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フォクスル(艦首楼)とチップログ〜展示艦「ミッドウェイ」

2017-09-24 | 軍艦

「ミッドウェイ」の見学が続いています。 

「エンリステッド」のベッドや「ゲダンク」と呼ばれていたらしい
売店などを見ながら進んでいくと、そちらは艦首側になります。

そのまま進んでいくと、「ミッドウェイ」の艦首部分に到達します。
アンカーの鎖が広いスペースに走っている、アンカーチェーンルームです。

艦首部分にある区画のことを「船首楼」、英語でForecastle」といい、
乗員たちは省略して「Foc'sle」(フォクスル)と呼びます。

「楼」には「キャッスル」の意味はないと思うのですが、
英語では「前方の城」になり、なかなか面白いネーミングです。

ウィンドラスの前にはにここで働いていた人々の写真が飾ってありました。
その説明によると、

「とにかく覚えていることは、雪や雨がオープンの艦首から
錨鎖を取り込む前にフォクスルにまともに吹き込んで来たことさ」

こればかりは現代の軍艦であってもどこかでスイッチ一つ押せば鎖が巻き上げられ、
それを暖かい部屋でコーヒー飲みながら見ているわけにはいきませんでしょう。

船の運用の原点である錨の揚げ降ろしに、大航海時代と現代の差は
動力の違い以外はあるようで実はあまりないのです。

 

ちなみに錨鎖の長さは1,800フィート、(549m)
錨鎖のリング一つの重さは156パウンド(約70キログラム)です。

現役時代にはおそらく何も描かれていなかったと思われますが、どうでしょう。
アンカーのキャプスタンのお皿部分には「ミッドウェイ」のマークが。

「セーラム」の内部を説明した時に取り上げた「ウィンドラス・ルーム」を覚えていますか?
この一階下にあるデッキには動力となるモーターがあります。
お皿からまっすぐに階下に降りている軸は、さらにその下の階にある
「チェーンロッカー」から鎖を巻き上げてきて、投錨するという仕組みです。

当たり前ですが、錨は艦首の両側にあるので、キャプスタンも二つ並んでいます。

よく考えたら、いやよく考えずとも、ここは空母の艦首。
先端は下の階がなく、錨を降ろすために下は海、という場所です。

鎖を海に降ろすための上戸のような形の穴が床にありました。
今まで見たことがなかったので、これにはかなり驚かされました。

プラーク(銘板)各種がかけられた通路。
目を引いてしまうのは、実に雑な壁のペンキの塗り方です(笑)

手前のものは

「ミッドウェイのオフィサーズ・アンド・メン(つまり士官と下士官兵)へ」

とされたサンフランシスコ海軍工廠からのプレゼント。
1970年とありますから、1966年からここで行われた「ミッドウェイ」の
大々的な近代化改修が終わったことを記念して贈られたものでしょう。

このときの改修で、フライトデッキは11,300㎡から16,200㎡まで拡張され、
エレベータの可搬重量は約59トンとなって再配置されることになりました。


また、最新型カタパルト、着艦制動装置、エアコンの集中化が行われ、
予算が当初の8,800万ドルから2億200万ドルまで超過したため、
気の毒に、「フランクリン・D・ルーズベルト」(CV-42)の改修計画はキャンセルされました。

この時の費用があまりにも高かったことは、国内に大変な論争を呼んだそうですが、
海軍工廠からみれば、潤沢な予算をつぎ込むことによって、
「船屋さん」なら誰でもやってみたいあれやこれやの
改修作業で、
思う存分腕を奮うことができたのですから、
立派なこの銘板には、

「改修してくれてありがとう!(あるいは毎度おおきに!)」

という彼らの心からの感謝の意が込められているに違いありません。

これも下部に向かって大きく穿たれた船窓で、丸い小さな船窓とともに
アクリルガラスで外が見えるように開けたままになっています。

もやいを出す穴でしょうか。

そのもやいは、太いロープを2本ずつ三つ編みにしたものであることが判明。
巨大空母を岸壁とつなぐものだけあって、半端ない太さです。

右側は1942年に起工、1945年進水、1945年の就役と書かれたおそらく竣工時の銘板です。

「1942年6月3日から6日まで行われたミッドウェイ海戦にその名をちなむ

と書かれています。

左には「USNA」(ユナイテッドステーツ・ナーバルアカデミー)
つまり海軍兵学校の1942年卒の記念プレートがあります。

これによると、この年の海軍兵学校の卒業生は537名となっています。

最後の学年に日米開戦を迎えた彼らは、卒業するとすぐに戦地へと向かったわけですが、
そのうち5名は任官するなりいきなりミッドウェイ海戦に投入されています。

”少尉に任官してすぐに、歴史的な海戦に身を投じた級友の艦は撃沈され、
泳いで海に逃げたものの、そのうち一人は戦死した。

1942年クラスは、この後二度と日本が優位に立てなくなったこの戦いに
参加したことを心から誇りに思うものであるが、
その後三年間に亘り、
多くの級友が斃れていったことを思うに、
二度と『同じようなこと』が繰り返されてはならないと願うばかりである”

 

このプラークがいつ作られたかはわかりませんが、その後のアメリカは、
朝鮮戦争にベトナム戦争、そしてこの「ミッドウェイ」が参加することになった湾岸戦争と、

戦争していない時はないというくらい、「同じようなこと」を繰り返すことになります。

アメリカという国の軍人であるからには、「フリーダム」なり「リバティ」なりを
守るという名の下に、戦争を「是」としているのだろうとなんとなく思っていたのですが、
やはりこういう場合にはこう綺麗にまとめて?しまうんですね。

「現役の軍人ほど戦争が嫌いな者はいない」

「戦争がやりたくて軍人になる者はいない」

とはよく聞くことですが、この言葉にその本音の一端が表れています。

巨大なワイヤのキャプスタンや”もやい”などが展示されたこのコーナーに、
なにやら大きな糸巻きのようなものがガラスケースで展示されています。

これは

「チップログ(The Chip Log)」 

というものです。

 

ところで皆さん、いきなりですが、どうして船のスピードを
「ノット(Knots)」で表すのか、ということをこれまでの人生で
疑問に思った瞬間はないでしょうか。

その答えが、実はこのチップログなのです。


昔の船乗りは、航行速度をどうやって測ったのかといいますと、
水に浮くものを船からロープに結びつけて海に投下し、

ロープが引っ張られる早さをその単位としました。

その際使われたのが、15世紀には完成していた
「チップログ」(またはハンドログ)という道具です。

具体的にどういうものかというと、このチップログ、手用測程器は、
14.08mごとに結び目のあるロープの端に、
扇形板の吹き流しが
(この写真のものは三角形ですが)結びつけられています。

この写真にも小さな砂時計が見えていますが、実際にどうやって使うかというと、
まず、航走する船上から扇型の吹き流しを海に落としてから、
砂時計できっちり30秒を測ります。

そして30秒の間にロープの結び目(ノット)がいくつ現れるかを数えるのです。

例えば30秒の間に結び目が10個現れたら、10ノット。
これは時速で表すと1.852km/毎時になるのです。

このやり方は、発明されてからなんと20世紀初頭まで使われていたそうです。

ということで、みなさん、船の速度がなぜ「ノットKnots」で表されるのか、
今こそお分りいただけただろうか。

 っていうか、なぜここにハンドログがあるのかは謎でした。
いうまでもなく「ミッドウェイ」では全く必要のないデバイスです。

 

.

「ミッドウェイ・マジック」と書かれたこのポスターの写真。
全員が鎖などにかがみこんでなにやら作業をしていますね。

というのも、「ミッドウェイ」のフォッスル展示は、CPOに「選ばれた」
100名のボランティアが奉仕することで可能になったのでした。
彼らは毎週末にここにやってきて、細かい部分のペンキ塗りや
重量のある器具の移動などを行い、公開にこぎつけることができたのです。

全員が素人なのですから、壁のペインティングが雑でもこれは仕方ありません。
いちいち指摘したりしてごめんなさい。


ところで、本稿においてなんども「フォクスル」or「フォッスル」と書くたびに
なぜか犬の姿が脳裏にちらつくなあと思っていたのですが、今ふとその理由がわかりました。

伍長時代のヒトラー(右)の愛犬(下)が「フクスル」という名前だったんですよ。
でっていう。

 

続く。

 

 

 



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3 Comments

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投揚錨装置 (お節介船屋)
2017-09-24 14:15:50
1枚目の写真
錨鎖の途中に赤、白、青に塗ってある金物はスイベル(Swiyel) 錨鎖の捻れを修正して錨をスムーズに収納できるためのものです。
左から錨鎖を留めてピンが刺して(オレンジ色のロープが付いています)ある金物及び手前の白く塗られたパッドアイから右にのびている金物は錨鎖係止金物。錨を収納して落ちないようにまたガタガタしないようにキッチリ締め上げて錨鎖を固定するスクリューストッパーです。

2枚目写真
ハンドルは抑鎖器ハンドルとブレーキハンドルです。抑鎖器ハンドルは錨鎖庫に降りている錨鎖を固定するための物であり、ブレーキハンドルは投錨する時は揚錨機から縁を切って繰り出しますので
錨鎖の繰り出しを止めたり、出したりするためのブレーキを取り扱います。

5枚目写真
ホースパイプ(Hawse Pipe)
甲板開口部取付のBoisterと外にある外販取り付け部のBell Mouth等で成り立っていますが錨収納に極めて重要で収錨状態が悪いと錨が船の動揺で動いたり、音を出したり、果ては外販等を傷つけたりします。
どの船も1番船、艦を建造する場合この部分の模型を作り、投揚錨の動作を繰り返し、安定して収まるベルマウスになるようにします。
参照海人社 岡田幸和著「艦艇工学入門」

7枚目の写真
ハリケーンバウとしたため舷窓が取り付けられ投揚錨、係留時の外が監視できるようになっています。
>もやいを出す穴でしょうか
そのとおりで0番もやいを導設するクローズドフェアリーダーですが、大きいな孔となっているのは曳航される場合は錨鎖を繰り出すためと思います。
返信する
錨鎖 (Unknown)
2017-09-24 20:07:38
空母の錨鎖は一つ75キロなんですね。自衛隊の空母型DDHは多少大きいかもしれませんが、普通の護衛艦は一つ25キロです。

自衛隊の空母型DDHも米海軍の空母同様、Enclosed型の錨甲板なので、従来型の吹きさらしの船に比べると、雨に濡れることも吹かれることもなく、天国だと聞きました。

錨を入れる時は、スリップという金具をハンマーで叩いて外すだけ勝手に滑り出して行くし、上げる時は揚錨機で巻き上げるだけなので、上げ下ろしだけだと中尉がおっしゃる通り「ボタン操作で見守る」だけですが、錨作業で一番大変なのは上げている最中の錨甲板の下にある錨鎖庫にいる作業員です。

自衛隊の船でさえ一つ25キロある錨鎖が絡まない様にさばきますが、体力的に大変です。その上、錨甲板で、消火用の10キロの高圧水を吹き付け、錨鎖に付いた海底のヘドロを落としながら巻き上げるのですが、完全には落ちないので、閉鎖空間の錨鎖庫で錨鎖をさばく際の悪臭は想像を絶するものがあります。

チップ式のログは使いませんが、自衛隊(恐らく海軍からの伝統?)では錨を入れる時にサンドレッドを海底に向かって投げ入れ、似たようなことをします。

錨を入れる際にはまず、前進で行き脚を殺しながら、指定の錨地を一旦通過し、その後、後進に切り替えて、後進のわずかな行き脚で錨地を通過する際に入れます。そうしないと錨あるいは錨鎖が艦首に当たって、船体が損傷します。

その際に錨甲板からサンドレッドの索の流れる方向を見て、前進から後進の行き脚に変わったことを確認します。わずかな速力なので、電磁式ログではわかりません。
返信する
お知らせ (Coral)
2017-09-24 21:57:58
エリス中尉

本エントリーと関係のないことですが、本日18時から日本テレビ【真相報道バンキシャ!】で潜水艦「こくりゅう」の若手幹部の実習訓練についての放送がありました。
それを見て以前海上保安庁の練習船の遠洋航海の放送のことをお知らせしたことを思い出しました。
改めて動画が公開されていないか調べてみますと下記で見られることが分かりましたのでお知らせします。まだご興味がおありでしたらご覧下さい。
既にご覧になられている場合は公開には及びません。

「海上保安庁世界一周実習訓練」を担当した船越AD
(そのページの後半2/3くらいで、4つの動画で見られます)
http://www.ntv.co.jp/bankisha/ad/
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