ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

備前長船「刀剣の里」~刀打ち初めと陸軍軍刀

2015-01-14 | 博物館・資料館・テーマパーク

1月13日、当ブログに「第一空挺団降下始め」の記事を求めて
来てくださってくれた多くの方々、誠に申し訳ありませんでした。

年頭の自衛隊行事としてすでにご報告が恒例化しつつあった習志野駐屯地の
降下始め、昨年末までは行くつもりで、主に防寒グッズを中心に
準備万端気力も調整、ウォーキングの時には入場してから場所取りに
全力疾走するために時々走り込んだりして(笑) いたのにもかかわらず、
同じ日に始めは始めでも別の始めの予定が飛び込んできてしまいました。

岡山県の長船というところにある

備前長船 刀剣の里

という刀剣博物館で、神事でもある「刀剣打ち初め」に、
槌で刃を鍛えるための最初の打ち出しをやらせてもらえることになったのです。



9時に開始ということで、前日は岡山市内に宿泊、ローカル線で
無人駅からタクシーに乗って刀剣の里に到着。

オープンまでまだ30分あったのですが、ここの学芸員の方と
当地の市長さんからのご招待でもあったので、その旨をいうと
戸を開けて中に招じ入れてくれました。



何台か車の車がもう到着しています。
周りは日本の田舎にはどこにでも見られるような
二階建ての瓦屋根の民家がぽつんぽつんと建っている感じ。



紋付に白袴の男性が佇んでいました。
もしかしたらこの日の祭祀を執り行う神職かもしれません。



刀剣の里、というのは観光的な名称で、正式には

備前長船刀剣博物館

です。



映画の撮影用に作られたものか、鎧兜が二体お出迎え。



今のNHK大河にも刀剣の分野で協力しているようですね。
「花燃ゆ」のポスター。
みなさん、観てらっしゃいますか~?

わたしは当然見ておりませぬが、サブタイトルの

「幕末男子の育て方」(笑)

とこのポスターの構図だけでげんなりしてもうお腹いっぱいです。

そして真ん中!

エヴァンゲリヲンと日本刀展

のポスター。



内容はURLを見ていただくとして、このコラボ企画、
ヨーロッパでの巡業を終え、帰ってきたばかりだそうです。
今なら松江歴史館で見ることができますので近隣の方是非どうぞ。



えー、わたしは知らないのでこの絵の正体がわからないのですが、
まあそういうことです。よろしくお願いします。



時間があるのでこのコーナーを見学させていただくことにしました。



形を作ってから刀を研ぐ砥石の数々。
研ぎ師という人たちは刀剣を研ぐことだけを仕事にしていますが、
例えば日本刀を一本研いで有名な人は何百万円、という
研ぎ代を取るのだそうです。

問題は日本刀を研ぐ仕事が1年に何度くらい来るのかですが。



日本刀は加熱した刀身を水などで急激に冷やす「焼き入れ」
という工程を行いますが、その際、焼場土(やきばつち)を刀身に盛る
「土置き」を行ないます。
その土置きのための器。




 
日本刀の材料になる鉱物を「玉鋼」(たまはがね)と呼びます。
玉鋼は日本独特の製法である「たたら吹き」という方法で作られます。
叩いて熱いうちに切れ目を入れてそこで折り返したりして、
なんども焼締め、硬い刃を作っていくのです。

「鉄は熱いうちに打て」

はこの作業から生まれた言葉です。 
ちなみに「たたら」とはその際火を起こすふいごで、
それを踏む有様が、

勢い余って踏みとどまれず数歩歩むこと

という意味の「たたらを踏む」という言葉に残されました。 



「実際に持ってみましょう」コーナー。

前に靖国神社遊就館の刀剣展で持ってみたことがありますが、
実際に持ってみるとその度に重さに驚いてしまいます。

「よくこんなの振り回せるよね」
「二刀流ってどんだけ力持ちなのよ」

その時にしたのと同じような話をまたしてしまいました。 



さて、というあたりで9時となりました。
鍛治場や刀の鍛錬場などのある中庭に出てみます。

左の建物で打ち初めの神事が行われるので早速そちらに向かいますと、



純白の衣装に身を包んだ二人の神職が、
神棚の前に用意を整えて待機していました。



しばらくして祝詞奏上が始まりました。
この刀剣の里に詰める刀職人全員と、市長が前に立ち祝詞を受けます。

 

水茎も鮮やかな文字による祝詞が肩越しに見えました。



私の立っているところの前には焼きに必要な
道具が整然と並んでいます。



参列者が一人ずつ榊奉納をします。
当地の市長が奉納を終えて帰ってくるところ。



最後に紙吹雪のようなものをパーっと撒き、神事は終了しました。 

続いて浄火(きよめび)の準備が始まります。
火を起こすことをこういうのですが、みなさん、
こういう時どうやって火を起こすのだと思います?
マッチやライターなんて絶対に使わないんですよ。



刀工は鉄の棒の先端を打ち合わせ、摩擦熱を先端に集約したのち、
そこから出る火花で一瞬にして火をおこしてしまいます。
これも長年の鍛錬で簡単にできるようになるのでしょう。

煙が出てきていますね。

打ち初めを行う職人さんは赤い布をかぶります。
この無色の空間で、なかなかこれはオシャレ的にイケている気がします。



火花から起こった火花はあっという間にこんな風に
火床(ほど)に燃え盛るので、その中に玉鋼を入れて熱します。



最初の打ち初めをするのはこの職人さん。



最初に招かれて玉鋼を打つのは市長です。
スキンヘッドですがまだ若く40代とのこと。

任期は2期目ということですが、今までこの儀式は例年成人式と重なり、
来たいと思いながら来られず、今回が初参加とのことです。
市長の打ち初めが終わって・・・、



ん?

どうしていきなり写真がこんなに火床に近くなっているのかって?
実は、市長の後、私たち一家の名前が呼ばれ、市長に続いて
一般人の先陣を切る形で打たせていただくことになったのです。

一人が打てばもう一回玉鋼は炉に入れられ熱を入れられます。
それを待っている間にせっせと写真を撮るわたし。



家長であるTOがまず4発。



TOが4発だったので息子もなんとなく4発。



というわけでわたしも同調圧力で4発。
内心あまりの重さにびびっています(笑)



打つというより上に持って行ってまっすぐ落とすという感じ。
ちなみにこのとき着ているのはフォクシーのダウンコートで、
エレガントなラインでありながら暖かいのに信じられないくらい軽く、
旅行に来ていくには本当にありがたいお役立ちアイテムです。
(ここだけファッションタグ)



指名された私たち一家が打ち初めを終了した後は、皆に呼びかけて、



第1号。
日本人はこんなとき周りをうかがって様子を見るのですが、
一人が名乗りをあげるとすぐに行列ができました。



なかなか槌の振り上げが高くていらっしゃる。



子供第1号。



女性第1号。



女の子第1号。
彼女には一回り小さな槌が用意されました。



親子で一緒に第1号。



おばさん第1号。



女性は皆へっぴり腰になってしまっていますが、
それはそれだけ槌が重いのだとご理解ください。



彼女は後ろからボーイフレンドが携帯で写真を撮ったのですが、
遠慮して後ろからだったので顔が写っていなかったらしく、
後から

「顔が全然写ってない!」

と怒られていました。(´・ω・`)
どこから撮っても多分顔までは写らないと思う・・。



さらにへっぴり腰・・・。
もうこうなると「槌で玉鋼を触る」というレベルです。



この人はもしかしたら道路工事でツルハシでも日頃
扱い慣れているのかと思うくらい、スイングが大胆でした。
大抵の人が腰から下に落とす感じになってしまうのに、
頭の上まで槌を振り上げ、思いっきり玉鋼を強打しています。

とはいえ全く正確に叩くわけではなく、毎回数センチずれるので、
前にいる人はさぞ怖いだろうなとちょっと思いました。



槌の可動範囲20センチくらい?
おしとやかです。



腰が入っています。
本職が叩く時を見ていると、足を前後において
体重の移動を行いつつ槌を振るっていたので、
彼女の足のポジションはかなり的確ということです。



皆、3回からせいぜい5回叩いていましたが、この方は
「その辺で」と言われるまで叩いていました。

ツルハシのおじさんは数えていたところ9回で、この人も
止められてやめていました。



男性が叩いている時、玉鋼を抑えているやっとこの
ネジのところを槌が直撃してしまったことがあり、そのとき
職人さんは「あ」と一言言って、そのまま金槌で叩いて
歪みを直していました。

行事だから素人が叩くのはしかたないけど、せめてあんまり張り切って欲しくない、
というのが本職の本音ではないか、とこの時見ていて思いました。



というわけで打ち初めの儀式は一旦終了。



鍛治場の反対側。
人間国宝であった刀匠・隅谷正峯(1921-1998)
使用していた鍛治道具が、遺族の贈呈によってここに展示されています。

 

中庭に出てみると、お汁粉が振舞われていました。



せっかくですので一杯いただきました。
熱々でお餅は少し焦げがあり、香ばしくて美味しかったです。



中庭には、各職人の仕事場が動的展示されている建物があります。
この方は研ぎ師。



エヴァンゲリヲンの関係か?色紙が多数。
ここ刀剣博物館は色々とコラボを行っていて、
「戦国 BASARA」というのともやったとか。

帰りに乗ったタクシーの運転手さんが

「エヴァンゲリヲンのときは女の子が押し寄せて、
それにつられて男も来て、大変な賑わいだったが、
そのほかのは全然ダメだった」

と言っていました。



柄を装丁する職人。
他の客との会話で

年間せいぜい200万円しか収入がないので家族を養えない。
だからこの仕事、後継者も何も人に勧められないので」

とおっしゃっていたのが耳に止まりました。(´;ω;`)
後継者不足はこういう伝統職人の世界にも顕著です。

新卒は就職難だという話と大変矛盾するようですが、現代の日本の
価値観があまりに画一的に過ぎることも原因の一つかもしれません。

誰もが大学を出て当たり前、という社会では、職人に敬意を払う、
という日本社会の美点も今後段々薄れてくるのかと残念な気がします。



カタログ?のようなものを見せて説明しています。



柄を巻くだけにも職人がいるとは知りませんでした。
柄は鮫皮を巻くそうです。



この方は鞘をつくる鞘師。(そう書いてますね)



ちょうどこの鞘師さんが軍刀の話を前の人としていたので、

「家に伝わる刀を軍刀に作り変えるという仕事もあったんですってね」

と話を振ってみると、手元にあったこの刀を出して見せてくれました。
陸軍軍刀だそうです。



柄と鍔の部分に桜の紋様が入れられています。



柄巻きのこの部分にも桜。

「潜水艦に乗るときは長剣は持たないんですよ。狭いから。
それから、背の低い人だと合わせて切ることもあります」

「刀を切って短くするんですか!」

「そう、こんな風に(腰に当てて立つ)なると、
足の短い人だと格好悪いんですよ」

こと話が軍になると目を輝かせて色々と質問するわたし。

「遺品を装丁し直す依頼などはありますか」

「たまにありますね。これもそうですよ。
真剣のままだと届けがいるので、飾るために中を
抜き身にしてしまうという依頼は結構ありますし」

遺品の処分に困ってここに刀を持ち込む人は結構多く、

「中には亡くなってすぐに一抱え持ってきて『買ってくれ』
なんて言ってくる人もいましたね。
寄付ならともかく、一週間前に亡くなったばかりで・・。

『悪いことは言わんから思い出に持っときなはれ』って言いましたけど」

ちょっと呆れたように笑いながら話しておられました。



ところで作業場の隅にわたしは目ざとく、
キャットフードの入った立派なお皿を発見。
刀剣の里公認猫がいるに違いない!と思っていたら、



駐車場のところを悠々と歩いていくのを発見。
写真を撮ろうとしたら、前半でメモリを使い果たしておりました。
連写と動画を撮りすぎたんですね。

「ああ~待って~!いらないの削除してメモリ空けるから」

と声をかけども耳には届かず(そらそうだ)
すたすたと歩いて行ってしまわれます。



追いかけながらやっとの事で削除を完了、
1シャッター入魂で撮った刀剣の里お猫様の写真。
ちゃんと赤い首輪をしていました。


続く。(続くのか?)









 



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4 Comments

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Unknown (昭南島太郎)
2015-01-15 11:44:44
エリス中尉

毎日楽しみにブログ拝読させていただいております。
写真と軽快なタッチのコメントのコンビネーションが大好きです。

私事で恐縮ですが、母の実家が備前岡山でございます。
母方祖父も陸軍軍人でしたが、先祖伝来の刀を軍刀に仕込んでいたそうです。
戦後はさらに白鞘に拵え直して、幼少のころ手入れをしている姿を時々眺めておりました。
ただ、備前焼への思い入れも強かったようですが、刀剣の里は知りませんでした。

父方祖父の尉官時代の指揮刀と軍刀が広島の実家にありますが、
軍刀の刀身は木でできていて、子供心にガッカリしたことを覚えております(笑)
本当にあの軍刀吊っていたのかな。。。(疑問)

このような環境で育ったせいか幼少から刃物と飛び道具(拳銃)が大好きな危ない(?)子供でした(笑)
母の包丁を研ぐのはいつも私の仕事でした。

高校時代初めて母方祖父の真剣を持たせてもらった時のずっしりした重さは今でも手に残ってます。
「矢でも鉄砲でも持って来い!」って感覚を今でも覚えております(笑)

伝統の技を伝承していくことは、経済面や人々の価値観の変化などで難しいのでしょうが、
エリス中尉も仰るとおり、日本社会の美点が薄れていくと思うと残念ですね。。。
何言う私も海外生活25年目、人生の半分近くを日本の外で暮らし、かなり日本人らしさを失っておりますが(笑)
でも、海外にいるからこそ自分が日本人であることを強く意識しますし、
スケール小さいですが、日本の名に恥じない行動をとって行きたいと思っております。

長くなりついでの最後に、お汁粉写真で敷かれた新聞の広告欄。。。
安倍総理の写真(?)と「財界三重鎮に問う」という文句に何故か密かに微笑んでおりました(全く意味ありませんけど)

雨季も終ったのか、晴れの日が続く昭南島より

昭南島太郎

返信する
日本刀といえば (佳太郎)
2015-01-15 22:06:04
この前靖国神社へ行ってきたのですが、遊就館の特別展示で日本刀展があったように思えます…まあ見なかったのですが…
もはや日本刀なんて美術品であって届出も必要ですしなかなかやりにくいかもしれないですね。
しかしこういった技術は失われると復活させることが難しいのでしっかりと守っていっていただきたいものですね。

そして猫かわいいです(←そこ?)
返信する
昭南島太郎様 (エリス中尉)
2015-01-15 23:31:47
備前岡山ですか!それは偶然です。最近なにかとこの地にご縁があるのですよ。
今回の訪問もそのご縁でご招待いただいたものですし、昭南島さんともどこかで繋がっていそうですね。

わたしもアメリカ生活で自分が日本人であることを強く意識するようになりました。
一度ブログにも書いたことがあるのですが、日本人として海外にいると、
その評価と信用のされかたに本当に驚きます。
それもこれも先人たちの行いのおかげであると思えば、自分一人といえどもその評価に
味噌をつけるようなことだけはしたくないと考えるようになりますよね。
そして、そう考える日本人が実際に多いというのが、これも日本人への信頼に繋がっている
ということを実感します。

ところで「財界三重鎮」って、誰のことかしら。
返信する
わーい (エリス中尉)
2015-01-15 23:37:43
かわいいですよね~?
犬やら猫やらの写真を出しても今までどこからも反応がなかったので嬉しいです。

靖国神社の刀剣展、毎年の恒例みたいですね。
わたしはこの刀剣博物館行きが決まっていたので見てきました。
歴史のある刀剣や名のある刀匠の作品が飾ってありましたが、正直それだけなので
あまり面白くはなかったです。(だから見なくて正解です)
ただ、わたしが見たような刀匠の仕事を含む刀の作り方のドキュメンタリーが放映されていて、
それには皆熱心に見入っていました。
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