ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

防大校長五百籏頭真とシビリアンコントロール

2012-12-06 | 自衛隊

今回、防大開校記念祭に行くことになったきっかけというのが、
「防大の学園祭ですが興味ありませんか」
と防大出身の方にお誘いいただいたことだったのですが、改めて調べたところ、
全防大校長の五百籏頭真氏が講演をすることがわかりました。

「五百籏頭さんの講演ならば、ぜひ聴いてみたいです」
「ご興味がおありですか」
「興味というか・・・・いろいろと聞いているので」

少しでも日本の防衛に関心があれば、五百籏頭氏が防大校長としてその資質を
保守論陣に強く非難されていた人物であることは周知の事実です。

いや、全く知らなかった、とおっしゃる方のために、この前防大校長について
すこしお話ししておきましょう。

五百籏頭真(いおきべ・まこと)
日本の政治学者、歴史学者
京都大学卒、1948年生まれ
専門は日本政治外交史、政策過程論、日米関係論
神戸大学大学院教授、防衛相防衛大学校長、日本政治学会理事長を歴任
2011年には東日本大震災復興構想会議議長を務めた
2012年から復興推進委員会会長を務める

防大の校長は代々学者が歴任しています。
この五百籏頭校長が本年になって退官した後に就任した新校長、国分良成氏も、
慶応出身の政治学者で専門は現代中国論、東アジア国際関係。

軍隊を持つ国では一般に士官学校の校長は軍人が務めます。
旧軍の海軍兵学校、陸軍士官学校もまた然り。

わが国の防衛軍指揮官養成機関である防大の校長が自衛隊出身者ではない、
これはいわゆる「文民統制」の考え方からきた規則慣習でないかと思われます。
(もし、士官学校校長に軍人を任命しない国をご存知なら、情報をお願いします)

ここでいまさらですが、文民統制という言葉をさっくりと説明すると、
戦争は外交手段の延長であるという定義のもと、政治が軍事より優先するとし、
「文民である政治家が軍隊を統率する」ことを言います。

いっとき仙谷由人元官房長官の「暴力装置」という言葉が世間をにぎわせましたが、
暴力装置とは左翼の立場に立った用語であり、「自走」「暴走」する可能性のある装置という定義。
国民に選挙で選ばれた政治家、つまり文民によって統制されない限り暴走をするもの、
と軍隊を位置付けているというわけです。

問題は、すでに文民統制に基づき、総理大臣をその最高司令官に戴いている
我が日本国自衛隊に対しこの用語を使用したということでしょう。
しかもこの発言によると、仙谷は自衛隊を「軍」であると認識しているということになりますが、
これはいわゆるダブルスタンダード、というやつなんではないかしら?


防衛大学は防衛省の施設等機関です。
カテゴリーは他国で言うところの軍組織の一機関と言ってもいいかと思われます。
ゆえに日本では、その憲法解釈において、この大学の校長に
「文民」を充てるいうことが慣例的に行われているのでしょう。

その是非についての意見は差し置くとして、今日お話したいのは、
この五百籏頭氏がはたして文民というその立場を考慮しても、
防大校長としてふさわしい人物であったのか、ということです。

皆さんがもしこの人物について検索すれば、たちどころにネット上には

「国賊」「左翼学者」「親中反日」「リベラル」

こういった氏への批難が渦巻いているのを見ることができるでしょう。
あるいはこんな文言をそこに見るでしょう。

「防大の校長にもっともふさわしくない人物」
「自衛隊の内部でも反感を買っている」



まず、五百籏頭氏のどういう言辞がここまでの批判を呼んでいるのか、
できるだけ客観的に列挙していきましょう

氏は小泉政権の時に防大校長に任命されたのですが、
まずその小泉元首相の靖国参拝について

「靖国参拝一つで、どれほどアジア外交を麻痺させ、
日本が営々として築いてきた建設的な対外関係を悪化させたことか」

「信用という対外資産は、首相が靖国参拝にこだわったことによって
大きく損なわれた」

とくれば、当然先の大戦に対する考えはこのようなものです。

「あの戦争について、私は中国はじめアジアの国々に深く申し訳なく思っている。
そして、あのような外交指導、戦争指導しかできなかった日本政府に
愛国者である私は憤りを禁じえない」

「日本はこれでもかこれでもかと侵略戦争をやった」

また、村山談話に沿わない発言をしたとして更迭された田母神元幕僚長のことを

「今なお誤りを認めることができず精神の変調を引きずる人」

北朝鮮の拉致問題に対して

「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。
あんな小さな問題をね。
こっちはるかに多い何百万人の人間を拉致連行しているのに」

このセリフは、驚くなかれ、「救う会」の副会長に向かって投げかけられました。
そして、「作る会」の教科書に対しては

「他国のナショナリズムを思いやる余裕がなく、冷淡」
「安直なナショナリズム」


これは、しかしこの就任前から「大変なのが来てしまった」と関係者の間で話題となり、
OBからも批判集中であった五百籏頭氏の問題発言のうちでもごく一部であるということです。

左派学者であることを考慮すれば実にスタンダードな、至極ごもっともな考えですが、
問題は、この人物が自衛隊の指揮官を養成する幹部学校の校長であり、
しかもこの学校の校長であるということは、本人の立場も「自衛官」であったことです。

五百籏頭氏は校長就任に際しての会見でこのように述べています。

「自衛隊を合憲だとは思っているが、昨今の周辺脅威論や武装論には与せず、
『国民が軍事力を監視し暴走を抑え付ける』
というシビリアンコントロールを最重視していきたい」

のっけから自衛隊、ひいては防大までもを「暴力装置呼ばわり」です。
自分の位置するところが左側であることを開き直り、むしろ
「暴力装置ストッパー」としてそれが有効に作用するとの趣旨でしょうか。

こんな調子で校長に就任した五百籏頭氏ですが、就任後は学生との懇談を頻繁に行い、
学生舎で寝起き体験をし、校長ゼミを持ち、自衛隊ではF15のGに耐えたと自慢し、
あるいは潜水艦や90式戦車に乗せてもらい、大はしゃぎの校長生活を送ったようです。

・・・・・というのは、印象操作を誘う意地悪な表現ですが、つまりは
「私は机上の学者理論だけで校長職をやっているんではない」
というアピールを欠かさなかったということのようです。
(こっちの方が意地悪かな)

さて、開校記念祭に訪れたエリス中尉。
学生たちが講堂に向かって列を作って歩き出したので、講堂に向かいました。

 

五百籏頭先生をお迎えする人々。
陸海空の制服が並んでおります。
結構警備は厳重でした。

 会場準備。
もしかしたら、爆弾が仕掛けられていないか調べていたのか?(冗談です)

 

登壇前の五百籏頭氏。

この講演そのものは、終戦から防衛大学の成り立ちを歴史的に述べたもので、
吉田茂が進駐軍との折衝をどうしていったか、ということなど、
また別の日に取り上げますが、なかなか面白かったです。

しかし、わたしはその中でこんな逸話に耳を留めました。
京大の恩師である猪木正道氏に、若き日の氏が仲人を頼みに行った時のこと。
二つ返事で引き受けてもらえると思っていたら、歯切れが悪い。
そしてその理由というのが

「こんど、防衛大学の校長を引き受けることになった。
防大の校長に仲人をしてもらったとあっては
君の学者人生に傷がつくかもしれないので、それはできない」

というものであったというのです。
わたしが思わず耳を疑ったのが、このことを説明するとき、五百籏頭氏は

「当時学者の世界というのは左翼が強かったので」

とはっきりいったことでした。

しかし「防大の校長職を猪木氏が引き受けたことに対して敬意を持った」氏は、
その心意気に感銘し、やはり仲人をお願いしたのだそうです。
これもまるで、
「防大校長を引き受けることそのものが学者として傷であり、また英雄的行為だった」
と言わんばかりではありませんか。

確信的左派であるところの五百籏頭氏が防大校長を引き受けたのは、
崇高な任務(つまり学生のうちから『暴走の芽となる思想を摘む』という)
を負うという殉教者にも似た使命感からではなかったのか。
もしかして氏は自分のことを左派だとすら思っていないのだろうか。
わたしは意外に思いました。


いずれにせよ、氏が防大校長職にある5年の間、防衛大OBからのみならず、
在野からも、そして当の学生からも不満の声は多くあったということになっています。

防衛大学生は年一度、小原台から東京の九段まで一晩かけて行軍し、
清掃奉仕をするのが恒例だそうです。
今にして思うと、この行事そのものについて、校長である五百籏頭氏は
どのように言及していたのでしょうか。気になります。
何しろ氏はかつて靖国神社のことを「愚にもつかないもの」と断言した由。

防大生の父兄が居並ぶ中で「旧日本軍は中国を侵略し」と講話し、
「ふざけるな!」とヤジを飛ばされたという話もあります。

空気読めない学者馬鹿、と言わせていただいてもいいのかしら?


しかも、五百籏頭氏は、小泉首相が自分を防大の校長に任命するやいなや
「小泉政権には勇気と感動のドラマがある。小泉氏は不世出のリーダー」

と持ち上げ、靖国参拝についても

「小泉首相が(日本)再浮上の機会を後継者たちに残したものと考えて
対処せねばなるまい」

と、許容する発言にすり替えています。
この人、もしかしたらリベラルというより単なる保身的な日和見なんじゃあ・・・・。


さらに、復興推進会議の議長になった今も「五百籏頭節」は健在。
「阪神大震災の被害がかわいく思えるほどの」
と言って阪神大震災の被災者感情を逆なでしたり、
「がれきで『希望の丘』を作ってはどうか」とお花畑発言をして、
大いにその本領を発揮しているようです。

さらに、氏は民主政権によって「我が国最高の学者」とお墨付きをもらい、
文化功労章も受賞していますが、
天皇陛下に敬語を使わず、皇室解体を支持する学者が、
これ天皇陛下から賞を受け取ったわけですよね?

いやもう、調べれば調べるほど、香ばしさに鼻がもげてしまいそうな
「左翼臭」漂う人物。
キャラが立ってます。
よくぞこんな人物を防大の校長にしたよねえ、小泉さんも。


後半ではわたしが聞いたこの日の講演についてお話しします。




  



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