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艦隊暮らし〜展示艦「ミッドウェイ」

2017-09-23 | 軍艦

「ミッドウェイ」という名前の元となったミッドウェイ海戦のコーナーを出ると、
そこからは空母「ミッドウェイ」の艦内見学となります。

クロスした錨に翼をあしらった" Aviation Boatswain's Mate"のマーク。

「航空」を意味する『Aviation』がなければ、ボースンズメイトは略称BM、
例えばオナーが乗艦する時にパイプを吹くのはファーストクラスのBMです。

彼らのカジュアルな呼称は「ボーツ」(Boats )。
日本語だと航海士、海自だと航海科でしょうか。

それに「航空」がつくと、一口で言って、甲板の上で離着艦のために働く人たちです。
このブログでも何度となく甲板上でそれぞれの職務ごとに赤、黄、白、茶、紫、青、
緑などの色分けをした制服について話したことがありますが、あれですね。

「Quatermaster」は陸軍と海軍で全く意味が違います。

陸軍では「需品(補給)係の将校」のことで、宿舎割り当て・糧食・被服・燃料、
そして運輸などをつかさどる配置ですが、海軍ではこのマークが錨であることを見ても
おわかりのように、「操舵員」を意味します。

略称はQMで、彼らは航海図とナビゲーションの保守、修正、および準備を担当します。
また、航行器具や航行時間、監視や操舵を担当しています。

このブログではすっかりおなじみ、「ゲダンク」の扉前にいきなり出てきてしまいました。
「ゲダンク」の語源については、当ブログでも
何度か説明を試みてきたわけですが、ここ「ミッドウェイ」では

中国語で「怠惰の場所」を意味する音

と言い切っております。

怠惰の場所ってそもそも中国ではどんな場所のことなの。

他の説明ではソーダパーラーのようなスタンドや、アイスクリームスタンドを
「ゲダンク」と称しているところもあったはずですが、ここでは「売店」となっています。

この説明によると、最初にこの言葉が現れたのは1931年に発行された
「レザーネック」という海兵隊マガジンの中で、メインの艦内のストアに対し、
4つある補助的なスタンドのことを「ゲダンク」と称していました。

ちなみに「レザーネック」そのものは、昔の海軍軍人がつけた革製の立ち襟のことです。
頬の高さまでになっているスタンドカラー、そう、わからない方は
マシュー・ペリーの肖像画(というか写真)を思い出していただければいいかと思います。

あれは、型が崩れないように皮革で作られていたんですね。
実用本位で、格好はいいかもしれませんが、いかにも着心地は悪そうです。

というわけで、「ミッドウェイ」的にはこれが「ゲダンク」となります。
つまり売店です。
「ゲダンク」をアイスクリームスタンドのように称していた艦もありましたが、
ここでは少なくともアイスクリームは扱っていなさそうです。

一つの言葉を取っても、艦ごとにいろんな説があったようですね。

ただし、石鹸や髭剃りのフォーム、靴磨き、ブラシや櫛、フットパウダーまで、
日常生活に必要なものはとりあえずなんでも手に入りそうです。

レジのおじさんのとぼけた表情に敬意を評して、アップにしてみました。
レンタルビデオの料金が書かれ、「インディアナ・ジョーンズ」のポスターが見えます。

「新作」のコーナーにはインディジョーンズの他に1991年の「ホットショット」
1988年のコメディ「裸の銃を持つ男」が入荷したとのお知らせが。

艦内での水兵さんたちの生活の一コマが写真パネルにされていました。
かつて「ミッドウェイ」に乗務していたベテランの一言が添えられています。

左:
「常に暑すぎるか寒すぎるかのどちらかだった。
寝る時に毛布をかけても、朝起きたら汗まみれなんてこともあったよ」

右:
「あんまり狭いので足元で靴をモタモタ引っ張り出してる
”お洒落なやつ”の頭を
潰してしまわないように
注意しなけりゃならなかった」

「他のやつとツラ付き合わせて寝ることだけはマジでごめんだったね。
そいつが休み明けだった日にはビール臭い息が直撃だ」

この写真からは、確かにそんな匂いが立ち込めてきそうです。
ところでどうでもいいことですが、こちら側の人、自分の足の間に手を挟んで寝てますね。

あーむさ苦しい。

一人ずつの棚式ベッドなら、狭いとはいえビール臭い息の直撃の心配はなさそうですが、
残念ながらこちらは水兵さんの居室ではありません。

「Enlisted Berthing 」と説明されていて、マネキンが向こうを向いて寝ています。

「 Enlisted」とは、海軍では「シーマンリクルート」であるE-1から
「マスターチーフ・ペティオフィサー」であるE-9までのレートを指します。

ちなみに海軍では階級を「ランク」ではなく「レート」で表します。


「ミッドウェイ」は約4,500人以上の男たちの「ホーム」です。
その「ホーム」で、下級の兵たちはマットレスの下に隠された、通称
「棺桶ロッカー」と呼ばれる
6立方フィート(17㎠)のスペースと、
縦型の三段ロッカーの一つに
全ての私物を収納することになっていました。

これがいわゆるその「棺桶ロッカー」。
軍服一式、作業着、下着、日常品とその他がきっちりと収まっています。

キャンバス式のベッドと違い、とりあえずはマットレスのベッドで、しかも
顔の部分には光よけのカーテンが設置されているのが少しは人間扱いされてるって感じ。

アフリカ系、ヒスパニック系、アジア系、ヨーロッパ系の乗員たち。
もしかした厨房の制服の人が肩に手を置いているの一人は女性ですか?

戦後のアメリカ海軍のダイバーシティ(民族多様性)を象徴するような写真です。

「誰が”ファースト・リバティ・パーティ”に所属しているかは、彼が着ている
ドレスユニフォームと顔に浮かんだ微笑みで見分けることができた」

「ファースト・リバティ」という政党はもちろん実在のものではなく、
「都民ファースト」のようにいわばイメージとしては「リバティ最優先」
つまりもしこんな名前の政党があったとしたら、
その政党のモットーは
間違いなく「自由」と「愛国」であるということになります。

「仕事のない時には大抵バックギャモンやハーツ(トランプ)
をしたり、
映画をテレビで見ていたよ」

ロッカーに「ブルー・ホワイト」とあるのは、制服の色のことでしょう。
米軍では制服のことを「ブルードレス」「ホワイトドレス」などと称します。

棺桶ロッカーの上に整然と並んだベッド、縦型のロッカー。
しかし、今まで見てきた軍艦の中では広い部類に入るでしょう。

たとえ原子力潜水艦であっても、下士官兵の居室はこんなものではありません。

 

右側の写真には、床に座ってゲームをしている二人が写っています。

「百時間くらい甲板でチェッカーを振った後は、
どこにでも座り込んでしまったよ

一日って何時間だっけ、とこの確信的な言葉でゲシュタルト崩壊を起こしてしまいました。

アメリカ人というのは靴を履いて生活するせいか、疲れていようがいまいが、
確かにどこにでも座り込んでしまいます。
「バーンズ・アンド・ノーブルス」のMANGA コーナーなど、ホリデイには
どうやってきたのか、中学生が皆地面に(と言ってもカーペットを敷いてありますが)
座り込んで立ち読みならぬ座り読みを決め込んでいますし、
子供に限らず、外でどこにでも座り込み、どこにでも行った靴のまま
家の中を歩き、地面に座ったそのままの服でベッドやソファにも腰掛けます。

この写真も、さすがに皆が靴で歩く通路でこれは如何なものか、と日本人としては
思ってしまいますが、おそらく今の海軍でも似たようなものだと思います。

そこにいる者の肌の色がなんでも、彼あるいは彼女が「アメリカ人」である限り。


続く。




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2 Comments

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Boatswain's Mate (Unknown)
2017-09-23 08:35:01
Boatswain's Mateは日本だと「運用科」(甲板や甲板上の機器の操作や維持整備を担当する)になり、Qartermasterは「航海科」(操舵や発光旗流等の視覚信号の送受信を担当する)になります。

Air Boatswain's Mateは自衛隊では航空機整備員(Aircraft Maintenance)と同じく「航空科」に属しています。

鉄パイプベッドは、自衛隊では昭和40年代建造の「やまぐも」型までで、昭和50年代建造の「はつゆき」型からは乗ってもへこまないベッドになりました。

腰痛持ちだと鉄パイプベッドはきつくて、鉄板を入れて、へこまないようにしていました。

今は写真のような大部屋はなくなりましたが「しらね」型は70人の大部屋がありました。電気のコンセントが数個しかなく、電気カミソリを差しっぱなしにしていたら、いつの間にか外されていました。

最近は30人以上の大部屋はなくなりました。居住性は日本の船の方がいいと思います。
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空母「ミッドウェー」 (お節介船屋)
2017-09-23 10:40:43
エセックス級の改型として飛行甲板の防御の大幅強化と搭載機数の増加を目的とした。飛行甲板の装甲化
1945年9月19日就役、1973年10月1日横須賀母港、1991年8月10日横須賀配備解任、1992念4月11日解役、1997年3月17日除籍
基準排水量45,000トン、全長295.2m、幅最大41.5m、喫水10m
タービン4軸、212,000馬力、33kt
12.7cm単装両用砲18基、40mm4連装機銃21基
搭載機数80~145機
乗員4,104人

1955年9月から1957年9月までSCB110改造
斜め飛行甲板設置、後部エレベーターの右舷移設、艦首ハリケーンバウ化、蒸気式カタパルト設置、対空火器の大幅減少、航空燃料の増載

1966年2月から1970年1月まで近代化工事SCB101-66改造
前部エレベーターのアイランド前方への移設、左舷エレベーターを艦尾移設、斜め飛行甲板の延長、カタパルトの能力強化、NTDSの装備
基準排水量51,000トンに増加。

1986年4月から10月横須賀で最後の改装
両舷に大型ブリスターを取り付け、喫水の復旧、復原性能の向上
F/A-18戦闘攻撃機の運用付与
船体幅43m(6m増)
復原性能改善したが動揺周期が短くなり、航空機運用に制約。追加工事で対策。
参照海人社「世界の艦船」No291「アメリカ航空母艦史」、No776「ミッドウェー級」
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