ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

海軍おやつ

2011-01-13 | 海軍
靖國神社の遊蹴館にはロビーに軽食喫茶があり、そこでは「海軍」と名のついたものを味わうことができます。

「海軍珈琲」
「海軍カレー」
「海軍ドッグ」

遊蹴館が別に海軍びいきなわけではないでしょうが、なぜか陸軍ものがない。
なぜでしょう。
まさか、陸軍精神が
「泥水すすり草を噛み」
だからというわけでもありますまいが、そちらに少なくともグルメな話は皆無、
なぜか海軍に食べ物の話題や海軍由来の食べ物が多い。

テーブルマナーを重視してみたり、艦隊で司令官の食事のときはフルコースのフランス料理と和食が交互に出て、軍楽隊のBGMがあったとか、肉じゃがは海軍発祥だとか。

戦時中の一般人の認識も似たようなもので、誰かが兵学校に合格すると、
「○○ちゃんは白いテーブルクロスでナイフとフォーク使ってご飯食べるようになるん?」
などと聞かれたりしたようです。

フネという閉鎖された空間では、とくに食について栄養あるいは精神健康上必要べからざる行事としての観点からあらゆる考慮がなされました。

人間がご飯を食べて生きている以上、船上での調理は時として戦闘行為。
「男たちの大和」
で、イケメン主計兵曹森脇一主曹(反町隆史)が戦闘前の握り飯作りをまさに
「これは戦闘や」
って言ってますね。
握り飯も手で握ったので、何百個何千個の熱い握り飯をつくっていると主計兵の手は火傷を起こしたそうです。

まさに戦闘。

おまけに、海軍精神注入棒であるところのバッターですが、主計科の罰直はあくまでも
大きなしゃもじで行われたというのです。
あのこれ・・・笑ってもいいですか?
しゃもじでお尻をぶたれる主計兵。


しかし、実際は主計科というのは縁の下の力持ち的仕事なので、忙しい割には
「主計看護が兵隊ならば、ちょうちょもトンボも鳥のうち」
なんて揶揄されていたようです。

陸軍では海軍の主計兵に相当するのが輜重兵(しちょうへい)と言いました。
輜重は、元来旅行者の荷物、という意味です。
男の戦闘配置としては陸海問わずこの方面には人気がありませんでした。
陸軍でも輜重兵に命ぜられるとリアルorzになったそうです。

さて、船員のストライキ(『食い物の恨み』参照)などを経て、胃袋を統率することこそ狭い船の上ではもっともスムースな兵統率の手段、と悟ったのかどうかは分かりませんが、さすがは海軍、オヤツにも力を入れていました。

そう、オヤツ=心の栄養。



冒頭画像は、最近遊蹴館によることがあると必ず一つ買う
「海軍ドロップス」。

先日息子、
「この間行った、零戦のあるところまた連れてってね」
(おお!)「なぜ?」
「あのドロップまたほしいから」
・・・・そういう理由か。


淡いブルーで、サイダーの味が気にいった模様。
画像ドロップの缶には

旧帝国海軍携帯口糧

海軍携帯ドロップス

自弁調達、慰問袋の必需品


とあります。

この「自弁調達」が、このドロップの謳い文句で、ウリなのですが、これはどういうことかというと・・・。
旧帝国海軍の艦船には、消火装置として、炭酸ガスの発生装置が据え付けられていました。
当時の海軍では、夏場の暑さをしのぐ涼として、この炭酸ガスを利用してラムネをつくっていたのです。

そうかー。
よく、航空糧食は巻きずしとサイダー、という記述を見るではないですか。
坂井三郎さんがガダルカナル決戦に向かう零戦の機内でうっかりサイダーを風防にぶちまけてしまい、それを拭くのに大変な努力をし、そのせいでいやな予感がした、という印象的な話があります。
不時着してしまった搭乗員が海を漂いながら
「サイダーも冷えていたのに飲まずに惜しいことをした」
と後悔したという話もありました。

物資不足のおり、サイダーだけはやたらと出まわっていたのだなあと思ったりしていたのですが、それもそのはず、海軍では「自弁で調達」できたと。

あの戦艦大和内でも、勿論主計科でラムネとして作られ酒保で売られていました。
一瓶、昭和19年当時で三銭。
士官は食費を給料から天引きされていて、つまり自費で払っていたのですが、ラムネは予約して確保していました。
一日の製造数は限られていたので、数少ない残りは兵員の間で取りっこになったそうです。

さて、その大和ですが、その設備の良さ(となかなか前線に出ないことへの揶揄)から、
「大和ホテル」
とあだ名されていました。
当時満州に有名な「ヤマトホテル」というのがあり、戦後中国政府によって陸軍のスパイ容疑で処刑された満州皇帝の娘、川島芳子が最初の夫カンジュルジャップと結婚式を挙げたところですが、ここをもじったものでした。

ホテルと称されるだけあって、その設備の中に、アイスクリーム製造器があったのです。
「バンカーヒルの物語」で二機の特攻機によって壊滅的打撃を受けた空母の話をしましたが、このバンカーヒルにも
「アイスクリームスタンド」
があったといいます。
しかし、当時のアメリカ人がアイスクリームを愛好するのは当たり前としても、大和にそれがあった、というのはなかなか驚くべき話ではありませんか。

今のホームメードアイスクリームメーカーのようなお手軽なものではないので、この製造機の管理は機関科が、製造は主計科がしていました。

フレーバーは
コーヒー、チョコレート、桃、チェリー、パイナップル、イチゴ、蜜柑、梨など。
バニラはもちろんあったでしょう。
ハーゲンダッツ並みの豊富さですね。

大和への食糧配給は「ホテル」と言われるだけあって、他の艦より幾分か優遇されていたようです。
当然ながら砂糖も比較的潤沢に使えたので、前記のラムネも、他の艦のものに比べるとかなり美味しかったということです。
アイスクリームも、きっと美味だったのに違いありません。




画像はやはり遊蹴館売店で購入できる、海上自衛隊の保存用ケーキ。
半分食べたところで写しました。
缶入りなので見た目はなんですが、そこそこ美味しいです。

非常食用に今度いくつか買っておこうかね、と一度息子と一緒に遊就館に行ったときつぶやいたら、
先日初詣で立ち寄った際、
「ママ、非常食買うんじゃなかったの?ホテルでお腹すいたときのために」
いや、そのとき確かにホテル暮らしでしたけどね。

非常食の意味を全く理解していないだろ君は。

















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