口を見ながら湾をぐるっと巡るころになると、
米軍でも自衛隊でもない敷地が現れます。



住友重機機械工業工場。

昔ここには浦賀造船所がありました。

日露戦争後、榎本武揚などが中心になって日本は
世界的な海運国になるべく、外国からの指導者を招き
百万円を投じてここ浦賀に造船所を造りました。

ここで戦前から戦後にかけて造られた船は1千隻にのぼります。

日産自動車追浜工場。

追浜というと、ここに海軍技術工廠があり、
あの有人ロケット戦闘機「秋水」が開発されたところです。
また、最初で最後のテスト飛行も、ここ横須賀の
田浦にあった追浜飛行場で行われました。

今ここに見えているのは専用埠頭で、
年間8万台がここから出荷されています。
今、出荷待ちの車が見えていますね。



で、これ。

アイクル、といいます。
リゾートホテル「アイクル」?

いえいえ、これは何を隠そうゴミ処理施設。
正式名称はリサイクルプラザアイクル。

横須賀のシンボル?として市民に愛称を募集したところ、
「リサイクル」と「愛」の造語である「アイクル」が当選。
おそらく日本で一番お洒落なごみ処理施設に違いありません。

このとき、ツアーガイドのお兄さんが

「前の海にたくさん鳥がいるでしょう?あれは餌を求めて・・」

と言うので写真を撮ってみたら・・・



これ、どう見ても鳥じゃなくて、ブイですよね?

今後このツアーに参加する方、もし解説が
「アイクルの前にたくさんの鳥が」と言っても信じないように。

だいたい、ごみ処理施設の前面の海に鳥が餌を求めてきてる、
っていかにもゴミを垂れ流してるみたいに聞こえるじゃないの。


さて、そうこうしているうちに、海自の基地前にやってきました。



5104 ふたみ型海洋観測艦 わかさ


5105 にちなん型海洋観測艦 にちなん


海洋観測艦とは気象・潮流・海底地形など海洋データ収集が任務。
そういうフネだからでしょうか、この「わかさ」は
海上自衛隊初の大型艦女性艦長が勤務したフネです。

この海洋観測船はほかに
「すま」「ふたみ」「しょうなん」の三艦があり、全て湾、海岸。




海洋観測艦のもっとも重要な任務は、
なんといっても海戦の一つの形態である「対潜戦」のために
海底地形や底質、磁気雑音などの自然環境をデータ化すること。

機雷、潜水艦などの戦闘行動の決め手はいかにこのデータを
蓄積しているかにかかってきます。

海底の地形、潮流は勿論ですが、地磁気、そして音響伝播の状況を
把握するために水質(温度・塩分濃度)なども調べるそうです。

軍事目的ですので、魚などの海洋生物については調べません(笑)
補助艦船ですので、通常は武装を持たずに航行します。

この「わかさ」の艦上どこを探してもCIWSや短魚雷などなど、
「飛び道具」はありませんね。

女性が艦長になったというのもこのあたりが考慮されたのかも。
ですから「ひゅうが」のように昨今砲雷長や航海長に女性が進出してきた、
というのは実は画期的なことなのです。





しょうなん型海洋観測艦 「しょうなん」AGS-5106

海洋観測船は基本的に皆横須賀を母港としているようです。
この「しょうなん」は就役3年目。
海洋観測船の中では最も新型の艦となります。

ただ(笑)

ご時世なのかなんなのか、建造の段階で大幅に予算を減らされ、
例えば先ほど停泊していた「にちなん」の半分弱の188億で建造。

日本はこういう「省エネ」「スリム化」は得意なんですが、それにしても
艦を建造するテーマが「節約」というのは・・・・。

これもご時世か、この技術によって静穏化を実現し、さらに
非常に操艦性能が優れているため、海洋観測において
音波の伝播状態をより正確に把握できるようになったのだそうです。

ブラボー日本の技術者たち。

名付け親は当時政務官だった参議院議員岸信夫。

それにしても・・・。護衛艦の名付け親って、
言っちゃなんだけど政務官ごときでなれたりするもんですか?
駆逐艦やヘリ搭載母艦じゃなくて海洋観測艦ぐらいなら、
まあ安倍ちゃんの実の弟だったりするし(!)
やっていただいでも構いませんよということなのかしら。

護衛艦の名付け親・・・・・

うーん、なってみたい(笑)



えのしま型掃海艇「ちちじま」 MSC-605

最初艦番号を調べると1983年、もう30年も前に除籍になった
「しさか」と同じ番号なので混乱しました。

これは我が海自の掃海艇の最新鋭艦。
解説の方が、

掃海艇の艦体はこれまで木造で、昨年竣工した
「えのしま」から、FRP素材(ガラス繊維強化プラスティック)が
日本でも採用されるようになった、という話をし、

「このツヤはプラスティック製だからなんですね~」

と説明をしていました。



すがしま型掃海艇「つのしま」JDS TSUNOSHIMA MSC-683

桜の花と護衛艦はよく似合います。
「つのしま」型のときにはまだ艦体は木材です。

いまさらですが掃海艇の役目は機雷の敷設と除去、爆破。
重量が軽く、鉄素材を使わない艦体は、
喫水をできるだけ少なくし、かつ機雷に反応しないためにも
必須条件なのです。

「えのしま」型以降はすべてFRPになっていくと思われますが、
この「樹脂で本体を挟み込む」

という工法でつくられています。
簡単に言うと、樹脂で本体をサンドイッチしています。
(簡単すぎ?)

軽さが求められる大型素材、風力発電の羽や航空機の素材に
汎用されている方法です。

木造の艦体より艦の寿命が倍(15年が30年)に伸びるので、
結果からいうとコストパフォーマンスは良いのですが、
これまで木造の掃海艇を造る技術において日本は傑出しており、
その技術がFRP化によって消失することが危惧されているそうです。



「つのしま」艦上。
海中部分だけでなく煙突も非鉄素材。
表面を見てください。
成形した素材の線が浮き上がっていますね。




そんな説明を受けながら「ちちじま」の横を通り過ぎようとしたら、
甲板に当直士官がぶらっと出てきました。

米軍の艦艇では決してやってくれませんが、
(それどころか双眼鏡でこちらをガン見してたし)
基本、自衛艦の乗員は、この軍港めぐりツアーに向かって「帽振れ」してくれます。

ツアーが始まるなりガイドには「帽振れ」の説明を受けるので、
皆、甲板に人がいるとやたら手を振ってアピール。
それに応えて自衛官が帽振れしてくれると大喜びです。



護衛艦の皆さん(とくに士官)には、きっと
「ツアーには任務に差し障り泣ければ帽振れしてやってね」
と通達が出ているに違いありません。
だって、「皆様の自衛隊」ですから。

でも、いくら仕事が忙しくなくても、
一時間に一度来るツアーに毎回毎回楽しそうに帽振れするのは、
結構(気分によっては)面倒なことではなかろうかと
他人事ながらお察ししてしまいます。



ほら、この不承不承な様子・・・。
もしかしたら単なる照れ屋さんなのかもしれませんが。



海洋観測船の「にちなん」「わかさ」、
掃海母艦の「うらが」の艦名が一度に見られた瞬間。




同じ海洋観測船でも搭載設備がずいぶん違います。

「わかさ」の艦尾にはなぜかボートが係留されています。
艦体(『わかさ』と言う字の右側に縄梯子が降ろされていますね。
「にちなん」を通らず、ここからボートで乗り降りしているのでしょうか。

ところで、少し順番を変えて説明しましたが、
この海上自衛隊の基地にやってきてほどなく、
このような不思議な光景が現れました。





あれ?

米軍側岸壁の潜水艦ドックだけでなくここにも潜水艦が?

しかも・・・・・艦船に係留されている。



お母さんと手をつないでる子供、
あるいはペットと一緒?
とにかく、何やら可愛らしさに胸がキュンと萌える眺めです。

しかし・・・・何か変だと思いませんか?

潜水艦ドックでもないところに係留されている

停泊中の護衛艦には必ず揚げられる自衛艦旗がない


そう、この潜水艦はこの3月5日に除籍になったばかりの

はるしお型潜水艦SS587「わかしお」

だったのです。
案内のお兄さんが何度も言うところによると

「このツアーに参加した方はラッキーです。
退役した潜水艦をこのような状態で観られることは
滅多にありませんから!」

このツアーに参加したのが3月17日。
まだ退役して12日しか経っていない状態だったので、
このような状態で係留されていたということのようです。




ここでわかしおの艦体をアップしてみます。
自衛艦旗は付けられていませんが
代わりにこのような黄色いランプがあります。
この同じランプは艦尾にも観ることができます。

これは「退役した艦に付ける標識」。

さらに潜水艦の喫水線を見てください。
本来の喫水線であった部分が、白い線になって残っています。
これはつまり就役していたときの恒常的な喫水線で、
退役が決まり、艦内の「使えるもの」をリサイクルのために
皆持ち出したため重量が軽くなっているということなのです。

退役になった艦は保持されることはありませんから、
「わかしお」はこのあとスクラップにされるのを待っている状態。

しかし、「わかしお」と言えば・・・・・・・。




去年の10月。
エリス中尉が人生で最初の観艦式を見たときに
この「わかしお」はこうやって元気に訓練展示に参加し、
観衆を沸かせていたのです。

このとき「ドルフィン運動」をしなかったということで
やはり観艦式に参加していた読者のさくらさんなどと
この話題について盛り上がったりしたものですが。
(当社比)



掃海艇を見学してから、ツアーの船は少しだけ
来た水路を戻ります。

「わかしお」を係留しているフネは

うらが型掃海母艦「うらが」MST-463

掃海艇のためにヘリを発着させたり、掃海処分具を搭載したり、
掃海員のための減圧室などを装備しているフネです。


つまり、掃海艇たちの「お母さん」。


このお母さんが役目を終えた「わかしお」(よその子だけど)の手をつないで、
最後の日々を一緒に過ごしてやっているように見えて、
ついほろりとしてしまったのは、このツアーの参加者の中でも
おそらくエリス中尉だけではなかったかと思われます。

艦船や飛行機に夢中になる人のほとんどは、
意識するしないにかかわらず、実はこの
「擬人化・萌え」による思い入れが深いということかもしれません。


在りし日の勇姿。




さようなら、「わかしお」。
最後に逢えてよかった。



自衛艦旗のマストにしばし羽を休めていたカモメ。



横須賀軍港めぐりツアー、もうしばらく続きます。







横須賀軍港ツアー~ジョージ・ワシントンとイージス艦

2013-04-01 | アメリカ

横須賀の米海軍基地スプリングフェスタに行ったとき、
車をショッパーズプラザというモールの駐車場に停め、
とりあえず三笠公園に向かったのですが
初めて来た者の悲しさ、道路へ出る方向がわからず、
商業施設から反対側の港方面に出てしまいました。

その失敗が今回軍港ツアーに参加するきっかけに。

「こっちじゃないよね」
と言いながら反対側に出てしまったわたしたち、
目の前の景色に「あっ」とびっくり。



米海軍旗と自衛隊旗が同時になびくこの光景。



ナンバー181・・・これは観艦式でエリス中尉が乗艦した

「ひゅうが」だあ!

こ、ここはまさに横須賀軍港ではないか!



見渡す港に点在する米海軍のフネ、そして護衛艦。
その中を今まさに出て行かんとする遊覧船。
この遊覧船は、まさか・・・・



そのまさかでした。
こんなツアーがここから出ていたとは!
これはもう参加しろという東郷平八郎元帥のお導き。

一も二もなく参加を決めたわれわれ、最終便の3時発クルーズを予約すべく
この看板の真後ろにある受付に飛び込みました。



この日、天気予報は「午後から雨」。
もし雨が降ってきてしまったら早く帰ってきて2時発に乗ることにして、
二人分のチケットを買いました。

(こんなことしてたから米軍基地に入るのが遅くなったんですね(-_-))

三笠公園からここまでは歩くと結構な距離があります。
米軍基地を出た後、記念艦三笠の見学をして
出港予定きっちり5分前に船着き場に到着。



これが軍港ツアーのクルーズ船。
わたしたちが並んだのは後ろの方でしたが、二階デッキに座れました。
TOは寒がりで「船内がいい」と最初言っていましたが、
わたしが当然のように「じゃ別行動で」というとおとなしく二階に座りました。

1000円で双眼鏡、毛布は無料で貸してもらえます。

ところがいざ出港という時間になって
「まだ予約されたお客様が全員乗っておられないので5分待ちます」
とアナウンスが。

なんだとおおっ。(笑)

フネは一旦出てしまったら追いつけないという鉄の掟をしらんのか。
貴様一人のためにこれだけの乗客を待たせて、
それでも海の男か!(女かもしれないけど)
海軍5分前の精神を知らんのか!

とマニアックに心の中で突っ込んでいたのはおそらく
乗客の中でもエリス中尉一人だったのではないかと思いますが、
そのうちこの客がやってきたらしく、5分遅れてフネは出港。


ツアー参加客には「海軍5分前」の掟を周知させるべきだと
主催会社にこの際提案させていただきます。




ともあれ無事出港、ツアーが始まりました。
いきなり我が潜水艦の横を通過。

番号が見えないのでおやしお型ではないかと思われます。
横須賀にあるのは第2潜水艦隊なので、おそらくは

「おやしお」
「うずしお」
「なるしお」

のうちのどれかでしょう。

それにしてもみなさん。
いきなりですがこの光景、不思議じゃないですか?

この港は「米海軍基地」「自衛隊基地」が別にあって、
こちらは米海軍側なんですよね。
この向こう側は、先ほどまで我々がいた米軍基地につながっています。
そして先ほどの写真、「ひゅうが」の停泊していたのは自衛隊の停泊地。

どうして海自の潜水艦が米海軍側のドックにいるの?


これについて調べたところ、答えが3つ見つかりました。


1、潜水艦を泊めるには特別の施設が必要なのでここに泊めるしかない

2、警備の都合上米軍と一緒にしていた方が楽だから

3、内心米海軍は日本の潜水艦建造技術の実力に恐れをなしているので常に監視している


わたくし個人的には

1、60%、2、30%、3、5%、その他5%

って感じではないかと思いますがいかがなもんでしょう。
まあただ、「潜水艦に恐れをなし」という説もあながちでたらめではない
という気がします。

なぜなら、海自潜水艦隊にはこんな最強伝説が・・・。

海自と米海軍との合同演習での模擬戦中のこと。

米海軍「日本の自衛隊なんぞ楽勝。
ま、一応自衛隊の潜水艦は実戦レベルで探すけどね」

海自「…ポチっとな」

海自の潜水艦からのピンガーで米海軍の駆逐艦は撃沈判定。

海自の潜水艦は遥か遠くからエンジンを停止して、
海流の流れだけでアメリカの駆逐艦の真下に到達。

面子を潰された米海軍が本気で潜水艦を追尾するが悠々離脱する。




そんな潜水艦の舷門の見張りをしている水兵さん。



ミサイル駆逐艦アーレイ・バークII‐A級 ラッセン(LASSEN)

横須賀を母港とするイージス艦です。



アーレイ・バークI型 カーティス・ウィルバー(CURTIS WILBER)



どちらも母港を横須賀とする駆逐艦です。



ここで解説は左の海上自衛隊部分に。
そう、「ひゅうが」ですね。
定係港は横須賀。つまりここが母港です。

この横を船が通過したとき、艦尾で自衛官が皆で
帽振れをしてくれました。
アッと気が付いてカメラをズームしているうちに
撮りそこないました・・・・orz



そのかわり「ひゅうが」艦上の人影を写真に撮ってみたのですが、
・・・・なんだかこれ、一般の人じゃないですか?

もしかしたら、艦船見学できるのかなあ。



そこで米海軍側の岸壁に目をやると
物凄く年季が入った感じの軍艦らしからぬフネ。
APL40って、なんだと思います?

これは「支援艦」。
つまりこのフネそのものが「宿泊施設」なんですって。
かつてはベトナム戦争にも参加し、メコンデルタでは
米陸軍の移動基地として就役していました。

つまり「地獄を見たフネ」ってことですか?

今、このフネに動力部分はついておりません。
ただ、埠頭にぷかぷか浮いているだけのフネ。

修理などで横須賀港でドック入りする艦艇の乗務員が
宿泊するための施設で、中にはカフェテリアやジムも完備。

せっかく港に着いたというのに、艦艇の乗員たちも
オカの上で寝てえ~!って思ったりしないんでしょうか。



意味なく一部を引き延ばしてみました。
この艦橋は今何に使用されているのでしょうか。

・・・・・トップラウンジ・・・・?

ちなみに自衛隊では運用年数が決められていますから、
このような長期に亘る艦船の「二次利用」は行われません。



アーレイ・バークII‐A型 ミサイル駆逐艦マスティン(MUSTIN)

横須賀には第15駆逐艦隊の9隻の駆逐艦が所属しています。
ところで「第15駆逐艦隊」というのもかっこいいですが、
これ英語で言うと「デストロイヤー・スコードロン15」

うわ~かっこいいいい!
・・・・・わたしは中学生か。



ところでみなさま。
イージス艦イージス艦といいますが、
イージスシステムを備えているかどうか、どこで見分けると思います?
例えばこの「マスティン」の艦橋、
ほぼ8角形のプレートみたいな金属部がありますね?

これがSPY-1Dというイージスシステム用の多機能レーダー。
単純にこのプレートがあればイージス艦、でいいんです。

イージス艦は200以上の目標を追尾し、そのうち10から20の目標を
同時攻撃することができます。

案内のお兄さんは

「100のミサイルが飛んできたらそれを全て落とすことができる」

と言っておられましたが・・・。
実際はどうなんでしょうか。

ではこの際だから、「イージス艦講座」(初心者向け)をしてしまいましょう。

イージスとは、ギリシャ神話から来ており、全知全能の神ゼウスが
娘のアテナ(知恵、戦略の女神)に与えた楯、アイギス(Aigis)の
英語読みです。

イージス艦とはもともとソ連のミサイル攻撃から主に空母を守るために
開発されたもので、基本「守り重視の艦艇」という位置づけです。
「イージスシステム」=「艦隊防空システム」なのです。

つまり、同時多目標処理能力と対応時間の短さがポイント。
一度にたくさんのミサイルや飛行機に攻撃されても、
それをコンピュータ処理によってさくさくと攻撃し撃ち落とす、
これを可能にするには、衛星や偵察機とのデータリンクが必須です。

データリンクもできないのに
「日本が持っているからうちも持つ(ニダ)!」とばかり
イージス艦の数をとにかく増やそうとしていたどこかの国がありますが、
そのどこかの国は最近ロシアに衛星を上げてもらったので
もしかしたらデータリンクできるようになったのかしら。

どなたかこの辺のことご存じありませんか?




もう一押しアップ。
五色で書かれたHEEEEって・・・・何?

英語でもこれ、意味は「ひええええ」だと思うんですが・・・。



星条旗って美しいですね。



マスティンの甲板に人影発見。
日曜なのにお仕事中。
月月火水木金金。
アメリカ軍も海の男の「艦隊勤務」に土日はない。



近くで見ると結構あちこち錆びたりしています。
手入れがなっとらん。

もしかして・・米海軍、
「サビとか、いちいち細けえことはいいんだよ!」
って主義ですか?

実はこれについては今回知ったある逸話が・・・。
それは巻末のお楽しみ。




OH!

甲板に立っている二人の海軍さん。
なんと双眼鏡でこちらを観察中だ。



タイコンデロガ級 ミサイル巡洋艦 シャイロー(SHIRO)

第7艦隊の水上戦部隊は、この「シャイロー」と「カウペンス」
二隻の巡洋艦と第15駆逐艦隊で構成されます。

シャイローの向こう側に同型艦らしきのがいますが、これが
「カウペンス」かもしれません。(未確認)

右 アーレイ・バーグI型 ミサイル駆逐艦ステサム(STETHAM)

左 ブルーリッジ型 揚陸指揮艦ブルーリッジ(BLUE RIDGE)

ブルーリッジをその意味から護衛艦風に言うと蒼い稜線、つまり
「そうりょう」ってとこでしょうか。




ニミッツ級航空母艦 ジョージ・ワシントン
(GORGE WASHINTON)

でた!
いろいろと話題のジョージワシントン。
うーん。大きい。


アメリカ以外の基地を母港とする唯一の空母。
配備されるというときに反対運動がありましたが、
今はどうなっているのかとと調べてみたら、案の定

「ジョージワシントン4周年配備反対とオスプレイ反対のデモ」
(笑)

なんてのを市民団体(と言う名の左翼)が去年の秋にやってます。

「世界一危険な飛行機オスプレイの配置反対」

・・・・・はい。

それはいいがなぜ横須賀でオスプレイ反対を叫ぶ(笑)
ジョージワシントンに反対するついでに
旬の(マスゴミが取り上げる)案件だからこれも言ってみましたって?

もうあなたたち、デモするならもう少しテーマを絞らなきゃ。
だいたい4年も経って一向に出て行かないんだから、
たぶん今さらデモしてもとあまり意味ないと思いますよ?

そのうち任期が切れるから、それまで待つことですね。

この団体に提案なのですが、デモによる訴えを効率的にするには、
この日やっていた「米海軍基地スプリングフェスタ」、
日本人の観客もたくさんいるんだから、こういう機会に堂々と
基地前に集まってその正当性を叫ぶのがいいんじゃないでしょうか。

そして和気藹々と写真を撮っている米軍人と日本人たちに向かって

「この非国民が!」
「原子力空母は出て行け!」
「ヤンキーゴーホーム!」


って叫べば効果的だと思います。たぶん。



ジョージワシントンはご存知のように横須賀が母港ですが、
やはり一旦出て行ったら半年くらいは帰ってこなかったりします。
今、同艦は、ご覧のように「メンテナンス中」。

いつ横須賀に行っても観られるというわけではないので、
ここしばらくの間は必ず見ることができる「チャンス」らしいです。



全長333メートル(覚えやすい)。
333メートルといえば?
そう、昭和33年にオープンした

東京タワー。(全長333メートル)

東京タワーと全く同じ大きさなんですね。
この錨の重さは30トン。
錨を吊っている鎖の輪一つが162キロ!



作業中の人影発見。
なんか、甲板の上に日本製のプレハブがありませんか?





なにやら白いついたてを立てて目隠ししている。
これは「見られては困ることをやっている」でOK?



真正面から見たところ。
左舷に傾いています。

乗員は士官、兵員だけで3200名。
航空要員(パイロットとか)が2480名。

5000人ったら、何年も同じフネに乗っていたとしても、
一度も会ったことのない人なんていくらでもいそうですね。

一日にこれらの人々が食べる肉の量は「牛三頭分」。
肉ばっかり食ってんじゃねえよ(呆)


ところで、映画「バトルシップ」公開時に、宣伝のため
日本を訪れた出演者と関係者、日本人の浅野忠信とともに
このジョージ・ワシントン上で記者会見を行ったのだそうです。

なぜ?って気もしないでもないですが、
(だってジョージワシントン、別に映画に出てこないし)
配備反対とか何かと問題視する人もいるから、
パブリシティを兼ねてこの際友好的に、って感じでしょうか。

で、その時に浅野くんがぽろっと


「怒られるかもしれないけど、
日本人は真面目だから護衛艦の中は綺麗で。
アメリカの船も綺麗でしたが、ところどころラフな部分があって、
コカコーラが挟んであったりして。
全然違うなと。

それが悪いってことではないんですが(苦笑)」


なんて言ってしまったらしいです。
うーん、浅野忠信、空気読まなさすぎ。

というか、きれい好きではおそらく世界の二本の指に入る
日本の(あと一つはドイツ)、さらに「整理・整頓・清掃」の3Sをモットーとする
我が自衛隊の護衛艦とヤンキーのフネを比べるとは。

そんなことは普通に考えて当たり前、といいたいところですが、
目の当たりにした俳優の浅野くんにはさぞショックだったんでしょう。

すると、ピーター・バーグ監督が慌ててフォロー。
だって、周りにいるのは皆米海軍の皆さん。
ここで気まずくなってはわざわざジョージワシントンを
インタビューの舞台にした意味がないですものね。

「ちょちょちょっと一言補足して良いですか? 
アメリカの船はとてもとてもクリーンで、
日本の船は本当に本当にクリーン、
さらに清潔だったということです(汗)」

念のため英語でこの記者会見の模様をいくつか検索し、
この件が報じられているかどうかチェックしてみたのですが、
こんなことについて書いている英語媒体は見たところ

ひとつもありませんでした(笑) 

 

軍港ツアーシリーズ、続きます。