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敵機に帽を振れ~板倉光馬艦長

2012-12-05 | 海軍















一か月以上前になりますが、この漫画を描き上げたとき、
間違って本文もないまま漫画だけを一瞬ですがアップしてしまいました。
はっと気づいてすぐログから消したのですが、次の日にはなんと、
何十人もの閲覧記録がついているではありませんか。

エリス中尉、粗忽なのでときどき制作途中のログを間違えて投稿してしまい、
慌てて消去したということが過去何度かありましたが、実に不思議なことに
ごく短い間(一分以内とか)に修正しても、必ずその間に誰かがクリックし、
必ず何人もがそれを目にするんですね。

したがって「これ見るの初めてじゃない」という方、
あれは事故で、今日が本番であるとご理解くださいませ。



「ブラックアウトシリーズ」
で、いきなりとんでもない酒豪ぶりと酒の失敗についネタにしてしまいましたが、
板倉光馬海軍少佐(兵学校61期)は艦長としてとんでもない強運の持ち主でもありました。
前にも「どんがめ下剋上」でお話したように、大東亜戦争に参戦した潜水艦は137隻。
そしてそのうち最終的に生き残ったのはわずか12隻です。

艦船も、そして国内の一般徴用船も、終戦時には壊滅状態であったわけですから、
潜水艦だけが危険なわけではなかったのですが、それでも数にして生存率1割弱。
しかも、その生存率の特に低かった潜水艦で、キスカ作戦や、真珠湾攻撃時にも出撃していながら、
幾度となく危機を乗り越え、運に恵まれ、ついには「不沈艦長」の名で呼ばれるようになった、
それがこの板倉光馬艦長でした。

その強運ぶりを、淡々と挙げていきます。

  • 真珠湾付近海底で防潜網にかかり、87メートルの海底に鎮座
    一同絶望のふちにあるさなか、板倉の具申で艦に後進をかけ脱出に成功

  • 潜航不可能になり魚雷戦を覚悟して浮上したら、そこだけスコールが降っていた

  • 伊2潜でキスカ作戦に参加、命中弾を機関室に受けたが、盲弾で不発だった

  • 南方の輸送作戦でブインにするかブカにするかで伊171の艦長とくじ引きをし、
    負けた板倉が困難なブイン行きに決まった。
    板倉艦長の伊41潜は無事ブインに到着、
    伊171はブカで連絡を絶った

  • 機雷原を避けてリーフ(環礁)を進んだところ、地図にない暗礁に乗り上げそうになり、
    それを逃れるため恐々機雷原を進むも、無傷で生還

  • 強運ぶりを見込まれてブインへの輸送を再び命じられる。
    このとき、対潜哨戒機に発見されたので予定を数日遅らせた。
    後から聞くと、警戒が厳しかったのはその日だけであった



板倉艦長は常に潜水艦戦の一線に在ったばかりでなく、その後、あの黒木博司、仁科関夫の
回天基地の指揮官として、部下だけを死なせて生きていけないという思いから、
自らの特攻出撃を何度も志願します。
しかし、黒木、仁科両名の強い嘆願によってそれを思いとどまっています、
また、終戦直前にも「体の調子が悪く、もう永くないので志願した特攻出撃も、
「少尉候補生の訓練が先決だ」という理由で叶わなかったということです。

板倉光馬氏は2005年、93歳の長寿を全うしました。
まさに天に選ばれたとでも言うべき強運です。

しかし、板倉艦長が不死身の艦長としてその名を海軍中にとどろかせたのも、
ただ運が強かっただけ、とは言い切れない、その状況判断力と発想の柔軟さによるものでした。

真珠湾で、対潜網にかかったときに後進を具申したのも板倉先任将校本人でしたし、
また、ブインへの輸送任務を「危険であると直感で判断し」日延べする、
或いは地雷原を避けてリーフを行くことを思いつくなど、おそらくこのような戦略がなければ、
伊潜はどこかで必ず敵の餌食になっていたでしょう。

その「最強伝説」のなかでも、わたしが最も感銘したのが本日マンガにしたエピソードです。

昭和18年12月、板倉少佐は伊41潜の艦長に就任しました。
トラック付近で侵攻作戦のための輸送任務に就いていたとき、いきなりスコールに見舞われました。
寸分先も見えない驟雨が去ったその次の瞬間、おそらくスコール中の伊潜をキャッチし、
追尾してきていたと思しき敵機が1キロ先に迫ってきていました。

そのときすでに敵機は爆撃準備を完了して攻撃態勢を整えて突っ込んできていたと思われます。
既に潜行しても必ずやられる距離、しかも機銃を取りだしている時間もありません。

この絶対絶命の危機に、板倉艦長がとっさに考えたのが次のようなことでした。

「人間だれしも大事を決行するとき一瞬迷うものである」

つまり、その一瞬に意表をつく行動で相手の決断をはぐらかす作戦です。
板倉艦長は艦橋にいた部下に命じました。

「敵機に帽子を振れ!」

総員、狂ったように体を乗り出して帽を振りました。
迫りくる機体。
今にも爆弾が放たれると思った瞬間、奇跡が起こりました。
敵機は大きくバンクしながら目の前で反航姿勢にうつったのです。
しめた!ひっかかった。
そう思ったとき、敵機の風防から、白い歯をみせたパイロットが手を振っているのが見えました。

その瞬間、潜行のための命令を絶叫しながら艦長は艦内に飛びこみました。
同時に伊41潜は頭から海中に突入していました。

「震度計の針がちょうど四十五メートルをよぎったとき、
四発の爆弾が水面で炸裂する音を聞いた。
しかし、いまは、それすら万雷の拍手のように耳にこころよく響いた」
(『不沈潜水艦長の戦い』板倉光馬)

このとっさの判断にして何たる発想の奇抜さ。

板倉艦長の本領がこのような形で発揮されたのはこれが初めてではありませんでした。
前述の真珠湾での出来事ですが、防潜網から逃れて暗闇に浮上したところ、
目の前に二隻の哨戒艇がこちらを伺っているのに気付いたそうです。
しかし、あまりにもこちらが堂々としているので、向こうは判じかねて発光信号を送ってきました。
充電と補気のために一刻でも長く浮上していたい。
しかし、相手は敵と分かれば撃ってくるでしょうし、艦長も司令も困惑しています。
そこでまた板倉先任士官の頭に閃きがありました(笑)

方向信号灯に飛び着くなり、下手くそな信号をきわめて早い速度で

「WHAT」「WHAT」

それだけを繰りかえしたのです。
相手はこんどはゆっくりと質問を繰り返してきました。
ほどなく正体を見破っ相手が攻撃を加えてきたとき、一瞬で伊潜は海面から姿を消したのです。


板倉光馬氏は、その著書で、
「人間の運命ほど予測できないものはない。いや、神秘のままでいいのだ。
わからないからこそ、明日に向かって前進することができるのである」

と述べています。
運命に身を任せながらも、そのときそのときの一瞬の判断に常に自分の持てるもの全てを賭ける。
板倉少佐の強さと運命を切り開く力は、本人が「運に過ぎない」と思っている以上に、
板倉少佐自身に恵まれた天才であると言う気がするのですが、いかかでしょうか。

ところで・・・・。

敵潜水艦だと思った伊潜を屠らんとする瞬間、手を振っているのに思わず反応して
憎きジャップをやっつけそこなった敵機のパイロットのことですが・・・。

相手をちゃんと確かめる前に風防を開けて満面の微笑みと共に手を振るあたり、
パイロットとしてはいささか冷静さを欠くものの、アメリカ人らしい人の良い男だったのでしょう。
板倉艦長は「きっと地団太踏んで悔しがっているに違いない」
と想像していましたが、向こうはむしろ敵ながらあっぱれ、と思ったのではないでしょうか。
アメリカ人はこういうジョークが大好きですから。

案外、「ジャップにしては洒落た手を使うじゃねえか!」
と苦笑いして、帰投後の恰好の話題として仲間に披露したかもしれません。










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