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バトル・オブ・ブリテン〜ボストン 第二次世界大戦国際博物館

2020-05-06 | 博物館・資料館・テーマパーク

 

さて、今日のテーマは、「バトル・オブ・ブリテン」です。

まだ日本が真珠湾攻撃を行う前の1940年7月から、数ヶ月間にわたり、
ドイツ軍がイギリスに侵攻するための前哨戦として、まず
イギリス上空の制空権を奪取するために行った一連の空中戦、
これらを「バトル・オブ・ブリテン」(英国空中戦)と称します。

 

1939年9月。

ナチスがポーランドに侵攻してから2日後に、イギリスはドイツに戦争を宣言しました。
チャーチル首相が、ヨーロッパを征服する計画に干渉するな、という
ヒトラーの要求を拒否するという形になり、ドイツはこれを受けて
1940年7月からイギリス海峡を介してドイツ空軍を攻撃に向かわせたのです。

結果、イギリス空軍(RAF)はドイツ空軍に勝利し、ヒトラーに
第二次世界大戦での最初の大敗をもたらしました。

しかしドイツはこれらの軍事的損失にもかかわらず、イギリスの都市を爆撃し続け、
1941年5月まで「ザ・ブリッツ」(電撃)と呼ばれるキャンペーンを行いました。
(『1941』でダン・エイクロイドが『ドナルドがやったのか?』と言ってたあれです)

これらの爆撃で亡くなった英国市民は4万人から4万3千人に上るといわれています。

当博物館では「バトル・オブ・ブリテン」テーブルと呼ばれているものです。

このテーブルは、バトル・オブ・ブリテンの戦闘期間にRAF戦闘機司令室で使用され、
敵機とRAF戦闘機の位置情報が刻々とをプロットされたその実物です。

レーダーやその他のソースからの情報は、ヘッドホンを介して
このテーブルを担当する専門のプロッターに中継されました。

この情報には、航空機の高度、プログレッシブマップの座標、および
「フレンド・オア・フォー」(敵または味方か)の識別情報が含まれていました。

テーブルにはこのような地図が描かれており、
ドイツ空軍が到達するポイントを座標で表します。

こちらは、イギリス軍の女性部隊Women's Auxiliary Air Force(WAAF)
プロッターに情報を加えていっている様子。

ロンドンのスタンモアにあった司令部での写真だそうです。

下にいるブロンドのお嬢さんが一人何がおかしいのか笑っていますが、
上の階から見ている
おぢさんにも、顔を綻ばせちゃっている人もいます。

真面目にやれ(笑)

テーブルの写真奥に写っているのは、スピットファイアのコントロールパネルです。

これが英独軍の間で行われた空戦を高所から撮影したもの。
ドッグファイトの痕跡が空刻まれた瞬間。


左:RAF戦闘機パイロット

右:RAF戦闘機パイロット(1940年夏)

彼らの足元にある説明は、左を「夏用」としているのですが、
どう見ても右が夏用だと思います。(そうですよね)

RAFというのは皆さんもご存知だと思いますが、

Royal Air Force(英国空軍)

の略です。

 

バトル・オブ・ブリテンは114日間続きました。

その間、RAF並びに同盟国軍のパイロット544人が戦死し、
1880機を超えるドイツ軍機と1550機のイギリスの航空機が破壊されました。

たとえば、RAFの「スピットファイア」パイロットの平均余命は
4〜6週間だったといわれています。

また、この航空戦の大きな特色の一つとして、RAF戦闘機の
500人以上の搭乗員が、外国籍であったことが挙げられます。

イギリス空軍は消耗率の高いパイロット要員を補うため、
イギリス連邦諸国やイギリスの植民地だけでなく、外国からも
パイロットを採用して戦地に赴かせていました。

その内訳と参加人数です。(wikiによる)

ポーランド 145–147
ニュージーランド 101–115
カナダ 94–112
チェコスロヴァキア 87–89
ベルギー 28–29
オーストラリア 21–32
南アフリカ 22–25
フランス 13–14
アイルランド 10
アメリカ 7–9
南ローデシア 2–3
ジャマイカ 1
パレスチナ 1
バルバドス 1

カナダとオーストラリア、ニュージーランドは英連邦繋がりでわかるとして、
なぜポーランドがこんなに多いかというと、ポーランド亡命政府が
イギリス政府と協定を結び、自由ポーランド陸軍とポーランド空軍を
イギリスで編成していたからです。

そして、このポーランド人パイロットたちは戦前には高度な訓練を受けており、
さらに実戦経験も積んでいたベテランで大変練度が高かったといわれています。

たとえば、第303コシチュシコ戦闘機中隊は、他より遅れて参戦したにも拘らず、
バトル・オブ・ブリテン期間の全戦闘機中隊のなかで最高の撃墜数をあげました。

これは、イギリス側の全パイロットの5%にすぎない人数で、
バトル・オブ・ブリテン期間中の全撃墜記録の12%を達成したことになります。

この戦いでエースとなったポーランド空軍の

スタニスワフ・スカルスキ(Stanisław Skalski)1915- 2004

は、この時の功績で戦後将軍になっています。

彼の部隊は精鋭揃いで「スカルスキ・サーカス」と呼ばれたそうですが、
熟練の航空隊を「サーカス」(例:源田サーカス)と呼ぶのは
この辺りから出てきたのかもしれないと思ったり。

Josef František.png

チェコスロバキアから参加しエースになった、

ヨゼフ・フランチシェク軍曹(Josef František、1914-1940年10月8日)

没年月日を見ると、空戦で戦死したようですが、事故による墜落で、
ホーカー・ハリケーン戦闘機の墜落原因はわかっていないそうです。

なんでも、
ガールフレンドにいいところを見せようとアクロバット飛行中失敗した
という噂もあるそうで、それが本当ならガールフレンドは一生のトラウマものですな。

ちなみにオーストラリア空軍ですが、バトル・オブ・ブリテンの間に
日本軍が瞬く間に太平洋のイギリス領を占領してしまったため、
自国防衛のために、とっとと切り上げて帰国しています。

まず、右上の時計を見てください。
プロット室の写真に同じのが写っているのですが、これは
RAF戦闘機の司令室で使用されていた時計です。
文字盤には王冠のマークと「RAF」の文字が見えます。

マネキンがきている制服は、

Leicestershire(レスターシャー、イングランドの一地方)の
Home Guard (民兵組織)のユニフォームだそうです。

ホームガードとは第二次世界大戦中のイギリスで編成された民兵組織で、
ナチス・ドイツによる本土侵攻に備えて、17歳から65歳までの男性で組織され、
募集によって総兵力は150万人までになったといわれています。

ナチス・ドイツでいうと国民突撃隊や日本では国民義勇隊というところです。


ドラマ「おじいちゃんはホームガード」より(嘘)

 

ラジオで首相が呼び掛けた直後、政府が見込んでいた15万人を
大きく上回る24万人の志願者が、24時間以内に手続きをしました。

ただし資格者は、むしろ戦場に行かない若年か老年層に限られました。
写真のおじいちゃんも第一次世界大戦のベテランで、昔取った杵柄なのでしょうか。

「素晴らしき戦争」で皮肉られた祖国防衛のための自己犠牲ですが、
あの悲惨な第一次世界大戦を経験していた多くのイギリス人男性が、それでも
いざ国難となったとき、自分の愛する人たちを守るために
立ち上がったという事実を嗤うことはアッテンボローにも許されるものではないでしょう。

写真のユニフォームは「LDV」という腕章をしていますが、これは

Local Defence Volunteers

地域防衛ボランティアの頭文字です。
名称はその後チャーチルの命令で「ホームガード」に改められました。

こちらも同じレスターシャー地方の
Civil Defense Corps (市民防衛軍)の制服。

ただしこれはバトル・オブ・ブリテンにはなんの関係もなく、
1949年に主に冷戦核攻撃などの国家緊急事態が起きたときを
想定して結成された防衛隊です。

隣のレスターシャー繋がりで手に入れた展示ではないかと思われます。

ヨーロッパ全域をカバーできた大英帝国軍の航空勢力図とともに。
RAFの使用した飛行機の写真は、左上から順番に

ハボック  HAVOC 対地攻撃、軽爆撃機、夜間戦闘機

ハドソン HUDSON 哨戒、爆撃機

メアリーレット MARYLET

ホイットレー WHITLEY 爆撃機

マンチェスター MANCHESTER 爆撃機

メリーランド MARYLAND  輸送機

トマホーク  TOMAHAWK 戦闘機 (アメリカではP40ウォーホーク)

リベレーター LIBERATOR 偵察、哨戒 爆撃、掩護

ディファィアント DEFIANT 夜間戦闘機

カタリナ CATALINA   水上艇、偵察、哨戒爆撃機

アメリカで製造された機体が結構多かったことがわかりますね。

 

1940年、英国王室から関係者に送られたロイヤルクリスマスカードです。

バトル・オブ・ブリテンの期間中は、バッキンガム宮殿も空襲を受けました。
この爆撃で宮殿内のスタッフが十五人負傷、一人が亡くなりましたが、
国王ジョージ六世(英国王のスピーチのあの人)と妻のエリザベスは、
ほとんど退避することなくロンドンに留まり、国民の尊敬を集めたといわれます。

その年のロイヤルクリスマスカードには、その年の9月9日に投下された爆弾によって
損壊した宮殿のプールの前に立つ国王夫妻の写真が選ばれました。

撮影した日にちは9月10日となっています。

クリスマスと新年のご多幸を祈って」

という定型文がなにか別の意味に見えてくる強烈なカードです。

 

続く。

 


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4 Comments

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M1短機関銃 (Unknown)
2020-05-06 20:58:18
ホームガードのおじいちゃん(笑)が手入れしているのは、M1短機関銃です。自衛隊には90年代までありました。米軍のお下がりなので「日本人の血を吸っている」と聞かされましたが、どうだったんでしょう。5キロくらいあるので、抱えて駆け足は大変でした。おじいちゃんだと手に余ると思います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/トンプソン・サブマシンガン#M1/M1A1
イギリスはわかりませんが、アメリカだと軍隊経験のある人はよく使っていた銃を持ってますね。知人の元海兵隊のおじいちゃんも、よく拳銃の手入れをしていました。機械油で拭くので、テーブルクロスじゃドロドロになりますよ(笑)
やっぱり (エリス中尉)
2020-05-07 16:15:11
テレビドラマ向けのやらせポーズだった疑いが・・・・
Home Guard (ウェップス)
2020-05-08 10:56:49
>>上の階から見ているおぢさんにも

 私の推理では、この二人はデキてますね(`・ω・´)

 戦時中の英国映画「老兵は死なず」は、このホームガードの指導者を描いた作品です。
 南ア戦争の英雄が、二次大戦の頃には自分の軍事思想が時代遅れであることに気づき、一線から身を引いてホームガードの設立に尽力する、という内容です。(デボラ・カーが凛々しくて綺麗('ω')ノ)
「騎士道精神が通用するもんか、相手はナチスだぞ。」という台詞を亡命ドイツ人に言わせている辺り、プロパガンダ臭がプンプンしますが・・・
デキてますか (エリス中尉)
2020-05-09 09:39:18
ちょっとー、お茶吹いたじゃないですか ( ゚∀゚)・;'.、
こんなことをいうと顰蹙だけど、若い男が少ない職場にWAAFが来て、
ちょっとだけ心が浮き立ってしまったおじさんもいたかもしれません。

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